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飯士山

苗場山から小松原湿原


【日時】 7月3日(土)〜4日(日) 各日帰り
【メンバー】 7月3日:石原夫妻、山口、岡本 合計4名
7月4日:新潟オフミ(縦走:吉田、南雲、石原夫妻、熊坂、川田、山口、岡本 小松原湿原往復 高橋、鈴木)
【天候】 7月3日:雨のち曇り 4日:雨

【山域】 谷川連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 飯士山・いいじさん・1111.8m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/越後湯沢
【ガイド】 新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟の山旅(新潟日報事業社)、新潟50山(新潟日報事業社)

【山域】 苗場山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
苗場山・なえばさん・2154.3m・一等三角点補点・新潟県、長野県
神楽ヶ峰・かぐらがみね・2029.6m・三等三角点・新潟県
霧ノ塔・きりのとう・1993.6m・三等三角点・新潟県
日蔭山・ひかげやま・1860m・主三角点・新潟県
小松原湿原・こまつばらしつげん・1565m・無し・新潟県
金城山・かなしろやま・1353.8m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/苗場山/苗場山
【ガイド】 越後の山旅(富士波出版(、山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」

【時間記録】
7月2日(金) 8:40 新潟発=(関越道、小出IC、R.17 経由)=23:10 湯沢  (車中泊)
3日(土) 5:50 湯沢発=(岩原スキー場第8リフト下部、袖弁橋 経由)=6:55 岩原スキー場岩原スキー場第8リフト下部―7:22 第3ペアリフト終点〜7:30 発―8:08 袖弁橋コース分岐〜8:11 発―8:20 第8リフト分岐〜8:22 発―8:26 飯士山山頂〜9:51 発―9:35 第8リフト分岐― 9:45 第8リフト終点―10:31 岩原スキー場第8リフト下部=(岩の湯入浴(300円)、R.17、石打、R.353、中里村、R.117、津南、R.405、清水河原、見倉 経由)=14:30 風穴登山口〜18:00 発=(R.405、小赤沢)=19:00 小赤沢三合目登山口  (テント泊)
4日(日) 4:00 小赤沢三合目登山口発―4:51 五合目―5:13 水場〜5:24 発― 6:05 坪場〜6:11 発―6:54 苗場山〜7:05 発―7:46 雷清水〜7:52 発―8:10 神楽ヶ峰〜8:13 発―8:26 祓川分岐―9:48 霧ノ塔〜10:08 発―10:37 釜ヶ峰〜10:43 発―10:58 日蔭山〜11:10 発―11:38 雨量計―11:56 小松原避難小屋〜12:30 発―13:12 下屋敷分岐〜13:17 発―14:11 金城山〜14:36 発―15:50 風穴登山口=(R.405、小赤沢、小赤沢三合目登山口、小赤沢、R.405、逆卷温泉入浴(400円)、R.405、津南、R.117、越後川口、関越道 経由)=20:30 新潟着

 飯士山は、上田富士とも呼ばれる、大きく裾野を広げた独立峰である。この山の麓は、古くからレジャー開発が進められていたが、特にバブルの時代には東京都湯沢村とも揶揄された湯沢町の背後にあるため、四方からスキー場やゴルフ場に浸食されている。この山には7つもの登山道が設けられているが、スキー場に侵食された山というイメージが強いためか、登山者は多くない。しかし、鋭く尖った山頂からの眺めは、鳥瞰という言葉に相応しいものであり、谷川連峰の展望台として、もっと登られても良い山である。

 日本有数の豪雪地の辺境秋山郷を著した鈴木牧之の「北越雪譜」には、「苗場山は越後第一の高山なり。登り二里といふ。絶頂に天然の苗田あり、依て昔より山の名に呼なり。」と書かれ、苗場山の名前は、この本によって世に広められた。苗場山は、4キロ四方に及ぶ平らな山頂を持ち、矮小化したオオシラビソの原生林の間に湿原が広がっている。登山道としては、各方面から通じているが、最近では、車を利用すると短時間で登ることのできる小赤沢コースの利用者が増えている。
 苗場山から南には、佐武流山から白砂山に至る長大な尾根が連なっているが、北に向かっては、神楽ヶ峰から霧ノ塔、日蔭山と稜線は連なり、その先には、苗場山の湿原に劣らぬ規模を持つ小松原湿原が広がっている。

 苗場山には、祓川からと小赤沢からの二度登っていたが、さらに小松原湿原を歩いてみたいと思っていた。吉田さんから、苗場山から小松原湿原への日帰り縦走の声がかかったため、喜んで参加させてもらうことにした。
 集合は、下山口の風穴に夕方集合であったため、土曜日に石原さん夫妻と、上越方面の山を歩く約束をした。翌日の歩きが長いために、軽い山ということになり、第一候補として飯士山をめざすことにした。今年の2月始めに石原さんファミリーと宮城の高橋さんが舞子高原スキー場に来た際に、せっかくの機会なので一緒に歩きましょうということになった。舞子高原スキー場終点から歩き出したものの、直前の大雪でゲレンデを外れるとラッセルになり、岩原スキー場にたどりついたところで、飯士山に続く尾根に雪庇が張り出しているのを見て、途中撤退になった、今回は、その雪辱戦ということでもあった。しかし、展望の良い山なので、晴れた日に登りたいという希望も出て、当日の天候が気に掛かることになった。
 石原さん夫妻は前夜に出発して早朝到着予定であったため、こちらも前夜に家を出ることにした。高速代の節約のために小出で高速を下りて、一般国道を経由して湯沢に入り、湯沢ICを三国側に通り過ぎたところの道路ステーションの駐車場に入って野宿をした。
 翌朝、湯沢ICのゲートを出たところの駐車場に移動して石原さん一行を待った。約束の6時少し前に、お馴染みの石原さんのキャンピングカーが到着した。挨拶もそこそこに、登る山の相談。曇り空ながら上越国境の山々の展望が開けていたので、飯士山に登ることにした。飯士山の登山コースは、ガイドブックによると7通りあるという。最短の岩原スキー場から登ったことがあったので、今回は湯沢側の袖弁橋から登り、岩原スキー場に下山することにした。
 まずは車のセットのために岩原スキー場に向かった。夏はゴーストタウンのような湯沢の町を通り抜け、岩原スキー場のゲレンデの中腹まで車道を上がった。岩原スキー場第8リフト下部に車を止めて飯士山を見上げれば、緩やかに上っていくゲレンデの先に飯士山の山頂が姿を見せていた。ここからは、そう遠くはない距離であった。石原さんの車を置いて、袖弁橋登山口に向かった。山を下っていくと、運の悪いことに雨が降り出した。少し分かり難かったが、登山口の袖弁橋はフィッシングパークの案内を目印にすれば良かった。車一台の幅の袖弁橋を渡ると、フィッシングパークの駐車場となり、橋の脇に登山口があった。フィッシングパークには人影は見あたらなかったが、登山者が車をとめてよいか判らず、橋の手前に戻って路肩駐車にすることにした。地面に落ちる雨粒がしぶきを上げるような本降りになった。高速道をくぐるトンネル内に車を入れて、登山の準備をした。雨具を着込んだものの、激しい雨のため、歩き出すことはできなかった。空模様を眺めた上で、岩原スキー場からの最短コースを歩くように計画を変更した。再び、岩原スキー場へ引き返した。
 岩原スキー場の下部は、花壇風に花が植えられていた。歩き出すと同時に雨は小降りになった。このコースを歩けという天のお導きか。ゲレンデの草原を登っていくと、雨具の下で、たちまち汗が吹き出てきた。ゲレンデ歩きは、遠くまで見通せるのが、かえって距離感をつかみづらいものにしていた。適当に草むらを歩いて第3ペアリフト終点まで登ると、ようやくここから登山道が始まった。リフトの終点広場でひと休みすれば、雨も上がって、ピラミッド型をした大源太山から谷川連峰の眺めが広がった。
 登山道は、尾根上に続いており、急な登りが始まった。赤土の斜面は、雨で滑りやすくなっていた。先週の中国の疲れか、食べ過ぎの報いか、足は重かった。しばらくは潅木に覆われた展望の利かない道であった。ひと汗かいて高度を上げると、谷向こうの第8リフトの山頂駅がようやく同じ高さになった。あともうひと頑張り。左から袖弁橋コースを合わせる合流点で休んでいると、単独行が登ってきた。袖弁橋コースを見下ろすと、尾根は湯沢の町に向かって一気に落ち込んでおり、このコースを登るのは、結構大変そうであった。第8リフト山頂駅への分岐まで上がると、山頂まではあと僅かな距離になった。
 最後の級坂を登り詰めれば、飯士山の山頂に到着した。幸い雨もやんで、展望も開けていた。石原さんにはケーキをおねだりしておいたが、アップルパイを作ってきてくれた。コーヒーもいれてもらって、山頂でのお茶会。卷機山から谷川連峰、苗場山の展望が、目の前に広がっていた。山頂での憩いをゆっくりとれるのも低山の楽しみ。単独行は早々に下山していき、貸し切り状態の山頂になった。冬にラッセルした舞子高原から岩原スキー場に至る稜線は眼下にあったが、あの苦労がうそのような短い距離であった。1時間ほどのおしゃべりを楽しんだ後、山頂北側のお地蔵さまに挨拶をして下山に移った。
 下山は、山頂直下から、第8リフト山頂駅に向かう尾根に進んだ。急ではあるが、潅木に囲まれて、特に難しい道では無い。しかし、冬にこの尾根を見上げた時は、細い雪稜となって余程の覚悟が無ければ登れそうには無かった。第8リフト山頂駅に下りたって、先回引き返した時と同じ場所から山頂を見上げた。緑に覆われた飯士山の山頂は、鋭く盛り上がっているものの、登ろうとする者はこばまない穏やかな姿をしていた。冬には、美しくはあるが、近寄るのもかなわぬ氷の女王といったイメージであったのだが。
 ゲレンデ上部を迂回路コースで下った後は、ゲレンデ内を真っ直ぐに下った。草むらの中に、所々排水のための溝が隠れており、足元に注意する必要があった。ゲレンデの下に小さく見えていたロッジもみるみる近づいてきて、車に戻ることができた。
 岩の湯で汗を流し、隣のフィッシングパークのあずまやの下で昼食をとった。見ていると、大きな魚が簡単に釣られていた。手頃なレジャーとして、観光客や家族連れで賑わっていた。雨は、登山の間だけ待っていてくれたかのように、再び本降りになった。
 翌日の食料を買い込みながら、秋山郷に向かった。石打から津南方面に抜ける十二峠付近も道が良くなっており、短い時間で越すことができた。清水河原から風穴へ分かれる林道の入口には看板が設けてあり、すぐにわかった。新しく、良い道が付けられていた。帰りに、旧来の国道を走って判ったことだが、この林道を走った方が、ずっと近道で、道幅も充分あり、バイパスとしての意味もあるようであった。トンネル手前の風穴入口には広い駐車場が設けられていた。時間も早いので、まずは昼寝とした。一眠りした後であずまやの下で本降りの空を眺めていると吉田さんが到着した。他のメンバーも集まったところで、私と南雲さんと川田さんの車を置いて、小赤沢三合目登山口に移動した。吉田さんの携帯電話に、鳥甲山に登って小赤沢の民宿に泊まっている加藤さん一行のメッセージが入っており、途中で挨拶をしていくことになった。今回のオフミでは、初顔合わせになるメンバーもいるものの、メールですっかりお馴染みであるので、初対面という感じはしない。もっとも、メールで受けるイメージと、実像は必ずしも一致するわけではないのが面白い。
 小赤沢三合目には広い駐車場が設けられている。共同購入の大型テントを設営し、大型のターブも張って、夜の準備をした。豚汁ができたところで、テントの中に入って宴会の開始になった。本降りの雨の中、12名が集まって山の話に興ずることができたのも、大型テントのおかげであった。お酒も入って、夜中まで話が続きそうな様子であったが、翌日の早起きのために寝ることになった。個人テント3張りに、石原さんのキャンピングカーも加わって、皆ゆっくりと眠ることができた。
 うるさい集団や観光バスの団体の到着で眠りが妨げられたものの、まずは良く眠ることはできた。3時に起床し、いそいで出発の用意をした。今回の縦走のコースタイムは合計11時間。歩行時間は短縮できそうに思えたが、長丁場の歩きだけに早立ちが必要であった。雨は本降りであった。高橋さんは、雨の中では無理はしないということで、風穴からの小松原湿原往復になった。
 海中電灯を照らしながらの出発になった。一人だったら、もうひと眠りして、簡単な山に計画を変更して、後は温泉に入って帰宅といったところなのだが。一同、黙々とした歩きが続いた。五合目で小休止し、歩きのペースを少し遅くすることになった。次の休み場の水場で、朝食ということであったが、起きたてに食べたバナナだけで充分であった。雨の中の忍耐の登りが続いた。皆頑張ったためか、コースタイムが甘いためか、コースタイムを短縮して山頂湿原の一画の坪場に到着した。雨の中のために遠くの展望は閉ざされているものの、しっとりした湿原の眺めが広がっていた。イワイチョウの白い花が咲き、ヒメシャクナゲのピンクの小さな花も見ることができた。湿原を縁取るオオシラビソの樹林帯の中の道は、水たまりが広がり、歩き難くなっていた。山頂が近づくと、湿原は雪解け直後の枯れ草状態となり、残雪も現れた。50名の団体が下ってくるのにもすれ違い、どうやら土曜日は山開きで賑わっていたようであった。苗場山頂ヒュッテの脇から遊仙閣に抜けて、苗場山の一等三角点に到着した。小屋の裏庭といった感じではあるが、三角点が置かれて、ともかくここが山頂である。ここまでの歩きは順調であった。
 湿原に移動してひと休みしようということになった。湿原に設けられた板敷きの上では、団体が記念写真のために声を張り上げていた。休む気もしなくなって、そのまま歩き続けることになった。その先の湿原歩きはそう長くなく、神楽ヶ峰との鞍部めざしての急な下りが始まった。神楽ヶ峰コースと比べて、小赤沢コースの良い点は、山頂湿原部の歩きの長い点といえようか。ひとつの山でもコースを変えれば、新たな魅力を発見できる。
 以前に登った時の苦労を思い出しながら急坂を下っていくと、周囲にはお花畑が広がった。ゴゼンタチバ、カラマツソウ、サラサドウダン、ハクサンチドリ等。神楽ヶ峰に向かって僅かに登り返すと、雷清水に到着した。雨の中とはいえ、汗をかいて喉が乾いており、この水場は有り難かった。神楽ヶ峰の山頂は、登山道脇の踏み跡をひと登りした所のようであった。三角点の標柱は見あたらず、磐石が露出していた。祓川との分岐に到着すると家族連れが休んでいた。ブオーという音がしているのは、山伏が法螺貝を吹き鳴らしながら登ってくるのだということを教えて貰った。
 ここから霧ノ塔へのコースに入ると、歩く者も多くないためか、登山道も荒れ気味になった。岩の転がる歩き難い一帯を通過し、小ピークの上に出ると、湿原が広がった。結構大きな湿原であるが、今では貴重なことに、木道は無く、一条の踏み跡から外れないように足を運ぶ必要があった。霧ノ塔への稜線は、のんびりした歩きが続くのかと思っていたが、実際には、足にこたえる上り下りが続いた。途中で、女性の単独行とすれ違った。頭から虫避けネットを被っていたので不思議に思ったら、ピークによっては、虫がうるさくたかってきた。樹林帯の中では、虫のいない所もあるので不思議である。オオシラビソの樹林を抜け、残雪に覆われた沢を越し、縦走は続いた。急坂を登り詰めると、霧の塔の前ピークで、緩やかに下って登り返した次のピークが霧ノ塔であった。最高点で右に方向を変え、台地状の山頂を少し進んだ先の登山道脇に三角点が置かれていた。周囲は丈の低い潅木に覆われ、ガスに覆われて展望は閉ざされていた。霧ノ塔からは、大きな下りになった。再び登り返したピークは、三ノ山のひとつの釜ヶ峰であった。雨も上がって、登り坂ではすっかり汗をかいて暑くなったので、ここで雨具を脱いでしまった。しかし、しばらく後には雨が再び降りだし、雨具を着直すことになったので、これは失敗であった。日蔭山へは緩やかな稜線歩きが続いた。ここまでくれば、小松原湿原まではあと少し。
 日蔭山で休みをとった後に下りにかかると、登ってくる高橋さんと鈴木さんに出合った。風穴から登ってきたとのことであったが、そのコースだって決して楽なコースではない。登山道はぬかるんで滑りやすく、途中で倒木が登山道上に倒れ込んで邪魔をしていた。下り終えた所で沢を越し、僅かに登り返して先に進むと、湿原の縁に到着した。木道を歩いていくと避難小屋も現れたが、どうも様子がおかしかった。小屋の中とその周辺は団体で占領されていた。どうやら中里村の自然観察会ということで、林道のゲートが開放されて入ってきたようである。この前の鏡山といい、どうも団体とかちあう不運が続いているようである。小屋の中で暖かい飲み物でもという期待はかなえられず、小雨の降る中で腰をおろしての昼食になった。
 小松原湿原の通過は、下山のグループに巻き込まれて、ノロノロの歩きになった。木道の上をゆっくりと歩いていると、睡魔に襲われて、足がもつれそうになった。小松原湿原は、思っていたよりも規模は大きかった。モウセンゴケが多く、中ノ代付近では、湿原一面をワタスゲがうめていた。
 中ノ代の分岐から金城山への道に入ると、再び静かな道になった。倒木が多くなり、登山道が隠されているところもあり、油断がならまかった。高橋さんと鈴木さんが登ってきているのでなかったら、この先の登山道の状況が心配になるところであった。登りは終わったと思っていたが、金城山へは再び登りになった。
 金城山には三角点が置かれているが、登山道からは外れている。せっかくなので三角点に触れていこうということで、登山道脇から延びる踏み跡を進んだが、たちまち薮にかこまれてしまった。薮の中を捜したが、結局三角点は見つからなかった。金城山の山頂は、台地状に広がって現在位置が把握しずらかった。
 金城山から風穴に向かっては、急勾配の下りが長く続いた。足にも疲労が溜まって、翌日の筋肉痛みを予告するかのように、重くなってきた。最後にブナ林の斜面を下ると、草に覆われた旧草津街道に降り立ち、右に曲がって風穴の下を通過すると、その先で駐車場に到着した。
 上から下まで泥だらけになっていたが、ロングコースを歩ききった満足感は大きかった。小松原湿原の大混雑は残念であったが、室かな湿原を求めての再訪の理由ができたと考えれば良い。熊坂さん、高橋さん、鈴木さんとはここでお別れし、小赤沢三合目の駐車場に戻った。最後に、逆卷温泉で汗を流した。逆卷温泉は有名ではあるが、ちょっと鄙びすぎてという感じがする温泉であった。

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