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ニセイカウシュッペ山

西ヌプカウシヌプリ、東ヌプカウシヌプリ

オプタテシケ山

芦別岳

南暑寒別岳、暑寒別岳

赤岳

アポイ岳


【日時】 7月30日(金)〜8月8日(日) 各日帰り
【メンバー】 8月1日 北海道オフミ5名グループ(坂口、上井、熊井、星、岡本)
 他単独行
【天候】 8月1日:曇り 2日:雨のち曇り 3日:晴 4日:晴 5日:晴 6日:曇りのち雷雨 7日:晴

【山域】 北大雪
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 ニセイカウシュッペ山・にせいかうしゅっぺやま・1883m・無し・北海道(二等三角点・1878.9m)
【地形図 20万/5万/2.5万】 旭川/大雪山/ニセイカウシュッペ山
【ガイド】 アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭文社)
【温泉】 比布町遊湯っぷ温泉 500円 常備品(ヘアーシャンプー、ボディーシャンプー)

【山域】 東大雪
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 西ヌプカウシヌプリ・にしぬぷかうしやま・1212m・無し・北海道
【地形図 20万/5万/2.5万】 帯広/然別湖/然別湖
【ガイド】 山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭文社)

【山域】 東大雪
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 東ヌプカウシヌプリ・ひがしぬぷかうしやま・1252.2m・二等三角点・北海道
【地形図 20万/5万/2.5万】 帯広/然別湖/然別湖
【ガイド】 北海道百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭文社)

【山域】 十勝連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 オプタテシケ山・おぷたけしけやま・2012.7m・三等三角点・北海道
【地形図 20万/5万/2.5万】 旭川/十勝岳、十勝川上流/オプタテシケ山、白金温泉
【ガイド】 アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭文社)
【温泉】 白金温泉白樺荘 300円 常備品(無し)

【山域】 夕張山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 芦別岳・あしべつだけ・1726.5m・二等三角点・北海道
【地形図 20万/5万/2.5万】 夕張岳/山部/芦別岳、布部岳
【ガイド】 アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭文社)
【温泉】 ふらぬい温泉 600円 常備品(ヘアーシャンプー、ボディーシャンプー)

【山域】 増毛山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
南暑寒別岳・みなみしょかんべつだけ・1296m・三等三角点・北海道
暑寒別岳・しょかんべつだけ・1491.4m・一等三角点本・北海道
【地形図 20万/5万/2.5万】 留萌/国領/暑寒別岳、国領
【ガイド】 アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭文社)
【温泉】 北竜温泉サンフラワーパークホテル 500円 常備品(ヘアーシャンプー、ボディーシャンプー)

【山域】 表大雪
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
赤岳・あかだけ・2078m・二等三角点・北海道
【地形図 20万/5万/2.5万】 旭川/旭岳、大雪山/白雲岳、層雲峡
【ガイド】 分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭文社)
【温泉】 層雲峡黒岳の湯 600円 常備品(ヘアーシャンプー、ボディーシャンプー)

【山域】 日高山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
アポイ岳・あぽいだけ・810.6m・一等三角点補点・北海道
【地形図 20万/5万/2.5万】 広尾、浦河/えりも、浦河/アポイ岳、様似
【ガイド】 アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)
【温泉】 アポイ山荘 400円 常備品(ヘアーシャンプー、ボディーシャンプー)

【時間記録】
7月30日(金) 23:50 新潟発=(新日本海フェリー)
7月31日(土) 16:40 苫小牧東港着=(R.235、沼ノ端西IC、道央自動車道、札幌、道央自動車道、旭川鷹栖IC 経由)=20:00 旭川 (車中泊)
8月1日(日) 5:30 旭川発=(R.39、上川、R.273、中越、芽刈別林道、古川砂金越林道、古川林道 経由)=7:34 林道終点登山口〜7:50 発―8:50 見晴らし〜8:58 発―10:17 ニセイカウシュッペ山〜10:55 発―11:53 見晴らし―12:33 林道終点登山口=(古川林道、古川砂金越林道、芽刈別林道、中越、R.273、上川、R.39、R.40、比布町遊湯っぷ温泉入浴、R.40、旭川鷹栖IC、道央自動車道、深川IC、雨竜、暑寒ダム、雨竜、R.275、滝川IC、道央自動車道、道央自動車道、岩見沢IC、R.234、栗山、清水沢、R.452、シュウパロ湖 経由)=23:13 夕張岳林道ゲート着  (車中泊)
8月2日(月) 7:00 夕張岳林道ゲート発=(シュウパロ湖、R.452、清水沢、R.452、新夕張、R.274、鹿追 経由)=11:30 扇ヶ原第一展望台〜11:45 発―12:38 西ヌプカウシヌプリ〜12:52 発―13:29 扇ヶ原第一展望台着=13:42 白樺峠発―14:28 東ヌプカウシヌプリ〜14:33 発―15:09 白樺峠着=(鹿追、新徳、R.38、富良野、R.237、上富良野、白金温泉 経由)=19:53 美瑛富士登山口  (車中泊)
8月3日(火) 4:05 美瑛富士登山口発―4:32 林道分岐―4:49 林道終点〜4:55 発―5:23 C点(美瑛富士避難小屋まで4km、登山入口3.8km)―5:45 D点(美瑛富士避難小屋まで3km)〜5:50 発―6:42 F点(美瑛富士避難小屋まで1km)―7:14 美瑛富士避難小屋〜7:21 発―7:27 縦走路分岐―7:56 石垣山―8:25 ベベツ岳―8:38 コル―9:08 西峰―9:23 オプタテシケ山〜10:10 発―10:19 西峰―10:41 コル―10:58 ベベツ岳〜11:03 発―11:33 石垣山―11:49 縦走路分岐―11:55 美瑛富士避難小屋〜12:00 発―12:21 F点(美瑛富士避難小屋まで1km)―13:12 D点(美瑛富士避難小屋まで3km)―13:33 C点(美瑛富士避難小屋まで4km)〜13:40 発―13:59 林道終点―14:13 林道分岐―14:38 美瑛富士登山口着=(白金温泉白樺荘入浴、上富良野、R.237、富良野、R.38、山部 経由)=17:40 山部自然公園太陽の里キャンプ場  (テント泊)
8月4日(水) 4:10 山部自然公園太陽の里キャンプ場発―4:23 旧道入口―4:39 林道終点―5:58 三段の滝下―6:02 下のユーフレ小屋分岐―6:11 上のユーフレ小屋分岐―7:10 夫婦岩分岐―7:46 稜線上〜7:51 発―8:27 北尾根―9:14 キレット下降点〜9:21 発―9:30 コル―10:28 芦別岳〜10:53 発―11:20 雲峰山〜11:27 発―11:59 半面山―12:25 鴬谷〜12:30 発―12:55 見晴台(登山口2.7km)〜13:00 発―13:53 新道登山口=(山部、R.38、富良野、R.237、上富良野、ふらぬい温泉入浴、R.237、富良野、R.38、滝川、R.275、雨竜、暑寒ダム 経由)=20:00 南暑寒荘  (テント泊)
8月5日(木) 3:50 南暑寒荘発―4:02 第一吊橋―4:02 一合目―4:15 白竜の滝展望地―4:19 第二吊橋―4:42 二合目―5:01 三合目(雨竜湿原入口)―5:41 湿原西端〜5:48 発―5:59 展望台―6:05 六合目―6:22 七合目―6:44 八合目―7:10 南暑寒別岳〜7:23 発―7:39 南暑寒別岳基部―7:55 コル―8:12 暑寒別岳2km南暑寒別岳2km点―8:47 暑寒別岳0.9km点(岩場手前)―9:21 暑寒別岳〜9:42 発―10:07 暑寒別岳2km点―10:33 暑寒別岳2km点―10:46 コル―11:03 南暑寒別岳基部―11:27 南暑寒別岳〜11:35 発―11:57 八合目―12:20 七合目―12:35 六合目―12:40 展望台―12:50 湿原西端〜12:55 発―13:36 三合目(雨竜湿原入口)―13:58 二合目―14:13 第二吊橋―14:17 白竜の滝展望地―14:25 一合目―14:29 第一吊橋―14:41 南暑寒荘=(暑寒ダム、雨竜、R.275、北竜、北竜温泉サンフラワーパークホテル、R.233、秩父別IC、深川JCT、道央自動車道、旭川鷹栖IC、R.39、層雲峡、R.273 経由)=9:10 大雪パーキング  (車中泊)
8月6日(金) 5:05 大雪パーキング発=5:40 銀泉台〜6:06 発―6:16 赤岳登山口―6:39 第一花園―6:53 第二花園―7:01 奥の平―7:09 駒草平〜7:14 発―7:29 第三雪渓下―7:50 第四雪渓―8:07 赤岳―8:20 第四雪渓〜8:33 発―8:46 第三雪渓下―9:01 駒草平―9:09 奥の平―9:15 第二花園―9:29 第一花園―9:45 赤岳登山口―9:52 銀泉台=(R.273、層雲峡黒岳の湯入浴、R.273、上士幌、R.241、帯広、R.236、浦河、R.235、様似 経由)=20:10 冬島登山口  (テント泊)
8月7日(土) 5:25 冬島登山口発―5:36 旧道入口―6:18 新道分岐―6:31 五合目休憩小屋〜6:34 発―6:58 馬ノ背〜7:03 発―7:10 幌満お花畑分岐―7:33 アポイ岳〜7:41 発―8:10 幌満お花畑分岐―8:21 馬ノ背―8:39 五合目休憩小屋―8:48 新道分岐―9:23 旧道入口―9:37 冬島登山口=(アポイ山荘入浴、様似、R.235 経由)=16:30 苫小牧東港〜20:15 発=(新日本海フェリー)
8月8日(日) 15:30 新潟着
全走向距離 1749km

 北海道の屋根とも呼ばれる広大な大雪山系は、表大雪、北大雪、東大雪、十勝連峰に細分できる。ニセイカウシュッペ山は、北大雪を代表する山であり、表大雪への登山口である層雲峡の北側にたたずむ山である。
 東大雪の南端の、十勝平野との境近くには、火山湖の然別湖がある。西ヌプカウシヌプリと東ヌプカウシヌプリは、然別湖をとりまく1000m級の山々の内の二座である。
  オプタテシケ山は、十勝連峰の北東端の山である。大雪・十勝縦走路の次の著名なピークはトムラウシ山になるが、この間はめだったピークは無く、ヒグマのテリトリーとなっている。オプタテシケ山は、鋭い三角錐の山頂を持ち、目立つ山容を持っている。
 夕張山地は、石狩平野の東部と富良野の間に広がる山地である。芦別岳は、夕張山地の最高峰であり、槍ヶ岳を思わせる鋭い山頂を持った山である。この山の一般ルートとしては、沢沿いの旧道と尾根通しの新道という二つのコースがあり、周遊することによって変化に富んだ山歩きを楽しむことができる。
 増毛山地は、石狩平野の北部に日本海に迫り出した山地で、冬の季節風による豪雪地帯となっている。署寒別岳は、その最高峰であり、南の南署寒別岳に連なっている。南署寒別岳の麓には、尾瀬ヶ原に似た広大な雨竜沼湿原があり、署寒別岳と南署寒別岳は、湿原の背景としてアクセントを付けている。
 赤岳は、表大雪の東南部に位置する山である。表大雪の主要な登山口の銀泉台から歩き出して到着する初めてのピークである。日帰り登山に適当な歩行時間と周辺には高山植物が多いことから、人気の高いピークいなっている。
 アポイ岳は、日高山脈の南端から僅かに西に外れた位置にある山である。全山がカンラン岩でできているため、811mという標高にもかかわらず、多数の高山植物が見られ、特別天然記念物に指定されている。

 北海道への山旅もこれが三度目となった。前二回は、日本百名山巡りが目的であったが、今回はその束縛からも開放された。一応日本300名山を中心とした計画を立てたものの、一週間のまとまった休みで、たっぷりと北海道の山にひたることが目的であった。これまでの経験を生かして、北海道旅行の計画は、3ヶ前にフェリーの予約から始めた。しかし、今年から、新潟―苫小牧航路が新設されるということで、運行の日程も発表されず、予約の受け付けも1月程前に食い込んでしまった。結局、山の計画もおおまかなままに、現地で考えることにした。実際には、今年の北海道の天候は安定せず、計画を臨機応変に変更する必要があったので、それで良かったのだが。
 今回の北海道の山旅のもうひとつの楽しみは、山のメーリングリストの北海道のメンバーに会うことであった。こちらの予定に合わせてもらって、到着翌日の日曜日にニセイカウシュッペ山で北海道オフミを開いてもらうことになった。北海道のメンバーとして、上井さん、坂口さんに熊井さん。丁度北海道をバイクツーリング中の仙台の星さんも加わることになった。
 金曜日の晩は、抜けることのできない宴会があり、慌ただしい出発になった。港に到着すると、ほどなく乗船が始まった。ビール片手に甲板に出て、遠ざかる新潟の町明かりを眺めながら、以前の山行を思い出し、今回の山旅にに思いをはせながらの旅立ちになった。秋田に早朝寄港したのは、そのまま寝ていたので知らず。一旦目を覚ましたものの、いつになく揺れが大きく、船酔いを起こしてもつまらないので、ベッドに戻ってもうひと眠りした。北海道の天気予報を見ていると、ここのところ悪い天気が続いているようであったが、近づいてきた北海道の大地も厚い雲で覆われていた。
 フェリーは、予定よりも1時間早く苫小牧に到着した。苫小牧といっても、新日本海フェリーの到着は郊外の東港で、周辺にはなにも無い中にフェリーターミナルがポツンと置かれていた。まずは、コンビニを捜しに、苫小牧の中心に向かって車を走らせる必要があった。道央自動車道で、札幌をかすめて旭川に向かった。旭川のインター出口で、坂口さんとの待ち合わせの約束をしてあったが、無事に出合うことができた。お互い初対面であるが、山行報告を通じて初対面という感じはしなかった。坂口さんの先導で、まずは旭川市内の郷土博物館の駐車場へ。そこに車を置いて、近くの焼き肉屋へ向かった。まずはビールで、初対面の挨拶と、坂口さんの北海道百名山単独行の終了となる日高の1839峰の登頂を祝っての乾杯をした。ここのところ北海道は悪天候が続いており、坂口さんは、今日は山をお休みして、ニセイカウシュッペ山の林道の偵察と、この店を探しておいてくれたとのことであった。山の話に、ついビールのジョッキを何杯もあけてしまい、車に戻るのも遭難一歩手前になっていた。
 翌朝、旭川の高速出口で上井さんと熊井さんと合流した。ニセイカウシュッペ山の登山口としては、R.39沿いの清川からのコースが一般ガイドには紹介されているが、現在このコースは入口の橋が落ちており、林道に車を乗り入れることができないようである。新しい登山コースとして、R.278沿いの中越から林道に入るコースが整備されている。今回は、このコースの経験者の上井さんの先導で、新しいコースを辿ることになった。R.39とR.278の交差点近くで星さんを待つと、約束の時間少し前に到着して、参加者が全員集まった。
 R.278沿いの中越橋手前にニセイカウシュッペ山登山口の標識があり、芽刈別林道に入った。この林道は、未舗装であるものの、一般車でも走向には支障の無い状態であったが、先で林道の状態が悪くなるとのことで、少し入った所で坂口さんのオフロード車に同乗させてもらうことになった。芽刈別林道から古川砂金越林道、さらに古川林道へと、複雑なコースではあったが、各林道の入口には標識があるので迷う心配は無かった。古川林道の入口には登山口まで6.4kmとあった。古川林道は、途中までは、普通車でも問題の無い路面状態であったが、残り2kmくらいの地点から急に悪路に変わった。普通乗用車なら、残りの距離を見て、早めに歩きだした方が良さそうであった。ここのところ雨が続いていたので、特に路面も悪くなっていたのかもしれない。幸い、坂口さんのオフロード車と運転技術に助けられて、登山口まで車を乗り入れることができた。登山口は広場になっており、先行の車も三台停められていた。登山道入口には、ドアがとれかかっていた小さな休憩小屋と登山ポストも置かれていた。
 登山道は、ほぼ水平な林道歩きで始まった。登山口の広場からは、谷越しにニセイカウシュッペ山の山頂に続く尾根が見えていたが、この谷を大きく巻く必要があるようであった。展望の無い歩きが続き、いつしか林道も、歩くだけの幅の登山道に変わっていた。天気は曇り空であったが、途中で雨がパラついたが、直に止んでしまった。周囲の林の丈も低くなり、かなり距離も進んだなと思う頃、露岩帯に出て周囲の展望が広がった。前方には、大槍がそそり立ち、左手前方には、ニセイカウシュッペ山の山頂が姿を現した。南には、表大雪の山々が姿を現していたが、山頂部は厚い雲で覆われていた。どうたら、ニセイカウシュッペ山の標高が、雲の限界にあたるようで、うまい山を選んだようである。歩くうちに大槍から南に延びる尾根上にある小槍も目に入ってくるようになった。なかなかアルペン的な展望を楽しむことのできる山である。トラバース道を進んでいくと、北海道の山のガイドブックを多く著している梅沢氏の一行三名と出合った。
 強風が吹き抜けるようになり、梅沢氏一行と立ち話をしている間に、ザックカバーが吹き飛ばされてしまった。幸い、少し先のお花畑の上に舞い降りてくれたので、ストックを延ばして回収することができた。登山道の周囲には、チシマノキンバイソウ、アオノツガザクラ、エゾノツガザクラ、エゾコザクラ、ハクサンフウロ、エゾウサギギクなどのお花畑が広がるようになった。大槍の基部をトラバースすると、山頂手前のコルにでた。強風で足元がふらつく状態であった。ハイマツ帯の急な登りが始まったが、それ程長くはなく、ニセイカウシュッペ山の山頂に到着した。
 強風のために、記念写真を撮るなり、早々に風当たりの弱いハイマツの茂みの中に入ってザックを下ろした。山頂でのひと休みに入ろうとしたが、気にかかるのは、踏み跡がその先の高みに続いていることであった。どうやら、ニセイカウシュッペ山の最高点は、三角点の位置ではないようであった。東に折り返すように進むと、高みの上に出た。三角点の場所よりも、ここの方が、東方面の眺めが優れていた。ニセイカウシュッペ山へは、東の平山から尾根伝いのコースもあるという。坂口さんは、このコースを歩いたというが、中間部の無名の岩峰の通過が難しかったという。目の前にそのコースを眺めながら話を聞くのは興味深かった。登ってきたコースも眼下に見下ろすことができ、大槍と雪渓がアクセントを付けていた。これで表大雪の山々が見えればと思うが、それは望みすぎというものであろう。
 山頂での大休止では、山の話で盛り上がったが、風は冷たく、次第に寒くなってしまい、下山にうつることにした。下山もそう難しい歩きでは無かった。途中で、20名程の団体ともすれ違い、人気のある山であることを知った。登山口に戻って着替えをしていると、グループが下りてきて、林道のことを盛んに尋ねてきた。どうやら、一般には中越コースは知られておらず、清川からの長い歩きでたどり着いた登山口には車が停まっていてガッカリということのようであった。山頂では風のために暖めることができなかった、坂口さん提供の函館名物「いかまんま」を食べ終わると、激しい雨が降ってきた。林道を下る途中、団体を乗せてきた観光バスが路肩に停まっているのを見て驚いた。
 車に戻り、夕方会合がある坂口さんと別れ、比布町のスキー場にある遊湯っぷ温泉で汗を流した。ここで、一同解散し、それぞれの道に向かった。
 ニセイカウシュッペ山は、上井さんや坂口さんのおかげで、順調に登らせてもらった。しかし、一人になったこれから先は、迷走の山旅の開始になった。翌日の予定は、暑寒別岳であった。かなり体力がいる山ということで、早目に登ってしまおうという作戦であった。旭川に戻って高速を経由して雨竜町から暑寒ダムに向かった。ところが、7月31日から8月2日の間は、道路工事のためにダムから先は通行止め、という掲示があった。未練がましく、暑寒ダムまで行ったものの、ダムサイドでごついゲートが下ろされて通行止めになっていた。また、8月16日から来年まで、吊橋の工事のために登山道は閉鎖ともあった。この様子では、今年登ることのできる日はごく限られているようである。道路地図を見ても、ダムから先の林道はとても歩ける距離ではなく、他の山を考えることにした。
 天気が少し悪くてもなんとかなりそうかなと思って、夕張岳に変更することにした。再び高速へ乗ったが、ワイパー最強でも前の見えない豪雨になった。ラジオでニュースを聞いても、北海道の地方名が良く判らず、雨の範囲を理解することは困難であった。どうやら、今いるあたりから道南にかけてが雨の範囲のようであった。それでも、夕張が近くなると雨は一旦止んだ。
 シュウパロ湖から夕張岳へ通じる林道は、しばらくは舗装道路が続いた。未舗装の林道に変わると、ゲートがあり、閉ざされていた。しかし、車を下りてゲートを確かめると、鍵はかかっておらず開けることができた。雨も再び降り始め、夜間に林道の奥に入り込むのもいやなため、ゲート付近で朝を待つことにした。夜中から、雷もとどろく豪雨になった。朝になると、雨は続き、道路は冠水状態になっていた。登山は別にしても、林道の走行が恐い状態になっていた。とりあえず、シュウパロ湖に戻って様子をみた。ニュースでは、道南は大雨のために各地で道路が不通状態になっているようであった。雨は昼過ぎには止みそうであった。しかしそれでは、夕張岳は無理ということで、他の山を考える必要があった。山旅後半なら、休養日にすることもできようが、いかんせん二日目。小さな山でも登っておきたかった。ガイドブックをめくっていくと、東大雪の然別湖近くの東・西ヌプカウシヌプリが、短時間で登ることができるようであった。
 さっそく、進路は東へ。日高町から日勝峠越え、東に向かうに連れて天候は回復してきて、鹿追に到着すると東・西ヌプカウシヌプリの山頂ものぞめるようになった。小雨が時折パラつくものの、登山は可能な状態になった。
 天気が悪いならば、北海道百名山に取りあげられている東ヌプカウシヌプリだけでもと思ったが、天気が回復したことで欲が出て、西ヌプカウシヌプリにも登ることにした。然別湖への県道を上がっていくと、扇ヶ原の第一展望台があり、路肩駐車帯の左手に西ヌプカウシヌプリ登山口の標識が置かれていた。歩きだそうとした時に雨が降りだし、雨具を着ての出発になった。西ヌプカウシヌプリの登山道は、ササで覆われており、かきわけていくうちに、たちまち昨夜来の雨の滴にずぶぬれになってしまった。登山道の所々には古いビニールテープが巻かれているものの、円錐系の山のためにコースに変化がとぼしく、帰りに道を見失う可能性があった。いつもの登山装備の赤布を持っていたので、テープをつけながら登ることにした。まさか北海道まできてヤブコギをするとは思わなかった。磁石も取り出したものの、130000分の1縮尺のハイキング地図が頼りとあっては、あまり役には立たない。急登を続け、針葉樹帯から笹原に出ると、細尾根に乗った。潅木帯の中の道を、緩やかに登っていくと、園地といった感じの広い草原が広がる山頂に到着した。ガスが流れて見晴らしが効かないため、下降点にストックをさして先に進んだ。草原の中に細い踏み跡が続いているだけで、山頂標識は見あたらなかった。踏み跡は下りに転じて、その先の林の中に続いていた。地図を見ると、西ヌプカウシヌプリは二つのピークを持ち、ハイキング地図の赤線は、南西の手前のピークで終わっている。この踏み跡は、北東のピークに続いているのだろうか。視界の閉ざされている中とあっては、先に進むのは諦めることにした。ここが地図に書かれている西ヌプカウシヌプリの山頂には間違いは無いはずであった。
 山頂の広場で、方向を見失わないように気をつけながら下降点に戻った。テープを回収しながら踏み跡を辿ったが、雨上がりの笹原は滑りやすく、時々尻餅をつきながらの下山になった。
 濡れた衣類のままで、車を少し先の白樺峠に進め、今度は東ヌプカウシヌプリを目指すことにした。幸い雨は止んで薄日もさす状態になった。標識に従って山に向かうと、沢状の窪地の中の登りになり、それを突破すると、針葉樹帯の急斜面の登り。稜線が近づいてようやくひと息ついた。小さな山といっても、二山目となると、それなりに草臥れてくる。稜線上にのると、あとはダケカンバの尾根道を辿っていくと山頂に到着した。展望も良さそうな山頂であったが、視界が開けるところまでは至っていなかった。ガスの流れる山頂広場に腰をおろしてひと休みした。予定とは違ったが、とにかく山登りができたことに満足した。いずれにせよ、先回のニペソス山登山の際に通りがかって気に掛かっていた山であった。
 車に戻って、翌日のオプタテシケ山の登山口の白金温泉をめざすことにした。西に向かうにつれて再び天気は悪くなってきた。十勝岳を登った際に訪れたことのある白金温泉の先のオプタテシケ山への登山口を確認したものの、雨が降り始めていた。近くの野鳥の森の駐車場で野宿態勢に入った。車の中でビールを飲みながら、窓ガラスをうつ雨を見ていると、気分は落ち込み、予定を変更して家に帰ろうかんという気分になってきた。オプタテシケ山の往復は、一般的には、美瑛富士避難小屋泊まりの1泊2日コース。これを日帰りで歩く予定であった。さらに稜線歩きが長いので、悪天候の場合には無理は禁物であった。以前の十勝岳登山の際に、悪天候時の厳しさは思い知らされている。ともかくできることは、朝を待つことしか無かった。
 夜中に目を覚ますと、車の窓ガラス越しに見上げる夜空に光る物があった。目をこらすと、雲の切れ間から見え隠れする星であった。希望の明かりがともった。
 未明の空から雲は消えていた。思わぬ快晴の一日になりそうであった。気合いをいれて、歩き出す準備をした。持っていたガイドブックのうち、一番新しい分県登山ガイドによれば、美瑛営林署に尋ねればゲートのカギの番号を教えてくれるようであったが、聞くのを忘れていた。もっとも、2km程の距離なので、少し早く歩き出せばそれで良いはずであった。歩き出すと、ゲートの先には、立派な舗装道路が続いていた。山に向かって真っ直ぐに上っていく道で、たちまち汗が吹き出てきた。道なりに登っていくと、舗装道路から左手に未舗装の林道が分かれる角に、登山ポストが置かれていた。駐車場まで100mとあったが、その先は道が荒れていて車の乗り入れは無理な状態であった。つづら折りを数回繰り返すと、林道の終点に到着した。未舗装の林道歩きに15分程かかっており、あの駐車場まで100mという標識は、何であったのだろうか。分岐をそのまま先に進んだ先に駐車場があったのだろうか。
 ここから登山道が始まった。足場の悪い斜面をひと登りすると、植林地帯の尾根道に出た。ここからは緩やかな登りが始まった。美瑛富士避難小屋まで4km、登山入口3.8kmと書かれた番号Cの標識を過ぎると、前方の高みに美瑛富士をのぞむことができ、左手に向かってのトラバース気味の登りが始まった。次のDの標識は、避難小屋まで3kmとあった。1km毎に置かれているようであったが、次に現れたのは避難小屋まで1kmのFの標識であった。Eの標識はどうなったのかと思ったが、その中間に天然庭園という標識があったので、ここがその地点であったのかもしれない。もっとも、天然庭園とは、登山道上に岩がごろごろ露出して歩きづらく、その風情を楽しめるような所ではなかったが。
 美瑛富士の左の肩が近づいてくると、小規模ではあるが、お花畑も現れるようになった。お花畑には、エゾノツガザクラやアオノツガザクラがめだった。いくつかの沢型を渡ったが、連日の雨で水が流れていた。この沢には、帰りにさんざん悩まされることになった。水無沢の源頭を越すと、登山道が沢状になって水が流れるようになった。溝の脇を登っていくと、傾斜も緩んで美瑛富士の下の草原に建つ美瑛富士避難小屋に到着した。小屋は、新築の木製のプレハブ小屋であった。周辺には、テントサイトが広がり、登山道を水が流れていた。小屋泊まりであったならば、避難小屋より上のお花畑付近からなら水を汲むことができそうであった。
 ひと休みして、先に進むことにした。真っ直ぐハイマツの中の道を登っていくと、縦走路とのT字路に出た。ここは左に。小屋からは、お花畑の中を通って、石垣山の基部に取り付くものもあり、わずか先でこの道と合流した。避難小屋は稜線通しの縦走路からは一段下がっているので、視界の効かない時には、分岐を見落とさないようにする必要がありそうであった。石垣山へは、ガレ場の辛い登りになった。背後に、美瑛富士と美瑛岳が大きく広がるのが慰めであった。石垣山の山頂へは、縦走路から踏み跡を伝ってひと登りする必要があった。避難小屋を足元に小さく見下ろすことができた。進む方向を眺めると、一旦下った後に、ベベツ岳に向かって砂礫地に登山道が長く続いているのが見えた。その先に円錐系の山頂が見えた。どうやらそれがオプタテシケ山の山頂のようであった。目標の山が見えたことに、元気も少し取り戻すことができた。
 ベベツ岳へ登り返すと、エゾウサギギクに飾られた気持ちの良い稜線歩きになった。次第にオプタテシケ山の全容が現れてきた。台座のような肩の上にボリューム感のある円錐型の山頂がのっていた。非凡な形をしていた。遠くに見えるのは表大雪の山々のようであった。展望に気をとられながら歩いていくと、雨で湿った登山道に新しい動物の足跡があった。通り過ぎてから気が付いて良く見ると、これはヒグマの足跡のようであった。ツキノワグマの足跡は、新潟周辺でも良くお目にかかっているが、これだけはっきりしたヒグマの足跡は初めてであった。しっかり写真を撮った。ザックにカウベルと腰鈴を付けていたが、体を揺らして良く鳴るようにしながら歩くことにした。
 ベベツ岳の北の端からオプタテシケ山の山頂へ至る道を眺めた。覚悟していたことではあるが、大きく下って大きく登っている。ただ今までの経験だと、このように鞍部越しに見る山頂は、実際に歩いてみれば、心配していた程のことは無いのが普通である。覚悟を決めて、ガレ場の急坂を一気に下った。鞍部からは、大きな電光型を描く登りが始まった。一旦肩に登ってから、最後の急登に、山頂はあと少しと言い聞かせながら足を前に出し続けた。
 オプタテシケ山の山頂は、腰を下ろすには充分な広さはあるが、稜線が前後に続き、左右は切り立った崖であった。快晴の元、見事な展望が広がっていた。大雪山の方向に縦走路が続き、その向こうにはトムラウシ山、そのかなたには表大雪の山々が広がっていた。雲が湧いては稜線を越していった。トムラウシ山の山頂だけが雲に覆われているのが残念であった。トムラウシ山までの稜線には、目立ったピークがないだけに、人も入り込みそうもなく、歩くのは難しそうであった。振り返ると、美瑛富士は低く、美瑛岳の陰から十勝岳が顔をのぞかせていた。左に離れて、きれいな円錐型をしているのは、下ホロカメットク山であろうか。低いながら気になる山である。トムラウシ山の山頂の雲が消えることを待って、長い休みになってしまった。
 帰りも長い道が待っていることから、重い腰を上げることにした。再びこの山頂を踏むのは、トムラウシからの縦走の途中ということになるだろうか。帰りの難所は、ベベツ岳への登り返しになった。鞍部からは、オプタテシケ山よりも標高差は少ないはずではあったが、長く感じる登りであった。
 昼になって気温も上がってきてしまった。昨日の雨模様の天候に油断して、水は2リットルとジュースひとパックしか持ってきていなかった。あわよくば美瑛富士もと思っていたが、これは省略して下山することにした。いずれ美瑛岳を登る必要があり、美瑛富士にはその時に登ればよい。水は、少し節約すれば、登山口までで丁度という勘定であった。
 日向では太陽に照らされて、木立の中では風が入らずに蒸れた状態になり、辛い歩きになった。足元には、豊富に流れる水が、余計に喉の乾きを増していた。北海道の山ではエキノコックスが恐くて生水を避けることにしていたが、その決心もぐらつきかけていた。沢の水を疑問も抱かずに飲んでいる新潟の山が恋しくなった。この猛暑の中を、小屋泊まりや縦走の大荷物を背負った登山者が登ってきていた。皆疲れた顔をしていたが、私にはこの暑さの中での登りはごめんである。登りよりも長く感じられた下りであった。
 林道に出て下っていくと、キャタピラの跡が現れた。整地のためにブルが入ったようであるが、中途半端に地面を掘り返して、隠れていた岩が立った状態になっており、オフロード車でも通過は無理な状態になっていた。車道歩きの最後の直線区間に入ったところで、残った水筒の水を一気に飲み干した。下山後、近くの温泉に直行して汗を流した。風呂上がりに、下山の途中から頭の中にそれだけが浮かんで消えなくなっていたビールを買って、一気に飲み干した。山になぜ登るのか。下山後のビールが旨いから。しばらく行動不能になったが、幸い翌日の芦別岳は遠くはなかった。
 富良野に近づくにつれて、前方にすぐそれと判る鋭く天を突く芦別岳の山頂が見えてきた。もっとも、登山口の山部に近づくにつれてその姿は横に広がり、険しくはあるが、どこにでもあるような形に変わってきた。山部の町のコンビニで食料とビールを買い込み、登山口の山部自然公園太陽の里キャンプ場に向かった。山部自然公園太陽の里には、芝生が敷き詰められた整備されたキャンプ場が儲けられていた。新道の登山口は、キャンプ場の南端の駐車場のすぐ近くであった。ここに車を置いて、キャンプ場をのぞくと、それ程混み合ってもおらず無料であったので、テントを張ることにした。日が暮れるにつれて、芦別岳と夫婦岩の岩峰がシルエッットとなっていった。下山後判ったことだが、芦別岳の山頂と思ったのは、どうやら前山の半面山あたりで、そのために山の高さを甘く見ていたようである。キャンプ場の夜は、子供が騒いだり、花火をしたりで、キャンパーのためのキャンプ場よりも登山口脇のただの空き地の方が快適であるということが判った。もっとも、睡魔には勝てず、すぐに眠りについてはしまったが。
 前日のオプタテシケ山の暑さに懲りて、水は3リットル持ち、早朝発ということにした。テントは張ったままにして、下山後に撤収することにした。ラベンダー園を抜けて旧道に向かうと、林道の入口に登山ポストが置かれていた。記入を終えると、早足の単独行が追いついてきた。ノートを渡すと、こちらの名前を呼ばれた。確かにノートには、そう書いたのだけれど。続けての自己紹介を聞くと、登山メーリングリストの小町さんであった。北海道の山に行くことは聞いていたが、まさか会うことが出来るとは思いもよらなかった。奥様と二人での旅行中で、昼には下山する約束とのことであった。ニペソス岳に石狩岳を登ってきたというが、沢の渡渉に苦労したとのことであった。歩くスピードがかなり違うようなので、林道終点まで一緒に歩いたところで先に行ってもらうことにした。
 登山道には夏草がかぶさり気味で、いきなり不安がわいてきた。沢沿いの道は、所々崩壊気味の所もあり、足運びに油断はならなかった。今は通行禁止という近道と分かれる高卷き道は、このまま稜線まで上がってしまうかと思うくらいの急な登りで、残念なことに再び沢まで下ってしまった。ロープも張られた危険個所もあったが、最近崩壊したようなもっと危なっかしい個所も出てきた。沢の上流に向かっていくと、小町さんに追いついてしまった。話を聞くと、登山道が沢の中に消えているという。沢のカーブ地点で、水流が左岸にぶつかっている所であった。周囲を見渡すと、沢に入って岩を抱きながらへつるしかないようであった。裸足になったものの、水の冷たさに、厚い靴下は履いたままで水に入ることにした。水の深さは膝上くらいで、水圧もそれ程ではなかった。もっとも、水に入ったとたんに、掴んだ岩が崩れてバランスを崩し、腰まで水に濡れるはめになったが。3m程で岩を回りこむことができた。幸い、水の中に入るのはここだけであった。
 難所を通過したところで、小町さんには、再び先行してもらうことにした。沢岸の中で登山道は草むらに隠されている所もあり、コース標識のテープを注意深く辿る必要があった。コースタイムは、すでにオーバーしているようであった。右手から不動ノ滝が落ちてくる下に出た。そこの枝沢の通過は、倒れたトドマツの大木が橋の代わりになっていた。恐る恐る大木を渡った。その先で、本流は三段の滝になっていた。右手の尾根にとりついてひと登りすると、ユーフレ小屋との分岐に出た。小屋への道は、少し登ったところにもう一本あり、登りと下りの時の近道用に使いわけられているようであった。沢沿いの道からも解放されてやれやれと思ったが、右手から不動沢が近づいてきて、沢の右岸通しの道になった。さすがに水量は減ってきたが、沢の中の踏み石伝いに通過する所や、ザレ場の崩壊地の通過もあり、あいかわらずの難路が続いた。進んでいくと、右手に槙柏山、左手に夫婦岩の岩峰を見上げるカール状に広がった谷間に入った。登山道脇の沢の水がいつまでもなくならないのも納得がいった。夫婦岩への踏み跡を分けると、ようやく前方の稜線に向かっての登りになった。
 稜線上に登り着いてひと息いれた。谷越しに夫婦岩が大きくそびえていた。ここから稜線歩きと思ったが、芦別岳はまだ見えなかった。稜線は、谷を巻いて大きな弧を描き、夫婦岩右手のピークに向かっている。もうひと登りする必要があった。ほぼ水平な道を進んでいくと、右手から崩壊地が広がってきて、尾根通しの登山道が削り取られていた。ここが、第二の難所になった。崩壊地のトラバースは無理そうであった。頂稜部は狭い灌木帯になっていた。ここを突破することにして、木の枝に乗りながら4m程進むと、再び登山道の上に戻ることができた。前後の登山道の上に小町さんの足跡が無いことが不思議であった。後ですれ違った登山者と話をすると、小町さんは、沢に向かって下降して登り返したようであった。速やかに登山道の整備の手が入らないと、登山道崩壊により通行止めの状態になる恐れがある。
 この先は北尾根上の樹木に覆われたピークめざしての、急な登りが続いた。見上げていた夫婦岩が眼下になる頃、ようやくその頂上に達した。ピークの北の縁に出ると、展望が開けてようやく芦別岳の眺めが飛び込んできた。すばらしい眺めであった。芦別岳の山頂は、槍ヶ岳をこぶりにしたように鋭く尖り、残雪の残る谷に向かって急激に落ち込んでいた。その山頂はまだ遠く、そこまでには、まだいくつかのピークを越していく必要があった。ともあれ、ようやく稜線歩きの開始になった。次第に近づいてくる山頂を見ると、周囲は切り立った岩壁になっていた。どこから登るのだろうと心配になってきた。北尾根を進むうちに山頂は形を変えて、横広になってきて、登ることのできそうな感じになってきた。
 北尾根の芦別岳手前は、キレットと呼ばれる大きな落ち込みになり、その先は岩稜歩きが待ちかまえている。手前のピークから見ると、小岩峰を巻きながら登っていくようであった。北アルプスを思わせるような、荒々しい岩場の眺めであった。意を決して、ハイマツのかぶさる急斜面を一気に下り、最後の登り返しに挑んだ。幸い、登山道はうまく小岩峰を巻いており、足下が不安になるようなところは無かった。もうすぐ登り切ろうとするところで、旧道を下ろうとする二人連れと出合った。言葉を交わすと、先行の小町さんとも出合って情報を交換していたようである。急登を終えると、お花畑が広がり、その向こうには槍の穂先が頭をのぞかせていた。気持ちの良い草原であったが、そのまま山頂をめざすことにした。基部からは、三点支持をきちんと心掛けなければならない岩場の登りになった。北アルプスあたりだとルートにはペンキマークが付けられているところであるが、自分でコースを判断する必要があった。切り立った壁を3m程登ると、左に斜上する岩棚となって、登っていくと踏み跡が明瞭になった。頂上の右手に登り着いて、左に岩場を進むと芦別岳の頂上に到着した。
 頂上には、初老の単独行が休んでいた。ザックを下ろして、景色を眺めれば、360度の大展望が広がっていた。夫婦岩からの長い縦走路を振り返ることができた。山頂の西側は広い台地になっており、南には夕張岳が広がっていた。東斜面には、新道が長く続き、登って来る登山者を見下ろすことができた。富良野の平野の向こうに十勝連峰から大雪の山々が連なっていた。単独行が、西側台地の奥にヒグマが動いていたと教えてくれた。
 下山は、新道に向かった。山頂部の岩場からハイマツに覆われた登山道に進むと、お花畑の中のジグザグの下りになり、傾斜が緩やかになった先のピークに登り返すと、雲峰山であった。何人かの登山者が休んでおり、疲れてしまって、ここから引き返すと話していた。振り返る芦別岳は、すでに登るのは容易でない高さに変わっていた。芦別岳の山頂の形は、北尾根からの槍状のものとは大きく変わっており、この山は、旧道から新道を周遊してこそ、登ったことになるといえそうであった。笹原の中の気持ちの良い道が続いたが、暑さも厳しくなってきた。半面山からは、長い尾根の下りになった。鴬谷でユーフレ小屋への覚太郎コースを分けてからも、さらに長い下り。見晴台に出てひと安心と思いきや、登山口まで2.7kmとあった。もうひとふんばりする必要があった。新道は、尾根通しで危険な個所は無いものの、この長い登りにはそれなりの覚悟が必要である。小さなピークを乗り越しながら、樹林帯の道をダラダラと下っていくと、ようやく新道の登山口に下山することができた。
 下山の途中から、歩いていて暑いなあと思っていたが、下界はおそらく34度くらいはある猛暑になっていた。次の目的地の署寒別岳に向かう途中の温泉としては、十勝岳付近の温泉しかなさそうであった。十勝岳温泉でもと思って上富良野の町を通過しようとすると、ふらぬい温泉という日帰り温泉施設があったので、ここで汗を流すことにした。
 富良野に戻って、滝川経由で雨竜を目指した。今度は、署寒ダムのゲートは開いていた。ダムの先から未舗装の林道が始まった。思ったよりも広く、驚いたことに二車線の舗装区間が断続的に現れた。すでに暗くなった林道を進んでいくと、山から下りてきた数台の車にすれ違った。夜の7時近くの下山のように思えたが、後でコースタイムを考えると、それも不思議はないようであった。山の中に明かりが近づいてくると、南署寒荘に到着した。広い駐車場が設けれていたが、路肩駐車禁止の看板も立てられており、混雑時には、車があふれるようであった。懐中電灯片手に登山口の偵察に入ると、管理人さんが涼んでおり、明日の早朝発のことを考えて登山届けを書いておくことにした。環境整備費ということで200円を支払った。早朝発のことを考えて車の中で寝ることにしたが、駐車場は傾斜地であったため、結局少し戻ったところの駐車場に車をとめた。結局車の中では暑くて寝ることはできず、コンクリートの上にテントを張った。
 署寒別岳の往復は時間がかかることと、昼間は猛暑になったことから、未明の出発を目標にした。もっとも、北海道の朝は早く、4時前には懐中電灯は無しで歩き出すことができた。車道歩きをしばらく続け、立派なつり橋を渡ると、登山道が始まった。雨竜沼湿原までは、観光客の歩くような遊歩道かと思ったが、それなりの汗を絞り出させる登山道であった。合目標識が現れたが、これは南署寒別岳がゴールのものであった。白竜ノ滝展望台を過ぎると、第二吊橋に到着した。仮橋がかけられて、隣では工事中であった。8月16日から来シーズンまで登山道は通行止めになるというので、この吊橋が付け替えられるようである。つづら折りの斜面を登ると、台地の一画に到着し、ペンケペタン川に沿って進んでいくと、雨竜沼湿原に到着した。
 湿原には朝日がさしこむところで、朝靄が横にたなびいていた。広大な湿原であった。北海道の尾瀬とガイドブックに書かれていたが、その意味を理解できた。長く木道が延びていく先には南署寒別岳がなだらかな山容を見せ、その右奥には署寒別岳が並んでいた。尾瀬ヶ原と至仏山の組合せにも似た眺めであった。朝の光の中に、広大な湿原を独り占めすることができた。木道の脇には、池塘が点在し、その中にはヒツジグサの白い花やオゼコウホネの黄色い花が浮かんでいた。湿原は、タチギボウシの紫の色で染まっていた。ニッコウキスゲの黄色に染まった湿原は見たことはあるが、紫色の湿原は驚きであった。雨竜沼湿原は、花の見頃は終わってシーズノフといったところのようであったが、素晴らしいながめであった。木道は途中で二つに分かれて一方通行になり、左手の道に進んだ。広大な湿原は横断するのに、40分もかかってしまった。
 南署寒別岳の登り口付近は、丸太の段々が整備されていたが、土が流されて、歩くことをかえって難しくしていた。ひと登りした所で、左手の笹原の中に展望台が儲けられていた。周辺の笹原も大きく刈り払われてベンチも設けられていたが、このような人工施設は作ってほしくなかった。笹原の中の幅広い刈り払い道が続いた。なだらかな山であるだけに足を早めたが、気温は朝から上がって、汗が吹き出てきた。途中で出合った沢水にタオルを濡らして顔を拭った。
 第一関門の南署寒別岳に到着すると、目の前に署寒別岳の眺めが大きく広がった。登山道が遥か下の草原の中を通って、署寒別岳の山頂に至る尾根に続くのを眺めることができた。この眺めを見ては、先に進む闘志を燃やすしかない。南署寒別岳の山頂から潅木帯の中を一気に下ると、笹原の台地に出て、その先でもうひと下りすると最低鞍部に到着した。鞍部手前には沢水もあり、周辺はお花畑になっていた。その先は、緩急の繰り返しのある尾根の登りになった。低潅木帯の中の道で、周囲の展望も良かった。とりわけ気になるのは、台地状の原野の向こうに広がる群別岳であった。かつては、この縦走路から群別岳への道があったというが、現在では消滅しているようである。展望が良いだけに、日陰がないのが辛くなった。ザックを下ろしてひと休みすると、寄ってきたアブに背中を刺されて、腰を上げることになった。登山道にヒグマの黒い糞が落ちていた。まだ新しく、今朝にかけてのもののようであった。稜線の下に広がる原生林は、確かにヒグマのテリトリーといっても不思議はなさそうであった。山頂が迫ってくると、左手が崩壊地となり、ここを通過すると急な登りが始まった。傾斜が緩やかになると山頂の一画に到着し、ハイマツ帯の中を進んでいくとポッコリ盛り上がった山頂に到着した。
 振り返ると、南署寒別岳は遠く、一段低いために目立たないピークになっていた。その陰からは雨竜沼湿原が顔をのぞかせていた。あそこから歩いてきたのだと思うと、長い道のりが実感できた。山頂で汗を拭っていると、幸いというべきか、雲が出てきて陽射しが翳った。
 署寒別岳を下っていくと他の登山者にも出合うようになった。崩壊地脇までの急斜面はあっけないほどにすぐ下ることができたが、その先は長い下りが続いた。南署寒別岳への登り返しは、足どりは重いものの、体力は残してあり、一気に登ることができた。頂上手前で電動草刈り機を持った三人の作業員と出合った。登山道の整備に入っているとのことであった。
 南署寒別岳は、登山者が一人いるだけで、静かな山頂であった。休んでいるうちに、登山道の下で草を刈る音が始まった。ここからの下りは長く感じた。暑さにアブも元気になってまつわりつくので、登山道整備にために刈り取られたササの枝を一握り掴んで、体をはたきながら歩いた。雨竜沼湿原に戻った所で、湿原の眺めを楽しみながら歩いた。湿原めあてのハイカーも入っていたが、その数は多くはなかった。湿原からの下り口で、岩の間から清水が湧き出ているのをみつけ、がまんできずにこの清水を飲んだ。冷たく美味しい水であった。三日連続の強行軍で、足にも疲れが出てきて、最後の区間は辛い歩きになった。急いだつもりでも、下山は午後に大きく食い込んでしまっており、下山時にすれ違った登山者の下山の時刻を推測すると日没との競争になりそうであった。下山後の温泉としては、雨竜町近くの道の駅に併設の北竜温泉サンフラワーパークホテルで入浴した。
 署寒別岳からの長い下りの途中で、翌日の山を考えた。当初の予定を消化するなら夕張岳になるところだが、むしろ次回の楽しみで良いような気がしてきた。むしろ気になるのは表大雪の山々で、これが旭岳のみというのは、少々お粗末である。体力にも余裕が無くなってきたので、歩行時間もそれ程かからない赤岳が適当に思えた。再び旭川に戻り、層雲峡を通り越して、銀泉台への林道入口手前のR.273の大きなパーキングで野宿をした。
 前夜の天気予報では、三日続いた快晴も終わり、前線の影響で天気は下り坂という予報が出ていた。朝起きると、雲は多いものの、なんとか雨は降らないでいた。銀泉台に向かう車の中で、ラジオにノイズが多く入るのが気がかりであった。銀泉台までは、未舗装ではあるが、走り易い道が続いた。ただ、距離は長かった。前方の山の斜面に雪渓が見えるようになって、銀泉台に到着した。大きな駐車場が設けられていたが、停まっている車は少なかった。
 歩き出す支度をして登山届けを出しにいくと、ヒュッテの周りには、何匹ものエゾリスが遊んでいた。数人の先行者がおり、白雲岳日帰り往復のようであった。林道を歩き出すと左手に登山道が分かれるが、すぐに林道に戻った。これはカーブ地点のショートカットコースであった。その先で、登山口の標識が現れた。トラバース気味に登っていき、尾根を越すと、第一花園に到着した。時期がはずれたのかここには花はあまり無かった。すぐ下に銀泉台に至る林道が走っているのを見下ろすことができた。だらだら登りが続ていくと第二雪渓の下に出た。雪渓の上を右上に登る必要があったが、ここの傾斜は緩やかで歩くのに問題は無かった。ひと登りすると台地の上に出て、ここが 駒草平であった。咲いているコマクサはあるものの、数はあまり多くなかった。ガスが流れていたが、その間から残雪に彩られた山の斜面が見え隠れした。次に現れた第三雪渓は傾斜もあり、スプーンカットに足をのせて、注意深く登る必要があった。次の第四雪渓は、右手の縁に登山道が続いていた。周辺は、エゾノツガザクラやアオノツガザクラのお花畑になっていた。急坂をを登り終えると、赤岳の一画になったが、雨交じりの強風が吹いてきた。岩陰では、単独行が雨具を着ながら、天気が悪いので赤岳で引き返すと話しかけてきた。できれば小泉岳くらいまではと思っていたが、山頂標識の置かれた赤岳山頂に進むと、強い風が吹き寄せてきた。これでは稜線歩きは無理ということで、あっさりと引き返すことにした。
 のんびり下れば良いということで第四雪渓付近で写真を撮っていると本降りの雨になった。天気が一気に悪くなりそうであった。雨具を身につけて、下山を急ぐことにした。第三雪渓は、軽登山靴のために踵のキックが入らず、危なっかしい足どりで下りることになった。初心者を連れていくなら軽アイゼンを使った方が安全だし、難しい山に登った気分になってその方が良いかもしれない。雨は激しく、雷鳴もとどろくようになった。登山道はあっという間に水の通り道になってしまった。
 銀泉台に到着して雷雨から逃げ切ったと思ってホットしたら、何十人もの団体が山に向かって歩き出していた。ビニールガッパのもののいて、どうみても山を歩き慣れている人達には見えなかった。観光バス二台で運ばれてきた人達のようであった。管理棟に下山届けを出して話を聞くと、駒草平へのハイカー御一行様とのことだった。雨は激しく、着替えも車の中でとなった。乾いた衣類に着替えて、暖かいスープを一杯。このような天候に山に向かうとは、一体どういう人が団体を先導しているのだろうか。前線が通過しているようなので、1時間も様子を見れば小止みになるものを。
 温泉のために層雲峡に戻ることにした。山を下ると、雨は上がった。層雲峡入口の公共駐車場に車を停めて、新しく出来たらしい黒岳の湯に入った。入口には、登山のザックや登山靴の置き場もあり、登山者を対象とした温泉施設であった。温泉の前はプロムナード風に整備されており、その一画のラーメン屋の登山軒で野菜ラーメンを食べた。ボリュームがあり、登山の後の空腹も収まった。
 これで、フェリーで北海道を離れる明日が残されるばかりになった。苫小牧港に近い山ということで、アポイ岳に登ることにした。再びR.273に戻り、帯広から太平洋岸にむけてのドライブが始まった。帯広手前にはサイロが立った牧場が広がっていた。帯広から南は、横目に日高山脈を眺めながらのドライブになったが、大きな山脈であった。太平洋岸の浦河に到着したのは夜になっていた。冬島で登山口の標識を見つけることができるか案じていたが、ライトに照らされた大きな看板が出ていた。舗装道路を山に向かっていくと、大きなキャンプ場が現れた。難民キャンプのように混み合ってテントが張られていた。登山口にも、大きな駐車場が設けられていた。キャンプ場よりも静かな駐車場にテントを張って寝ることにした。
 明るくなって周囲を見渡すと、大駐車場にトイレ、ビジターセンターは良いとして、児童公園にゴーカート乗り場が設けられ、ちょっと開けすぎていてイメージと違っていた。車道を少し歩くと、登山ポストが置かれていた。川を渡った所で、新道と旧道の分岐に出た。旧道に入ると、樹林帯の中のトラバース気味の道が続いた。小さな沢を横断するような所には、休憩所が設けられていた。そうたいした登りは無く四合目付近で新道と合流し、その先で五合目の休憩小屋に出た。目の前にアポイ岳の山頂が姿を現した。左手から稜線が山頂に向かって延びていた。ここから岩まじりの急な登りになった。登り着いた稜線は、馬ノ背と呼ばれるヤセ尾根になった。南には太平洋、北にはピンネシリをのぞみながらの快適な稜線歩きになった。登山道の周囲には、この季節でも多くの花が見られた。山頂が近づいて幌満お花畑への道を分けると、急な登りになった。山頂は、一等三角点とともに石の祠が置かれていたが、木立に囲まれて、周囲の展望はきかなかった。
 幌満お花畑への道は草がかぶり気味だったのと、いま登ってきた登山道脇にも多くの花があったので、ゆっくり眺めながら来た道を戻ることにした。キンロバイ、アポイマンテマ、ネジバナ、タカネヤハズハハコ、ナガボノアカワレモコウ、エゾマツムシソウ、モイワシャジン、エゾタカネセンブリ等、小さな花が多いが、良く見ると多くの花が咲いていた。気温も上がって、馬ノ背あたりの急坂を登る登山者は苦労していた。下山途中でも、何人もの登山者と出会い、登山口近くでは、林間学校の中学生の集団が登り始めるところであった。アポイ岳は、標高800m強といっても登山口は海に近く、思ったよりも高度差もある登りでのある山であった。
 下山を急がなかった理由のひとつには、登山口に温泉があり、入浴受け付けが10時であったこともある。アポイ山荘という名前に反して、新築の立派なホテルであり、きれいな風呂がもうけられていた。ようやく山も終わったという安堵感に満たされながら温泉に入った。後は苫小牧まで走るだけ。海岸沿いの道は、意外に交通量も多く時間がかかった。
 第三回目の北海道の山旅も無事に終えることができた。夕張岳や白雲岳など、心残りの山もできた。これらの山に心を残して、来年もまた北海道を訪れようか。

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