白鷹山、三吉山から葉山、竜樹山、兜山

白鷹山、三吉山から葉山、竜樹山
兜山


【日時】 2012年7月21日(金)〜23日 前夜発二泊二日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 22日:曇り 23日:曇り

【山域】 白鷹丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 白鷹山・しらたかやま・994m・なし(986.4m・一等三角点本点)・山形県
【コース】 嶽原より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/荒砥/白鷹山
【ガイド】 新・分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)

【山域】 蔵王連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 三吉山・さんきちやま・574m・なし・山形県
 葉山・はやま・687.4m・二等三角点・山形県
【コース】 金生熊野神社登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/上山/上山
【ガイド】 新・分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)

【山域】 白鷹丘陵周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 竜樹山・りゅうじゅさん・376.7m・二等三角点・山形県
【コース】 運動公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/赤湯/羽前小松
【ガイド】 なし

【山域】 吾妻連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 兜山・かぶとやま・119.3m・二等三角点・山形県
【コース】 綱木登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】  福島/白布温泉/白布温泉
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)

【時間記録】
7月21日(金) 15:00 新潟=(R.7、新発田、R.290、R.113、今泉、R.287、県民の森 経由 )=18:30 嶽原登山口  (車中泊)
7月22日(土) 6:20 嶽原登山口―7:02 白鷹山―7:23 三角点ピーク〜7:30 発―7:46 白鷹山―8:25 大平―8:38 嶽原登山口=(県民の森、R.458、R.13 経由)=9:52 金生熊野神社登山口―10:05 三吉山―10:35 葉山〜10:50 発―11:15 三吉山―11:40 金生熊野神社登山口=(R.13、赤湯、R.113 経由)=12:33 運動公園―12:39 遊歩道口―12:48 竜樹山―12:56 遊歩道口―13:01 運動公園=(R.113、手ノ子、白川、玉庭、R.112、綱木川ダム 経由)=17:00 綱木  (車中泊)
7月23日(日) 5:48 綱木登山口―6:07 林道終点―6:40 尾根上―7:06 兜山〜7:15 発―7:33 尾根上―7:56 林道終点―8:08 綱木登山口=(綱木川ダム、米沢、R.287、羽前小松、松原、R.113、R.290、新発田、R.7 経由)=11:20 新潟

 白鷹山は、蔵王連峰と朝日連峰の間、山形市の西に位置する山である。白鷹山火山群の外輪山のひとつで、これらのうちの最高峰である。周辺には、東黒森山を代表とする火口丘が多く、さらに大小十数個の火口湖沼群が点在して、山形県民の森として整備されている。白鷹山は、古くからの信仰の山であり、山頂には虚空蔵菩薩が祭られた神社がおかれている。山名は、米沢藩主の上杉鷹山からとられたという説と、冬には白い鷹が翼を広げるように見えるからという説がある。

 上山市街地から望む三吉山と葉山は、古くから信仰を集めてきた里山である。斎藤茂吉も「をさなくて見しごと 峯のとがりをる 三吉山は見れども飽かず」と詠んでいる。

 竜樹山は、南陽市の丘陵地にある山である。隣接する総合公園から遊歩道が整備されている。

 兜山は、米沢の南に位置し、吾妻連峰の東鉢山から北に延びる尾根上に位置する山である。

 梅雨の末期になったが、南から上がってきた梅雨前線とオホーツク高気圧がぶつかるというおかしな天気図になった。全国的に晴天は恵まれそうもなく、その中でも良さそうな東北方面に出かけることにした。先回予定した村山葉山を第一目標にして車を走らせた。日本海側から内陸部の南陽に入ると、一気に気温が下がって、厚い雲が垂れ込めるようになった。雨がいつ降り出してもおかしくない様子なので、葉山は晴天の時に登ることにして、近くの白鷹山に計画変更した。
 白鷹山には、1995年4月22日に登っているが、この時は中山からのレーダー施設の保守道を使った。残雪もある時期だったので、これはこれで正解なコース取りではあったのだが、一般的な登山コースは歩いていないことになる。今回は、ガイドブックにも載っている嶽原登山口から登ることにした。
 嶽原までのアプローチがはっきりせず、確実と思われた県民の森から入ることにした。ところが、県民の森の中は複雑に道路が分かれ、しかも白鷹山登山口という標識が、まだ遠いはずなのに現れて混乱した。
 片倉山の下を抜けて、なんとか嶽原のT字路に出ると、右に曲がった少し先が嶽原登山口であった。登山口には赤い鳥居が設けられており、駐車場とトイレも整備されていた。
 夜中には雨が降り出したが、朝には止んでいた。嶽原登山口からは、沢を左に見下ろしながらの谷沿いの登りが続いた。登山道沿いには杉林が続いたが、これは昭和天皇御成婚記念林とのことであった。各地の山を歩いていると、御成婚祝いの植樹林というのを良く見かけるが、自然林よりも人工的な杉林の方が価値があるというのは時代にそぐわないものになっている。
 山頂が迫ってきたところで、左の沢に入ってから九十九折の登りが始まった。斜面の傾斜はきついが、参道として良く整備されており、無理なく高度を上げていくことができた。
 ひと汗かいて、白鷹山の山頂に到着した。杉木立の中に神社と休憩所がおかれていた。一等三角点ピークへは、中山下山口の標識に従って西に向かうことになる。  山頂からは、一旦急坂を下った後に登り返すことになる。刈り払われた笹原の中に登山道が続いていた。傾斜が緩やかになるとアンテナ施設が現れて、さらに先に進むと管理道に飛び出した。車道をひと登りすると、気象レーダードームの置かれたピークに出た。レーダー施設の前は広場になっており、パラグラーダーの発着場が設けられていた。朝日連峰は見えないものの、雲の切れ間から麓の集落を見下ろすことができた。
 ここでは、一等三角点にご対面する必要がある。先回の記憶は無くなっており、改めて探す必要があった。レーダードーム施設の背後に回り込む道があったので進むと、北側の木立の中に見つけることができた。これで白鷹山の登頂完了ということになる。
 神社の置かれた白鷹山に戻った後は、大原に下山することにした。まず、神社の前の石段を下るのだが、急な上に石に苔がついているため、滑らないように注意する必要があった。石段の下で南の小滝方面との分岐にでたが、左に進むと、尾根通しの道が続くようになった。さらに白鷹高原放牧場の道を右に分けて左の道に進む。大平に向かっているのだが、途中の標識には少年自然の家と書かれているので、判りにくい。  急な下りを終えて沢沿いに下っていくと、耕作地に飛び出した。農道を横切って歩道を下っていくと、大平の集落内に出た。集落内から嶽原への車道までは、ガイドブックとは少し違って、大平沼の東の端で飛び出すことになった。後は、嶽原までの車道歩きになったが、廃屋が目についた。雪深い奥地のため、離村が進んでいる。
 続けて、三吉山に向かうことにした。蔵王に向かう途中この山の麓を通過するにもかかわらず、登らないままになっているのが気になっていた。
 国道と上山への道が合わさる十字路から集落内に入り、高みに向かう道に進む。農園の脇を過ぎてさらに登っていくと、ゴルフ練習場のレストハウスが現れるが、さらに車道を進むと、ゴルフ練習場と共用の駐車場にでる。
 三吉山の登山口一帯は、金生熊野神社公園になっており、木材チップが敷かれた遊歩道が巡らされているが、何が見どころから判らず、公園自体の利用者は少ないように思われた。
 鳥居をくぐって、登っていくと、公園の敷地内から出て、登山道が始まった。林道に飛び出すと、左に展望台という標識が現れたが、そのまま直進した。ひと登りすると、右に不動尊に至る散策路が現れたが、そのまま直進した。左にトラバースするようになると、展望台からの道が合わさったので、下山時にはこちらの道を使うことにした。
 三吉山の山頂も近づくと、急な登りが続くようになった。雑木林の中を登っていくと、突然という感じで、ガレ場が現れた。玄武岩からなり、岩海と呼ばれるようである。ここからは、上山や白鷹山の展望が広がっていた。雲がかかっていなければ、朝日連峰を眺めることができるはずである。
 再び雑木林の中に入ると、ひと登りで三吉山に到着した。鐘楼とお堂が設けられて、脇には、石灯篭や石仏が並べられていた。
 続いて、葉山に向かった。しばらくは緩やかな尾根道が続いた。登山者にも二組すれ違い、地元に親しまれている山であることが判った。
 山頂が近づくと、急な登りに変わった。泥斜面が滑りやすく、下山は足元に注意が必要であった。急登を終えて山頂到着かと思ったが、もう少し先であった。
 葉山の山頂では、雑木林に囲まれた中に石の祠が置かれていた。同じ信仰の山といっても、三吉山よりも奥にある葉山となると、訪れる人も少なくなっているようである。
 腰を下ろして休みながら地図を見ると、葉山には三角点が置かれているが、ここには見当たらなかった。登山道を少し進むと、少し高くなったところに三角点を見つけることができた。
 三吉山に戻り、下山の途中から展望台への道に進んだ。木材チップの敷かれた遊歩道が続いた。九十九折の道を下ると、東屋があり、林道に飛び出した。林道を下ると、すぐ先で行きに通り過ぎた分岐に戻ることができた。
 二山を登り終えたが、時間はまだ早かった。もうひと頑張りということで、赤湯近くにある竜樹山を登ることにした。辰年ということで、竜にちなんだ山を調べていくと、この竜樹山は隣接した運動公園から登山道が設けられているらしいことが判った。時間もそれほどかからない山なので、この機会に登っておくことにした。
 現在は赤湯バイパスを通ることが多いが、今回は赤湯から旧道を通って今泉に向かった。バイパスが合わさる交差点の手前で総合公園への道が分かれた。寺坂峠への車道を登っていくと、左に総合公園が現れた。園内の奥への道はゲートで閉ざされていたため、手前の駐車場から歩き出した。グラウンドの脇に出ると、奥に竜樹山らしいこんもりとした高まりが見えた。車道の終点広場から竜樹山への遊歩道が始まっていた。  階段登りも僅かで、竜樹山の山頂に到着した。立派な山名の書いた柱が立てられていた。ここには二等三角点が置かれており、眼下には置賜平野の眺めが広がっていた。登山道はさらに経塚山へ続いているようであったが、そこまで進むと引き返すのも大変なので、車に戻ることにした。
 次第に新潟に近づいてきてしまっていたので、さらに遠くに向かうのも面倒になり、白川で温泉に入った後に栂峰でも登ろうかと思った。いつも利用しているホテルフォレストいいでに到着すると、地震の影響によって休館になっていた。一年経っても営業が再開されていないとなると、このまま閉館になってしまうのかもしれない。代わりに近くの白川荘で入浴した。
 栂峰に登るため、小屋に向かったが、集落の先からは荒れた林道になり、どこまで進んだのかも地図を用意していなかったので判らないため引き返すことにした。結局、翌日の山は兜山ということにして車を走らせることになった。
 再び置賜盆地に戻り、小野川温泉の入り口をかすめて綱木に向かった。兜山に登ったのは2003年7月であったが、その時は工事中であったダムは完成していた。ダムサイトを過ぎて綱木川沿いの谷間に入ると道幅も細くなったが、すぐに谷は広がって綱木に到着した。集落を過ぎた所で広場が現れ、ここが登山口になる。
 綱木まで走ってきた道を南に進むと、檜原湖に通じる。現在の林道は、檜原峠の東に逸れて通過しているが、昔の街道は綱木を通過して檜原峠を越して米沢と会津若松を結んでいた。この道は、直江兼続が行き来した道であることに気が付いた。
 兜山の登山口駐車場で夜を過ごしていると、夜中にホタルが飛ぶのを見ることができた。
 翌朝は、曇り空の朝になった。綱木川にかかるコンクリート橋を渡って林道に進む。先回は、この橋も無かった。林道をカーブを交えながらひと登りすると、杉林の中に出て、左に兜山登山口の標識が現れた。草に覆われ気味の道が続いた。このような道が続くと、途中でヤブコギになる恐れもあるかと不安な気持ちも湧いてきた。
 林道に飛び出して、左右のどちらに進むか迷った。右に進むと、すぐに上に向かう林道に出た。どうも林道をそのまま歩いてくれば良かったようである。下山の時はそのまま林道を下ったが、推測は当たっていた。林道を歩く登山者がほとんどで、昔からの登山道は荒れてきてしまったようである。
 林道を登っていくと、終点の広場となり、登山道が始まった。杉林の中をまっすぐに登っていくと、登山道は左に曲がって、沢沿いの道になった。直進する方向にも踏み跡は続いていたが、ここには登山標識が置かれて、迷わないようになっていた。登るにつれて水量は少なくなった。左の尾根にいつ方向を変えるのかと思いながら歩き続けたが、まっすぐの登りが続いた。
 結局尾根上には、1000m標高の地点で出ることになった。この先は、ロープもかかる急登が続いた。この後の標高差は200m程であったが、きつく感じられた。
 苔むして傾いた石の祠の脇を過ぎると、兜山の山頂に到着した。山頂は三角点が頭を出した小広場で、周囲は灌木帯のため展望が広がっていた。高い山は雲に隠されていたが、眼下の尾根を流れる雲海が美しかった。
 下りは、谷沿いに戻るまでは、尻餅をつかないようにロープを使いながら歩くことになった。
 下山の時間はまだ早かったが、登る適当な山も思いあたらないので、家に戻ることにした。

山行目次に戻る
表紙に戻る