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栂峰


【日時】 7月11日(日) 前夜発日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り
【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 栂峰・つがみね・1541m・四等三角点・山形県、福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/玉庭、熱塩/入田沢、飯森山
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明舎)、東北百名山(山と渓谷社)、会津百名山ガイダンス(歴史春秋社) 【温泉】 ホテルフォレストいいで 300円 常備品(シャンプー、ボディーシャンプー)
【時間記録】
7月10日(土) 20:30 新潟発(R.7、蓮野IC、R.113、十文字、R.113、手ノ子、白川ダム 経由)=23:00 小屋入口  (車中泊)
7月11日(日) 4:15 小屋発=4:45 林道カーブ地点上部〜5:09 発―5:18 栂峰登山口―6:20 水場―7:07 蔵王神社―7:33 栂峰〜7:47 発―8:09 蔵王神社―8:40 水場―9:29 栂峰登山口―9:38 林道カーブ地点上部=(往路を戻る)=14:00 新潟着

 飯豊連峰と吾妻連峰の間の山形・福島県境には、飯森山を主峰とする山塊が広がっている。栂峰は、飯森山の北東に連なる古くからの信仰の山である。飯豊連峰の山麓はブナに覆われ、一方吾妻連峰はオオシラビソに覆われているが、この中間の栂峰ではブナとオオシラビソが混在している。栂峰の名前は、同じ針葉樹のツガとオオシラビソを混同したものらしい。地図にも記載されている栂峰と飯森山の間の道は廃道になっており、栂峰へは山形県側から往復するしかない。  飯森山には1997年9月20日に登り、その山頂からは、栂峰をすぐ目の前に見ることができた。しかし、その間の道は廃道となっており、栂峰のためには飯森山の登山口の福島県側とは逆の山形県側から登り直す必要があった。
 梅雨の合間の天候はきまぐれで、仕事のあった土曜日は青空が広がっていたにもかかわらず、日曜日はどうもぱっとしない予報が出ていた。飯豊か朝日に日帰りと思っていたのだが、気勢がそがれて、かねてから登らなければと思っていた栂峰に出かけることにした。ガイドブックを見ると、登りに4時間10分を要するとあり、余裕をもって行動するために、前夜発とすることにした。
 天気予報があたって、山形県境に近づく頃には、小雨が降ってきた。R.113を手ノ子の交差点で曲がって、白川ダムに向かう道は、飯豊連峰の大日杉登山口へのアプローチでもあり、様子は分かっていた。十四郷橋手前の交差点を米沢方面に向かい、小屋集落に通じる道の入口に大きな駐車帯があったので、行動はここまでとして、ビールを飲んで寝た。
 夜中に、車の騒音で目が覚めた。暴走族が、道路から広場に車をつっこんできてスピンさせて遊んでいた。車がぶつかってきてはかなわないので、車を動かすことにした。時計は1時15分。真夜中だ。夏になると、遠乗りする金も頭も無い馬鹿な暴走族が湧いてくるようである。危険な行為はやめて、健全に山でも登ればよいものを。小屋集落を過ぎて、未舗装の林道に変わったところで、もう一度ひと眠りすることにした。
 夜が明けると、曇り空ながらも雨は止んでいた。林道を進むと、ダムの工事が行われており、林道も河原の中に迂回路が設けられていたりで、徐行運転になった。その先は沢沿いに林道が長く続き、道幅は狭くなって車の腹をするところも出てきた。林道への夜中の突入は無理で、前夜の選択は懸命ではあったのだが、暴走族までは予想できなかった。車のすれ違いの困難な道ではあるが、対向車の来る心配は無い時間であった。林道が、カーブを描いて沢から離れて高度を上げた所で、横から崩れてきた土砂が盛り上がっていた。その手前に駐車スペースがあったので、車はここまでにした。林道終点までは、歩いても、そうたいした距離ではなさそうであった。
 林道を歩いていくと、左下から沢が近づいてきた。車を何台もおける広場を過ぎたところで、前方に堰堤が現れた。林道をそのまま堰堤に向かいそうになったが、左の沢の向こうに、登山口の標識があるのに気が付いた。草に覆われていて判り難かったが、踏み跡があり、小沢を渡ると杉の大木の下に、天照大神と黒瀧神社の石の祠が置かれていた。登山道は、その左手の斜面に続いていたが、草に覆われていた。
 季節がまずかったかなと思いながらも、稜線に上がれば道は明瞭になるだろうと期待することにした。杉の植林地を抜けるまでは、草を足でかきわけるような道が続き、雨後のためにズボンはずぶ濡れになってしまった。尾根の上に出ると、道ははっきりして、ひと安心した。山の高みは雲に覆われて、どれくらい登らなければならないか、見当もつかなかった。傾斜が緩んだところで息を整えながら、登りを続けた。中間地点の水場は、標識も無く分かり難かったが、草地の中に踏み跡が左手に続いており、水音が聞こえるのが、目印である。帰りにこの水場に寄ってみた。草をかきわけて10m程進むと小沢があり、水量はさほど多くは無かった。
 尾根の周囲にはブナの大木が現れるようになり、オオシラビソも見られるようになって、高度を上げてきたことを知った。花も多くなり、登山道脇には、ハクサンチドリ、マイズルソウ、イワカガミが見られるようになった。登山道の真ん中に立てられた御田神社の木札を見ると、その先は、次から次に木札が現れるようになった。保倉神、駒形神社、神武天皇、御室神、釼神社、開取姫、石凝姫などの木札を見ながら登っていくと、蔵王神社に到着した。横から踏み跡があったのでのぞいてみたが、潅木の中に消えていた。これが飯森山に通じていた道のなごりのようであった。ガスが流れて、オオシラビソの木が幻想的な姿を見せていた。蔵王神社から先も、市拝島姫神社、金山彦神、中興神社、五社山神、鹿島神、伊佐那佐神、神武天皇、少名彦、といった木札を眺めながら緩やかな稜線をたどり、ひと登りすると栂峰の頂上に到着した。
 オオシラビソの大木の下に、石の祠が二つ置かれ、栂峰山大神の木札が立てられていた。稜線上のとっきという感じで、山頂といった雰囲気では無かった。道を先に進むと、戸隠神社で行き止まり。その手前から右手に分かれた踏み跡に入ると、幅2m程の小さな池があり、その先で木立が切れていた。ここが展望台のようであったが、ガスが流れるのが見えるだけであった。脇にヒメサユリが咲いていた。
 下りは、それ程長くは感じなかった。途中で青空が広がり、山頂でもっとねばっていたならばと思ったが、振り返る山の高みはあいかわらず雲で覆われたままであった。
 午前の早い時間での下山であったが、登山口近くの温泉に入ってしまい、一日の歩きも終わりになってしまった。戻る途中、大高峰遊歩道という気になる標識を見つけたのだが、これはいつかの機会に。

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