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要害山、鳥屋ノ峰


【日時】 1999年12月11日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雨

【山域】 櫛形山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 要害山・ようがいさん・165.6m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/菅谷
【ガイド】 武田氏の情報

【山域】 櫛形山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 鳥屋ノ峰・とりやのみね・276.7m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/菅谷
【ガイド】 百山百色

【時間記録】 9:40 新潟発=(R.7、聖籠IC、紫雲寺、加治、東宮内 経由)=10:40 要害山南山麓〜10:53 発―11:04 鳥居―11:10 藤戸神社―11:26 要害山〜11:30 発―11:42 藤戸神社―11:46 鳥居―11:56 要害山南山麓=12:10 菅谷診療所前〜12:16 発―12:17 登山口―12:45 鳥屋ノ峰〜12:50 発―13:12 登山口―13:14 菅谷診療所前=(菅谷、箱岩峠、七社、紫雲寺、聖籠IC、R.7 経由)=14:50 新潟着

 蒲原平野の境に沿って、加治川と胎内川の間に長さ14km、幅5kmにわたって南北に広がる丘陵地帯を櫛形山脈と呼ぶ。標高500m程の丘陵地帯にしかすぎないが、2.5万分の1地形図に山脈と記載されている唯一の例といわれて、日本一のミニ山脈として地元で売り出している。この櫛形山脈は、白鳥山から箱岩峠までが、縦走路も整備されて、一般的に歩かれている。これに対し、箱岩峠から南には、鳥屋ノ峰と要害山の二つの名前を見ることができるが、これらのピークはほとんど忘れられた存在になっている。鳥屋ノ峰には、二等三角点が置かれ、櫛形山脈を遠望した時、箱岩峠の南のピークとして良く見分けることができる。

 全国で一番多い地名は城山のようであるが、この要害山という山名も新潟周辺には数多く見られる。櫛形山脈最南端にあって加治川流域の平野部に接するこの要害山は、佐々木氏の本城であったという。櫛形山脈北端の鳥坂山も山城跡で知られており、この山域一帯には多くの山城が置かれていたようである。

 新潟のこの季節、晴を期待するのは無理というもので、早くミゾレから雪に変わることを祈るしかない。雨が断続するなか、登ることのできそうな低山を考えて、櫛形山脈の要害山に出かけることにした。
 中妻の集落内から田圃の中の農道を進むと、左手に鳥居が見えて、そこが要害山の登り口であろうと見当はついた。しかし、農道のカーブ地点が細くて車をカーブさせるのが危なそうであったため、そのまま進んで、南山麓の路肩に車を停めた。雨は振ったりやんだりのために、雨具の上下を着込んで、傘をさして歩くことにした。山を横目で眺めながら、農道を戻った。山際にある鳥居からは、地図にも書かれている石段が高みに向かって続いていた。右脇には、要害山の謂われの案内板が置かれていた。
 石段は、かなり古いもののようで、表面には苔が付いていた。しかも下方に傾いており、雨の中ではこの階段の下りは恐そうであった。石段の上にはお堂があり、その右脇から登山道が始まっていた。お堂の背後の高みには向かわず、要害山との鞍部に向かってトラバース気味の道が続いた。山麓一帯には杉の植林地が広がっていたが、鞍部からは雑木林の中の登りになった。尾根沿いの道には、岩が露出し苔が付いて滑り易そうな所があったが、手すり状に鎖が張られていたので、特に問題は無かった。これだけの整備をしているのなら、もう少し宣伝に努めれば良いものを。途中で、学びの山道という標識も立てられていたが、地元では良く歩かれている道なのだろうか。山頂は、人工的に整地されたものと思われる広場になっていた。東よりの高みに三角点が置かれていた。あいにくと雨雲で展望は閉ざされていたが、麓の集落を見下ろすことができた。五頭山塊や二王子岳方面の展望が良さそうであった。お堂に戻ってからは、石段は避けて、簡易トイレの脇から林道を下った。数回ジグザグを切ると、登り始めの鳥居の脇に飛び出した。
 続いて、鳥屋ノ峰の偵察に向かった。この山には、保坂氏の「百山百色」における須田氏の報告では明瞭な道があるというが、駒の会の松本氏によれば道は途中で無くなるとのことで、どうもはっきりしない。地図を見れば、箱岩峠からも歩けそうな気がするのだが。まずは、菅谷診療所前のバス停をめざした。診療所手前の新発田よりに、私有地につき進入禁止と書かれて鎖の掛けられた車道が山に向かっていた。路肩に車を停めて、この道を進んだ。ひと登りした所にある人家の手前で、作業用のモノレールが現れた。その先に、学びの山道の標識が現れて、山に向かう踏み跡が始まった。すぐ先で谷間の奥に続くモノレールの線路を跨ぎ越すと、左の尾根への登りになった。テープが多く付けられており、踏み跡も明瞭であったが、ササがかぶり気味であった。尾根の末端部に登り付くと、南に落ちこんでいく尾根にもテープが付けられていたが、薮に覆われていた。この先は薮が少しうるさくなったが、ほどほどの痩せ尾根で、辿るのは難しくはなかった。前方に高まりが見え、始めそこが山頂かと思ったが、箱岩峠からの稜線が合わさる尾根上の突起であった。箱岩峠方面からも踏み跡が登ってきており、そちらの方が良く踏まれているようであった。ようやく鳥屋ノ峰の山頂が目に入ってきたが、もう少し登る必要があった。尾根の途中には空堀風の溝が横切っており、この山にも山城が置かれていたのだろうか。
 鳥屋ノ峰の山頂には、航空測量の白板が放射状に三本並べられており、そのかたわらに三角点が頭をのぞかせていた。東斜面の木立が刈り払われており、晴れていれば、二王子岳や飯豊の展望を楽しめそうであった。踏み跡は、さらに西にも続いていた。加治川村と新発田市の境界線ということで、踏み跡が付けられているのかもしれない。
 車に戻り、箱岩峠からの踏み跡を確かめることにした。菅谷からは、舗装された走り易い道が続いていた。箱岩峠の切り通しの加治側に赤布が付けられており、ここが登り口のように思えた。続いて、箱岩峠から北に延びる林道に入ってみた。砂利道の敷かれた走り易い林道が続いた。右上を走る稜線が左に移る所で、林道にはゲートが設けられていた。尾根の取り付きからは、丸太の段々で始まる登山道が始まっており、大峰山という標識が立てられていた。古城山を経て、大峰山に至る登山道が整備されているようであった。様子も判ったことで、大峰山の南周遊コースもいつかの機会ということに。

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