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城山、雨乞山、御殿山、松ヶ岳


【日時】 1999年12月23日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雪

【山域】 西山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 城山・じょうやま・107.3m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/三条/与板
【ガイド】 新潟の里山(新潟日報事業社)、ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【山域】 弥彦山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 雨乞山・あまごいやま・318m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦
【ガイド】 なし

【山域】 弥彦山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 御殿山・ごてんざん・116.1m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦
【ガイド】 薮山ネット(00042)佐藤さんの情報

【山域】 弥彦山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 松ヶ岳・まつがだけ・174m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦
【ガイド】 薮山ネット(00043)佐藤さんの情報

【時間記録】 7:20 新潟発=(新潟西バイパス、曽和、R.116、大河津橋、与板 経由)=9:10 城山北側登山口〜9:21 発―9:32 城山〜9:50 発―9:54 おせん清水―10:02 八坂神社―10:12 城山北側登山口=(与板、渡部橋、新潟寺泊線、弥彦スカイライン 経由)=11:06 猿ヶ馬場―11:14 NTT保守道入口―11:32 雨乞山―11:44 NTT保守道入口―11:53 猿ヶ馬場=(弥彦スカイライン、新潟寺泊線 経由)=12:20 弥彦駅駐車場―12:27 観月橋―12:29 トンネル前分岐―12:34 湯神社参道鳥居―12:36 施設金網フェンス―12:42 御殿山―12:46 施設金網フェンス―12:52 湯神社―12:58 施設金網フェンス―13:01 湯神社参道鳥居―13:05 観月橋―13:12 弥彦駅駐車場=(新潟寺泊線、岩室 経由)=13:20 岩室神社〜13:28 発―13:45 松ヶ岳〜13:55 発―14:06 岩室神社=(新潟寺泊線、中権寺、R.116、新潟西バイパス 経由)=14:50 新潟着

 長岡の東に連なる鋸山を中心とした山塊を東山と呼ぶが、これに対し、信濃川左岸に連なる丘陵地帯を西山連峰と呼ぶ。城山は、この丘陵地帯の北端近くの与板町の背後にある小山である。この山には、上杉景勝の家老直江山城守兼続の居城であった与板城跡がある。直江兼続は、上杉家のあまたの武将の中でも、知将として知られている。慶長三年、豊臣秀吉の命により、上杉景勝は会津へ移封され、これに伴い直江兼続は米沢と荘内を治めることになった。領地の米沢と荘内を結ぶ交通路を必要としたが、最短距離の六十里越街道は、宿敵最上善家によっておさえられいた。一方、越後街道は現在の米坂線と異なって川を離れた十三峠の難路で、しかも越後の堀秀治の領土内を通るため自由な往来は困難であった。そのために、入部の年の夏に大工事を起こして、朝日軍道として名高い、葉山、大朝日岳、以東岳の大縦走路を開いた。

 弥彦山は、日本海にのぞむ、弥彦山と多宝山からなる双耳峰であり、北に樋曽山を経て角田山、南に国上山へと続いている。雨乞山は、弥彦山の南の肩部に位置する小ピークである。山頂にはNTTのアンテナ施設が置かれており、弥彦スカイラインから保守道が山頂まで延びている。

 弥彦山の麓の弥彦神社の玄関口として、弥彦駅があり、その東に広がる弥彦公園の背後にたたずむ小山が御殿山である。湯神社への参道の途中から、踏み跡を辿ってひと登りで山頂に達することができる。

 弥彦山・多宝山の北側、岩室村の裏手にある円錐型の山頂を持つ小山が松ヶ岳である。石瀬峠の東側の250mピークを天神山といい、天神山城跡が残されているが、松ヶ岳もその山城の一郭をになっていたという。

 今年もいよいよ残り少なくなり、年間の山行回数が気に掛かるようになってきた。先週末に新潟でも積雪状態となり、風邪気味のこともあって、山はお休みにした。しかし、天気予報の雪だるまマークはそのまま消えず、新潟近郊の山沿いではかなりの雪が積もったというニュースが入ってきた。努力目標の回数までは、あと一回。その一回が難しかった。天皇誕生日の休日にはなんとか山に出かけたいが、登る山に頭を悩ますことになった。山に新雪は当然として、車道の除雪状態が問題であった。幹線道路沿いでないと、車の置き場所に苦労しそうであった。海岸線に近い低山ということで、与板の城山をまずめざし、さらに余裕があれば弥彦周辺の小ピーク巡りを行うことにした。
 小雪が舞うなか、大河津分水から与板を目指した。以前この道は、上越線沿いのスキー場に出かける間道であったが、高速道の開通によって、最近は走ったことがなかった。内陸部に向かうと、道路上にも雪が積もった状態になってきた。与板の町中から阿弥陀瀬に向かう道に出た所に八坂神社があり、そこに城山の説明板が置かれていた。ここから表参道ともいえる登山道が始まるようであった。まずは、北側の登山口から登ることにして阿弥陀瀬方向に進むと、左手に赤い鳥居があり、そこがもうひとつの登山口であった。車を雪の積もった路肩に寄せて停めた。
 鳥居をくぐると、杉林の中に登山道が続いていた。膝下程の雪の下で、足先の感覚であったが、随所に石段が設けられているようであった。つづら折りの登りが続いた。雪が激しくなり、片手に傘、片手にストックという、ちぐはぐな格好のスノーハイクになった。山城の跡と思われる土盛りの段々を回り込むように登っていくと、鳥居が現れ、それをくぐると山頂であった。手前には「城の一本杉」という、樹齢約400年の古木があった。かたわらの説明板によれば、慶長三年、直江兼続が会津移封のおり記念として贈った五本の杉のうちの一本とのことであった。本丸跡の山頂は広場になっており、城山稲荷神社のお堂が置かれていた。木立の間から見下ろす平野部は白く雪に覆われ、どんよりした雲が低くたれこめていた。山頂付近には桜も植えられ、陽気の良い季節には人で賑わいそうであった。雪もいつのまにかやんで、雪に覆われた広場は静まりかえっていた。
 下りは、鳥居をくぐってから右に曲がり、八坂神社をめざすことにした。雪で覆われていたが、遊歩道なみの立派な道が続いているようであった。途中、尾根にのったところで、「おせん清水」という標識が現れた。「おせん」は兼続の妻の名前である。おせんは、直江実綱の一人娘であり、はじめ信綱を夫に迎えたが殺されてしまい、長尾家の断絶を惜しんで、樋口兼豊の子与六(兼続)に継がせたという。直江兼続は、有名な武将であるが、婿殿と呼ばれて苦労したのだろうか。下っていくと、周囲には竹林が広がった。左に道が分かれたが、そのまま尾根道を直進すると、最後は右に階段を下って、集会場の脇に降り立った。八坂神社へは、途中の分岐を左に下りるのが正解のようであった。僅かに車道を戻ると八坂神社の下に出たので、階段を登ってみると、境内右手に城山登山口の標識が立てられていた。
 次いで弥彦に向かった。信濃川の堤防を走り、大河津分水沿いに入ると、とたんに道路の雪は少なくなった。ひとつ気にかかっていたのは、弥彦スカイラインは、どこで冬季閉鎖のゲートが閉められているかということであった。弥彦近くになると道路上にはほとんど雪は無くなっていたので、確かめに寄っていくことにした。観音寺を過ぎると、弥彦スカイライン冬季閉鎖という看板があった。柵が置かれていたが、道の半分は開放されており、その先も除雪が行われていた。先に進んでみると、鉢前沢手前の工事現場で除雪は終わっていたが、車の轍が雪の上にさらに先に続いていた。気温が上がって雪も柔らかくなり、スリップの危険も少ないため、雪道をさらに進んでみることにした。結局、野積からの道が合わさる猿ヶ馬場まで車で上がることができ、その先でゲートが閉められていた。野積方面からも車が上がってきており、冬季閉鎖とはいえ、路面の状態次第では、猿ヶ馬場までは車で入ることができることが判った。
 猿ヶ馬場まで入ることができたので、雨乞峰に登ることにした。猿ヶ馬場の合流点脇から、越後三山縦走路が尾根伝いに雨乞峰に向かって上がっていたが、薮がうるさそうなため、保守道を使うことにした。ゲートを乗り越えて、弥彦の山頂方面に進むと、右手に車道が分かれ、これが雨乞山の山頂に立つNTTのアンテナ施設の保守道であった。来た方向に戻るように登っていくと、カーブ地点に越後三山縦走路の標識が掛けられ、赤布が薮の入口に付けられていた。折り返して、登っていくと、正面に弥彦山の山頂が大きく、さらに日本海と佐渡の眺めも広がるようになった。山頂を巻くように登っていくと、巨大なアンテナが立てられた山頂に到着した。雪の上に足跡があると思ったら、施設のドアが開いており、点検の人が上がってきているようであった。
 天気も回復してきたので、さらにピークハントを続けることにした。御殿山へは、地図上には破線が書かれているが、現在はこの道は無くなっているようである。人気の無い弥彦駅脇の駐車場に車を止めた。弥彦公園の中に入っていくと、もみじ谷と名前が付けられた沢沿いに遊歩道が整備されていた。観月橋の手前に湯神社への案内標識がかけられていたが、これを見送って少し進むと分岐に出た。右手にはトンネルが口を開けていたが、これとは逆の左手に進むと、沢を回り込んで登りになった。ひと登りすると広場に出て、その奥には湯神社参道の鳥居が立っていた。石の鳥居の奥には、木造の鳥居が何本も立てられて、信仰も厚いようであった。緩やかに登っていくと、金網フェンスで囲まれた上水道のような施設が現れた。ここからは、御殿山の山頂まで僅かな距離であった。斜面は伐採地となっており、雪で覆われているために踏み跡があるのかどうかは判らなかった。適当に歩き易そうな所を伝って、山頂をめざした。山頂に近づくと、木立の切れ方から、雑木林と伐採地の境界付近に踏み跡があるような雰囲気であった。御殿山の山頂は、伐採地が際まで延びてきていたが、かろうじて雑木林が残されている一隅に三角点が雪の中から頭をのぞかせていた。
 参道に戻ってから、湯神社に寄っていくことにした。湯神社へは一旦緩やかに下って、もう少し歩く必要があった。参道には雪が10センチ程積もっていたが、女性の参拝客とすれ違った。参拝にしては、雪の中のこととて熱心なことである。それとも散歩あるいはウォーキングなのだろうか。湯神社には、社務所や茶店もあり、参拝客も多いようであった。帰りは、鳥居前の広場から直進して遊歩道を下ると、観月橋に戻ることができた。
 興の赴くままに松ヶ岳にも寄っていくことにした。25000分の1地図「弥彦」には、弥彦山、多宝山、国上山、雨乞山、松ヶ岳、御殿山の6ピークが記載されているので、松ヶ岳に登らないわけにはいかない。岩室温泉に戻って、松ヶ岳の麓にある岩室神社を目指した。神社前の駐車スペースに車を止めた。神社前に松ヶ岳への登山道の標識と、中部北陸自然歩道の案内板が置かれていた。天神山への登山道も書かれており、弥彦山一帯は、まだまだ遊ぶ所が残っているようであった。神社の社殿の前へと石段を登ると、散歩らしい地元の人と出会った。挨拶を交わして、松ヶ岳へ登ることを告げると、この人もしばらく登っていないからと、登る気になってしまった。
 社殿の背後に、しっかりした道が続いていた。長い距離ではないので早いペースで登ったが、一気の登りに足が重くなった。草の枝がかぶさっている所もあり、充分な整備がされたにもかかわらず歩く者は少ないようであった。山頂は松の木で囲まれていたが、松食い虫のためか、枯れた木もあって、見晴らしは悪くはなかった。広場の中央には、石碑が置かれ、傍らには碑文の説明文が立てられていた。天神山から弥彦山への登山道の案内板も置かれており、また気になるコースが増えた。山頂であれこれ眺めているうちに、岩室神社前であったおじさんも上がってきた。縦走路の話を聞いてから山を下った。


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