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愛宕山、比叡山

1999年6月15日、6月18日 各日帰り 単独行 晴/雨

愛宕山 あたごやま(924m)  京都北山(京都府、滋賀県) 5万 京都西北部 2.5万 京都西北部
ガイド:分県登山ガイド「京都府の山」(山と渓谷社)、アルペンガイド「京阪神ワンデイ・ハイク」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)、関西百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「京都北山1」(昭文社)

比叡山 ひえいざん(848.3m) 一等三角点補点 京都北山(京都府) 5万 京都東北部 2.5万 京都東北部
ガイド:分県登山ガイド「京都府の山」(山と渓谷社)、アルペンガイド「京阪神ワンデイ・ハイク」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)、関西百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「京都北山1」(昭文社)

6月13日(月) 10:05 新潟発=(高速バス)=6:00 京都駅〜7:23 発=(京都バスNo.27)=8:19 清滝〜8:23 発―8:27 鳥居―8:38 愛宕茶屋―8:58 25丁目(奈か屋跡)―9:12 30丁目(五合目)―9:27 七合目―9:34 水尾の別れ―9:50 総門―10:01 愛宕神社〜10:06 発―10:10 階段下休憩所〜10:22 発―10:58 月輪寺―11:13 林道―11:43 清滝〜11:50 発=(京都バス)=12:50 京都駅 6月18日(金) 6:44 京都駅発=(市バス)=7:20 修学院離宮道―8:42 雲母坂登山口―8:10 水飲対陣碑―8:45 ケーブル比叡駅―8:55 スキー場―9:34 大比叡=(ケーブル)=9:55 ケーブル比叡駅―10:11 ケーブル八瀬遊園〜10:14 発=(市バス)=0:50 京都駅=17:04 新潟着

 愛宕山は、京都盆地の北西部に位置する山である。山頂には火伏せの神として知られる愛宕神社が置かれ、「お伊勢さんへ七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参り」と昔から歌われる信仰の山である。
 比叡山は、京都盆地の北東部、京都府と滋賀県の境に位置する山である。比叡山というと、一般には、延暦寺を始めとする堂塔の立ち並ぶ、伝教大師・最澄によって開かれた天台宗総本山を思い浮かべてしまう。山頂一帯は遊園化し、ケーブルや自動車道路によって歩かずとも登ることのできる山になっている。
 今年の五月の連休は、関西の300名山を中心に登ったが、京都市内の混雑を避けて、京都への出張を期待して、比叡山と愛宕山は残しておいた。移動日を山登りに使うため、夜行バスで京都に向かうことにした。夜行列車は以前にも利用したことはあったが、寝台車を利用しないと、疲労度もかなりのものになった。高速道を走る夜行バスは、座席もゆったりしており、揺れも少なく、快適であった。高速道に乗ってスピードを上げる頃には眠り込んでしまい、目を覚ますと朝になっていた。もっともこれは、前日の薮コギ山行の疲れがたまっていたせいもあり、起きていようとしても眠り込んでしまったことであろう。京都駅前に下りて驚いたことは、京都駅がすっかり新しくなって変貌をとげていたことである。人目を引くような巨大な空間がとられていたが、旅行者が一息入れるような配慮は感じられなかった。コインロッカーに荷物を入れて、歩き出す準備を整えた。バスの時刻表を見ると、始発までは少し時間があった。すわるようなベンチもなく、駅前の石の段に腰をおろして朝食のパンを食べた。
 京都の地理は、観光方面に限られ、周辺の山に関しては全く知らなかった。太秦から嵐山を過ぎれば仏野念仏寺。ここらまでは来たこともある。山間に入ってトンエルを抜けると、バスの終点の清滝に到着した。京都駅からは思ったよりも時間がかかった。バスの時刻表をみると三条京阪からの方が運行本数が多いようであった。駅前で始発を待つよりも、三条京阪で乗り換えた方が早く到着できたのかもしれない。
 同じバスで3組程のハイk−が下りて、歩き出していった。坂を下っていき、清滝川を渡猿橋で渡ると、道の両脇には観光客向けのお店が並んでいた。鳥居をくぐると、表参道が始まった。コンクリートで固められた道で、ローカットのウォーキングシューズを履いてきたが、それで充分であった。道の脇には地蔵が置かれ、山頂までは50丁あるようであった。階段まじりの急坂が続いた。気温と湿度が高く、汗が吹き出てきた。登山道は木立に覆われていて、日にさらされるというわけでもなかったが、風もとまって蒸されるような陽気であった。途中に茶屋があったが、店は閉まっていた。18丁目の看板によれば、この坂はつぼ割坂ともいうようである。昔、宇治のお茶を山上に貯蔵して、江戸幕府(将軍)に献上していたのが、ある時、そのお茶つぼを割ったことから、この坂の名前が付いたという。五合目を過ぎると、ようやく傾斜は緩くなった。水尾の別れを過ぎると、黒色の総門が現れ、その先で山頂公園風の境内に入った。最後は、長い石段の登りになった。白い霧が流れて、荘厳な風情をただよわせていた。山頂の愛宕神社に到着して、まずはお参り。愛宕山のお参りには、おきまりになっているようなので「火廼要慎(ひのようじん)」のお札を貰った。小さい方で350円であった。
 石段を下った所の休憩所の脇のベンチに腰を下ろし、ビールも飲んでひと休み。石段の下から左に分かれる水平な道を進むと、月輪寺(つきのわでら)への標識が現れた。ここからは一般登山道並みの山道になった。急な斜面を下っていくと、月輪寺の前に飛び出した。ここからは道幅は少しは広くなったものの、つづら折りを繰り返す長い下りが続いた。車道に下り立った時には、ズボンの腰のあたりまで汗でびっしょりになっていた。
 午後は比叡山にと思っていたが、大汗をかいて元気もなくなり、ホテルに早めにチェックインして、冷房の効いた部屋で昼寝をすることにした。
 新潟に戻る日に、早起きをして比叡山に登っていくことにした。比叡山延暦寺には、中学の修学旅行で訪れており、比叡山に登ったと言えないこともなかったが、やはり山頂の三角点には触れておく必要があった。梅雨も本格的になって、時おり激しい雨が降るあいにくの天気になっていた。ケーブルで山頂へという誘惑にもかられたが、やはり歩いて登ることにした。修学院離宮前のバス停で降りると、市街地の中で登山道の入口が判り難かった。見当をつけて音羽川沿いに遡っていくと、車道は終わりになって、川沿いの遊歩道となった。右岸に渡ると、雲母坂の標識が現れた。
 親鸞上人も何度も行き来したという伝統の道であるというガイド文につられて雲母坂を登りにやってきたのだが。実際には、左手には修学院離宮の鉄条が続き、赤土の道は流水にえぐられて、溝の底を歩く状態であった。雨のせいもあるが、暗くて気持ちの良い登山道とはとうていいえなかった。古くからの道も、守るべき伝統だが。急な登りを終えて尾根に上がると、ようやく鉄条網もなくなり、山歩きの気分になった。この先は緩やかな登りが続いた。雨は降ったり止んだりであったが、登山道に倒れ込んでいる草や笹のしずくを落とすために、傘がやくにたった。水飲対陣跡や送電線巡視路分岐などで道が分かれたが、標識はしっかりしているので迷う心配は無かった。
 左手からケーブルカーの音が近づいてきたとおもうと、ケーブルの山頂駅の脇に飛び出した。ここからゆるやかな林道をたどるとスキー場の下にでた。夏はグラススキー場になっているようであった。スキー場の先の山道を延暦寺方向に進み、途中から四明岳に向かうと、舗装道路に飛び出した。右手の方が高そうなのでこちらに向かったが、遊園地の入口に出て、これは失敗。左手に進むと、もうひとつの遊園地の入口が現れ、その先に大駐車場があり、バス停も設けられていた。土産屋は閉まっており、うらさびしい気分がただよっていた。
 駐車場の奥に鎖のかかった林道があり、これを登っていくとテレビの中継塔が現れ、山頂部の貯水槽の奥の一段高くなった所に一等三角点が置かれていた。
 雨は本降りとなり、靴も内部まで水が染み込んだ状態になった。坂本まで下ろうかとも思っていたが、ケーブルカーで下りてしまうことにした。延暦寺も、修学旅行の時に、乱暴な坊主にどなられて、良い印象を持っておらず、お参りをする気も無い。ケーブルカーの駅舎は古めかしい感じで、山頂まで自動車道路が開通した今となっては、利用客も少ないのかもしれない。京都駅に戻り、濡れた衣類をトイレの中で着替えてから、家路についた。


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