9937

平標山

山伏山

赤石山、鉢山、志賀山


【日時】 7月23日(金)〜25日(日) 各日帰り
【メンバー】 7月23日:医局旅行(吉羽、田村、風間、岡本)
7月24日、25日 単独行
【天候】 7月23日:晴 24日:晴 25日:晴

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 平標山・たいらっぴょうやま・1983.7m・三等三角点・新潟県、群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/四万/三国峠
【ガイド】 わたしの一名山No.1(双葉社)、山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」(昭文社)
【温泉】 湯沢温泉松泉閣花月(泊まり)

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 山伏山・やまぶしやま・903m・無し・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/松之山温泉/松之山温泉
【ガイド】 新潟の里山(新潟日報事業社)
【温泉】 トマトの国中条温泉 300円 常備品(シャンプー、ボディーシャンプー)

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
赤石山・あかいしやま・2108.6m・三等三角点・長野県、群馬県
鉢山・はちやま・2041m・無し・長野県、群馬県
裏志賀山・うらしがやま・2040m・無し・長野県
志賀山・しがやま・2035.5m・三等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/岩菅山
【ガイド】 信州百名山ガイドブック(KCC BOOKS)、山と高原地図「志賀高原・草津」(昭文社)
【温泉】 いいやま湯滝温泉 300円 常備品(ボディーシャンプー)

7月23日(金) 7:50 湯沢発=(R.17、元橋登山口駐車場 経由)=8:28 三角山登山口〜8:34 発―8:49 尾根取り付き―9:11 浅貝ゲレンデ上部―9:30 毛無山(送電線鉄塔)〜9:35 発―10:37 三角山〜10:45 発―10:53 大源太山分岐―11:26 平標山ノ家〜11:36 発―12:13 平標山〜13:03 発―13:28 平標山ノ家〜13:35 発―14:11 平元新道登山口〜14:15 発―14:44 ゲート―15:04 元橋登山口駐車場=(R.17、三角山登山口 経由)=15:45 湯沢温泉
7月24日(土) 13:00 長岡発=(北陸自動車道、柏崎IC、R.252、十日町、R.117、津南 経由)=15:30 山伏山登山口〜15:44 発―16:01 山伏山〜16:16 発―16:25 風穴―16:33 分岐―16:40 山伏山登山口=(R.117、トマトの国中条温泉、R.117、飯山、R.292、蓮池 経由)=19:30 大沼池入口
7月25日(日) 5:41 大沼池入口発―6:05 林間コース分岐―6:13 発哺分岐―6:34 大沼池北端―6:51 大沼池レストハウス―7:24 稜線分岐―7:41 赤石山〜8:04 発―8:16 稜線分岐―9:06 鉢山分岐―9:16 鉢山〜9:20 発―9:27 鉢山分岐―9:35 四十八池―9:55 裏志賀山分岐―10:01 裏志賀山〜10:11 発―10:14 裏志賀山分岐―10:27 志賀山―10:50 志賀山登山道入口―11:03 四十八池―11:32 大沼池レストハウス〜11:45 発―11:59 大沼池北端―12:14 発哺分岐―12:19 林間コース分岐―12:37 大沼池入口=(蓮池、R.292、飯山、いいやま湯滝温泉、R.117、越後川口IC、関越自動車道 経由)=16:20 新潟着

 平標山は、谷川連峰の西端を形作る三国街道にのぞむ山である。山塊を代表する谷川岳が日本有数の岩場を抱いた山であるのに対し、平標山は笹原に覆われた女性的なたおやかな山である。平標山への登山道としては、元橋を起点とする平元新道と松手山を経由するコースからなる周遊コースが代表であり、その他にも三国峠からの縦走コース、土樽からの平標新道(現在通行止め)等があるが、最近整備されたコースとしては三角山登山道が挙げられる。このコースは、浅貝ゲレンデから毛無山を経て大源太山近くの稜線上の三角山に登り詰めるもので、稜線に登り着いた時に一気に開ける展望は、このコースの最大の魅力になっている。

 高田の東に、信濃川(千曲川)の北面に連なる山塊を関田山塊と呼ぶ。この山塊を代表する山は、最高峰の鍋倉山(1209m)や一等三角点の菱ヶ岳(1129m)が挙げられる。山伏山は、菱ヶ岳の東、飯山線沿いのR.117が長野県に入る少し手前に位置する山である。小さいながらピラミッド型をした山であり、山腹にはブナ林が広がり、山伏山森林公園として、新潟県森林浴の森100選に選ばれている。

 志賀高原というと、スキー場によって開発しつくされた感がある。実際に焼額山や横手山を眺めると、スキー場の切り開きが目について、登る気が起きないかもしれない。しかし、一歩足を踏み入れると静かな山歩きを楽しむことができる山が広がっている。赤石山は、長野と群馬の県境線上にある山で、北東に延びる尾根は岩菅山に続き、また東に延びる尾根は県境線と分水嶺を成し、大高山を経て野反湖に続いている。いわば、要の位置にあたる山である。山名の由来は、山頂の赤味を帯びた露岩に由来し、その山頂からは、コバルトブルーの大沼池を見下ろす高度感のある眺めが広がっている。大沼池の南西には、四十八池と呼ばれる高層湿原があり、その北には志賀山と裏志賀山、南には鉢山がそびえて、池塘に影を映している。四十八池巡りとして訪れるハイカーも多い。

 今年の医局旅行は、湯沢温泉になった。二日目は、一人で付近の山に登ろうと思って、地図やら薮コギの準備をして出かけたが、前日になって山登りの希望者が三人現れた。梅雨も明けかかって気温も高くなり、そこそこに高い山でないと、山歩きを楽しむことはできそうになかった。山歩きには全くの素人を連れて、安全に楽しめる山となると、平標山がまず頭に浮かんだ。この山には新しくコースが整備され、「わたしの一名山No.1」にその紹介が載っていたのを思い出した。幸い、車を二台使うことができるので、下山には平元新道を用いれば良い。歩けない者が出たら、大源太山に登って引き返せば良い。ということで、山の装備も怪しげな登山隊を率いての登山になった。
 登山者にとって、温泉旅館の一番良くない点は、朝食の遅いことである。7時15分にやっと朝食の開始となり、出発も遅くなった。これまで登山の時には、温泉旅館には泊まったことが無い。もっとも、懐がいつも寂しいせいもあるが。平標山に登ったのは、登山を始めた91年のことであった。元橋の町営駐車場が建設途中であったが、今はきれいな駐車場になっていた。ここに、一台の車を置いて、浅貝ゲレンデに向かった。苗場スキー場の入口を越して、夏は閑散とした浅貝の町を、ゲレンデを捜しながら進むと、そのまま通り過ぎて引き返しになった。町なみが続いて、ゲレンデさえも目に入り難くなっている。出光石油のガソリンスタンドの左脇に小道があり、その向こうにゲレンデが広がっていた。偵察に入ると、三角山登山道の標識が立っており、ここが平標山への登山口であった。車を、このゲレンデ下部の空き地に停めて、歩き出す支度をした。
 ゲレンデ内を高みに向かって延びる舗装道路の歩き出しになった。車は、この道路をもう少し登ることができるようであった。ゲレンデは、左手に長短二本のリフトが並び、最上部にもう一本右上に向かうリフトが延びていた。上部三分の二のあたりで、右手からスキーの迂回コースが延びてきており、標識に従って、この道に進んだ。このコースが左にカーブする所に木の梯子が掛けられて、尾根の上に向かう登山道が始まっていた。いきなりの急な登りになった。登山道は明瞭なものの、整備されてからあまり歩かれていないのか、草が少し伸び気味であった。2万5000分の1地形図にも、この三角山コースの破線は記されているが、取り付きが違っているので要注意である。ハイキングマップの方が参考になる。登山道の脇には、KWV(慶應大学WV部)によるナンバープレートが付けられていた。他のメンバーの様子を見ながらの登りになった。幸い、それ程ペースダウンをする必要は無かった。気温は高く、たちまち汗だくでの登りになった。左手が開けたと思ったら、ゲレンデの上部に出た。大汗をかいて、まだゲレデ上部とは、少しがっかりしてしまった。
 慰霊碑の脇を通り過ぎ、尾根沿いの登りを続けると、小ピークの上に出た。少し先に送電線の鉄塔の立ったもう一つのピークがあり、ここに毛無山の標識が掛けられていた。毛無山は、先のピークのような気もしたが、この鉄塔下からは素晴らしい展望が広がっていた。笹原に覆われた平標山は高く、そこから稜線が眼前に長く横たわっていた。稜線に向かって枝尾根が上がっていき、登山道が続いているのを目で追うことができた。もうひと汗もふた汗もかく必要はありそうであった。鉄塔まで林道が上がってきていたが、入口付近にはゲートがあるようであった。展望を楽しみながら、ひといき入れた。
 毛無山から一旦僅かに下った後に、再び登りが始まった。気温は上がっており、木立が途切れて日向にでるのが、苦痛になった。時折稜線を渡る風が心地よかった。一旦尾根の傾斜は緩くなるものの、稜線近くになると、急な登りが続いた。登山道の先に青空が見えて、ようやく三角山に到着した。
 三角山は、稜線上の僅かな盛り上がりであったが、周囲には大きな展望が広がっていた。目の前の稜線から少し奥まった所に大源太山がそびえ、長く続く稜線の先には、平標山から仙ノ倉山が大きく広がっていた。振り返ると、三国山への稜線が長く続いていた。苗場山は少しおぼろに、さらに遠い山々は、もやの中に消えていた。谷に向かっては緑の絨毯が続き、ニッコウキスゲの黄色が点々と混じっていた。これが本格的な登山は初めての新人君は、山はいいですねえと繰り返していた。シェフのお勧めの山を喜んでくれたようである。1996年10月10日に三国山から太源太山まで往復し、この稜線の展望の良さが気に入って、機会があったらまた歩いてみたいと思っていたが、また来て良かったと思った。先回は、平標山へ続く稜線を眺めながら、引き返す必要があったが、今回はそのまま進んでいける。
 太源太山への分岐付近では樹林帯の中に入るが、再び周囲の展望を楽しみながらの歩きが続いた。平標山の家までは、稜線伝いに、思ったよりも近い距離であった。小屋の背後の水飲み場で、思いっきり水を飲み干した。冷たく旨い水であった。ここまで登りを続けてきただけに、この水場はありがたかった。稜線歩きの途中から、平標山の山頂に続く登山道が白く光って見えるのが不思議に思っていたが、平標山の家の先は、木の階段の連続になった。過剰整備とも思ってしまうが、とにかく歩幅が合わずに苦しい登りになった。こうなると、山の経験よりも若さの馬力がものをいい、新人君が先頭になった。山頂のように見えているのは、偽ピーク。その先も登りが続いた。一歩ずつ足を進めていれば、そのうちには山頂に到着した。
 山頂は、平日のこともあり、数グループが休んでいるだけであった。仙ノ倉山の稜線を見下ろす眺めの良い所に腰を下ろした。まずは、ビールで乾杯。これまでの暑さも、流した汗も、ビールの味の引き立て役であった。稜線をガスが流れていき、仙ノ倉山は見え隠れしていた。ガスと共に冷気も運ばれてきて、汗もひっこんだ。仙ノ倉山までは、そう遠くはない距離ではあったが、無理はしないことにした。出発の時間が遅すぎた。山頂周辺のニッコウキスゲの群落を期待していたのだが、ほとんど見あたらなかった。すでに散ってしまったのだろうか。
 下りは、平元新道を下ることにして、平標山の家までは来た道を戻ることになった。木の段々のおかげで、走るように下ることができた。といっても、歩幅が合わないので、ドタドタと飛び降りるようになってしまうのだが。平標山の家の分岐から先は、石の転がる歩きにくい道になった。展望も利かない、あまり面白いとはいえない道である。ジグザグの下りを続けていくと、林道に飛び出し、登山道から開放された。しかし、この先は、長い林道歩きが続いた。そろそろ嫌気がさす頃、別荘地に入って、駐車場に戻ることができた。車を回収し、湯沢温泉の宿に戻った。

 土曜日に長岡での仕事が入ったが、昼には解放され、とりあえず低山でもということになった。せっかくなので、家からでは出かけるのに高速代やガソリン代が気になる、長野県境近くの山伏山に登ることにした。越後川口に向かうはずが、いきなり逆送して新潟への車線にのってしまい、柏崎を回ってのドライブになった。山伏山森林公園の入り口の標識は、飯山線沿線のR.117を長野方面に向かう時に気にかかっていた。7月4日にも苗場山から小松原湿原への縦走のために津南への道を走ったが、ひと月たたないうちに、また同じ道を走っていた。山伏山森林公園の標識に従って国道を離れると、信濃川左岸の集落を抜けて、山の上に向かう林道になった。道幅は車のすれ違いに徐行を必要とするくらいの、舗装された道が続いた。ただ、カーブが多く、キャンプ場から下りてくる車もあり、カーブ地点では注意が必要であった。高度をかなり上げた所で、前方にピラミッド型をした山伏山が見え始めた。
 山伏山の麓に広がる薬師湖一帯は、「無印良品キャンプ場」という名前のキャンプ場になっており、釣りやカヌー、キャンプに興じるグループで賑わっていた。管理棟の前にも駐車場があったが、少し先に進んだ山の麓にも駐車スペースがあったので、ここから歩き出すことにした。林道脇に、山伏山登山口の標識があり、広い道が続いていた。夕暮れ近くなっていたが、気温は高く、歩き出すと汗が噴き出してきた。水道施設にぶつかると、道は左に方向を変えて、傾斜も強まった。夏山の低山の辛いことには、蚊がよってきて、たちまち何カ所も刺されてしまい、体を掻きながらの歩きになった。山頂は、高く見え、山腹には岩場も眺められたが、登山道は大きくジグザグを描きながら、一定の勾配で上がり続けた。カラマツ林から、次第にブナが目立つようになると、山頂に到着した。山頂は思ったよりも広い台地になって、木立で覆われていた。石の祠が置かれて、信仰の山であったことが偲ばれた。
 ベンチに腰を下ろして、ひと息入れてガイドブックを読み返した。「新潟の里山」に書かれている地図では、山頂に△マークに中点の三角点標識が書き加えられて、標高も903.0mとなっていた。あいにくと地図を持ってきていなかったが、三角点があるならば、捜してみる必要があるということで、広い山頂を探し回った。ヤブの中ものぞいたが、結局見つからなかった。結局諦めることになったが、家に帰って地図を広げると、山伏山には三角点は記載されていなかった。さらに、地図では、標高は903mとなっていた。この本の作者は、三角点マークを単なる山頂の印として使い、なにを思ったのか、小数点以下をわざわざ.0mとして加えている。ちょっと勉強不足ではないだろうか。深読みをする方が悪いのだろうか。
 下山は、そのまま直進して裏参道に向かった。直に林道の脇に降り立ち、右方向に進むと風穴に出た。石組の窪地の中に階段を下りると、冷気が体を包んだ。試しに階段を上がると、上は猛暑。夏でも4度の冷気を吹き出しているというが、天然のクーラーであった。右方向にトラバース気味に下っていくと、湖の畔に出て、もとの駐車場に戻ることができた。小さいながら、ちょっとした歩きが楽しめる山であった。国道に戻って、長野県境を越してすぐのトマトの国中条温泉で汗を流し、夕時になっても続く暑さの中を志賀高原に向かった。

 冬季オリンピックのための工事がいやで、しばらく志賀高原からは遠ざかっていた。中野市からは、高速並みの高架道路が続き、山に上がり始めると、以前はカーブが連続して慎重な運転が必要であった道も快適なドライブコースに変わっていた。ループ道路が設けられていたりして、過剰整備ともいえる道路に驚いてしまった。最終的に儲けたのは、舞台となったスキー場の持ち主に決まっているのだが。冬季オリンピックのための開発反対の声も、日本選手の活躍の前にすっかり陰が薄くなってしまったことを、自分自身反省する必要がある。
 志賀高原のお池巡りとして、四十八池や大沼池を巡るコースは、人気のハイキングコースのようである。これに赤石山や志賀山を加えようとすると、どこから歩き出すかが問題になる。普通は、前山スキー場の夏山リフトを使って四十八池に入るコースがとられているようであったが、これだと、赤石山へかなりの距離を往復する必要があり、さらに大沼池に立ち寄るのは難しそうであった。地図を眺めると、大沼池登山口から歩き出せば、ひと筆書きで、要所を回ることができそうであった。
 すっかり暗くなった頃、大沼池登山口に到着した。ここには、トイレと大きな駐車場があったが、奥志賀に通じる道路沿いで、夜中も車の往来はありそうであった。登山口の前の旧道を少し進むと、駐車場も設けられた清水公園があり、ここなら、水音以外は夜中も静かでありそうであった。頭上の橋を渡る車の走行音を聞きながらの野宿になった。さすがに高原の夜は、Tシャツに短パンでは涼しかった。
 冷たい清水で顔を洗い、大沼池登山口の駐車場に車を戻した。大沼池へは、林道をそのまま歩くコースと、林間の登山道を行くコースの二つがあった。どちらも時間は変わらないようなので、朝露に濡れるのを嫌って、林道コースを歩くことにした。青空が広がり、暑い一日になりそうであった。林道は、谷を巻きながら奥へと入り込んでいき、意外に歩きでがあった。大沼池の北端に到着すると、鏡のような静まり返ったコバルトブルーの湖面が現れた。湖畔沿いの道を歩いていき、レストハウスの手前から赤石山への登山道に入った。登山道の傾斜は次第にきつくなった。振り返ると、木立の間から、かなり下になった大沼池が湖面をのぞかせていた。県境線になっている縦走路に上がり、左に曲がって赤石山をめざした。ひと登りで、コメツガやシラビソの樹林帯から砂礫地に飛び出すと、目の前に赤味を帯びた岩場がそそりたっていた。右から回り込んで、どうやってこの上に登ろうかと思って眺めると、登山道が続いていく先に、これより高い岩場があるのが目に入った。そちらが山頂と知って、さらに進むことになった。岩の下にはしめなわが掛けられ、石の祠も置かれていた。どうやら、この山頂は信仰の対象になっているようである。
 ザックを置いて、2m程上の岩に上がると、素晴らしい展望が広がっていた。大沼池は、眼下にコバルトブルーの湖面を浮かべていた。稜線が続いていく岩菅山は、目の前に大きく、魚野川源流部の谷の先に見えるのは佐武流山と苗場山であろうか。大高山方面には、幾つかの同じ様な高さの山が連なり、各ピークを見分けることは難しかった。南には横手山が高く大きな山容を見せていたが、アンテナやゲレンデが見えるのが残念であった。立っているとおっかないので、腰を下ろして、展望を楽しんだ。
 赤石山の興味のひとつは、ここから野反湖に抜ける縦走路の状態であった。偵察のために少し進んでみることにした。数m進んだところに岩菅山方面への分岐があり、ここに三角点が置かれていた。土が流されて、手をかけると、倒れそうにがたついていた。この先の登山道は、道は明瞭なものの、草がややかぶり気味の所もあり、足元で刈り払われた笹がボキボキ音を立てた。入口には、野反湖まで10時間かかり、健脚向きのコースなので一般ハイカーは入らないようにという警告文が置かれていた。なんとか歩けるようであった。10時間の歩きはともかく、横手越えをして両登山口に車をセットするとなると、土日を使って山中一泊すれば良いかなと、いろいろ作戦を考えた。
 大沼池の分岐に戻り、忠右衛門新道を南西に向かった。笹薮の中に幅の広い刈り払い道が付けられていた。整備の手が入っているので歩きやすいものの、登山道脇のヤブを見ると、足を踏み入れるのは容易では無い密なヤブであった。小さなピークを越していくと、赤石山は背後に遠くなった。
 登山道の左手に、ガラン谷立ち入り禁止の立て看板を幾つかみると、四十八池への下降点に到着した。鉢山へ寄っていくことにした。鉢山の山頂は、分岐からはそれ程遠くはなかった。木立に覆われて看板とベンチが無ければ、それと判らない山頂であった。それでも2000m ピークとなると、ここのところ低山を中心に歩いている身にとっては貴重である。
 分岐から四十八池への下りは、僅かであり、賑やかな人声が耳に入ってきた。ここまでは、赤石山の近くで一人の登山者に出合っただけであったが、この先は、がらりと変わった賑やかな山になった。夏休みとあって、林間学校の小学生が四十八池の入口で休んでいた。幸い、湿原の木道の上には人はあまりおらず、写真機を首から下げての歩きになった。池塘を浮かべた湿原の向こうには、裏志賀山が美しい姿を見せ、、湿原にはワタスゲが白い綿毛を風になびかせていた。湿原の中央に進んで振り返れば、鉢山が丸い山頂を見せていた。東北の山の湿原を幾つも見てきたが、この湿原もひけをとらない魅力的なものであった。
 大沼池への分岐を見送って裏志賀山への登りにかかった。裏志賀山への登山道は、ガレた所や、ロープのかかったところもあって、決して遊歩道という訳ではないが、驚いたことに山頂近くで林間学校の小学生の集団とすれ違った。引率者の先生が足運びを注意する訳でもなく、小学生達は苦労していた。事故が起きても不思議は無かった。引率の先生自信の登山講習が必要だと思うのだが、そのような話は聞いたことが無い。一般に、登山の経験はというと、学校の遠足でという答えが返ってくることが多く、その意味でも学校登山というものを考え直す必要があると思う。大抵は、苦しかった、山は懲り懲りだという答えが返ってくることがほとんどだと思う。裏志賀山への道に入ると、再び静かな道になった。山頂には石の祠が置かれていたものの、見晴らしは無く、ぬかるんだ道を少し進むと斜面の縁に出て展望が開けた。眼下には、大沼池。その向こうには、赤石山が広がっていた。ここで、展望を楽しみながらひと休憩とした。志賀山へは、複数の小学生の集団や、高齢者の団体とすれ違うはめになった。もっとも、これだけ多くなってくると、こちらが立ち止まる必要も無く、先方に停まってもらって先に進むことができた。裏志賀山からは、一旦下って、再び志賀山への登りになった。鞍部付近には池もあり、静かに山を味わいたかったのだが。志賀山に登り着くと、広場に三角点が置かれていた。他に登山者はおらず、ようやく集団をやり過ごしたのかと思って安心して進んでいくと、その先で展望盤の置かれた広場があり、ここには大勢の登山者が休んでいた。どうやら、登りを続けてきたため、この広場に到着した所で太休止になってしまうようであった。志賀山の下りも、決して楽な道では無かった。岩場の段差を苦労しながら小学生が登っていた。運動靴の軽装のハイカーも多く見かけた。山頂まではもう少しかと尋ねてくる者もいたが、まだまだですよと、期待に反する答えを返すしかなかった。下りきったところで、足をひねった小学生を、引率の先生が、歩けるかと尋ねていた。前山ゲレンデからの道に入ると遊歩道並みの広い道になった。この道の感覚で志賀山への登山道に入ると、苦労するのも無理はなさそうである。四十八池への道は遊歩道、志賀山への道は登山道。その差は、観光客には大きい。
 四十八池に戻って、今度は大沼池への道に進んだ。大沼池には、かなりの下りになった。途中で、自分達だけで歩いている小学生のグループにも何組も出合った。大沼池への道は、これで良いのか尋ねてくる小学生もいた。学校登山で、怪我人が出るのも、迷子が出るのも不思議は無い。大沼池は、朝の静けさが嘘のように、大勢のハイカーや林間学校の小学生で賑わっていた。登山口へ向かう林道歩きの途中からは、林間の登山道を通った。登山口に出ると、大型の観光バスが何台も列を作って並んでいた。着替えをしてから清水公園へ、冷たい水を飲みに出かけると、ここも混雑していた。あまり登山の専門雑誌には取りあげられることは少ないように思う志賀高原ではあるが、ハイカーや林間学校の小学生で賑わっていることを知った。季節を変えて、コースを考えれば、志賀高原でも静かな山を楽しむことはできはずである。
 志賀高原周辺は温泉の料金も高めのため、飯山線沿線に戻ってから温泉に入り帰宅した。


山行目次に戻る
ホームページに戻る