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飯豊本山


【日時】 7月17日(土)〜18日(日) 前夜発1泊2日 テント泊
【メンバー】 単独行
【天候】 7月17日(土):曇り 18日(日):雨
【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
五段山・ごだんやま・1312m・無し・山形県、福島県
牛ヶ岩山・うしがいわやま・1401.8m・三等三角点・山形県、福島県
地蔵山・じぞうやま・1485.2m・二等三角点・山形県、福島県
三国岳・みくにだけ・1644m・無し・山形県、福島県、新潟県
種蒔山・たねまきやま・1791.0m・三等三角点・福島県
飯豊本山・いいでほんざん・2105.1m・一等三角点本点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/玉庭、熱塩、大日岳、飯豊山/岩倉、川入、大日岳、飯豊山
【ガイド】 山と高原地図「飯豊山」(昭文社)
【温泉】 ホテルフォレストいいで 300円 常備品(シャンプー、ボディーシャンプー)
【時間記録】
7月16日(金) 20:00 新潟発(R.7、蓮野IC、R.113、十文字、R.113、手ノ子、白川ダム 経由)=22:30 大日杉  (車中泊)
7月17日(土) 4:55 大日杉発―5:09 清水―5:52 尾根上〜5:59 発―6:05 松の眺め―6:34 こぶ山〜6:40 発―7:21 一枚池(五段山)〜7:30 発―7:35 水場入口―8:09 牛ヶ岩山―8:16 五枚山〜8:21 発―8:44 御前山〜8:50 発―9:07 地蔵山―9:09 血の池(地蔵小屋跡分岐)―9:19 地蔵水場経由横峰分岐―9:54 剣ヶ峰分岐〜10:00 発―10:11 水場入口〜10:23 発―10:33 三国岳〜10:38 発―11:25 七森―11:54 種蒔―12:17 切合〜12:42 発―13:19 草履塚〜13:25 発―13:44 姥権現―14:48 一ノ王子〜15:22 発―15:30 飯豊山神社―15:46 飯豊本山―16:02 飯豊山神社―16:07 一ノ王子  (テント泊)
7月18日(日) 4:55 一ノ王子発―姥権現―5:47 草履塚―6:15 切合〜6:20 発―6:45 種蒔―7:06 七森―7:42 三国岳〜7:51 発―8:36 地蔵水場経由横峰分岐―8:42 血の池(地蔵小屋跡分岐)―8:45 地蔵山―9:02 御前山―9:25 五枚山〜9:30 発―9:33 牛ヶ岩山―9:53 水場入口―10:02 五段山〜10:07 発―10:33 こぶ山〜10:40 発―10:56 松の眺め―11:00 尾根上―11:22 清水―11:35 大日杉=(往路を戻る)=15:20 新潟着

 飯豊連峰は、新潟、山形、福島の県境に、2000m級のピークを南北20キロに渡って連ねている。中腹を覆うブナ林、稜線を彩るお花畑、夏にも残る残雪などで、多くの登山者を魅了してやまない。代表的ピークとしては、飯豊神社と一等三角点の置かれた飯豊本山がまず挙げられる。
 飯豊本山への山形県側からの入山口としては、大日杉が一般的である。従来、大日杉からは、白川左岸部に連なる稜線、すなわち地蔵岳から切合に至るコースが利用されてきた。1998年より、白川右岸部の、五段山、牛ヶ岩山を経て地蔵山に至るコースが整備されるようになり、飯豊本山に至る新しいコースとして注目されるようになっている。
 今年は、飯豊の端山を精力的に登ってきたが、夏山シーズンを迎えて、未だ飯豊の主稜線に上がっていないことが残念であった。この週末は、天気もなんとかなりそうであったので、昨年来気にかかっていた大日杉から大段山経由のコースを歩いてみることにした。もう一つの目的は、ソロ用テントを買ったので、単独行でのテント泊を試みることであった。これまで、車サイドでの野宿はともかく、山中でのテント泊はグループ山行でしか経験がなかった。いずれにせよ、稜線に上がれば、そこにはお花畑が出迎えてくれるはずであった。
 梅雨明けになるかならないか、微妙なところであった。山形県境に向かって車を走らせるうちに本格的な雨になった。それでも、大日杉の駐車場に入ると、雨は止んでいた。翌日の長い歩きにそなえて、ビールを飲んで早々に寝た。夜中にトイレのために車から出ると、おぼろな青白い光りが見え隠れしていた。目の錯覚かと思いながら、目をこすって見ると、ホタルが飛んでいるようであった。湿気の多い夜であった。
 初日に御西まで入ることができれば、大日岳まで足を延ばせるので、翌朝の起床のため3時に目覚ましをかけた。しかし、あいにくの本降りに、懐電での歩きの気持ちは失せて、もうひと眠りになった。結局、薄明るくなった5時に、雨があがったので歩き出すことになった。駐車場には、10台程の車が停まり、出発の準備をしている登山者も見かけた。海の日がらみの週末としては、前日の雨がたたっているのか、登山者は少ないようである。
 大日杉小屋に登山届けを提出し、小屋の左手を直進する幅の広い道を進んだ。直ぐに、左手の沢に向かって下りる道が現れて、これが大段山への登山道であった。沢に下りると、新しい吊り橋が掛けられていた。昨年は、篭渡しが設けられていたというのだが。一人幅の吊り橋は、揺れて少々危なかっしげであった。右岸の杉林の中を上流に向かっていくと、五段山への最後の水場が現れた。上流に向かう山菜取りか植林のための道から分かれると、杉の植林地の中の登りが始まった。傾斜は急で、たちまち汗が吹き出てきた。歩き始めて30分の最初の休憩で、早くも水を口にする状態になった。体調のせいか、重荷のせいなのか。今日は、辛い登りになりそうであった。周囲にブナ林が広がるようになって、ようやく少しは高度が上がったことを知った。五段山に続く尾根の上に登るまでは、急登の連続であった。南に方向を変えると、一旦傾斜は緩んだものの、再びきつい登りが続いた。登山道沿いには、時々、小さな木の輪切り片に「楢の眺め」や「松の眺め」と書かれた標識がつけられていた。帰りに判ったことだが、飯豊本山が眺められるポイントに付けられているようであった。あいにくと雲のために展望は無く、ひたすら足を前に出し続けるしかなかった。ようやく最初のピークのこぶ山に到着した。タオルはしぼれるほどに汗を含んでいた。こぶ山を越して少し下った所に「こぶ山展望地」があり、飯豊本山が雲の間から一瞬姿を現した。白く残雪をまとったその山頂は、高く、遥か遠くに見えた。本当にあそこまで歩けるのだろうかと疑問がよぎった。まだ、一日は始まったばかり、と気を取り直すことにした。こぶ山は、その名前の通りに、尾根上のコブにしかすぎず、五段山に向かっての登りがさらに続いた。
 前方をよぎる稜線に登り着くと、谷地平分れから牛ヶ岩山に向かう縦走路との三叉路に出た。この縦走路は、幅広く刈り払いが行われていた。右に曲がってすぐの小さな池の脇に一枚池と書かれた標識が置かれていた。台地状の地形が広がっていたが、ともかく、この一帯が五段山ということのようであった。ここからは、傾斜も緩くなり、時折現れる小湿原を眺めながらの歩きになった。五段山を下ると、水場の表示が現れた。この下3分と書かれていたが、草むらに踏み跡は無く、ちょっと入る気が起きなかった。湿地に足を取られたりしながら進んでいくと、牛ヶ岩山に到着した。池塘の脇に、牛ヶ岩山と書かれた金属盤が置かれていることから山頂ということが判るものの、ここも山頂といった感じではない。登山道脇には、ヒメサユリがちらほら現れ、途中の湿原でサワランを見ることができたが、この池塘の縁には、トキソウの花が広がっていた。小湿原が点在する牛ヶ岩山一帯は、飯豊の他の場所では見られない独自の雰囲気を持っていた。
 牛ヶ岩山の先で、五枚山というピークが現れた。ここの方が小さいながら山頂らしいピークであった。その次の御前山を越せば、川入からのコースと合わさる地蔵山まで、もうひと頑張りの登りであった。
 この牛ヶ岩山一帯は、実はこれが二度目であった。1993年6月19日に川入りから飯豊本山を日帰り往復したが、下山時に、残雪のため地蔵小屋跡への下降点を見過ごし、そのまま直進して牛ヶ岩山方向に進んでしまった。途中で、牛ヶ岩山の登山標識を見つけて、道を間違えたことを知ったが、40分以上のロスを生じ、雨の中、一時はツエルトビバークのことも頭に浮かんだ。あの時はいったいどこまで進んでしまったのだろうか。判断力と共に、記憶力も低下していたようである。
 地蔵山で石のお地蔵さまに対面し、僅かに下ると、川入からの道が合わさる治の池分岐に出た。改めて地形を見ると、標識が立っていなければ、夏でもこの分岐は見落としそうであった。休もうとして腰を下ろすと、たちまち背中を蚊に喰われてしまった。血の池と書かれているが、名前につられて蚊が集まってきたわけではないだろうに。
 溝状に削られた歩きにくい登山道を進むと、剣ヶ峰への岩場にさしかかった。他の登山者にも出合うようになった。岩場歩きになれていないのか、足どりのあやしげな人もいた。2リットルの水も少なくなり、三国岳直下の水場で補給していくことにした。急坂をあえぎ登ってきただけに、水場に向かっての急降下は惜しかったが、岩の間から湧き出る冷たい水に苦労は満たされた。登り返しも、荷物さえなければ、大した苦労でもなかった。ひと頑張りで、三国岳の山頂に到着した。10人程のグループが、切合に泊まるかどうか話しながら休んでいた。残りの体力と時間を考えると、御西小屋までは無理のようであった。切合小屋までなら楽勝。飯豊本山のテン場の一ノ王子まで頑張るのが妥当な線のようであった。先回の記憶では、三国岳から切合の間は、種蒔山付近で残雪のために夏道が隠されて苦労したことばかりが頭に残っているが、再度歩いてみると、七森付近で小さなアップダウンが続き、体力を消耗してきた身には辛い区間になった。しかし、飯豊の主稜線に入ったおかげで、登山道に沿ってヒメサユリの列が続き、センジュガンピの群落も現れた。種蒔山付近ではお花畑が広がり、モミジカラマツ、ハクサンチドリ、ヨツバシオガマ、ミヤマクルババナ、アオノツガザクラ、ミヤマキンポウゲ、ニックキスゲ、イワイチョウ、シラネアオイ、ウサギギクの花も見られるようになった。ただ、昨年と比べると残雪は多く、百花繚乱の時期はもう少し先のようであった。種蒔山からは、地蔵岳に至る稜線を見下ろすことができた。五段山経由のコースは、思ったよりも大周りになることが判った。
 切合小屋の手前の砂礫の丘に腰をおろして、ようやく昼の休憩に入ることができた。残念ながら、大日岳は雲の中。御西岳の雪渓が見え隠れするだけであった。考える必要があったのは、明日の下山路であった。普通なら、地蔵岳への周遊コースを取るところである。しかし、地蔵岳に至る尾根コースの入口付近では、登山道は急斜面で谷に落ち込む雪渓で寸断されているのが見えた。僅かな距離ではあるが、トレースも無さそうで、このトラバースは危険そうであった。この季節は、御沢の雪渓を登るのが一般のようであったが、雪渓の下降には、少なくともアイゼンは必要そうであった。今回は、稜線歩きと思って、アイゼンとピッケルのことを考えもしなかったのは、うかつであった。今回は、五段山コースを歩くのが目的であるので、来た道を戻って下山時のコースタイムを確かめるのも一興と思うことにした。
 草履塚への登りは、残雪上の歩きになった。切合小屋からの本山往復組と思われる軽装の登山者とも多くすれ違うようになった。残雪にはスプーンカットができて、堅く締まっていた。草履塚の上に出て、飯豊本山への最後の登りが目の前になった。疲労もたまって、各要所では荷物を下ろしてのひと休みが必要になっていたが、最後の登りとあれば、頑張るしかない。姥権現付近の砂礫地帯に入ると、花の種類も違ってきた。オヤマノエンドウにチシマギキョウ。その中に白花をつけたシロバナチシマギキョウがあった。そして、ミヤマウスユキソウの群落が一面に広がっていた。ミヤマウスユキソウは、丁度盛りのようで、どn花を見ても、生き生きとしていた。御秘所を越せば、一歩ずつ耐えながらの登りになった。一ノ王子の石積みが目の前に迫ってきて、ようやく一ノ王子のテント場に到着した。先客のテントがすでに二張りあり、風当たりの弱そうなテントサイトを選んでザックを下ろした。
 まずは、水場の確認に出かけた。山の東斜面を100mくらい下ると雪渓の縁に出て、水が湧き出ていた。山頂直下で、このような水場は有り難い。冷たい水を思いっきり飲み干した。ビールを冷やすための残雪をビニール袋に積めて持ち帰った。一ノ王子のテント場は、風避けのために石が積まれていた。テントを張り終えてから、飯豊本山の山頂を往復してくることにした。飯豊神社は、すぐ先であった。今年の飯豊登山の問題点のひとつは、本山小屋の屋根が飛んで、宿泊不能になっていることであった。切合小屋か御西小屋に宿泊客が集中することになる。小屋のドアは開きっぱなしになっており、中をのぞくと、床の板は水に濡れてふやけた状態になっていた。一階部分のみがかろうじて横になれそうで、一段高くなった床には青いビニールシートが敷かれていたが、汚れていた。外に出て屋根を眺めると、破損個所はそれ程大きくはないものの、水が内部に入って、内装からの改装が必要になっているようである。
 三角点をめざして稜線を歩いた。霧の中から大ぐら尾根が見え隠れしていた。これで三回目の飯豊本山であった。季節を変え、コースを変え、また訪れたい山頂であった。今回は、この三角点が引き返し地点になった。本山小屋に戻ると、小屋の前にザックが三つ置かれていた。持ち主とは、三角点との間ですれ違っていたが、この荷物の大きさからすると、小屋泊まりの用意しかしていないようであった。この時間だと、避難小屋に泊まるしかなさそうであった。小屋の破損のことは知って登ってきたのか、知らなかったのか。テントに向かう途中でも三人程のグループが登ってきて、これも本山小屋泊まりのよう。大丈夫なのかなと思ってしまうのも、余計なお世話か。テント場に戻ると、テントの数も増えていた。結局、最終的には8張りになった。今回が、初めての使用のテントであったが、ソロ用といっても狭い感じは無かった。夕闇が迫る頃、大日岳が姿を現した。夕食を食べ終え、ビールを空けると、することが無くなった。単独行のテント泊の問題点は、話し相手がいない点であった。小屋泊まりなら、知らない者どうしでも、話し相手になってくれるものだが。体力回復のために、充分寝ておくことにした。
 夜中にテントを打つ雨音が気にかかったものの、目を覚ます頃には、ほとんど止んだ状態になっていた。ガスのために展望は無し。雨のためにパッキングが煩わされないのが有り難かった。天気は下り坂のようなので、急いで山を下りることにした。草履塚に登り返した頃から、登山者と多くすれ違うようになった。ほとんどは、切合小屋からの往復のようであった。手ぶら同様の軽装であったが、コースタイムでは往復4時間の行程である。すれ違った登山者に切合小屋の様子を尋ねると、大変混み合って、昨晩は眠れなかったとのことであった。昨晩のうちに食料を消費して荷物も軽くなったせいか、歩きも続くようになった。切合小屋まで戻ると、周囲の展望が広がるようになって、大日岳も姿を現した。東には、地蔵岳から牛ヶ岩山に至る稜線が長く続いていた。
 展望も広がってきたなら、稜線歩きをもう少し続けていたいろころである。切合から三国岳の間では、天候に妨げられて、まだ風景を満足に眺めたことが無かった。種蒔山のお花畑を楽しみ、七森の小ピークの通過には、下り方向とはいえ、汗を流された。三国岳から振り返れば、七森方面に向かって険しい縦走路が続いていた。剣ヶ峰の岩場は、岩が濡れて滑りやすく、足元に充分注意する必要があった。地蔵山への登り返しになる頃から雨が本降りになった。幸いこの先は、樹林帯の緩やかな道なので、傘だけで歩くことにした。
 牛ヶ岩山への道に入ると、人に会うことも無くなった。池塘の眺めには、雨が似合うような気がする。昨日は、苦労しながら歩いた道も、今日はそれ程気にはならなかった。五段山の分岐を過ぎると、急な下りが始まった。ブレーキを掛けるのも容易ではなく、重力のおもむくままに山を下った。途中で雨は止み、コブ山の展望地から振り返る飯豊本山は、先ほどまでそこにいたとは考えられないような遠くになっていた。
 大日杉の駐車場の車は増えていたが、駐車場に余裕があり、この週末の登山者は天候に妨げられて多くは無かったようである。天候には恵まれなかったが、飯豊のお花畑を充分に楽しむことができた。飯豊は、毎回新しい顔を見せてくれるようである。

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