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尾瀬ヶ原


【日時】 1999年9月25日(土)〜26日(日) 1泊2日
【メンバー】 細田夫妻、岡本
【天候】 曇り後晴/晴

【山域】 尾瀬
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
尾瀬ヶ原・おぜがはら・1400m・無し・群馬県、福島県、新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/藤原/至仏山、尾瀬ヶ原
【ガイド】 アルペンガイド「尾瀬」(山と渓谷社)、山と高原地図「尾瀬」(昭文社)

【時間記録】 
9月25日(土) 5:00 新潟発=(関越道、沼田IC、R.120、鎌田、R.401、尾瀬戸倉 経由)=8:25 尾瀬戸倉スキー場=(乗合バス・タクシー)=9:00 鳩待峠〜9:10 発―9:59 山ノ鼻〜10:16 発―10:51 尾瀬ヶ原三叉路―11:30 竜宮十字路〜12:42 発―13:02 下田代十字路―13:13 東電小屋分岐―13:27 温泉小屋―13:42 平滑ノ滝―14:10 兎田代分岐―14:20 三条ノ滝〜14:30 発―14:37 兎田代分岐―15:11 平滑ノ滝―15:25 温泉小屋―15:42 東電小屋分岐―16:01 東電小屋―16:16 竜宮小屋  (竜宮小屋泊まり)
9月26日(日) 6:52 竜宮小屋発―7:26 尾瀬ヶ原三叉路―8:25 山ノ鼻〜8:50 発―9:45 鳩待峠=(乗合バス・タクシー)=10:09 尾瀬戸倉スキー場=(吹割温泉センター竜宮の湯入浴後往路を戻る)=15:30 新潟着
【温泉】 吹割温泉センター 竜宮の湯 500円 備品(シャンプー、ボディーシャンプー)

 尾瀬ヶ原は、群馬県、福島県、新潟県の三県にまたがり、約1400m の標高に、東西約6km、南北約1kmにわたって広がる本州最大の湿原である。尾瀬ヶ原は、季節を変えて、ミズバショウやニッコウキスゲを代表とする高山植物や紅葉に彩られ、訪れる登山者が耐えない。至仏山、皿伏山、燧ヶ岳、景鶴山に四方を囲まれた尾瀬ヶ原に集まった水は只見川となり、平滑ノ滝と三条ノ滝の二つの名瀑布を作っている。

 尾瀬ヶ原は、初めて歩いた中学生の時以来、10回近くは訪れているだろうか。季節を変え、周辺の山に登るのと合わせて、ほとんどのコースは歩いている。今回は、退官後も元気な大学の恩師の教授夫妻を案内しての訪問になった。団体旅行で沼山峠から尾瀬沼を訪れ、尾瀬は良かったと話すのを聞いて、それならば尾瀬ヶ原を案内しましょうというのがきっかけになった。足慣らしに新潟近くの低山ハイキングを行ってから尾瀬に向かおうと計画したが、雨で流れてしまい、いきなりの尾瀬ハイキングの本番になってしまった。
 本番でも、台風が接近して、中止か決行か、頭を悩ますことになった。天気予報では、台風は、金曜日の夜中に新潟沖を通過するとのことであった。スピードは早まっており、土曜日は天気は回復しそうであった。気掛かりなのは、朝方に強風や雨が残り、高速道が閉鎖にならないかということであった。関東に入れば、天気の回復は進んでいるはずで、山登りは可能であろうと判断した。明日を信じて、金曜日は早めに眠りについた。南風でフェーン現象となり、異常に暑い晩になった。夜中には、一時激しい風雨が吹きすさんでいたようであった。
 未明に目を覚ますと、風は強いものの、雨は上がっていた。恩師の家に迎えに立ち寄ってから高速にのった。風は強いものの、通常のスピードを出すことができた。雨は、所によってぱらつく程度であった。トンネルを抜けて関東に入ると青空が広がっていた。尾瀬までは、道路地図を確認する必要もない、何度も通ったことのある道であった。ただ、沼田付近では、かつてのリンゴ畑と桑畑の市街地化が目に付いた。
 尾瀬の訪問で気にかかるのは、自然条件と共に、混雑度であった。2月前に竜宮小屋に予約を入れていたが、1週間前に家に確認の電話が入った。予約が満杯になったために、キャンセルの有無を確認しているとのことであった。紅葉の盛りとあって、混雑は覚悟する必要がありそうであった。尾瀬戸倉の町に走り込むと、予想に反して町はひっそりとしていた。尾瀬戸倉スキー場の駐車場に、2日分2000円の料金を支払って車を停めた。駐車場の一部しか車は入っていなかった。出発の準備をしている登山者もわずかで、ホテルの窓口で乗合バス・タクシーのチケットを買うなり、定員になったマイクロバスは出発した。タクシー料金は4000円強のようであるが、車の乗り入れ規制をしているために、900円の料金で、マイクロバスとタクシーの乗合方式をとっているようである。
 新潟を出発してから4時間で鳩待峠に到着した。ここまでは、全く順調にいった。いよいよ歩きの開始。鳩待峠から山ノ鼻への道は、三度目の歩きであろうか。鳩待峠へは、それ以上の回数上がっているが、至仏山やアヤメ平に抜けていたりして、この道を歩いた回数は少ない。しばらくは、石組みの段々が続いたが、中途半端に湿った石の表面は滑りやすくなっており、ストックを頼りに、おっかなびっくりの下りになった。続いて、木の段々になると、泥で足元が汚れやすくなるものの、滑る心配の無い道になった。過剰な整備はかえって迷惑である。傾斜が緩むと、木道が続くようになった。登山者の列が断続的に続いていたが、教授を先頭に出すと、どんどんと追い抜いていき、ペースは上がってしまった。登山においても負けず嫌いの性格が現れているのか、初心者の頑張りなのか。教授夫妻には、最小限の荷物で歩いてもらっているので、下りの足どりは軽いようであるが、大荷物を持った私は、結構頑張って歩く必要があった。下るに連れて、左手に小至仏山から至仏山に至る稜線も目に入ってくるようになった。周囲には見事なブナ林が広がっていたが、葉は緑のままであった。小さな沢を幾つか横切っていくと、川上川が左に沿うようになり、これを渡ると、山ノ鼻はすぐそこであった。
 山ノ鼻に到着するなり、小雨が降り始め、休憩所の屋根の下に退避することになった。ここまでの歩きは順調なので、今日の予定を改めて考えることにした。竜宮で昼食を食べた後に、三条ノ滝まで往復するのはどうかと尋ねると、歩きたいという返事が返ってきた。道が険しいことを考慮しても、なんとかなりそうに思えた。平滑ノ滝で改めて考えるということにした。
 少しの休憩で雨は上がり、原に向かって歩き出すことができた。草紅葉には少し早く、一部が色づいているだけであった。花でいうなら四分咲きといったところか。池塘に浮かぶヒツジグサ等の水草の色は変わっており、エンジ色に染まったヤマトリゼンマイや深紅のウルシなどで、目を楽しませることができた。所々、ヤマトリカブトやホロムイリンドウの青の花が咲き残っていた。広大な尾瀬ヶ原に進むと、人影もなくなり、木道が彼方へと続いていた。燧ヶ岳の山頂にかかっていた雲も次第に消えていき、青空が広がってきた。振り返ると、至仏山の山頂も現れてきた。男性的な燧ヶ岳に女性的な至仏山、この二つの山が尾瀬ヶ原の風景を一層素晴らしいものにしている。久しぶりの尾瀬ヶ原は大きく、歩きでもあった。
 三叉路を過ぎ、もうひと頑張りすると、竜宮十字路に到着した。脇のテラスで昼の休憩とした。広大な風景を楽しみながらのビールは最高であった。北には景鶴山の眺めが広がっており、積雪期の挑戦のために、尾根の上がり具合を目で追った。いつもなら昼食休憩で大混雑のはずの竜宮十字路、人はそう多くはなかった。ゆっくり休憩をとった後に、竜宮小屋にチェックインした。割り当てられた部屋は、入口上の6畳間であった。相部屋になるといわれたが、先客は入っていなかった。時間も早いので、傘と水・おやつだけを持って三条ノ滝に出かけることにした。
 燧ヶ岳を正面に眺めながら歩き、下田代十字路で左折。温泉小屋の先から下りが始まる。傾斜もきつくなって足場の悪い木の階段を下ると、平滑ノ滝の展望台となる。教授夫妻も、滝を見て喜んでいるし、元気そうなので三条ノ滝に進むことにした。右手から流れ込む幾つかの沢を越していく、緩やかではあるが長い下りが続いた。教授夫妻も、帰りの登りのことが心配にもなってきたようである。兎田代への分岐を過ぎて、急な坂を下ると、三条ノ滝の展望台に到着した。ここまでの道では、何人もの登山者に出合っていたが、展望台には誰もおらず、ゆっくりと滝を見物することができた。水量は秋としては豊富であった。三条ノ滝は、一条となって落ちこみ、その水音が谷間を満たしていた。記念写真を取り終えると、小グループが到着したので入れ違いに戻ることにした。帰りの道は、さすがに顔色が悪くなる場面もあったが、ゆっくりと歩いて、温泉小屋に戻ることができた。
 帰りは、東電小屋を経由して戻ることにした。尾瀬ヶ原の新潟県部分は、このコースを歩かないことには足を踏み入れる機会はない。もうひとつの理由は、景鶴山への取り付きの偵察であった。ヤブコギをするなら、東電小屋脇の尾根の末端からか。夕方のコントラストの強い光に照らされた原の眺めを楽しみながら竜宮に向かった。教授夫妻は、予想以上に頑張って歩いてくれた。
 竜宮小屋の部屋に戻ると、やはりというか、相部屋の客は到着していなかった。結局、6畳部屋を3人で使うことになった。夕食は、煮魚に鳥の空揚げがメイン。食事については、ひと昔より格段に贅沢になっている。部屋に戻って、寝る準備をしていて、はたと気づいた。小屋には電気が通じているようである。そういえば、自家発電の音が聞こえていない。排気ガスが問題になって電気が引かれたのかもしれないが、時代の移り変わりを感じずにはいられなかった。あのランプの光にも合うことはなさそうである。取り出した懐中電灯を仕舞い込んだ。寝るときは暑かったものの、明け方には涼しくなった。
 周囲の物音に5時前には目を覚ますことになった。6時に朝食。この朝食も、生卵に納豆など。下界の朝食と変わらないレベルであった。外は、雲がかかって肌寒かったのでゆっくり出発することにした。小屋泊まりの登山者の多くは、尾瀬沼や御池をめざすものが多いようであった。静かな木道を歩いていくうちに、再び青空が広がるようになった。一団の登山者にすれ違った後は、再び静かな歩きになった。山ノ鼻からの登山者のようである。遠くに見えていた牛首が近づいてくると、至仏山も大きくなってきた。山頂に登山道が上がっていくのを見ることができたが、これは別の機会に。最後の休憩地でひと休みした。原の眺めを楽しみながら、コーヒータイム。のんびりした山歩きも良いものだ。すれ違う人も多くなって、山ノ鼻に到着。
 ビジターセンターを見学した後、鳩待峠への最後のひと頑張りになった。ゆっくりと歩いたせいもあるが、ノンストップで峠まで登り着くことができた。教授夫妻も尾瀬を堪能したようで、次はミズバショウの季節にというリクエストが出てきた。平日の日帰りででも来ることになろうか。帰りに温泉に入っても、新潟には早い時間に戻ることができた。台風のおかげで、久しぶりに静かな尾瀬ヶ原を楽しませてもらった。いつもこのようなら、もっとちょくちょく出かけるのだが。
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