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鳴倉山、津久の岐山

正面山


【日時】 9月4日(土)〜5日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 9月4日:晴 5日:晴

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 鳴倉山・なりくらやま・578.6m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/大湯
【ガイド】 無し

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 津久の岐山・つくのまたやま・810.0m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/大湯
【ガイド】 点の記

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 正面山・しょうめんざん・953.2m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/土樽
【ガイド】 山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」(昭文社)
【温泉】 湯沢温泉岩の湯 300円 備品(石鹸)

【時間記録】
9月4日(土) 7:30 新潟発=(北陸道、関越道、小出IC 経由)=9:20 大沢登山口入口〜9:32 発―9:36 お堂―9:43 林道横断点―9:50 石の祠・見晴らし―10:25 鳴沢山山頂〜10:48 発―11:12 石の祠・見晴らし―11:17 林道横断点―11:22 お堂―11:28 大沢登山口入口=(R.352、奥只見シルバーライン)=12:00 11号トンネル(栃ノ木トンネル)登山口〜12:24 発―13:06 津久の岐山13:10 発―13:41 11号トンネル(栃ノ木トンネル)登山口=(奥只見シルバーライン、R.352、小出、R.17 経由)=16:30 湯沢  (湯沢温泉花月泊)
9月5日(日) 8:50 湯沢発=(土樽 経由)=9:20 ルーデンス昭和スキー場駐車場着〜9:33 発―9:49 第一ペアリフト終点〜10:04 発―10:09 パノラマペアリフト終点―10:19 正面山ハイキングコース終点―10:52 八合目―11:00 九合目―11:09 正面山山頂〜11:24 発―11:36 九合目―11:39 八合目―11:59 正面山ハイキングコース終点―12:08 パノラマペアリフト終点―12:24 ルーデンス昭和スキー場駐車場=(土樽、岩の湯、湯沢IC、関越道、北陸道 経由)=15:30 新潟着

 鳴沢山は、越後駒ヶ岳からカネクリ山、ヨモギ山、笠倉山を経て北西に延びる尾根が魚沼の平野部に終わる所にある、佐梨川左岸の山である。地図にも載っている大沢から延びる登山道は、地元の小学校の登山コースとして使われている。また、南面から山頂まで林道が延びており、ハンググライダーの山頂基地としても利用されている。山頂周辺は、丈の低い潅木帯で、周囲の展望の良い山である。
 津久の岐山は、奥只見シルバーラインの津久岐トンネル上の山である。奥只見シルバーラインを利用してアプローチでき、1999年現在に限っては、測量隊のコース整備によって山頂まで容易に達することができる。
 新潟県と群馬県の国境をなす谷川連峰は、谷川岳から平標山まで西進し、その先は南に方向を変え、三国山に至って終りをとげている。一方、平標山から北には、毛渡沢から魚野川と清津川に挟まれて、日白山や白板山を経て魚沼丘陵に至る稜線が続いている。正面山は、この稜線から東に外れて、中里に向かいあう山である。正面山は、石打三社の信仰の山として登られてきたが、麓にルーデンス昭和スキー場がつくられて、かつての登拝道も荒れてきている。

 大学のクラス会のために越後湯沢の温泉宿に泊まることになった。集まりは夕方からのために、中越方面の山歩きを楽しむことにした。最近、国土地理院の三角点の点の記の、ホームページ上での閲覧サービスが始まった。この点の記には、登山のヒントになりそうな情報が隠されている。その中で目についたのが、津久の岐山であった。登山口は奥只見シルバーラインの途中からということであった。まずは、津久の岐山を目指すつもりではあったのだが。津久の岐山の記載されている「大湯」の地形図を見ていくと、同じ地図の中で、登山道が記されている鳴倉山という山があるのに気がついた。奥只見シルバーラインに向かう道順にもあたるので、登山口の確認でもと思った。
 小出ICから小出奥只見線に入り、地図に従い、大沢橋近くの農機具の倉庫のような建物の脇の路肩に車を止めた。建物の前で作業中の人に、挨拶がてら登山道の様子を聞くと、小学生が遠足で登っている道があることと、南の林道を利用してハンググライダーの人達が登っていることを教えてくれた。津久の岐山は登ることができるかどうかも判らなかったので、まずはこの山で一山を確保することにした。
 農道から山の際まで進むと、「登山入口一年」という標柱が立てられていた。学校登山に使われている山らしいということは判ったが、この一年というのが気にかかった。合目標識の代わりに何年という言葉を使って、六年で山頂かと思ったが、途中で二年の標柱は見かけたものの、三年から五年の標柱は、山頂でまとめてみることになった。ひと登りすると、杉林の中にお堂がたたずみ、その奥の畑地の脇から登山道が尾根に向かって延びていた。ここの入口付近は、夏草で被われて、先が不安になったものの、直に尾根沿いのはっきりした道になった。ただ、歩く者が少ないためか、赤土の登山道の表面に苔が生えて、滑りやすくなっていた。荒れた林道に飛び出し、これはそのまま横断して向かいの尾根に取り付いた。雑木林に囲まれた尾根道を登っていくと、石の祠が置かれて、その回りは、里の集落を見下ろすことのできる小広場になっていた。登るにつれて背後には、山頂にアンテナの置かれた城山が次第に低くなっていった。標高を上げていくと、潅木の丈が低くなって、周囲の展望が開けてきた。やせた尾根を登って前ピークを越すと、山頂への最後のひと頑張りになった。
 山頂では、単独行が休んでいた。声をかけると、地元の小出の人であった。地元ではそこそこに知られている山のようで、展望を楽しみに登ってきたようである。周囲には、素晴らしい展望が広がっていた。すでに城山は低く、その向こうには、権現堂山から唐松山に至る稜線が長く続いていた。その右手には毛猛山塊。鳴倉山の山頂からは、トヤの頭から駒の頭、その先は笠倉山に続き、越後駒ヶ岳に八海山の展望も広がっていた。西の展望は、魚沼平野の眺めが印象的であった。新潟県を代表する穀倉地帯に相応しく、黄色く染まった稲田が広がっていた。問題なく歩ける登山道があるにもかかわらず、広く紹介されていないということはもったいないことである。山頂の西よりの広場には吹き流しも置かれ、ハンググライダーの離陸台に使われているようであった。山頂まで林道が上がってきてはいたが、オフロード車でなければ無理な路面状態であった。汗水流して登ってきたけれど、車に乗った観光客にばったり出合ってがっかりということは無さそうであった。山頂からトヤの頭に向かっての稜線通しに、かすかな踏み跡が続いており、季節を選べばもう少し先のピークまで歩くことも可能なようであった。また、稜線と平行して一段低いところに林道が走っているので、これを利用すれば、トヤの頭近くまでのアプローチは簡単になりそうであった。この山塊にはのぼれそうなピークがありそうで、地図を見ながらいろいろな作戦を考えた。
 車に戻って、続いて津久の岐山をめざした。二等三角点「突岐山」への順路は、点の記には以下のように書かれている。
1.自動車到達地点:奥只見シルバーライン11号トンネル(栃ノ木トンネル)口
2.歩道状況:旧林道(巾3.0m)途中より小道(0.5m)
3.徒歩時間(距離):約1時間(約2km)
4.三角点周囲の状況:自然雑木林(樹高約4m)
要図には、11号トンネル入口から林道を辿り、途中から左に分かれる林道に入って622.5mピーク(点名津久之岐)との鞍部に出て、尾根伝いに山頂に至るように図示されている。
 奥只見シルバーラインのトンネル番号を確認しながら車を走らせた。11号トンネル(栃ノ木トンネル)の入口手前に車を止めて、林道を捜した。トンネルの入口周辺は薮で被われており、中に入ってみたものの、林道の痕跡も無かった。トンネルの中に入ってみると、すこし先に左右に窓が開いて、外の広場に出ることができた。広場の回りはススキの原で、林道のようなものは見つからなかった。トンネルの外に戻って、地図を確認した。点の記の林道の位置は、短いトンネルを終えた所から始まっているのに、11号トンネルの入口は、長い地上区間が続いている。先ほどの広場に戻ってみて、広場からトンネルを眺めると、スノーシェードのドームで、栃ノ木トンネルと津久岐の二つがつながれていることが判った。ススキの原に入っていくと、踏み跡が現れた。山の際まで進むと、完全に潅木に被われているが、林道の痕跡を認めることができた。そこから斜面の上に向かって、踏み跡とテープの列が始まっていた。点の記に従えば、この林道跡を辿るべきであったが、この踏み跡の方向を考えると、津久の岐山から南西に延びる尾根の途中に登り着きそうであった。他の行き先は考えられなかったので、この踏み跡を辿ることにした。テープを追いながら、山の急斜面を登ることになった。しばらく登ると尾根の上に乗って、歩く方向の心配は少なくなった。長いテープが多く付けられており、潅木も鋸で切り開かれており、その費用と労力は、とても個人レベルでは無かった。杉の植林地を通り抜け、窪地を越すと、ブナ林のめだつ尾根にのった。この尾根上には、明瞭な踏み跡が続いていた。展望が開けないままに傾斜が緩やかになると、刈り払いの行われた津久の岐山の山頂に到着した。三角点の上には紅白の測量棒が立てられ、支持の針金には新しいテープが取り付けられていた。北に向かう切り開きの先には尖った山頂を持つ山が見えていたが、檜岳であったのだろうか。コース整備の理由も判明した。測量の作業直後であったので、難なく登ることができたようである。情報と幸運がプレゼントしてくれた山頂であった。
 クラス会の翌日で、宿を出たのは遅くなり、二日酔いで気分もすぐれなかった。一応は、どこかの山に登らなくてはもったいないということで、正面山をめざすことにした。正面山は、昭文社のハイキングマップにも赤線で登山道が記入され、その長さも僅かなものであった。先日、飯士山に登った時も、雨で条件が悪かった時の予備の山として考えていた。夏場のスキー場の客寄せのハイキングコースと思ったのが、とんでもない間違いであった。
 中里を過ぎると、魚野川越しにルーデンス昭和スキー場と正面山の眺めが目に入ってきた。小さいながらも険しい山で、山頂付近は切り落ちた岩場になっているようであった。登れるのかなあと心配になってきた。登山口と駐車場を捜しながら車を進めると、ルーデンス昭和スキー場の無料駐車場があり、その前にお堂があった。「正面山と石打三社宮縁起」という説明板があり、「石打三社とは大日如来、十二大明神、熊野権現をいい、山頂には石の祠があって平安時代初期のものらしい三体の像が安置されていたという。お参りの便のために、麓にお堂を移し、山頂を奥宮にしたという。里宮は、上の杉林の中に置かれていたが、スキー場の開発のために、現在の地に移されたという。毎年5月17日には梵天と呼ばれる御幣を押し立てての登拝祭が行われていた。」との内容が書かれていた。ハイキングマップに書かれた赤線の道が地形図には記入されていないのがちょっと気になってはいたが、登拝道なら歩けるかなと少し安心した。もっとも、この文章は過去形で書かれているのをおかしいと思うべきだったのかもしれない。
 ハイキングマップの赤線の登山道は、中央のリフト沿いに記入されている。お堂の右の少し先から始まる車道を進むと、右手にゴルフコースが現れ、一段登った山の斜面にはゴルフコースが広がっていた。芝の上を歩いては叱られるだろうということで、休憩小屋まで進んで、左のリフトの下を登ることにした。登山道の赤線は、中央リフトの上部から左のリフト方向に曲がってその下をくぐっている。ゲレンデの草は、それ程のびていなかったが、太陽があたって汗が吹き出てきた。リフト終点はススキの原となっていた。登山道らしきものを捜して、潅木の中に頭をつっこんでもみたが見つからなかった。ほとんどあきらめ状態になり、中央リフトの終点付近を確認し、それでだめなら、地図にも記載してある神立高原スキー場からの道をあたってみようかと思った。
 中央リフトめざして登っていくと、こちらの方が高いところまで続いていることに気が付いた。リフト終点の左に回り込むと、ススキで被われているものの、林道なみに幅の広い切り開きが続いているのが見つかった。季節が悪かったなと思いながら、ススキの薮漕ぎを続けた。数回ジグザグを続けると、尾根の上に出て、そこには「正面山ハイキングコース終点 これより山頂まで約1時間。登山経験のある人の同行が必要になります。」という案内板が地面にころがり、ブナの木に登山道という標識が打ちつけられていた。ともあれ登山道に乗ったということでひと安心したが、その先で潅木の中に道を見失った。おかしいなと戻ると、道はピンカーブを描いていた。ひと登りで再び尾根の上に出た。登山道は左にトラバース気味に進み、カーブして尾根に戻るということを繰り返した。パターンが判れば、道を辿るのも難しくはない。林道跡は、ススキの原で終わった。山の際にはコンクリートの土台のようなものがあった。
 家に帰って、地図とスキー場案内のリフトの位置関係を比べると、地図では左のリフトは中央リフトよりも標高で100m程高い所まで到達しているのに、実際には中央のリフトよりも低くなっている。ここが昔のリフトの終点で、登ってきたのが管理道兼初心者用の迂回コースだったのでは。湯沢のスキー場で雪崩が起きたことがあるというあやふやな記憶と合わせると、雪崩の危険性のためにリフトが短くなったのではと思う。
 雑木林の中のかすかな踏み跡をたどりながらの登りが始まった。ひと登りすると尾根の上に出て、コース取りは判りやすくなった。雑木林に囲まれたまっすぐな尾根の登りになった。七合目の標識は尾根の途中。杉木立が特徴的な前ピークの下のやせ尾根にでると、そこは八合目。タオルを絞る程の汗が吹き出ていたが、頂上まではもうひと頑張りでになった。前ピークの上に出ると、山頂は目の前になったが、山頂付近は岩場になっていた。尾根もやせて、潅木で隠された登山道から足を踏み外さないように慎重な歩きが必要になった。松川入川の堰堤が眼下に見えた。最後は、三点支持を心がけなければならない5m程の高さの切り立った岩場になった。手がかりや足場は充分にあるものの、小石が乗っていたりして注意が必要であった。岩場の中央部から左に移動し、上に少し登ってから潅木帯をまたぎこして岩場に戻り、僅かに登ると山頂に到着した。良く見ると、山頂からは、岩場の右の方にロープが下がっていた。
 山頂には石の祠が置かれ、その先に測量用の紅白棒が立てられた三角点と山頂標識があった。山頂からは360度の展望が広がっていた。中里スキー場から荒沢山を経て足拍子岳に至る尾根が目の前に横たわり、その左には飯士山。大源太山の鋭鋒から万太郎山の谷川連峰の主稜線。その奥に続く長大な尾根の左端には卷機山。振り返れば、稜線が下った先には神立スキー場のゲレンデが上がってきており、その先は白板山に至る稜線が長く続いていた。あやしげな道を辿ってきた努力が報われる山頂であった。神立スキー場上部からの尾根には、地図にも記載されているように、登山道のようなものが見えた。ただ、山頂手前で痩せた尾根になっているので、そちらから登るにしても注意が必要かもしれない。
 帰りは、ロープの下がっている通りに下ってみた。垂直に近い岩場になり、ミスをすればそのまま下までの近道になりそうであった。ロープを右手に握りしめ、慎重に岩場を下った。尾根に戻ってひと安心。ススキの薮漕ぎでは、葉っぱで切り傷をつくったが、なんとか無事に下山できた。小さいながら手強い山であった。二日酔いでのとりあえずの山の気分は途中から消え失せ、真剣勝負の登山になった。

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