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要害山、朴坂山

1999年帰り 峡彩ランタン会会山行(31名) 晴

要害山(加護山) ようがいさん(281m) 主三角点
館岩 たていわ(287m)
三ノ輪山 みのわやま (303.0m) 四等三角点
タカツボ (407m) 朴坂山 ほうざかやま(438.2m) 一等三角点本点  朴坂山塊(新潟県)5万 中条、小国  2.5万 坂町、越後下関
ガイド:新潟の里山(新潟日報社)、新潟県ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)
要害山から朴坂山への縦走路については無し

5月30日(日) 6:40 発新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、十文字、R.113、朴坂 経由)=8:20 平林城跡駐車場〜8:30 発―8:50 長辺田(ちょうべた)の馬洗場―9:04  首切清水―9:20 のろし山―9:28 首切清水―9:35 七曲坂登口―9:44 物見山―9:52 要害山〜10:10 発―10:16 館岩―10:22 種松(開墾登山口分岐)―10:38 三ノ輪山―10:46 滝谷川鞍部―11:09 大欅―11:24 西山切通し―11:30 タカツボ〜13:30 発―13:45 朴坂分岐〜14:00 発―14:15 朴坂山〜14:30 発―14:42 朴坂分岐―15:11 脇の沢林道分岐―15:44 朴坂=(十文字、R.113、蓮野IC、R.7 経由)=17:45 新潟着

 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在でも土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。
 この要害山から朴坂山まで、1996年神林村川部の山の会の手によって登山道が整備された。日本海の海岸平野部と荒川と女川の間に挟まれた一帯には、標高200〜400m程度の山塊が広がっている。その中では、一等三角点の置かれた朴坂山が有名で、朴坂から桂の集落へ周遊するコースが歩かれている。また、要害山と赤坂川をへだてて向かい合う嶽薬師には、薬師堂の奥の院が置かれて、信仰の山となっている。
 峡彩ランタン会のハイキングの係りをおおせつかり、要害山から朴坂山までの縦走を選んだ。朴坂山塊は、一等三角点ピークの朴坂山以外は、一般の感心は薄いが、低いながら山の奥深さを感じさせる山域である。私の担当のハイキングも、第一回馬ノ髪山4人、第二回鳥屋ヶ峰9名と少しずつ増えてきたが、今回は30名の参加予定者となった。大人数ともなると、スムーズに進行させるには偵察も必要になった。周辺の山に行ったついでに、両登山口の駐車スペースの確認を行ってはいたが、前日に朴坂山とタカツボ周辺を歩いて休憩場所等の確認を行った。
 鳥屋野公園の集合は、遅れる者も無くスムーズにいった。メンバーの顔と名前が覚えきれていないため、小島さんにはサブリーダーとして点呼や配車の手配など、お世話になった。朝で道路も空いているため、国道7号線をそのまま北上した。十文字の交差点を右折して国道113号線に入り、その先のコンビニの駐車場に入った。皆には、ここで休憩と歩き出す準備をしていてもらい、小島さん、高橋さん、私の車で朴坂に向かった。駐車場に高橋さんと私の車を起き、小島さんの車で戻った。その後、各車にフルに乗り込んで、平林城跡の駐車場へ。パズルのように、頭を使う。
 無事に平林城跡駐車場に到着してひと安心。渡部さん一行も、合流した。ここまでは、順調にいった。歩き始めたものの、平林城跡の看板を読んだり、写真を撮ったりで、列は延びた。我々だけの貸し切りの山で、他に紛れ込む集団が無いのが幸いであった。登山道に入ってひと登りした所の長辺田(ちょうべた)の馬洗場は、草が茂って乾性の湿原といった感じになっていた。周辺の草地にはワラビが生えてきていて、さっそくワラビ採りに興ずる者。まだ、歩き出しというのに、足はなかなか進まない。でも、いろいろな楽しみを味わってもらっているので、これで良いのだろう。緩い登りを続けて、周囲を稜線で囲まれた谷間に入ると、首切清水に到着した。首切清水は、処刑後の首を洗ったという謂われはともかく、湧き水は、四角いコンクリートの青い水苔の浮いた水溜めに流れ込んでいるため、飲む気は起きない。水の出口を少し上にもってくれば、水を汲み上げることができるのだが。それでもって、飲むか飲まないかは、個人の肝のすわりかたによるだろう。流れ出る水に沿って、ミズバショウの大きな葉が並んでいた。
 時間もあるので、荷物を置いて、のろし山に寄ることにした。右手の稜線上の小ピークがのろし台で、首切清水から道が分かれている。ひと登りしたのろし山の山頂は、丈の低い草が繁っているものの、周囲の展望は良く開けていた。荒川の河口と高坪山の眺めが、目の前に広がっていた。ひと休みには良い所である。要害山の山頂も近くに迫っていた。
 首切り清水に戻り、要害山に向かった。七曲坂周辺からは、美しい林が広がるようになる。初夏を思わせる気候で、緑は濃くなっていた。つづら折りの登山道に人の列は長く延びて、どこかの人気の山かと見間違えるような光景であった。七曲坂を登り詰めると、物見山への分岐。ここにも寄っていくことにした。のろし山とは構図はそれ程変わらないが、より高度感は増している。寄り道が多いが、僅かな登りで要害山の山頂に到着した。土塁の跡らしい段々を越すと、広場になった要害山の山頂に出た。とりあえず、ここでも休憩。
 要害山の山頂は、大きな広場になっており、休憩小屋も立っているので、利用価値も大きいと思う。さっそく、お月見山行の話が出た。荒城の月を歌って、酒を酌み交わす。いつかやってみたい。
 要害山の最高点は、この広場ではなく、少し先の館岩と呼ばれる岩の上になる。遊びついでということで、交代で、岩の上に登った。ここから一旦下ると、川部への分岐のある種松に到着し、三ノ輪山への登り返しとなる。登山道として整備されているが、歩く者は少ないような感じである。三ノ輪山の山頂は、木立で囲まれて展望は無い。前回は、この先の下降点が残雪に覆われて分かり難かったが、今回は問題なく道を辿ることができた。下降もそれ程の距離は無く、前方の稜線も見た目ほどには時間もかからなかった。稜線伝いに小さなアップダウンを続けると、高さはそれ程無いが、幹周りの大きな「大欅」に出て、小休止。森の主といった風情の古木であった。谷を越えてくる風が心地よかった。次第に足も重くなり、昼食、いやビールを思って、昼の休憩場所への到着が待ち遠しくなってきた。
 昼少し前の丁度良い時間に、タカツボに到着した。山頂に思い思いに腰をおろし、中央には天蓋を張った。小さな山頂は、貸し切り状態になったが、幸い、登山者もやって来そうには無かった。気温も高く、喉も乾き、乾杯の声と共に飲み干すビールは旨かった。つまみも、次から次に回されてきて、峡彩ランタン会ならではの宴会風景になった。
 充分に休んで、朴坂山への最後の行程に進んだ。休憩後は、酒のためか、かえって足は重くなった。一群のハイカーとすれ違い、話を聞くと、嶽薬師からやってきたという。どうやら、嶽薬師と朴坂山の間も道が切り開かれたようである。
 朴坂への下山路の分岐に荷物を下ろして、朴坂山を往復してもらうことにした。昨日のヒメサユリも無事に咲いていた。早めに引き返してしまった人もいたが、朴坂山の山頂は、我々の一行でうまっていた。幸い、他のハイカーは誰もいなくて、余計な気遣いをする必要はなかった。気温が上がったせいか、近くの山の眺めは楽しめたものの、遠くは霞んでいた。
 分岐に戻り、朴坂山への下りをもうひと頑張りした。急坂に苦労する人、最後には足も痛みだした人もいたが、無事に下山することができた。下山して、まずはドライバーに集合してもらい、車の回収を行った。急いで往復しても30分以上はかかり、一日の歩きの意外に長かったことを実感した。
 朴坂山塊を歩くには、低山ということもあり、もう少し前の新緑の季節、あるいは葉の落ちた初冬の季節が適期かとも思う。しかし、今回の山行は、天候にも恵まれ、低山歩きの面白さを紹介する目的は果たすことができたと思う。


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