9961

高峰山、姫ノ城山


【日時】 1999年12月29日(水) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雨

【山域】 加茂三条丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
永明寺山・えいみょうじやま・123m・なし・新潟県
高峰山・たかみねやま・147.5m・三等三角点・新潟県
姫ノ城山・ひめのじょうやま・216m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/加茂
【ガイド】 なし

【時間記録】 7:40 発=(R.49、茅野山IC、R.403、三条、R.289、東大崎 経由)=9:35 大崎公園車道分岐〜9:45 発―9:54 永明寺山―10:00 大崎公園車道分岐=10:03 グリーンスポーツセンター〜10:08 発―10:14 グリーンスポーツハイキングコース登山口―10:27 高峰山標識〜10:32 発―10:35 高峰山―11:04 見晴らし休憩所〜11:09 発―11:19 三叉路―11:58 分岐―12:03 林道〜12:07 発―12:13 姫ノ城山〜12:15 発―12:19 林道―12:22 分岐―12:54 三叉路―13:05 見晴らし休憩所〜13:10 発―13:36 高峰山〜13:40 発―13:42 高峰山標識―13:50 グリーンスポーツハイキングコース登山口―13:56 グリーンスポーツセンター=(東大崎、R.289、三条燕IC 北陸自動車道 経由)=16:00 新潟着

 新津から加茂、三条を経て見附にかけての越後平野の縁に沿っては、丘陵地帯が連なっている。このうち加茂と三条の背後の粟ヶ岳前衛の丘陵地帯には、多くのピークが点在している。新潟県内の25000分の1地形図において、最も山名が記載されているのは、20の山名をみることができる「加茂」である。周囲は山ばかりの飯豊の大日岳が14山であることと比べると、山名の付け方や山の定義など考えさせられることが多い。
 三条市の東大崎の背後の丘陵一帯は、大崎山公園として整備されており、日本で最初に日食観測が行われた場所として知られている。この公園内の最高点が永明寺山である。高峰山は、大崎山の東に位置し、米山薬師とも呼ばれる山である。また、姫ノ城山は、城山とも呼ばれ、戦国時代の防衛上の重要な拠点であったという。大崎山から姫ノ城山にかけては中部北陸自然歩道として整備されている。

 新潟市内の雪はほとんど消えたが、郊外にはまだ多くの雪がありそうであった。低山歩きのために、「加茂」の地図のうちから、姫ノ城山を選んだ。姫ノ城山は林道を利用すれば、ひと登りで山頂に達することができるようであったが、今は雪のために林道は通行できないはずであった。大崎山から姫ノ城山にかけては、地図でも破線が記載されているが、中部北陸自然歩道としてハイキングコースが整備されているようであった。途中には、高峰山というピークもあるので、雪が深ければ、そこで引き返しても良いなと思って出かけることにした。
 三条の町を過ぎて近づいてきた大崎山は、すっかり雪で白くなっていた。たかだか100mばかりの高さであるが、麓の田圃も雪で覆われているので、雪山なのはあたりまえか。大崎山公園の標識に従って、国道から東大崎の集落に入ると、中部北陸自然歩道の案内標識が現れた。永明寺の脇から上り坂になるが、車道は除雪されていた。この除雪は、三条市の保養施設のグリーンスポーツセンターまでで、山頂を越して西側の広場に続く道路は雪で覆われていた。
 地図には永明寺山と山名が記載されているので、とりあえず、山頂を踏んでいくことにした。雪は雨を吸ってグズグズになっており、ゴム長靴でないと歩けない状態であった。車道には踏み跡が付いていたが、それでも一歩ずつ足がもぐる状態であった。車道は、体育館の上に進んでから、右に方向を変えた。最高点は切り通し状態で、車道はその先に下っていたので、雪の壁をひと登りして永明寺山の山頂に立った。山頂の広場には、記念植樹の碑が置かれていた。昔はスキー場だったのか、山頂からの斜面には雪原が広がっていた。車も下に見えたので、雪原を真っ直ぐに下ってみることにした。だんだんに畑が作られているようで、膝上まで雪にはまったり、雪の壁を飛び下りたりするはめになった。
 グリーンスポーツセンターの駐車場に移動して歩き出す準備をした。雪が重く、姫ノ城山まで距離があるのが気になった。スノシューを背負っていくことにした。駐車場の奥の階段を下りた体育館との間の窪地から、遊歩道が始まっていた。下っていくと、右手にグランドが現れ、その先で林道が横切っていた。向かいの尾根に向かって遊歩道が続き、その取り付きには、グリーンスポーツハイキングコース登山口という看板が立てられていた。1 高峰山頂(米山薬師)まで1250M 2 見晴台(麻布降り口まで2750M 3 一周コース 7650M とコースの説明があったが、これは大峰山を中心としたハイキングコースで、姫ノ城山までの距離が書いてないのが残念であった。
 杉林の中の緩い登りが始まった。幸い、林の中のためか、雪の量も30センチ程で、坪足でも歩くことができた。5m程の幅のしっかりした道が続いているので不思議に思いながら歩いていくと、高峰山(米山薬師)という看板が現れた。そこに道の謂れが、「この歩いてきた道は、通称「馬道」と言われ、古くは領地の殿様が大勢のお供を連れて通ったとも伝えられている。近年では山の材木を馬の力で里に搬出したものである。」と書かれていた。この道は、村人の労力奉仕で維持されてきたというが、これから先はどうなるのであろうか。ここが高峰山の山頂と思って、柳沢方面への分岐が無いのが不思議だと思いながら進むと、少し先のピークの上に分岐があり、高峰山の標識が立てられていた。まぎらわしい標識である。ベンチも置かれてひと休みするには良いところであったが、小雨が降っていたため、足を止めると体が冷えてきた。
 高峰山からは一旦下りになり、その先はなだらかな尾根道が続いた。陽気の良い時ならば、のんびり歩けそうであった。直進する馬道と分かれて左に入る分岐にでると、ここが見晴らし休憩所であった。直進する道は、麻布谷の林道に下るようであったが、この道は地図に記載されていなかった。見晴らし休憩所の看板には、越後三山をのぞむ(守門岳、粟ヶ岳、白山)と書かれていた。国上山、弥彦山、角田山をまとめて越後三山と呼んでいる看板もあるし、どうも越後三山という名前を勝手に使うきらいがある。一般には、八海山、越後駒ヶ岳、中ノ岳が越後三山のはずだが。もっともこれらは魚沼三山という呼び方もあるので、そこまで考えた上でのことなのだろうか。
 この先は、道が細くなり、雪で覆われたコースを辿るのに注意が必要になった。幸い、道形がはっきりしなくとも、稜線を忠実に辿っていけばよかった。また、一定の間隔で、遊歩道の標識が付けられていて助かった。帰りは、雪の上の足跡をを辿りさえすれば良く、赤布は必要としなかった。小ピークに登り返すと、三叉路に出て、姫ノ城は右という標識が立てられていた。少し先で、「この道はOLパーマネントコースではありません!よくしらべよ 三条市教育委員会」という看板とともに、長方形を対角線で紅白に塗り分けて、STOPと書かれた標識が現れた。オリエンテーリングのコースが設けられているのだろうか。杉林の中の緩やかな起伏が続いて、しかも雨雲に覆われて展望は利かないとあっては、「よくしらべよ」といわれても、ワカンナーイ状態であった。地図にある上保内からの道との分岐だと思うのだが、植林のための作業道も分岐していた。姫ノ城山に着くまでは、自分の居場所は判りそうもなかった。
 雪は次第に深く、膝上まで達するようになり、体力の消耗と時間が気になるようになってきた。足の筋肉をだましながら雪道を進んだ。ようやく、右手の尾根沿いに下っていく道が分かれ、その先が姫ノ城山のはずであった。驚いたことに林道が横切っていた。林道麻布谷黒水線からさらに布施谷線が分かれているようであった。自然歩道の標識には、左布施谷不動尊と書かれていた。林道脇に姫ノ城山の城跡についての説明板が置かれていた。頂上まで道があるはずであったが、雪のために良く判らなかった。たいした距離でもないので、峠部分からの稜線を登ることにした。山頂は、縁が土塁で高くなり、中央が窪地の広場になっており、確かに山城のような雰囲気であった。
 目標を達成し、後は戻るだけであったが、雪道の歩きで足は重くなった。ハイキングコースといえども、雪道の歩きはあなどれないものがあった。200mの山で本気になって汗を流すのも、ポスト百名山として低山薮山に足を踏み入れた今年最後の山行に相応しいように思えた。
山行目次に戻る
ホームページに戻る