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鶴城山、桑代山


【日時】 1999年10月16日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り時々雨

【山域】 東山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 鶴城山・かくじょうさん・227.7m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/栃尾
【ガイド】 無し

【山域】 守門岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 桑代山・くわだいやま・578.4m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/守門岳/栃堀
【ガイド】 駒文集第六号

【時間記録】 10:10 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、R.351,
栃尾 経由)=11:10 栃尾公民館駐車場―11:21 諏訪神社入口―11:28 金井曲輪跡分岐―11:41 本丸〜11:49 発―12:19 狼煙台跡―12:15 本丸下分岐―12:19 林道―12:33 金井曲輪跡分岐―12:38 諏訪神社入口―12:48 栃尾公民館駐車場=(秋葉公園、R.290、大川戸、菅畑 経由)=13:44 林道途中の路肩―14:02 三叉路〜14:22 発―14:34 三角点―14:39 パラグライダーベース〜14:42 発―14:45 三角点―14:54 三叉路―14:08 林道途中の路肩=(菅畑、大川戸、R.290、下田、R.290、黒水、加茂、R.403、新津、R.403、茅野山IC、R.49 経由)=17:10 新潟着

 栃尾の町の背後にたたずむ鶴城山は、そこに置かれていた栃尾城の名前で知られている。後の上杉謙信となる14才の長尾景虎は、この栃尾城で初陣を迎えた。長尾為景から家督を継いだ兄の晴景は、病弱で武将としての器量が無いことから中越地方の豪族が反乱を起こし、これに対し、景虎は敵の群がる栃尾城に入り、見事勝利を掴んだという。景虎は、19才の天文17年に栃尾城から春日城に移り、兄に代わって長尾家を相続した。上杉謙信を偲ぶ時、栃尾城は、まず挙げなければならない重要な史跡である。

 桑代山は、栃尾の東に位置し、守門岳の西の裾野に盛り上がった山である。それなりの標高を持つ山であるが、山頂まで車道が上がっており、パラグライダーベースとして利用されているが、登山の趣は失われている。

 10月に入っても異常な残暑が続いていたが、この週末には寒気が南下して山は大荒れになるという予報が出た。遠出はやめて県内の山と思ったが、早朝に起きてみると、本降りの雨とあって、もうひと眠りすることになった。9時を過ぎた頃に雨があがったため、ともかく、簡単な山に出かけることにした。新潟のハイキングの対象となる里山には、城跡となっているものが多い。いずれはこれらを訪れていきたいが、まずは新潟県を代表する武将の上杉謙信の初陣を飾った栃尾城こと鶴城山を訪れることにした。
 出発の時間も遅くなったため、高速道を使い、長岡から新榎トンネル経由で栃尾に入った。町に近づくにつれ、なだらかな山頂を険しい崖がとりまいている山が目に入ってきて、これが鶴城山だということはすぐに判った。地図を見ると、表町の諏訪神社から登るようであったが、その入口付近は市街地で駐車場は無いため、少し先の公民館の駐車場を利用することにした。町中をザックを背負って歩くのも変な感じのため、カメラを下げて、傘をさして歩き始めた。川向こうには、鶴城山の眺めが広がっていた。石段を登っていくと諏訪神社の境内に出て、その右手には栃尾城の案内図が掲示してあった。かなり大がかりな城であったようである。境内の奥から登山道が始まっていた。ひと登りすると金井曲輪跡に出て、ここは千人溜と長峰との分岐になっていた。まずは、左手の千人溜をめざすことにした。杉林の中の登りになった。小雨が断続的に続いていたが、気になるほどではなかった。馬洗い池や千人溜などの、山城ならではの地名が現れてきた。山中に、人工的と思われる広場や大壕と呼ばれるおおがかりな空堀が設けられていた。栃尾の市街地を見下ろすようになると、山頂は近くなった。切り立った崖を巻いて登っていくと、二の丸と本丸の鞍部に出た。右手にひと登りすると、本丸の置かれていた鶴城山の頂上に出た。頂上は、草地で被われた広場になっており、周囲の展望が開けていた。展望図によれば、守門岳や下田山塊の山々が見えるようであるが、雨雲に隠されていた。わずかに、桑代山の丸みを帯びた姿を見分けることができるのみであった。ベンチも置かれて、ひと休みするには良いところであった。故郷の山として親しまれているようであった。
 鞍部を挟んで本丸と向かい合う二の丸も広場になっており、ここにはあずまやが置かれていた。中年男性の4人組が焼き肉パーティーを開いていた。ザックを持ち込んでおり、裏山には不釣り合いな感じがしたが、雨のためにどこかの山に登る予定が中止になって、とりあえず焼き肉を行うためにここまで登ってきたようであった。鞍部から少し下った所で、下っていく道と、左手の尾根の先に進んでいく薬師塔への道とが分かれた。もう少し城跡を歩いてみることにして、稜線伝いに進んだ。この先は歩く人も少ないのか、道には草が倒れかかって、ズボンの裾の濡れが気にかかるようになった。地図で大野町と232ピークへ続く破線の分岐にあたる小ピークが狼煙台であった。わずかな切り開きの脇には、薬師と彫られた石碑が置かれていた。232ピークへ続く稜線は草がかぶさっており、濡れた草をかきわけるのがいやで来た道を戻ることにした。
 本丸下の分岐に戻り、急坂を下ると、僅かな歩きで林道に飛び出した。この林道は地図には載っておらず、どこに通じているのか判らないのが問題であった。右手の方に回り込むように下っていくと、林道から分かれるトラバース道が現れ、もう一ヶ所山頂に登っていく登山道に出合うと、その先で金井曲輪跡に出て一巡することができた。
 車に戻り、上杉謙信の像のある秋葉公園に向かった。鶴城山を背景に、僧形をした謙信座像が置かれていた。ただ、武将としての謙信のイメージとしては、春日山に置かれた頭巾をかぶって刀をさした像の方が似合っているように思う。
 次の山としては、桑代山に向かうことにした。栃尾で、もうひとつやっておかなければならないのは、名物の油揚げを買うことであった。途中の豆腐屋をのぞくと、予約以外は売り切れとあった。幸い、町外れの道の駅で、揚げたての油揚げを売っていた。これで、めでたく家へのお土産も確保できた。
 大川戸橋を渡り、道なりに進んでいって菅畑の集落に入ると、道の分岐に、スイーンパーク桑代、くわだい山パラグライダーベースという看板が立てられていた。案内板に従って右折すると、その先で、一車線幅の林道が始まった。右奥には、深皿状の桑代山の山頂をのぞむことができた。簡易舗装の林道が続いた。山に向かっての登りが始まるところで、この先走行注意といった、半分壊れかかった看板が現れた。看板脇にスペースがあり、先は傾斜がきつそうなので、ここから歩きだすことにした。山頂部まで林道が続いているようであったが、少しは歩かないと登山の記録にならないなと思い始めていたので、良いきっかけであった。
 歩き始めると、すぐに大きなカーブを繰り返したので、地図上の現在位置を把握することができた。結構急な登りが続いて、車で走ってしまえばよかったかなと少し後悔した。周囲には、雑木林が広がり、山を歩いているという雰囲気は味わうことができた。
 山頂の一画に出て傾斜が緩むと、三叉路に出た。正面の広場には、「わんぱく桑代城」という木組みのアスレチック風の建造物があった。ここまで子供を遊ばせに来る者もいないのか、ロープも外されて、壊れかかっているようであった。地図には、もう一本の林道は書かれておらず、明確な山頂も見あたらず、どちらの道に進むか迷った。とりあえず、直進気味の左の道に進んだが、これは5分ほどの先で山を下っていった。北側の塩谷川方面に通じる林道のようであった。三叉路に戻って、右手の道に進んだ。少し先で舗装した道は終わった。赤土で滑りやすい路面状態のため、車で上がってきた場合でも、三叉路付近に車をとめた方が良いかもしれない。僅かに起伏する道が続き、どこが山頂なのか見当がつかなかった。ここらで最高点かなと思って注意しながら歩いていくと、左手の道路脇の一段高い所に、三角点脇にある白い木の柱が立っているのを潅木越しに見つけることができた。あまり山頂らしくはなかったが、それでも登頂には違いない。林道を先に進むと、山頂の縁に出て展望が広がった。鉄製の屋根のついたあずまやも設けられていた。栃堀から栃尾方面の町並みと刈谷田川の流れを見下ろすことができた。晴れているなら、守門岳の眺めも目の前に広がっていそうであったが、厚い雲におおわれていた。
 林道の下りは、急斜面で勢いを殺すのに、結構足に負担がかかった。雨の一日の足慣らしとしては、良い運動になった。

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