9950

笠倉山


【日時】 1999年11月3日(水) 日帰り
【メンバー】 吉田、鈴木眞、岡本
【天候】 晴

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 笠倉山・かさくらやま・1139.7m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見、御神楽岳/狢ヶ森山、御神楽岳
【ガイド】 山の本28巻(白山書房)、岳人1997年10月号、LATERNE第6巻
【温泉】 早戸温泉・つるの湯 300円 備品(なし) 石鹸禁止・男女混浴

【時間記録】 3:45 新潟発=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.252、本名ダム、林道三条線、本名御神楽岳登山道入口 経由)=6:30 林道725m地点〜6:41 発―6:45 林道終点―7:03 825ピーク―8:04 1091ピーク(本名御神楽分岐)〜8:14 発―9:32 914ピーク〜9:39 発―10:29 南尾根上〜10:35 発―10:51 笠倉山―10:57 三角点―11:05 笠倉山〜11:37 発―11:51 南尾根上―12:36 914ピーク〜12:44 発―14:13 1091ピーク(本名御神楽分岐)―15:08 825ピーク〜15:15 発―15:27 林道終点―15:29 林道725m地点=(本名御神楽岳登山道入口、林道三条線、本名ダム、R.252、早戸温泉、会津坂下IC、磐越自動車道 経由)=7:00 新潟

 御神楽岳の東に寄り添って、鋭い山頂を天に向かって突き上げる秘峰が笠倉山である。御神楽岳を遠望した際に、膨大であるためにどちらかというと平凡な深皿状に見える御神楽岳に代わって、同定の規準になるのがこの笠倉山である。蝉ヶ平から御神楽岳、本名御神楽岳を経て笠倉山に至る一周コースが切り開かれたこともあったが、歩く者が少なかったことから薮に帰って久しい。

 笠倉山へのコースは、道が無いといっても、山好きには無視できない山であることから、幾つかの記録が報告されている。
1 本名御神楽岳から県境稜線伝いに笠倉山へ至る(武田宏 山の本28巻)
2 霧来沢・大鍋又沢の沢登りで笠倉山へ(成田安弘 岳人1997年10月号)
3 広谷川・笠倉沢左岸尾根を経て笠倉山(佐藤一正 LATERNE第6巻)
 このうち、2の沢登りコースは魅力的ではあるものの、沢登りの技術が無いため、候補から脱落。3の笠倉山の山頂へ直接突き上げる尾根コースは、かつての周遊コースが設けられていたというが、御神楽岳から眺めると、急斜面の連続で、一歩間違えれば遭難の危険性が高そうであった。残るは1案であるが、室谷から入山して、本名御神楽岳経由の往復を行って、11時間かかっている。健脚揃いの武田さんグループでこのタイムであり、しかも薮コギは楽であるものの日の短い晩秋では、とうてい歩ききれそうにも無かった。可能性があるとすれば、本名御神楽岳から笠倉山へ至る県境稜線上の1091ピークへ直接登るルートを利用するしかなかった。以前、本名御神楽岳へのコースとしては、一般に使われている杉山ヶ崎尾根経由の他に、県境尾根を少し下ってから周遊するコースがあるという情報を読んだ覚えがある。ただ、どこに書いてあったのかが思い出せなく、どこに下りてくるのかも覚えていなかった。戻ってから、会津関係の本を見ていくと、最近出た奥田博の「新福島百山紀行」の本名御神楽の項の概念図には、今回使った周遊コースが記載されていた。事前の下調べが不足していたことを反省。せめて、この概念図を見ていれば、もっと確信を持って歩き出すことができたのに。
 春先からこの山に登ることに執念を燃やしていた吉田さんから声がかかり、鈴木さんも加わって、笠倉山をめざすことになった。情報にあやふやなところがあったが、偵察のためにも、まずは出かける必要があった。
 早朝4時集合の約束であったが、気合いが入っているためか、皆早めに到着した。鈴木さんの車に便乗し、会津に向かった。県境付近から、霧のため見通しが悪くなった。薄明るくなる頃、本名ダムから霧来沢(きりきたさわ)沿いの三条林道に入った。早朝にもかかわらず、キノコ採りか登山者のものか、他にも車が入ってきていた。明るくなるにつれ、谷間の紅葉が目に入るようになってきた。新潟県の室谷へ続く峰越林道を左に分けると、その先で分岐に出た。広場には、本名御神楽岳の標識があり、ここが本名御神楽岳登山口と思って右手の林道に進んだ。標高を上げないままに少し進んだところで、この林道は行き止まりになった。足が泥にうまるぬかるんだ林道跡をたどると、右手から沢が落ち込んできており、踏み跡は左に曲がって沢に下りていった。虎ロープが張られた急斜面を沢に下りるも、対岸には道は無かった。この踏み跡は、渓流釣りか沢登りのために沢に下りるためのもののようであった。早くも挫折かと思ったが、県境稜線の偵察のためにも、本名御神楽岳に登ろうということで、方向転換をすることになった。
 この沢が岳人1997年10月号に紹介されている笠倉山へのコースのひとつである大鍋又沢であることには、すぐ後で気づくことになった。入口を見ただけであったが、美しい沢であった。
 分岐に戻って、本名御神楽岳への林道に進んだ。すぐ先で、再び林道が右に分かれた。ここで先の誤りに気がついた。再び笠倉山が目標になった。林道は、カーブを描きながら一気に高度を上げて、広い尾根の上に出た。林道の回りからはススキが倒れかかってきて、車での薮コギ状態になった。しばらく歩きながら先方を偵察しながら車を進めたが、歩く早さと変わらなくなった。小ピークの切り通しの手前に空き地があったので、車を止めて歩き出すことにした。この地点の標高は、すでに725mあった。
 僅かに下り気味の林道を歩いていくと、すぐに林道の終点に出た。小さな広場になっており、頑張れば車でもここまで入ることができた。正面の杉林の中の草がかぶり気味の踏み跡を進むと、じきに明瞭な尾根になって、踏み跡もしっかりしてきた。825mピークに登ると、周囲の展望が広がった。西には、日尊の倉山から狢ヶ森山の連なりが朝日に照らされていた。ゆくてには、本名御神楽岳の山頂も見え始めた。谷間には美しい紅葉が広がっていた。素晴らしい登山日和になりそうであった。ブナ林が周囲に広がる尾根には、しっかりした道が続いた。本名御神楽岳には山小屋もあることから、山中1泊の後の下山コースに利用されているのだろうか。地元には知られていることかもしれないが、一般ガイドに紹介されていないのが惜しまれる。
 県境稜線が近づいてくると、その向こうに笠倉山の尖った山頂の先が顔をのぞかせてきた。傾斜の緩くなった尾根を辿ると、1091mピークの西脇に到着した。少し本名御神楽岳方向に進むと、御神楽岳の東面が目に入ってきた。本名御神楽岳が高くそびえるその奥に御神楽岳の山頂があった。東面の岩壁の眺めがものすごかった。遠くには、白く染まった飯豊連峰が空に浮かんでいた。ここまでは、問題の無い歩きで、体力の消耗もそれほどではなかった。
 いよいよ薮コギの開始。1091mピークの薮に突入すると踏み跡が見つかった。県境稜線沿いにこの踏み跡は所々ではあるが残っており、体力と時間の節約のために役だった。すぐ先で小ピークが現れた。両脇が切れ落ちた岩場で、苔が生えているのと、潅木の枝が出ているので、足元に注意を払う必要があった。ピークの上からは、笠倉山に至るルートを一望することができた。道さえあれば、遠くない距離であった。日没の早い時期とあっては無理はできなかった。タイムリミットは11時半と決めて先に進むことになった。薮との格闘が始まった。押しのけた潅木の枝に谷にはじき飛ばされないように注意が必要であった。潅木の枝は下向きで、逆目となる帰りが思いやられた。つるがからまって、先頭の吉田さんがナタをふるって道を切り開くまで、足が止まる場面も多くあった。歩き始め僅かで、赤布を入れたビニール袋を落とし、次に首に巻いた手拭いを失った。幸い、帰りに回収できたが、余計なゴミを作るところであった。ルートは、はっきりしており、赤布もほとんどいらず、磁石も確かめる必要はなかった。ただ、下りの途中で左から尾根が合わさり、県境稜線の続きが急斜面になって見えないために、うっかりすると引き込まれそうなところがあった。
 914mピークに到着してひと息いれた。笠倉山は、目の前に届く距離にあった。このペースならなんとか山頂に到着できそうであった。笠倉山直下の急斜面に手こずらなければの話であったが、ブナ林が使えそうであった。振り返る御神楽岳の素晴らしい展望が広がっていた。御神楽岳の展望を楽しむなら栄太郎新道と思っていたが、考えを変えなければならなかった。御神楽岳の大岩壁が視野全体に広がっていた。巨大なノミで削りとったかのようにエッジのたった岩稜が谷に向かって落ち込んでいた。山の崩壊が進んでできた妙義山あたりの岩山とは違って、山には荒々しい力がみなぎっていた。10月24日に栄太郎新道を辿って御神楽岳に登ったばかりであったが、あの絶壁の縁を辿っていたとは。
 914mピークで岩場のトラバースが現れ、続いて5m程の岩場の乗り越しが必要になった。この岩場は右から登ることができたが、歩く者も少ないために、岩角がはがれかかっている所もあり、注意深く通過する必要があった。一般コースなら鎖が固定されているところであろうか。この岩場を通過すると、いよいよ笠倉山への登りに取りかかることになった。南斜面の草付きから尾根に這いあがると、天然杉の間に、白く塗られただけで字の消えた標識が落ちているのに出合った。急な尾根をひと登りすると、台地状の地形が広がった。尾根は左に向きを変えてもう少し続くようであったが、南からあがってくる沢の源頭部と思われる窪地を横切ってブナ林に取り付くことにした。幸い、下生えの少ないブナ林で、ただ、急斜面の登りを頑張りさえすれば良かった。帰路の確保のために、潅木の枝を刈り払って目印にしながら歩いた。
 山頂から南に延びる尾根にのって、登頂も確実なものになった。最後の登りは、杉の枝をくぐりぬけるのが難しいところもあったが、最後には傾斜も緩んで、笠倉山の山頂に到着したことを知った。周囲はブナ林で囲まれ、展望の無い山頂であった。まずは、三角点を捜しに先に進むことにした。その先の薮は濃かったが、潅木の切り開きの中に三角点が頭をのぞかせていた。手前の潅木には、赤布が付けられていた。腰をおろして休むには適していない場所だったので、最高点に戻って休むことにした。
 帰りの時間も気になることから、記念写真を撮って、笠倉山の山頂を後にした。再び訪れる機会の無い山頂であろうか。なぜか、再び訪れることもありそうな予感がする。再び尾根にのって小ピークを越していると、沢音が耳に入ってきた。北斜面が沢の源頭部になっているようであった。水を得るのもそう難しくは無さそうであった。岩場の通過や逆目の薮コギが難所になったが、1091ピークには思ったよりも早い時間に戻ることができた。後は、登山道を下るだけ。814mピークに戻ったところで、最後の休憩に入った。すでに笠倉山は見えなくなったが、西に傾いた太陽に照らされて、鍋倉山を中心としたスラブに被われた山の眺めが目に入ってきた。ひとつの山を越すと、向こうにはさらなる山が広がっているのを知ることになった。
 帰りに入った早戸温泉は、洗い場も無く、男女混浴のいまどき珍しい鄙びた温泉であった。効能書きには切り傷とあり、薮コギで打ち身だらけになった体のために良かったかもしれない。祝日で渋滞も生じた磐越自動車道を通り抜けて新潟に戻った。


山行目次に戻る
ホームページに戻る