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倉手山、朴坂山

1999年5月29日 日帰り 単独行 晴

倉手山 くらてやま(952.5m) 三等三角点 5万 飯豊山 2.5万 長者原、飯豊山
ガイド:分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「飯豊山」(昭文社)

朴坂山 ほうざかやま(438.2m) 一等三角点本点  朴坂山塊(新潟県)5万 中条、小国  2.5万 坂町、越後下関
ガイド:新潟ファミリー登山(新潟日報社)、新潟の里山(新潟日報社)、新潟50山(新潟日報社)

5月29日(土) 6:20 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、十文字、R.113、横根、長者原 経由)=7:58 倉手山登山口〜8:15 発―9:03 稜線分岐―9:29 鏡山山頂〜9:50 発―10:10 稜線分岐―10:37 倉手山登山口=()=11:36 朴坂仮駐車場―11:59 水飲み場―12:03 林道分岐―12:13 西山分岐―12:31 縦走路分岐―12:44 朴坂山―12:48 見晴らし〜13:02 発―13:13 縦走路分岐―13:30 タカツボ〜13:35 発―13:52 縦走路分岐―14:05 西山分岐―14:10 林道分岐―14:13 林道―14:28 ゲート―14:35  朴坂仮駐車場=(桂の関温泉入浴500円、往路を戻る)=16:40 新潟着

 倉手山は、飯豊連峰北部の重要な登山口である飯豊山荘手前の、玉川右岸に位置する山である。標高も1000m近くあって、それなりの高さを持つ山ではあるが、すぐ前が飯豊連峰への登山口の飯豊山荘とあっては、注目度も低くなってしまう。しかし、飯豊連峰と向き合うことから、その山頂からの展望は素晴らしく、登山道が整備されていることから人気の山になっている。なお、倉手山の登山道は、平成4年のベニ花国体によって整備されたが、北半分が地元の地権者との関係で通れなくなり、現在では、玉川寄りの西側から山頂近くまで新しい登山道が開かれている。
 先週は、蒜場山と鏡山といった二つの飯豊の展望台の山に登ったので、今度は山形県側の展望の山である倉手山に登ることにした。昨年来登ろうと思っていたが、晴天に恵まれずにそのままになっていた。
 朝早くは雲が少し残っていたが、次第に青空が広がってきた。長者原を過ぎると、倉手山が目に入ってきたが、気になるのは、玉川左岸の西俣ノ峰から頼母木山に至る稜線であった。飯豊梅花皮荘前を通過してしばらく走ると、沢の脇に左手に倉手山登山口という標識が立っていた。牛の倉橋の先に駐車場が設けられて、5台の車がとめられていた。
 出発にあたって、入口の標識を良く見ると、「マタギの里森林浴歩道」と書かれていた。登山道は、いきなりの急登で始まった。汗が吹き出る間もなく、心臓が苦しくなって、歩みをローギヤーに変えた。良く整備された道ではあるが、このような道は遊歩道とうあ言わない。ようやく傾斜が緩くなって痩せた尾根の上に出ると、沢越しに倉手山の山頂が顔をのぞかせた。急な登りに足が止まらなければ、そう遠くは無さそうであった。枝尾根から主稜線上の小ピークに登り着くと、左手から旧道が合わさった。整備されなくなってか、草に覆われていた。
 一旦下った先には、再び急な登りが続き、先行の登山者が登って行くのを眺めることができた。高度を上げるに連れて、右手に白い峰が見えるようになってきたが、左に鋭峰を従えているのを見て、鉾立峰と杁差岳であるのに気がついた。新潟方面から見るのと、位置が逆になっているのが面白かった。
 山頂まで急登が続いたが、短い時間で登ることができた。倉手山の山頂付近はなだらかな潅木帯になっていたが、一段高い広場は刈り払われた広場になって、南面の展望が広がっていた。これもなかなかの展望であった。頼母木山から門内岳が正面に大きく、梶川尾根の向こうに北股岳のピラミッド型の山頂が頭をのぞかせていた。一際白い帯が下がっていくのが、石転び雪渓であろうか。稜線の連なるままに、左に目を転ずれば、飯豊本山が大きく見えた。飯豊の展望台での、主役がそれぞれ違っているのも、飯豊の懐の深さか。
 温見平へ下山しようかと迷ったが、車道歩きも長そうなため、別の機会にゆずることにした。急坂を下る途中、何組かの登山者に出会い、山頂も賑わいそうであった。下山すると車は10台に増えていた。なぜか全て新潟ナンバーの車であった。
 今日のこの後の仕事としては、朴坂山の偵察があった。峡彩ランタン会からハイキング山行をまかされ、要害山から朴坂山への縦走を計画した。多くても10名くらいであろうとの予想が外れ、30名程が参加するとは。5月8日の葡萄鼻山の帰りに両登山口の様子は再確認しておいたものの、昼食の場所や、歩いたのがかなり前の朴坂山からの下山路を確認しておく必要があった。
 朴坂橋を渡って集落内に入る所に、仮駐車場が設けられている。山に向かうと、登山ポストが置かれ、林道跡の登山道が始まった。以前は、荒れた林道といった風情の道だったと思ったが、今では歩くだけの幅しかなく、50センチ程のコンクリートの帯が続いていた。周囲は杉林で、暗い感じの道であった。前回登ったのは、94年4月23日で、それ程昔という訳でもないのに、どうも記憶と違った感じであった。途中で横断する小さな沢の水呑み場は、水量も僅かで、水を飲む気にはなれないものであった。杉林の中をひと登りして尾根の上に出ると、左からもう一本の登山道が合わさった。標識によれば、登ってきた道は新道で駐車場に至る道。左からの道は、脇沢への林道に下るもののようであった。木立の間から林道が見え隠れして、すぐそこまで林道が延びてきているようであった。脇沢林道への道の方が、踏み跡も明瞭であった。
 ここから急な登りに変わった。先ほどの倉手山の急な登りに疲れてもいたので、辛く感じた。登山道沿いの樹木の緑も濃くなって、展望も利かなくなっていた。小さなピークを越して、ようやく縦走路へ辿りつくことができた。気に掛かっていた要害山への縦走路の状態はと見ると、やや薮っぽい感じはするものの、歩くのには問題は無さそうであった。朴坂山に向かって緩やかになった稜線を辿ると、登山道脇にヒメサユリが二輪咲いていた。ハイカーの多い大都市周辺の山で、このような花が登山道沿いに咲いていたら、不心得者によってつまれてしまうだろうが。さて、明日までこの花は、無事にいるであろうか。明日の興味のひとつになった。
 朴坂山山頂は、北面が刈り払われていたが、前回の春先に比べると、木の葉によって、視界は狭まっていた。上下二段程の小広場があったが、他の登山者がいたならば、30名は収容できない広さであった。やはり、タカツボの様子を確認する必要がある。まずは展望台によって、遅くなった昼食をとった。飯豊方面の展望は、雲のためにはっきりしなかった。目の前の潅木にテープが付けられ、かすかな踏み跡が下っているのに気がついた。少し下ってみると、嶽薬師へ続く尾根に向かうような感じがした。(翌日、嶽薬師から歩いてきた一群のハイカーに出合、この予想を確かめることができた)
 分岐に戻り、今度は要害山方向に進んだ。歩く者は少ないようであるが、問題の無い道であった。タカツボには新しい標柱が立てられていた。タカツボの山頂は、木立に囲まれているものの、北方面の展望が開けた、小さな広場になっていた。ここなら、大人数でもなんとか休めそうであった。
 偵察もここまでとして、来た道を戻った。急斜面の下りは、滑りやすかった。
 分岐に出て、右手の林道に下りてみることにした。良く踏まれた道を下ること僅かで林道に飛び出した。ここには、朴坂山登山口の標識が立っていた。どこに下るのか判らないまま、林道歩きを続けた。沢沿いの道が結構長く続いた。途中、ゲートがあったが、開放されていた。最後は、集落に入る手前の朴坂橋の脇に飛び出した。脇の沢の工事の案内板がかかげられていたので、この林道は脇の沢林道とでもいうのだろうか。
 明日の天気も良さそうで、歩きを楽しむことができそうであった。



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