9940

熊伏山、鬼面山

戸倉山、守屋山

有明山

大渚山


【日時】 8月25日(火)〜29日(日) 前夜発5泊4日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 8月26日:曇り 27日:雨のち曇り 28日:曇りのち雨 29日:晴

【山域】 南アルプス深南部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 熊伏山・くまぶしやま・1653.3m・一等三角点補点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 豊橋/満島/伊那和田
【ガイド】 分県登山ガイド「長野県の山」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド西日本編(新ハイキング社)、信州百名山ガイドブック(KCC BOOKS)、三遠信の山歩き(風媒社)、信州の里山を歩く(信濃毎日新聞社)、一等三角点の名山100(新ハイキング社)

【山域】 伊那山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 鬼面山・きめんさん・1889.3m・一等三角点補点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 飯田、甲府/時又、赤石岳/上久竪、大沢岳
【ガイド】 信州百名山ガイドブック(KCC BOOKS)、三遠信の山歩き(風媒社)、一等三角点の名山と秘境(新ハイキング社)
【温泉】 小渋温泉・赤石荘 500円 常備品(シャンプー、ボディーシャンプー)

【山域】 伊那山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 戸倉山・とぐらやま・1880.7m・一等三角点補点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 飯田/市ノ瀬/市野瀬
【ガイド】 信州百名山ガイドブック(KCC BOOKS)、三遠信の山歩き(風媒社)、一等三角点の名山と秘境(新ハイキング社)、信州の里山を歩く(信濃毎日新聞社)

【山域】 伊那山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 守屋山・もりやさん・1650.3m・一等三角点補点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 甲府/高遠/茅野、辰野
【ガイド】 分県登山ガイド「長野県の山」(山と渓谷社)、信州百名山ガイドブック(KCC BOOKS)、三遠信の山歩き(風媒社)、一等三角点の名山と秘境(新ハイキング社)、信州の里山を歩く(信濃毎日新聞社)
【温泉】 下諏訪温泉・湖畔の湯 220円 常備品(無し)

【山域】 北アルプス南部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 有明山・ありあけやま・2268.3m・二等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/信濃池田/有明
【ガイド】 分県登山ガイド「長野県の山」(山と渓谷社)、アルペンガイド「上高地・槍・穂高」(山と渓谷社)、信州百名山ガイドブック(KCC BOOKS)、日本300名山登山ガイド西日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「上高地・槍・穂高」(昭文社)
【温泉】 有明温泉・国民宿舎有明荘 600円 常備品(シャンプー、ボディーシャンプー)

【山域】 海谷山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 大渚山・おおなぎやま・1566.3m・三等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/小滝/雨飾山
【ガイド】 信州百名山ガイドブック(KCC BOOKS)、山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社)
【温泉】 小谷温泉・村営雨飾荘露天風呂 無料 常備品(無し.)

【時間記録】
8月24日(火) 20:20 新潟発=(北陸自動車道 経由)=23:50 有磯海SA  (車中泊)
8月25日(水) 5:10 有磯海SA発=(北陸自動車道、砺波IC、R.156 経由)=12:30 岐阜=5:30 岐阜発=(R.21、土岐IC、中央自動車道、飯田IC、喬木、矢筈トンネル 経由)=22:50 上村着  (車中泊)
8月26日(木) 上村発=(R.152 経由)=6:35 青崩峠手前の通行止地点〜6:55 発―7:05 青崩峠登山口―7:13 青崩神社―7:19 あずまや―7:24 青崩峠〜7:28 発―7:44 遊歩道終点―8:03 反射板鉄塔〜8:08 発―8:39 辰野戸分岐―8:47 観音山分岐―8:57 熊伏山〜9:07 発―9:13 観音山分岐―9:19 辰野戸分岐―9:40 反射板鉄塔―9:52 遊歩道終点―10:03 青崩峠―10:06 あずまや―10:10 青崩神社―10:16 青崩峠登山口―10:28 青崩峠手前の通行止地点=(R.152、蛇洞林道 経由)=11:45 地蔵峠〜12:00 発―12:10 作業小屋―12:38 1585mピーク〜12:41 発13:31 鬼面山〜13:47 発―14:21 1585mピーク―14:40 作業小屋―14:49 地蔵峠=(蛇洞林道、R.152、小渋温泉、R.152、大鹿、松川、R.153、伊那 経由)=20:00 中仙寺着  (車中泊)
8月27日(金) 6:30 中仙寺発=(伊那、R.153、駒ヶ根、落合、下田 経由)=7:45 戸倉キャンプ場〜7:50 発―8:10 馬止の松―8:26 五合目―8:34 六合目―8:37 日陰・日向滝分岐―8:42 七合目―8:46 金明水―8:47 八合目―8:56 九合目―9:01 戸倉山西峰―9:09 戸倉山東峰―9:14 戸倉山西峰〜9:19 発―9:21 九合目―9:25 八合目―9:26 金明水―9:29 七合目―9:31 日陰・日向滝分岐―9:34 六合目―9:39 五合目―9:48 馬止の松―10:01 戸倉キャンプ場=(分杭峠、R.152、高遠、R.152、杖突峠 経由)=11:30 守屋山キャンプ場〜11:43 発―12:16 守屋山東峰―12:26 かもしか岩―12:35 守屋山西峰〜12:55 発―13:03 かもしか岩―13:13 守屋山東峰〜13:18 発―13:44 守屋山キャンプ場=(杖突峠、R.152、茅野、R.20、下諏訪温泉、R.20、岡谷IC、長野自動車道、豊科IC、R.147、有明、有明温泉 経由)=18:30 中房温泉町営駐車場着  (車中泊)
8月28日(土) 5:17 中房温泉町営駐車場発―5:25 有明荘登山口―5:39 三段の滝分岐―6:23 四合目―6:42 トラバースの岩場―7:23 見晴らしの岩場―7:39 八合目(稜線上)―8:01 有明山北岳〜8:10 発―8:18 中岳―8:37 南岳〜8:40 発―8:55 中岳〜9:05 発―9:14 北岳〜9:18 発―9:30 八合目―9:51 見晴らしの岩場―10:22 トラバースの岩場―10:34 四合目〜10:43 発―11:10 三段の滝分岐―11:18 有明荘登山口―11:26 中房温泉町営駐車場=(有明荘、有明、R.147、小谷、小谷温泉、雨飾荘露天風呂 経由)=18:10 湯峠着  (車中泊)
8月29日(日) 5:41 湯峠発―5:53 1365mピーク―6:15 第一ベンチ―6:19 第二ベンチ―6:26 展望台分岐―6:28 大渚山東峰〜6:42 発―6:43 展望台分岐―6:46 大草連分岐―6:53 大渚山西峰〜7:21 発―7:26 大草連分岐―7:30 展望台分岐―7:34 第二ベンチ―7:39 第一ベンチ―7:51 1365mピーク―8:01 湯峠着=(雨飾荘露天風呂、小谷温泉、小谷、R.147、糸魚川IC、北陸自動車道 経由)=12:20 新潟着

全走向距離 1310km

 熊伏山は、静岡との県境近く、信州の最南端の山である。「光岳から急激に落ちこんだ赤石山脈の残映が最後に燃え上がるところ」と清水栄一の信州百名山には述べられている。南アルプス連峰と伊那山脈の間には、中央構造線と呼ばれる大断層によって作られた谷が続いている。ここには幻の国道とも呼ばれるR.152が走っているが、かつては遠州秋葉山詣でのための秋葉街道が通じていた。この秋葉街道は、遠山郷から青崩峠を越して遠州に抜けていたが、現在でも国道はこの峠を越すことができないでいる。熊伏山は、この青崩峠の西に位置する山である。熊伏山の名は、崩壊地が信州側に崩れ落ち、熊も近寄らないような崖が続く谷の源頭にある山ということで付けられたという。
 南アルプスと中央アルプスに平行し、東の伊那谷と中央構造線の谷によって挟まれた南北に延びる山地を伊那山脈と呼ぶ。この伊那山脈は、南アルプスから流れる川の、三峰川と小渋川によって断ち切られ、南北に連なる三つのブロックに分かれている。
 鬼面山は、伊那山脈の南ブロックに位置し、山脈を通じての最高峰である。伊那谷の夕暮れ時、東の伊那山地で、ひときわ赤鬼のように映える山ということで名付けられたという。
 戸倉山は、伊那山脈の中央ブロックの主峰である。伊那市郊外からは富士山形に見えることから、伊那富士とも呼ばれている。
 守屋山は、伊那山脈の北ブロックの主峰であり、諏訪湖を見下ろす山である。諏訪大社上社の信仰の山としてあがめられてきた。
 有明山は、安曇野から信濃富士とも呼ばれる美しい台形の姿を望むことのできる北アルプス前衛の山である。天照大神が隠れた天の岩戸が開かれた時、その戸がこの山に落ちたという伝説が残り、信仰の山として三つに分かれる各山頂には祠が置かれている。
 大渚山は、湯峠をはさんで雨飾山の南に向かい合う山である。山スキーの山として有名な山であるが、平成元年に湯峠からの登山道が整備されて、無雪期にも容易に登ることができるようになった。山頂からは、雨飾山の南面の岩壁や白馬岳をはじめとする大きな展望を楽しむことができる。


 夏の終わりに、まとまった休みがとれたので、北アルプスでもと思って、山の準備をしていたが、天気予報がすぐれず予定変更になった。先週と同じパターンである。岐阜に仕事の用事があるため、山へのアプローチも、岐阜が起点になった。天気が悪くても登ることのできる山ということで、最近出版された信州百名山ガイドブックを参考にして低山巡りを行うことにした。一等三角点の位置を見ていて気になるのは、伊那山脈には三つも。その東に走るR.152沿いということで熊伏山を含めると、四つもの一等三角点が近い距離に置かれている。これらの一等三角点ピークを訪れることにした。
 北陸道の砺波からR.156沿いに南下して岐阜に入り、夕刻仕事を終えてから中央高速にのって飯田に向かった。飯田ICから矢筈トンネを経て上村への道は、一昨年の三伏峠から光岳への縦走の開始時に緊張した心で走った道である。上村へ到着したところで、一日の車の運転で疲労が限界に達して、路肩の空き地で野宿に入った。
 翌朝、易老渡への入口を通過してR.152をさらに南下した。下市場から谷間の奥へ入り込んでいき、兵越峠への林道を分けると、これが国道なのかと疑問に思うような心細い道になった。対向車とのすれ違いの困難な谷沿いの道であった。行きも帰りも、他の車に出合うことが無かったのは幸いであった。谷の奥に進んで、峠も近くなったなと思う頃、通行止めの標識が現れた。車を下りて前方を確かめると、路肩が崩れて、丸太で補修してあった。ここだけならなんとか通過できそうであったが、その先もことは判らず、車の転回場所に苦労する可能性もあった。麓のバス停から登山口まで1時間50分の歩きというなら、この先の歩きはそれ程無いはずであった。路肩に車を停めて歩きだした。結局、この先の道路の走向には問題は無かった。つづら折りの坂を終えると、治水工事関係者のものの作業小屋小屋が現れた。さらにその先の廃屋と化した小屋の前で、舗装道路、そして幻の国道は終わった。未舗装に変わった林道を進み、涸れ沢の下部を通り過ぎると、登山口に到着した。
 遊歩道として整備された道が始まった。来た方向に戻るように登っていくと涸れ沢の堰堤部に出て折り返し。緩やかに登っていくと、左手に鳥居とお堂が現れた。青崩神社とあった。秋葉街道を往来した旅人の信仰の名残であろうか。明るい雑木林の中を登っていくと、予想外に早く峠に到着してしまった。
 峠には、休憩用に木製のテラスが設けられていた。峠の向こうには遠州側の村落を見下ろすことができた。峠を示すらしい新しい石のシンボルが置かれていたが、むしろ道の脇に置かれた苔蒸した石碑と石仏に昔の峠越えを偲ぶことができた。
 熊伏山の山頂に向かう登山道は、右手の尾根に続いていた。登山道の右手は崩壊地の崖のようであったが、道は静岡側の樹林帯に付けられいるので、危険な所は無かった。しばらくは、遊歩道として整備された道が続いたが、植林地への踏み跡を分けると、前方のピークめがけての急登が始まった。気温も高く、汗が吹き出てきた。ピークの上に登り着くと、そこにはマイクロウェーブの反射板の鉄塔が建てられていた。静岡側の木立が切り開かれ、休憩ポイントになっていた。コース上のチェックポイントであるが、出版されたばかりのガイドブックにも書かれていなかった。ガイドブックを書くような人でも、そう度々は登っていないということか。その先は、傾斜は緩くなったものの前方のピークをめざすような登りが続いた。途中、登山道の周囲に、見事なブナ林が現れた。小ピークに登り着くと、左の尾根に踏み跡が続いていた。進入禁止のためにか、木の枝が横に置かれていたが、ここが辰野戸への分岐のようであった。緩やかに下って登り返すと、左の尾根に再びかすかな踏み跡が見つかった。これは観音山への道のようであるが、標識は無く、これらの道を歩くには確実な地図読みが必要そうであった。
 緩やかな稜線を登っていくと、熊伏山の頂上に到着した。広場の中央には一等三角点が置かれていた。広場の東側の広場は伐採されて展望が開けていた。しかし、山の頂稜部はガスで被われて、どのような山が見えるのかは目で確かめることはできなかった。位置的には池口岳であろうか。一等三角点と向かい合いながらの休憩になった。
 車に戻り、里におりて一息ついた。熊伏山は、難しい所も無かったが、奥深さを感じさせる山であった。
 時計を見て、続いて鬼面山をめざすことにした。R.152を戻り、矢筈トンネルの入口を通り過ぎたところで蛇洞林道に入った。しらびそ峠への道を分け、谷をつめていくと登山口の地蔵峠に到着した。路肩の広くなった所に車を止めた。峠から尾根に取り付くと、入ったところにこの峠の名前の由来らしいお地蔵さまが置かれていた。緩やかに登って行き、作業小屋を通り過ぎると、傾斜も増してきた。ガレた痩尾根を過ぎてひと登りすると、1585mの小ピークに出た。谷をはさんで鬼面山の山頂が目に飛び込んできた。先はまだありそうなので、ひと休みした。緩やかに下ってから、再び急な登りが始まった。少し以前に書かれたガイドブックには、笹の薮こぎになると書かれているが、良く整備された道が続いていた。尾根の上に登り着いた所で、コースは右に方向を変え、反時計回りに弧を描きながら山頂に向かっていた。南北に連なる主稜線に登り着き、左に曲がって緩やかな道をたどれば鬼面山の山頂に到着した。
 大きく切り開かれた広場の真ん中には一等三角点が置かれ、伊那谷方面の展望が広がっていた。飯田の町並みは見られるものの、その背後の中央アルプスの稜線は雲で隠されていた。残念な展望であったが、ガスに巻かれることもなく、山頂でのんびりしていられるのも低山の楽しみというべきか。鬼面山の1889.3mの標高は、日本百名山の規準の1500mをみたしており、低山とはいえない。しかし、歩き始めの地蔵峠がすでに1314mあったことや、山頂から見下ろす町の眺めが、里山という感じを強くしていた。
 車に戻り、次に頭をひねったのは、どこで入浴するかであった。熊伏山の下山口近くには「せせらぎの里 やまめ荘」というのがあったが、いまさら戻るわけには行かない。R.152を北上した鹿
塩温泉の山塩館は外来入浴は3時でおしまい。鹿塩温泉の他の旅館をあたってみるかと迷ったが、地図を見ると、鳥倉林道入口近くに小渋温泉というのがあるのに気がついた。小渋橋から案内板に導かれて進むと、段丘上に赤石荘があった。気持ちの良い露天風呂を備えた温泉であり、小渋川沿いの谷間を見下ろしながら温泉に入ることができた。
 車を走らせながら天気予報を聞くと、明日は雨になるようであった。明日は戸倉山と守屋山と考えていたので、少々の雨でも大丈夫だろうと思った。R.152の北上を続け、鹿塩に入った所で、分杭峠は土砂崩れのために不通という看板に出合った。戸倉山の登山口へは、小渋湖から迂回する道もあるようであったが、良い道かどうかは知らなかった。戸倉山へのアプローチに思わぬ邪魔が入ったのと、夕暮れ時になっても晴天が続いているのを見て、中央アルプスの経ヶ岳に心が傾いてしまった。結局、そのまま松川に出て、R.153を北に向かうことになった。途中、駒ヶ根で中華レストランに入って夕食をとり、すっかり暗くなってから、経ヶ岳登山口の中仙寺下の考古資料館の駐車場に入った。
 寝込む前には星空を見上げることができたものの、明け方からは激しい雨になった。経ヶ岳は、山頂付近で笹薮の深いところもあるようで、これでは登れそうもなかった。模様眺めでグズグズしていたものの、目的地を戸倉山に再度変更することになった。
 伊那に戻って県道に入る頃には、幸い雨が上がり始めた。落合から戸倉山キャンプ場をめざすと、田圃に挟まれた狭い道になり、山間の開放的とはいえないキャンプ場に到着した。雲は厚くかかっているものの雨は止んでいた。キャンプ場の上部から林道を進むと、右手に登山道が分かれた。良く整備された道で、雨上がりというのに、ズボンが草に触れて濡れることはなかった。カラマツ林の中を登っていくと、ベンチも置かれていた。二つ目のベンチの後ろの大きな松には、「馬止の松」と書かれていた。説明には、「村人が共有地に草刈りに入る際、馬をつなぎ止めた目印としていた松である。ここで馬の背に草を載せ村へ帰っていったといわれている。」と述べられている。里山ならではの謂れである。右手にトラバース気味に登っていくと、五合目に到着した。この手前に上の森コースが合流するはずと不思議に思ったが、下りの時に注意していると、しっかりした道が見つかった。Y字型に合流していたために見落としてしまったようである。少し急になった登山道を登っていくと、ベンチが並んでおかれていた。晴れていたら、麓の見晴らしを楽しみながらひと休みする所だろうか。傾斜もゆるやかになって、雑木林の中ののんびりした歩きになった。日陰滝と日向滝への分岐を過ぎると、猿の松やら天狗伝説の岩といった、なにかの謂れのあるらしい場所が現れた。七合目を過ぎると、明るい感じの草地の広場に出た。あずまやが置かれ、金明水という水場があった。頂上近くの登山道脇にこのような水場があるのは有り難い。さっそく、水を汲んで喉をうるおした。あずまやの天上部分を見ると、幾つかの大鍋やヤカンがつるされ、広場の一画にはY字型の支柱に横木、焚き火の跡があった。どうやら、地元の人達によって、鍋を囲んでの宴会が開かれているようであった。広場のすぐ上は八合目が」置かれていた。
 傾斜がややきつくなった登山道をもうひと頑張りすると、戸倉山の山頂に到着した。山頂には、いくつもの石碑が置かれていた。中・北、南アルプス方面のパノラマ図も置かれていたが、山の稜線は雲で隠されていた。でも山に登れただけでも満足するべきだろう。この西峰の山頂付近は、マツムシソウの花が一面に咲いていた。この山には一等三角点が置かれているが、それはもう少し進んだ東峰にある。鞍部に下ると、避難小屋があり、その先の樹林帯の中う進むと東峰に到着した。一等三角点が置かれていたが、周囲の展望は木立に妨げられていた。西峰から先は、それ以前の道よりは歩く者は少ないような感じであった。
 登山口のキャンプ場から少し下ったところに土砂の採取場らしきものがあり、ダンプカーが頻繁に往来しているようであった。細い道での車のすれ違いが心配であったが、幸い下りのダンプカーの後ろについて、一般道まで出ることができた。
 分杭峠の北端から再びR.152に回り込んで北上を続けた。見覚えのある所に出たと思ったら、戸台口で北沢峠への入口であった。3000m峰への誘惑を振り切って低山山行をさらに続けた。快晴であったなら、またもや方向は変わってしまったろうが、この天気では。
 高遠から先のR.152は、それ以前よりも車の往来も多くなった。杖突峠に到着すると、守屋山の標識が立てられた広場があった。広場の奥の未舗装の林道に進むと、カラマツ林の中に林道はうねうねと続いていった。左手から舗装道路が延びてきて、右手には細い未舗装の林道が続くT字路に出て、どうなっているのだろうと地図を確認した。山頂へは右だろうと見当をつけて、未舗装の林道に進んだ。帰りにこの舗装道路を下ってみると、杖突峠の手前でR.152に飛び出した。ここには、守屋山への標識はないので、峠から南に下って、最初の舗装道路に進めば良いことになる。林道を進むと、Y字路に出て、その左手が登山口のキャンプ場のようであったので、分岐の路肩に車を止めた。
 ガイドには、ここの登山口には、木の鳥居があると書かれていたが、代わりに大きな木の標柱が立っていた。避難小屋の脇からキャンプ場の奥に進むと、尾根沿いの道が始まった。カラマツ林や雑木林に囲まれて展望のきかない道ではあったが、鳥のさえずりを聞きながら静かに歩くことができた。登り着いた東峰の頂上は、露岩で周囲の展望が開けていた。雲もあがりはじめて、諏訪湖や霧ヶ峰の展望が広がっていた。山の稜線の多くはまだ雲で被われていた。この山頂にもマツムシソウが風に揺れていた。稜線の先には、西峰がこんもりした山頂を見せていた。山頂の少し先には、鉄格子で囲まれた石の祠があった。中には弓が二つ置かれていた。神事に使われた弓のようであるが、その謂れは判らない。僅かに下って尾根道を辿っていくと、守屋山の西峰に到着した。ここには目的の一等三角点が置かれていた。この西峰には、ガイド文の記述と違って、周囲の木立が切り開かれて草原が広がっていた。草の上に腰をおろし、足をなげだした。先を行く者の足が遅いといっていらだつ山がある。山頂で休むとおしゃべりがうるさいと神経を尖らせる山がある。そのような煩わしさとは無縁の静かな山頂であった。蝶々のペアが、夏の終わりをおしむかのように飛び回っていた。
 杖突峠に戻って北に下ると茅野の町に出て信州側のR.152沿いの山旅も終わった。続いて温泉を捜して、下諏訪で湖畔の湯に入った。地元の銭湯代わりの温泉のようで、セッケンは置いてなかったが、入浴料は安かった。
 明日の天気は少しは良くなりそうだったので、北アルプスの有明山をめざすことにした。
 有明山は、幻の「日本百名山」ということで、前々から気になっていた山である。日本百名山は、「山と高原」に連載され、昭和38年3月号に「有明山」は掲載された。しかし、単行本の出版の段階で、草津白根山に差し替えられたという。現在この幻の日本百名山「有明山」は、山頂の憩い(朝日文庫)あるいは百名山以外の名山50(河出書房新社)で読むことができる。有明山の歴史やウェストンの登頂の紹介などが書かれているものの、深田久弥自身の登山体験は書かれておらず、執筆の段階ではまだ登っていなかのではと思わせる。後書きの中の、当然選ぶべき山の中に有明山は挙げられている。深田久弥がどのような考えで有明山を割愛したのか、改訂版日本百名山がもし書かれたならば、どのように扱われるのか興味あるところである。ともあれ、登ってみて、他の百名山と比べてみることにしよう。
 夕暮れが迫る中、中房温泉への曲がりくねった道へ車を進めた。有明荘の先の中房温泉町営駐車場に車を止めた。さすがに宵の口とあって、駐車場は空きが目立った。夜中には、車の到着で何度か目を覚ました。目覚ましで薄暗い中を起きると、駐車場の空きは僅かになっていた。他の登山者も歩き始めていた。もっとも、中房温泉から燕岳をめざす者ばかりのようであった。有明山への三段の滝を経由するコースは、駐車場の上部から始まっている。入口には三段の滝という標識が置かれているが、道は夏草に被われて、歩く者は少ないようである。以前の偵察で、有明荘の裏手にも登山口があり、この道は笹の刈り払いが行われていることを確認していた。まずは、有明荘に向かって歩きだした。中房温泉に向かう、登山者を乗せたタクシーが何台もってすれ違った。有明荘の手前に宿泊者専用駐車場に通じる車道があり、ロープをまたいで中に進むと、ヘリポートの手前に有明山登山口がある。ここには登山届用のポストも置かれている。
 笹原の中の刈り払い道をトラバース気味の登っていくと、三段の滝からの道を左から合わせた。ここから、急な登りが続いた。刈り払いの状態は悪くなり、笹が登山道を隠すほどになった。急坂が続き、左手に何回かトラバースを交えるので、コースから外れないように注意が必要であった。テープも多く付けられているものの、気は抜けない登りが続いた。前方に鈴の音が聞こえると思ったら、男性一名、女性二名の中高年グループに追いついた。雰囲気では、山には慣れているようであった。せっかくの露払いと、ずるい考えを持ったのだが、グループは休憩に入ってしまい、追い越すことになった。尾根に登り着くと、下生えも少なく、傾斜も緩くなってひと息つくことができた。
 四合目の石標を見ると、右手にコースを変え、トラバース気味の登りが続いた。露出した岩場のトラバースも現れ、張られたロープを頼りに慎重に横断した。その先で浮き石の多い涸沢に出た。横断先の登山道入口を見失って、涸沢を登り始めそうになった。登山道の入口が木立に隠されているのでテープを見落とさないように注意が必要である。急斜面を交えながら、谷の奥へと入り込んでいく道が続いた。単独行のためか、樹林帯の中の道に閉じこめられるかのような圧迫感を感じた。小さな岩場を通過して尾根を乗り越すと、前方に有明山の山頂がまだ遠く、そこに続く稜線がまだ遠く見えた。一旦谷に向かって下降した後、稜線に向かっての急登が始まった。登山道の傾斜が緩やかになって稜線に出た所で、八合目標石が現れた。相変わらず、急な登りは続いたが、山頂が近づいていることで、足どりにも心にも余裕が出てきた。露岩帯の急斜面を登ると、有明山の北岳に到着した。黒川コースが東から上がってきていたが、それをまたぐように木の鳥居が立てられていた。山頂には、思ったよりも立派な祠が置かれていた。餓鬼岳から燕岳、大天井岳、常念岳へと続く稜線が目の前に続いていた。安曇野の平野部が、逆光気味に光っていた。
 有明山の山頂は、三つに分かれており、北岳には松川村西原集落にある有明神社の奥社、中岳と南岳には、穂高町有明地区宮城集落にある有明山神社の奥社がそれぞれ置かれている。北岳の祠の裏手から稜線を進むと、少し先のやせた岩稜の上に三角点が置かれていた。中岳への道は、桟道や岩場のトラバースも現れて、整備されているものの、気の抜けない所も現れた。中岳にも同じ様な祠が置かれていた。その先で、小さな祠の置かれた草地の広場に出た。これが南岳の祠かと思ったが、中岳から近すぎた。ここまでの道は明瞭であったが、その先はテープを確認しながら歩く踏跡状態になった。中岳からは、一旦下りになった。その下降点から眺めると、稜線が続く先に一段低い南岳が山頂をのぞかせていた。道もあやしげだし、距離もあるので、先に進むかどうか迷ったが、南岳の山頂の祠が目に入って、結局行く気になった。稜線は潅木に被われているが、稜線が痩せている所もあり、注意しながら歩く必要があった。一段下がった樹林帯を通過したり、稜線上を通過したりするので、テープを見落とさないようにする必要があった。南岳でも同じ様な祠が出迎えてくれた。ガイドブックには、北岳から南岳へは20分程だと簡単に書かれているが、もう少し時間もかかるし、手強い道であった。
 南岳から中岳へは登り返す必要もあり、来た道を戻るのも楽ではなかった。中岳の草地に戻ってようやくひと息入れた。燕岳を中心とする稜線は良く眺めることができたが、その奥の槍・穂高の稜線には黒雲がかかっていた。北岳近くに戻ったところで、登り始めで追い越した三人連れと出合った。テープを見失わないように注意しながら下山を続けた。途中で、他に三組の登山者にも出合ったが、時間的に山頂まで登ることができるか疑問な人もいた。途中から、空が暗くなってきたと思ったが、笹原を下る頃に雨が降り始めた。足を早めたおかげで、少々濡れはしたが、雨具はつけずに下山することができた。
 車に戻り、すぐ有明荘に向かった。有明荘は、内湯も露天風呂も広々しており、好きな温泉のひとつである。独占状態で、ゆっくりと湯につかることができた。昼食のために食堂に入ると、地ビールの宣伝旗が目に入った。誘惑に負けて、中ジョッキのビールを頼んでしまった。今日の山を思い出しながら昼食を楽しんでいると、激しい雨が降り始めた。山ですれ違った人達は、雨につかまって苦労しているだろうな。時間に余裕もあるので、休憩所で昼寝ときめこんだ。ひと眠りすると少し冷えて、もう一度風呂に入りなおした。
 麓に下りて、安曇野から雨上がりの有明山を振り返った。ボリューム感のある台形の姿は、背後の主稜線の印象を薄くする程であった。有明山は、百名山に選ばれなくて幸せな山だったのではないだろうか。下山して思い返せば、濃い笹や樹林帯の中に続く険しくかぼそい道も、この山の魅力に思える。幻の百名山「有明山」について尋ねられれば、良い山である、自分で登って確かめてみなさいと答えることにしよう。
 最後に大渚山に登ることにした。新潟との県境に近いとはいえ、新潟からは遠いために登る機会の無かった山である。小谷温泉は、雨飾山登山以来二度目であるが、先回と比べて道が良くなっていた。先回は、紅葉の盛りで、山は大混雑。名所の雨飾荘の露天風呂も、路上駐車の列に恐れをなして、そのまま帰ってしまった。湯峠へ上がる前に、時間もあることなので、雨飾荘の露天風呂に入っていくことにした。ブナ林の中に男女別の露天風呂が設けられていた。家族連れが出ていくと、一人占めの温泉になった。温泉から上がって服を着る前にアブに刺されたのが、思わぬ災難であった。雨飾山の登山口と鎌池を過ぎて舗装された林道を進んでいくと、大渚山の山頂が目に入ってきた。台地状の肩の上に尖った山頂をのせた特徴のある形をしていた。林道は、湯峠の先から不通になってゲートが閉められていた。湯峠には、広場があったが、工事車の旋回場所ということで駐車禁止という看板が立てられていた。明日は日曜日で工事はお休みのはずだし、朝の早いうちに下山するはずなので、この広場に車を止めることにした。
 夜中に、何台かの車が上がってきては、通行止めのために引き返していった。歩き出す準備をしていると、三人連れが乗った車が上がってきた。ゲートが閉じられているのを見て、車を下りて歩き出す準備を始めた。言葉を交わすと、雨飾山に登るという。こちらの登山姿を見て、ここから雨飾山に登ることができると思いこんだようである。湯峠から新潟県側に進んだ所からも雨飾山への登山道が有るようであったが、持っいるのはガイドブックのコピーだけとあっては、通常の登山コースをめざしているようであった。来た道を戻り、キャンプ場に続く林道に入るように教えた。
 広場の奥から良く整備された登山道が始まっていた。緩やかな稜線を辿っていくと、たいした苦労もなく1365Mピークに到着した。僅かに下ると、大渚山への本格的な登りが始まった。登山道の途中、脇に少し入ると、大渚山東面の岩壁を見上げる展望地もあった。ベンチも置かれていたが、登りも長くは続かす、崩壊地の脇を注意深く登ると、山頂の一画に到着した。展望台への道を分けてひと登りすると、大渚山の山頂に到着した。素晴らしい展望が広がっていた。一番の見所は、岩壁をめぐらせた雨飾山の展望であった。その背後には金山に至る稜線が続き、妙高山の台形の山頂が頭をのぞかせていた。その道には高妻山と乙妻山。戸隠山から西岳に至る鋸の刃のような稜線も眺めることができた。白馬岳を中心とする北アルプス北部の山々の山頂は雲で被われているのが残念であった。一段低いながら、明星山が特徴のある姿を見せていた。展望を楽しんだあと、西峰の展望台をめざした。展望台は、東峰に登ってきてすぐに西峰に向かった単独行が休んでいた。言葉を交わすと、地元の糸魚川の人であった。雨飾山の陰に隠れて、大渚山に登る人は少ないようであった。展望台が作られているため、西峰からも展望を楽しむことができた。冬は、この展望台も隠れるというので、豪雪の程がうかがいしれる。
 下山後、再び雨飾荘の露天風呂に入った。朝でアブの活動も弱まっているのか、落ちついて温泉に入ることができた。朝風呂を楽しんで出ると、清掃のために立ち入り禁止の表示が入口に掛けられていた。良いタイミングで温泉に入ることができたようである。連日の登山で疲れも出てきており、これで家に帰ることにした。

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