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護摩堂山


【日時】 1999年11月13日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 新津丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 護摩堂山・ごまどうやま・268.3m・一等三角点補点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/矢代田
【ガイド】 新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟の里山(新潟日報事業社)

【時間記録】 11:10 新潟発=(R.49、茅野山IC、R.403、田上 経由)=12:15 登山口駐車場〜12:27 発―12:48 あずまや〜12:51 発―12:58 あじさい園東・西遊歩道分岐(No.7)〜13:02 発―13:13 本丸―13:15 三角点分岐―13:22 三角点―13:29 三角点分岐―13:36 あじさい園東・西遊歩道分岐(No.7)―13:39 あずまや―13:56 登山口駐車場=(菅沢、橋田、丸田、矢代田、R.403、茅野山IC、R.49 経由)=15:15 新潟着

 新潟平野の内陸部の縁に沿った、新津、加茂、五泉の中間に広がる丘陵地を、新津丘陵と呼ぶ。この新津丘陵では、一等三角点も置かれている護摩堂山がハイキングの山として親しまれている。この山には、かつて山城が置かれ、南北朝時代(14世紀)には戦いの場になったと伝えられている。応永の大乱(1423年)では、中条町に拠点を持つ武将中条房資が一族を護摩堂山の要害に分勢し、田上原で守護代の長尾邦景と戦ったという。現在では、本丸跡、お屋敷跡、矢場、空堀跡等の遺構が残されている。山頂一帯には、あじさい園が設けられ、四季を通じて訪れる人は多い。

 以前に登ったものの、記録が不充分であったり、やり残したことがある山がある。護摩堂山もそのような山である。家族ハイクでこの山に登り、山頂で風景を楽しみながらお弁当を食べたことは、楽しい思い出である。しかし、その時は、この山に置かれている一等三角点を気にもとめず、そのまま下山してしまった。この土曜日は、午前中に仕事があったため、昼からでも登ることのできる護摩堂山に出かけることにした。
 新津からR.403を田上に向かうと、菩提寺山や登山口の大沢公園の標識が、いくつも設けられているのを見た。以前のように、登山口を捜して右往左往というのも、昔の話のようである。護摩堂山あじさい園の標識に従って山に向かい、湯田上カントリークラブの下をトンネルで抜けると、登山口の駐車場にでた。大きな駐車場には、10台以上の車が停まっていた。
 下の茶屋の脇から木のゲートをくぐると、5m程の幅の登山道が続く。昔の林道を遊歩道に転用したもののようで、尾根通しに緩やかな登りが続いた。藤島玄著「越後の山旅」には、「護摩堂山は、一等三角点の山といっても登山の対象にはならない。子供連れの婦人ハイカーをクラクションを鳴らして小型自動車が追い抜いて、護摩堂山直下まで行く。」と書かれている道である。幸い、現在では静かに山を楽しみながら歩くことができ遊歩道になっている。周囲には、色づいた木々の葉が美しくとりまいていた。左下にゴルフ場を見下ろすが、次第に道は山の奥に分け入っていった。途中で、あずまややトイレが設けられていた。行き交う人は、家族連れや年寄りが多かった。真っ直ぐに続く道であったが、途中で傾斜も増すところもあり、息を切らして休んでいるハイカーも見られた。コース沿いに、中部北陸自然歩道の標識が置かれていた。
 案内図によれば、護摩堂山を中心として、二つのコースが設定されているようであった。
・B-2 護摩堂山あじさいの道
護摩堂山(2.9km)大沢公園(1.1km)菩提寺山登山口(0.8km)菩提寺山(1.9km)白玉の滝(1.6km)金津石油の里
・B-3 雪椿のみち
護摩堂山(1.3km)手取ヶ淵(5.4km)大沢鍾乳洞(1.9km)大登峠(3.6km)長瀬神社(2.0km)加茂山公園青海神社
 どちらもなかなかの長距離で、頑張って歩くことになる。両スタート地点への交通機関にまず頭を悩ますことになる。車を使って往復というわけにはいかないので、新潟を起点として、列車とバスを乗り継ぐ必要があるが、果たして可能なのだろうか。また、新潟周辺の低山では、この他にも中部北陸自然歩道の標識に出合うようになったが、中部北陸自然歩道に関する案内は見たことがない。どうも作るだけ作って利用者のことは考えないお役所仕事のような気がする。資料を県あたりに請求する必要がありそうである。
 登山道沿いに、300mほどおきにナンバーが取り付けてあるが、No.7の標識で、あじさい園の東側遊歩道と、西側遊歩道の二つに分かれた。直進気味の左の道に進むと、その先で右手に石切場跡が現れた。江戸時代から昭和初期まで採石され、護摩堂石といって、かまどや炉の縁石として用いられていたという。面白い岩場の景観を見せていた。急な斜面を登ると、茶屋に出て、菩提寺山方面の眺めが広がった。天気がいまひとつ優れていなかったためか、歩く人は多く見かけるものの、茶屋は閑散としていた。あじさい園の中をひと登りで、本丸に到着した。眼下には蒲原平野が広がり、角田山、弥彦山、国上山の三山が横に長く続いていた。地図を見ると、この本丸の方が、三角点ピークよりも僅かに高いようである。この広場で家族揃ってお弁当を広げた前回の山行から、すでにかなりの年月が流れていた。
 頂上に相応しい山頂であるが、あいにくと三角点はここには無い。本丸から東側遊歩道に進み、少し下ったところで、稜線通しの道が分かれた。ここには、三角点分岐という標識も設けられていた。この先は、普通の登山道クラスの道になった。濡れた落ち葉が登山道を被い、滑り易くなっていた。稜線通しに小ピークを越していくと、一等三角点の置かれたピークに出た。小広場の中央に、角が欠けた三角点が置かれていた。周囲は木に囲まれて展望は無かった。踏み跡が、直進の南方向と、右手の西方向に続いていた。この踏み跡に興味を持って地図を確認した。遊歩道は西方向にあたるが、間には谷が入っているため、戻ることができるかどうかは判らなかった。来た道を戻ることにした。分岐に戻ってから東側遊歩道を下ると、No.7の標識で、登ってきた道に戻ることができた。


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