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大境山


【日時】 1999年11月7日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 大境山・おおざかいやま・1101.6m・二等三角点・新潟県、山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上、新潟/手ノ子、飯豊山/小国、長者原
【ガイド】 MML(10583)横山氏報告、山形百山(無明舎)、新潟の低山薮山(白山書房)、LATERNE第3巻
【温泉】 関川桂の関温泉・ゆーむ 500円 備品(シャンプー、ボディーシャンプー)

【時間記録】 6:00 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、十文字、R.113、横根、玉川 経由)=7:20 中田山崎登山口〜7:30 発―8:13 左の沢横断―8:47 稜線上―9:11 水場―9:20 大セド峰上の稜線―9:49 大境山〜10:23 発―10:46 大セド峰上の稜線―10:52 水場―11:08 稜線上―11:29 左の沢横断―11:55 中田山崎登山口=(玉川、横根、R.113、関川桂の関温泉、大島、R.290、〆切、加治、紫雲寺、聖籠、R.7 経由)=15:10 新潟着

 北上する飯豊連峰の主稜線は、頼母木山で杁差岳方面と西俣ノ峰方面の二つに分かれる。この西俣ノ峰へ至る稜線は、新潟と山形の県境になっており、枯松山、大境山と続いて荒川に終わる。大境山は、登山道も整備され、山頂からは360度の展望を楽しむことができることから、もっと登られて良い山である。

 今年は寒さの訪れが遅いといっても、雪の訪れが気になる季節になった。春先には、飯豊の端山を幾つか登って飯豊の展望を楽しんだ。その時に登り残した幾つかの山があったが、大境山はそのひとつである。この山の登山道の状態が良く判らなかったが、登山MLの横山さんの報告で、登山道が整備されていることを知った。ファイルに保存してあったプリントアウトを片手に出かけることにした。
 飯豊から流れ出る玉川沿いの道は、5月29日以来であった。中田山崎の酒屋が目印であった。紅葉もようやく里に下りてきて、玉川沿いの渓谷は美しく染まっていた。中田山崎のバス停の前に、舟山酒店があり、その右手の小川の脇に、大境山登山道の標識が立っていた。少し進んだところの路肩が広くなっており、車を置くことができた。
 コンクリートで固められた小川の奥には堰堤が見えた。「小国」の地図は、一番下にある堰堤マークを確認するだけで役目は終わった。小川のどちらを歩くか迷った。左岸の草地の中の踏み跡を進み、堰堤の下で川底に飛び降り、右岸に渡った。南から用水路が流れ込んでおり、用水路の奥に進むように登山標識が立っていた。標識の向きは酒屋方面を向いており、酒屋の裏手から用水路の一段下がった縁を伝ってくるのが正解だったのかもしれない。杉林の中を、用水路に沿って100m程進むと、右手から沢が流れ込み、その手前で、右に曲がるという標識が現れた。沢の左岸沿いに100m程歩くと、左から沢が入った。その先で、沢を跨ぎ越すと、二股の中間尾根の登りになった。思ったよりもしっかりした道が続いた。ひと登りすると、幅広の尾根の周囲には、ナラやブナの林が広がるようになった。登山道の上には、落ち葉が厚く重なっていたが、色づいた葉は、充分に枝に残っていた。森林浴のための遊歩道を歩いているような雰囲気がした。
 この幅広の道は不思議に思ったが、LATERNE第3巻の上村さんの記事によれば、大境山の道は、パラボナアンテナを山頂に設置するための資材上げのために作られたという。昭和48年の梁山泊から大境山への縦走の際には、山頂に大きなパラボナアンテナが立っていたのが、昭和50年には撤去されて無くなっていたという。
 幅広の尾根道も、登るにつれて両脇から沢が近づいてきて、細尾根に変わった。まず、右手の沢が足元に近づいてきて、消えてなくなった。次いで、左手にトラバース気味に登っていくと、涸れた沢を横断した。左方向に進みながらの山腹の登りになると、雑木林の中で踏み跡が判り難くなった。幸いテープが短い間隔で付けられているので、迷うことはなかった。ただ、沢状の地形を横断する所と、そのまま登る所があるので、コースを良く見定める必要があった。潅木の枝を助けに急斜面を登ると、稜線の上に出て、左に方向が変わった。その先からは、麓の集落を眼下に見下ろすことができた。小ピークを右に巻くように進むと、道は下りになった。谷越しには大境山の山頂が姿を現した(本当の山頂は、さらに奥にあることを後で知ることになる)。トラバース気味に下っていくと、沼川の源頭の水場に出た。充分な水が流れており、ひと口味わった。再び急坂を登ると、再び県境稜線に戻った。稜線の左手は崩壊地となって、足元には注意が必要であったが、眺めも良い道になった。急坂を登りつめると、そこは偽ピーク。はじめは、そんなものだろうと思っていたが、何度も予想を覆されることになった。大境山の山頂は思ったよりも奥にあった。飯豊の眺めも目の前に広がり始めたが、ガスがかかっており、また太陽が低くて逆光になっていた。山頂で少しゆっくりしなければならないなと思い始めていたので、急ぐ必要のない歩きではあった。右手に池を見て、高原状の稜線を進むと、小高くなった大境山の山頂に到着した。
 刈り払われた小広場の真ん中に三角点が置かれただけの山頂であった。周囲には、飯豊の端山ならではの大きな展望が広がっていた。目の前には大石ダムまで長い尾根をひいた杁差岳が大きく広がっていた。ピラミッド型の枯松山はガスで見え隠れし、その向こうに飯豊の主稜線が広がっていた。北股岳は門内岳に隠されて、頭が僅かにのぞいているようであった。飯豊本山は、遠く、また逆光気味で良くみることができなかった。北股岳付近の主稜線は白く雪に染まっていた。葡萄鼻山や若ぶな山など、今年登った懐かし山も目の前にあった。光兎山と思われるピラミッドピークは見分けることができるものの朝日連峰は、霞んでいた。じっと休んでいると、吹く風は冷たかった。
 下りは、濡れ落ち葉が滑り、小枝をしっかりと掴みながらの歩きになった。最後に、余韻を楽しみながら、紅葉の尾根道を下った。
 登山口に戻って、酒屋の自動販売機の前で財布を取り出していると、地元のおじさんが声を掛けてきた。大境山に登ってきたのかといって、登山道の状態を尋ねてきた。山岳会にも入っており、登山道の整備にもかかわっているとのことであった。しっかりと登山道が整備されていることに感謝を述べた。この山は、山形よりも新潟から登りに来る者が多いといっていた。最近では、玉川右岸の倉手山が、飯豊の展望台として人気が高まっているが、この大境山も負けない展望の山である。一本登りで頂上に着いてしまう倉手山よりは、大境山の方が奥が深く歩く楽しみも多い。少しでも多くの人に登って欲しい山である。
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