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焼峰山、要害山(内の倉)


【日時】 1999年10月11日(月) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 飯豊連峰前衛
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
焼峰の頭・やけみねのかっち・1104m・無し・新潟県
焼峰山・やけみねやま・1085.8m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川、新発田/東赤谷、上赤谷
【ガイド】 山と高原地図「飯豊」(昭文社)

【山域】 飯豊連峰前衛
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
要害山・ようがいさん・292m・無し・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/上赤谷
【ガイド】 山と高原地図「飯豊」(昭文社)

【時間記録】 6:30 新潟発=(R.7、新発田、上赤谷 経由)=7:40 加治川治水ダム〜7:50 発―8:22 袖の峰〜8:25 発―8:48 ワシャクラ峰―9:19 ミノ又峰―9:25 師走峰―10:00 焼峰の頭―10:10 焼峰山〜10:20 発―10:27 焼峰の頭〜10:40 発―11:05 師走峰―11:09 ミノ又峰―11:27 ワシャクラ峰〜11:32 発―11:50 袖の峰〜11:55 発―12:14 加治川治水ダム=(上赤谷、内の倉ダム 経由)=13:18 常盤新田トンネル口〜13:32 発―13:40 送電線鉄塔(坂町線No.56)―13:51 要害山〜13:55 発―14:03 送電線鉄塔―14:11 常盤新田トンネル口=(往路を戻る)=15:40 新潟着

 焼峰山は、飯豊連峰から流れ出る加治川と内の倉川に挟まれてそびえる飯豊前衛の山である。信仰の対象とはならなかったようであるが、麓の上赤谷付近、あるいは内の倉ダムからの眺めでは、その険しい山容はひと際目を引くものとなっている。滝谷、袖ノ沢、治水ダム、内の倉の各登山口から登山道が開かれており、日帰り登山の山として親しまれている。

 二王子岳から赤津山を経て焼峰山に至る馬蹄型に連なる稜線から集まった水は内の倉川となって加治川に合流するが、その手前には内の倉ダムが作られている。内の倉ダムの出口には二つの小山が並び立ち、ダムの堰堤はこの間に渡されている。このうち南に位置するのが要害山である。

 体育の日がらみの三連休も、仕事のために山に出かけることのできるのは一日だけになった。山や道路の混雑を思うと、気軽に近くの静かな山を歩きたくなった。新潟周辺の山の中には、登山開始時に登ったきりで、その印象も薄れてきたものが幾つかある。焼峰山はそのひとつであった。登山開始二年目の五月の連休に、滝谷登山口から登ってはいるが、蒜場山や飯豊への登山の際に何度も目にした加治川治水ダム脇の登山標識が気になっていた。話を聞くと、急登の連続とのことであったが、登山地図にも記載されているので、歩くには問題はなさそうであった。
 天気予報では下り坂ということであったが、青空が広がっていた。近くの山の良いところは、早起きをしなくともよいことである。加治川治水ダムには、コンビニで買い物をしても1時間程で到着した。ダムへの上り坂の途中のカーブ地点に袖ノ沢登山口があるが、そこには車は一台も無かった。ここには登山標識は無く、赤布が吊るされているだけであった。ダムサイドの駐車場には、すでに何台もの車が停まっていたが、蒜場山をめざす登山者ばかりのようであった。
 ダムの堰堤から新発田方面に少し戻ったところに治水ダム登山口がある。看板脇の鉄梯子を上ると、コンクリートで固められた壁面に斜めに上がる道が付けられている。パイプ製のてすりが無ければ、転落の危険性が気になるところである。右手に曲がって、夏草がかぶり気味の雑木林を水平に進むと、コンクリートの土台跡のある広場に出て、この背後の斜面に急な登山道が続いていた。木の横板を長い金属ボルトを地面に打ち込んで支えた階段が設けられていた。道の脇には、ゴムのパイプが通り、電柱様のパイプも立てられていたが、雪崩によるものか根元から折られているものもあった。この道は通信線の保守道として維持されているようであった。急な登りに、たちまち汗が吹き出て、Tシャツ一枚での歩きになった。今年は、暑い日が秋になっても続くようである。地図では、ひと登りした所で袖ノ沢からの道と合わさるはずであったが、なかなか左手から尾根が合わさってこなかった。鎖も掛けられている急斜面も現れたが、足場も切られており、掴む枝にも不自由はせず、特に問題になるような所ではなかった。ただ、ひたすらに急な登りが続くだけであった。
 小ピークに登り着くと、そこが 袖の峰であった。通信のためか、アンテナが立てられていた。袖ノ沢コースが合流してきており、様子をうかがうと、この道は治水ダムよりは歩く者が少ないような感じであった。小広場は木立に囲まれて眺めはなかったが、ベンチも置かれており、ひと休みするすることにした。登山道の途中の蜘蛛の巣の張り具合では、先を歩く者はいないようであった。
 せっかく登ったにもかかわらず、袖の峰からは一旦下りになった。再び急登の連続。飯豊に相応しい厳しい登りであった。ワシャクラ峰は、尾根上のピークともつかないようなコブであったが、東方面が開けて、大日岳から北股岳に至る飯豊の展望が広がっていた。蒜場山の山頂もかなり目の高さにせまってきており、標高もかなり上ったことが判った。西側の斜面には美しいブナ林が広がって、ひと息いれるには良い所であった。尾根は次第に痩せてきて、小ピークを乗り越していく道が続いた。この松の木尾根は、蒜場山や赤津山への登りの雰囲気と似て、急登の連続が壮快感となっていた。背後を振り返れば大展望が広がっていることは判ったが、山頂でのお楽しみと、山頂を見上げながら足を前に出し続けた。師走峰を越すと、目の前には、山頂から落ち込むスラブが広がり、ヤセ尾根に登山道が続いていた。紅葉にはもう少し間があるのが残念であった。岩壁と紅葉の組合せは、素晴らしい眺めになりそうであった。前衛の小ピークをひとつ越すと、ピラミッド型をした山頂めがけての最後の登りになった。
 山頂は小広場になっていた。左手の稜線通しに、西のピークに向かって道が続いていた。以前に登った時は、雪に被われた北面から山頂に達したのだがと、ちょっと違和感を覚えた。標識を見ると、焼峰の頭(かっち)と書かれており、焼峰山はあっちと左に矢印が向いていた。確かに西に稜線を下っていった所に小ピークがあった。しかし、明らかにここよりも低いようで、山頂としてはここの方が相応しいようであった。ともかく焼峰山の山頂も踏んでおくことにした。焼峰の頭からは、僅かであるが、急な下りになった。途中で痩せたところもある稜線を辿り、僅かに登り返すと焼峰山の山頂に到着した。
 焼峰山の山頂は、登山者も多いことをうかがわせるような広場になっていた。中央には、主三角点の標石が横倒しになっていたが、あるはずの二等三角点は見あたらなかった。三角点が置かれているからこそ、ここが山頂とされているはずなのだが。振り返ると、焼峰の頭が、三角形の山頂を一段高くのぞかせていた。以前に登った時には、先に道が続いているかも確認しなかったし、焼峰の頭も目には入っていなかった。少しは山の視野が広くなってきたということか。
 周囲の大展望を楽しむことにした。二王子岳のボリューム感のある眺めが印象的であった。振り返れば、蒜場山も高く大きい。谷の奥には大日岳が、どっしりと、飯豊の盟主に相応しい姿を見せていた。飯豊の長く続く稜線上で、三角形の山頂が目立つのは北股岳。俎倉山、馬ノ髪山、棚橋山の三山の連なりの向こうには、笠菅山に五頭山、菅名岳、白山、粟ヶ岳、御神楽岳が青空をバックに浮かんでいた。日本海の海岸線が目に入ってくるので、里が近いことが判るが、素晴らしい山々の眺めであった。
 誰もいない山頂であったが、滝谷方面から五名程のグループが登ってきたのと入れ替わりに、焼峰の頭に戻ることにした。こちらのピークの方が、飯豊方面の眺めは優れていた。目の前には四ツ倉山が大きく広がり、その先の赤津山への稜線の続き具合を確かめることはできなかった。
 下りは、空中に足を踏み出すかのような、急降下になった。太陽の陽射しがきびしく、喉が乾いてならなかった。秋の陽気に油断して水を1リットルしかもってこなかったので、水を節約しながらの下りになった。下りの途中からは、周囲の展望を楽しむことができた。かなり足に負担のかかる下りで、翌日から、ひさびさに足の筋肉痛に見舞われることになった。
 加治川治水ダムに戻ったのはまだ早い時間であったので、内の倉ダムに寄り道することにした。内の倉ダムの湖畔に出ると、焼峰山が湖面に姿を映していた。地図を見ていて気になったのが要害山であった。名前からして、山城の跡なのだろうか、道はあるのだろうかと、興味が湧いてきた。ダムサイトから要害山を見上げながら車を走らせたが、ここには道はなさそうであった。登るとすれば、南面からが傾斜が緩やかそうであった。常盤新田トンネルを通り抜けて南面に回った。トンネル出口の先の道路脇に、西の杉林に上がる鉄梯子が掛けられていた。枝尾根を北上して稜線にのれば、山頂は遠くないはずであった。杉林の中に上がってみると踏み跡は無くなっていた。これが正解かどうか自信が無いため、車に戻った。トンネル出口の右手の小川に丸太橋が掛けられており、踏み跡が杉林の中に上がっていた。トンネルの東には送電線が走っており、この踏み跡は送電線の巡視路のようであった。稜線部まで上がれば、後は稜線伝いに山頂に達することができそうであった。
 ザックをかついで歩き始めた。ひと登りして右手に曲がった杉林の中で、坂町線No.56という看板が現れた。左方向に刈り払い道が続いていた。どうやら予想は当たっていたようである。雑木林の中を登っていくと、稜線の上に出て、ここには送電線の鉄塔が立っていた。刈り払い道は、この鉄塔で終わっていたが、左手の稜線伝いにかすかな踏み跡がついていた。ここからはヤブコギも覚悟していたので、この踏み跡はもうけものであった。手前の小ピークへの登り付近で、踏み跡は見あたらなくなったが、その先で再び辿ることができるようになった。振り返ると、鉄塔の先端が、良い目印になっていた。右手の木立をすかして、ダムの湖面が光っていたが、展望を楽しむところまではいかなかった。ほどほどのヤセ尾根で、迷子になる心配も無かった。ひと登りすると山頂に到着したが、この山には三角点は置かれておらず、標識や赤布のようなものも無かった。とりあえず下りにかかるあたりまで進んでみたが、逆方向からの踏み跡は見あたらなかった。要害山の山頂は、ナラやブナの木立に囲まれて展望は全く得られなかった。ぱっとしない山頂ではあったが、この山に登った満足感は、予想が当たって上手いコースをとることができたということであろうか。

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