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籠町南葉山、青田難波山

1999年6月6日 日帰り 5名グループ 晴

籠町南葉山 かごまちなんばさん(909.1m) 三等三角点
青田難波山 あおたなんばやま(949.3m) 二等三角点 南葉山塊 5万 高田西部 2.5万 重倉山
ガイド:無し

6月6日(日) 4:30 新潟発=(北陸自動車道、上越IC、R.18、長森、西野谷 経由))=7:20 林道広場〜7:34 発―7:34 林道終点―8:04 稜線上の分岐(830m地点)〜8:30 発―9:07  青田難波山分岐〜9:20 発―9:40 籠町南葉山〜10:12 発―10:22 昼食〜12:00 発―12:07 青田難波山―12:59 猿掛山(901mピーク)―14:08 青田難波山〜14:27 発―14:48 見晴らし台―14:58 延命清水〜15:00 発―15:25 南葉高原キャンプ場=(青田、R.18、上越IC、北陸自動車道 経由)=19:30 新潟着

 南葉山塊は、北陸自動車道を上越ICに向かう時に、妙高山・火打山の前山として目に入ってくる山である。高速道を下りて高田付近を通過する時には、この南葉山塊ばかりが目に入って、背後の妙高山や火打山の姿を隠すことから、少々邪魔な山といった感じを持ってしまう。南葉山という地名には、南葉、難波、南波という字が用いられている。地図を見ても、山塊の南端の籠町南葉山、北端の青田難波山、さらにはその中間の稜線には南葉山と記載されており、少々ややこしい。南葉山塊と呼ばれるにもかかわらず、2万5千分1地形図名は「重倉山」の名前が付けられているのも、表記が一定していないことと関係があるのかもしれない。「越後の山旅」には、南葉山は、東北地方に多い葉山信仰と関係が深いと述べられている。ここでいう「葉山」は、奥深い山の末端の平野と接する所の端山という意味を持っている。ここからは私見であるが、高田には、「なんぽうさん」と呼ばれる妙高山の信仰登山が伝えられていることを考えると、高田方面から見た南方の妙高山系の端山として南葉山という名前が付けられたと考えて良いように思う。
 地図には、南葉山塊には多くの破線が記載されているが、そのほとんどは廃道のようで、現在は青田難波山のみ、登山道が整備されて、一般登山の対象になっている。
 週の半ばに、上村さんから重倉山に誘われれ、幸い他の予定も入っていなかった。その後、上村さんが地元の山岳会や区長さんに問い合わせたところ、重倉山への破線が記載されている重倉谷の道は、現在では廃道状態で、辿れそうもないことが判った。重倉山から籠町南葉山に向かう稜線の南には、その近くまで林道が延びており、ここから稜線へは、そうたいした距離では無い。稜線上には、もしかすると、重倉山への踏み跡があるかもしれない。重倉山が無理でも、籠町南葉山なら、なんとか登れるだろうという予想で出かけることになった。
 今回は、5名の参加者になった。いずれも、会のベテランで、ヤブコギ山行の勉強をさせてもらうことになった。全員がナタとノコギリを持って、道が無くとも切り開く覚悟のようであった。
 渡辺さんの車を佐久間さんが運転して出発。山に向かう前に、新しくできた温泉施設の「友楽里館」に寄って、西野谷の区長さんに挨拶をした。向かう予定の林道は、杉の植林のためのもので、通行可能なことを教えてもらった。
 重倉谷の入口から青田方面に向かう林道は、舗装されており、走向にはまったく問題は無かった。高度を一気に上げて、林道の入口を捜しながら進むと、コンクリート敷きの道が、左手に分かれた。林道の路面は少々荒れており、適当な所で停めようということになったが、道幅が狭く、車の回転場所も無かった。ようやく、路肩の広場を見つけてここから歩きだすことになった。ここには、「西野谷第4団地」という標柱が立っていた。
 林道を歩いて谷を少し巻くと、林道の終点に到着した。東にはそれ程進んでいないようなので、地図の終点部とは少し違うような気がした。ここからは、谷向こうに見える籠町南葉山までは、そうたいした距離では無く、稜線もすぐ上に見えていた。林道の終点の広場には、数台の車が停まっており、山菜採りが入山しているようであった。地図の林道終点までは来ていないようで、前方には小さな沢が入り込んでいた。現在地を判断するのが難しかった。林道の延長線の踏み跡を辿ると、沢に向かって下っていったので、左手の杉林の中に続いている踏み跡に進んだ。落ち葉で判り難いものの、踏み跡が付けられていた。幅広の尾根を辿って杉林の上部に進み、そこで左手の尾根に乗ろうかと考えていると、右手の沢の手前の潅木帯にはっきりした道が現れた。この道を進むことにした。ひと登りすると、尾根に出て、踏み跡は反対側の谷に向かって下っていった。尾根沿いを良くみると、少し不明瞭になるものの踏み跡が付いていた。ナタ目もあり、問題なく歩ける道であったが、薮に囲まれて、周囲の様子が判りにくかった。主稜線近くで左から踏み跡が合わさった。この踏み跡は、重倉山に続くと思われる稜線からは、緩やかに下って離れていくようであった。これが、地図にも記載されている重倉谷からの道なのであろうか。稜線上は薮が濃く、歩くのはかなり難しそうであった。葉が完全に落ちた初冬か、残雪期に歩いた方が良さそうであった。休憩の間に、踏み跡を少し下ってみると、笹薮の中でガサガサ音がしており、クマならぬタケノコ採りが入っているようであった。
 登ってきた尾根の延長線には、踏み跡が続いていた。重倉山の偵察のためにも、まず籠町南葉山に登ってみようということになった。歩き出そうかいう時に、前方から一人のタケノコ採りが現れた。道のことを尋ねると、林道はずーと続いているが、籠町南葉山へは行かないので判らないという。どうもこの踏み跡はタケノコ採りのための道で、林道と呼んでいるようであった。重倉山への道は無いようであった。タケノコの採れる笹薮までは道が付いているが、山頂には用は無いということのようであった。
 被さっている笹や潅木の枝を刈り払いしながら籠町南葉山に向かって進んだが、次第に腕も草臥れてきて、すり抜けることに専念するようになってきた。稜線上の踏み跡が左右に分かれて、前方は薮といったT字路に出た。右手は、谷に下って、直ぐに不明に。左手には、明瞭な道が下っていた。ここが、青田難波山への分岐のようであった。道は無くなったが、薮の状態は、歩くのにはそれ程困難ではなかった。進んでいくと、木には色あせたペンキマークも付けられていた。尾根が広がった所が、青田難波山のはずであった。青田難波山の山頂に到着したことを確認するためには、その先は下りに転ずる所まで進むしか無かった。潅木に覆われて展望も無く、台地上の山頂は、およそ登頂という感興にはほど遠かった。せめて、三角点を見つけて、登頂という気分になろうとしたのだが、薮山に慣れた5人が、30分程探し回ったが見つからなかった。最高点と思われる所や、薮の間隔が開いている所に見当を付けて、落ち葉を足で掻き分けてもみたのだが。このだだっ広い薮の中では、余程の幸運が無い限りは見つからないようである。
 少し戻った所に残雪があり、そこで雪を採ってビールを冷やして、昼の大休止にした。お酒をしっかり飲んで、これで戻るばのかと思ったら、青田難波山への踏み跡がどうなっているかを確認する必要があるということになった。それなら、少し酒はセーブしておいたのだが。帰りは、意外に短い時間で分岐に戻ることができた。青田難波山へは、しっかりした道が続いていたが、緩やかに下っていくうちに薮の濃い所も現れた。木には、火の用心というプレートが付けられており、登山道として整備されていたことがうかがわせられた。しかし、いったい、いつのことなのやら。上村さんが、地元の山の会に問い合わせたところでは、残雪期以外には、青田難波山から籠町南葉山へは歩いたことは無いという返事だったそうである。901mピーク手前では、美しいブナ林が現れて、ひと休み。901mピークに向かっては、足元の滑りやすい急な登りになったが、ここの踏み跡はしっかりしているので助かった。横に広がった青田難波山も近づいてきたが、薮は深くなり、踏み跡を捜しながらの歩きになった。ようやく山頂かと思ったところで、うるさいつるの混じったやっかいな薮が現れた。右手の薮の方向が山頂のように感じたので、そちらを捜すと、すぐ先が山頂広場であった。
 山開きという話であったが、下山してしまって、誰もいない静かな山頂であった。広場には、祠が置かれ、名前の書かれた石が積み上げられていた。登山者が持ち上げもので、展望台の土台になるらしい。籠町南葉山方向に続くような踏み跡を捜したが、それらしいものは無かった。広場を囲む薮が一番悪い状態なため、これでは籠町南葉山に向かおうとする者もいそうにない。それとも、整備していない道に踏み出そうとする者がいないように、わざと入口は薮のままにしてあるのか。再び薮に戻る気はせず、キャンプ場に下って、電話でタクシーを呼んで車を回収することになった。
 整備された登山道は、やはり楽である。青田難波山も山頂付近はなだらかで、なかなか高度を下げようとはしなかった。七合目の見晴らし台からは、高田方面の眺めが広がっていた。山頂は展望が無いので、展望はここで楽しむようである。六合目の延命水の水場は、パイプから音を立てて水が流れ出ており、冷たく美味しい水であった。ここからは急な下りになり、傾斜が緩やかになると、キャンプ場への分岐に出て、沢を渡ると、キャンプ場に到着した。
 タクシーを呼んで、佐久間さんと、車の回収に戻った。愛想の良い運転手で、荒れた林道も全く気にしないで入ってくれた。タクシー代も、釣り銭を丸めて7000円であったので、車をもう一台出すより安かった勘定になる。
 山に入ってから計画に変更が生じたが、うまく踏み跡を見つけることができて、籠町南葉山から青田難波山へ歩くことができた。新潟に戻る途中のバイパスから振り返ると、籠町南葉山から青田難波山への稜線が長く続いていた。



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