9924

武奈ヶ岳、蓬莢山

大和葛城山、金剛山、竜門ヶ岳

護摩壇山、伯母子岳、高見山

三峰山、倶留尊山

冠山、能郷白山

1999年4月29日〜5月3日 5泊6日 単独行 雨のち晴/晴/晴/晴/曇り

武奈ヶ岳 ぶながたけ(1214.4m) 三等三角点 比良山系(滋賀県) 5万 北小松 2.5万 北小松、比良山
ガイド:分県登山ガイド「滋賀県の山」(山と渓谷社)、京阪神ワンディ・ハイク(山と渓谷社)、関西百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

蓬莢山 ほうらいさん(1174.3m) 一等三角点本点 比良山系(滋賀県) 5万 北小松 2.5万 比良山
ガイド:関西百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

大和葛城山 やまとかつらぎさん(959.2m) 金剛山地(大阪府、奈良県) 5万 五條 2.5万 御所
ガイド:分県登山ガイド「大阪府の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「奈良県の山」(山と渓谷社)、関西百名山(山と渓谷社)、京阪神ワンディ・ハイク(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

金剛山 こんごうざん
 葛木岳 かつらぎだけ(1125m) 無し
 湧出岳 ゆうしゅつだけ(1112.2m) 一等三角点本点 金剛山地(大阪府、奈良県) 5万 五條 2.5万 五條、御所
ガイド:分県登山ガイド「大阪府の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「奈良県の山」(山と渓谷社)、関西百名山(山と渓谷社)、京阪神ワンディ・ハイク(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)、一等三角点百名山(山と渓谷社)、一等三角点の名山100(新ハイキング社)

竜門ヶ岳 りゅうもんがたけ(904.3m) 一等三角点補点 奈良中部(奈良県) 5万 吉野山 2.5万 新子、古市場
ガイド:京阪神ワンディ・ハイク(山と渓谷社)、分県登山ガイド「奈良県の山」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)、一等三角点の山々(新ハイキング社)

護摩壇山 ごまだんざん(1372m) 無し 奥高野(和歌山県、奈良県) 5万 伯母子岳、龍神 2.5万 護摩壇山、龍神
ガイド:分県登山ガイド「和歌山県の山」(山と渓谷社)、関西百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

伯母子岳 おばこだけ(1344m) 無し 奥高野(奈良県) 5万 伯母子岳 2.5万 上垣内、伯母子岳、梁瀬、護摩壇山
ガイド:関西百名山(山と渓谷社)、分県登山ガイド「奈良県の山」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

高見山 たかみやま(1248.9m) 二等三角点 台高山地(奈良県、三重県)5万 高見山 2.5万 高見山
ガイド:関西百名山(山と渓谷社)、分県登山ガイド「奈良県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「三重県の山」(山と渓谷社)、アルペンガイド「大峰・台高」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

三峰山 みうねやま(1235.4m) 一等三角点本点 台高山地(奈良県、三重県)5万 高見山 2.5万 菅野
ガイド:関西百名山(山と渓谷社)、分県登山ガイド「奈良県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「三重県の山」(山と渓谷社)、アルペンガイド「大峰・台高」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

倶留尊山 くろそやま(1037.6m) 三等三角点 室生山地(奈良県、三重県) 5万 名張 2.5万 倶留尊山
ガイド:関西百名山(山と渓谷社)、分県登山ガイド「奈良県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「三重県の山」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

冠山 かんむりやま(1256.6m) 三等三角点 越美山地(福井県、岐阜県) 5万 冠山 2.5万 冠山
ガイド:分県登山ガイド「福井県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「岐阜県の山」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

能郷白山 のうごうはくさん(1617.3m) 一等三角点本点 越美山地(福井県、岐阜県) 5万 能郷白山、冠山 2.5万 能郷白山、冠山
ガイド:分県登山ガイド「福井県の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「岐阜県の山」(山と渓谷社)、アルペンガイド「鈴鹿・美濃」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)

4月28日(水) 20:30 新潟発=(北陸自動車道 経由)
4月29日(木) 0:20 小矢部SA着  (車中泊)
5:30 小矢部SA発=(北陸自動車道、敦賀IC、R.161、近江舞子 経由)=8:00 比良リフト山麓駅〜9:00 発=(比良リフト、ロープウェイ 経由)=9:35 山頂駅―9:52 金糞峠―9:56 八雲ヶ原分岐―10:28 中峠―10:50 八雲ヶ原分岐―11:00 武奈ヶ岳山頂〜11:08 発―11:26 細川越―11:29 すげ原―11:48 広谷―11:52 イブルキのコバ―12:06 八雲ヶ原―12:20 山頂駅〜12:30 発=(ロープウェイ、リフト 経由)=12:52 比良リフト山麓駅=(R.161、志賀 経由)=13:35 びわ湖アルプスゴンドラ山麓駅=(びわ湖アルプスゴンドラ 経由)=13:55 山頂駅―14:12 蓬莢山山頂〜14:22 発―14:36 山頂駅=(びわ湖アルプスゴンドラ 経由)=14:52 山麓駅=(R.161、びわ湖タワー温泉入浴(800円)、R.161、大津IC、名神高速道路、豊中IC、阪神高速道路、松原JCT、西名阪自動車道、藤井寺IC、R.170、富田林、R.309 経由)=9:45 道の駅ちはやあかさか  (車中泊)
4月30日(金) 5:20 道の駅ちはやあかさか発=(R.309 経由)=5:35 水越峠〜6:00 発―6:17 急登坂上―6:36 稜線上―6:57 大和葛城山山頂〜7:05 発―7:22 稜線上―7:32 急登坂上―7:46 水越峠―8:12 金剛の水―8:17 登山道入口―8:37 パノラマ台―9:13 一ノ鳥居―9:22 葛木神社―9:30 国見城跡―9:45 一ノ鳥居―9:49 湧出岳〜9:53 発―9:59 一ノ鳥居―10:27 パノラマ台―10:36 登山道入口―10:40 金剛の水―11:04 水越峠=(R.309、下市口、R.169、吉野、山口 経由)=12:45 山口神社入口〜12:55 発―13:02 車道終点―13:16 龍門寺塔跡―13:47 二俣―14:20 竜門ヶ岳山頂〜14:32 発―14:58 二俣―15:20 龍門寺塔跡―15:31 車道終点―15:45 山口神社入口=(津風呂ダム、津風呂温泉入浴(900円)、R.169、下市口、R.370、三在、R.24、橋本、R.370 経由)=20:10 高野山中ノ門  (車中泊)
5月1日(土) 0:00 高野山中ノ門発=(高野龍神スカイライン 経由)=0:45 護摩壇山駐車場  (車中泊)
4:42 護摩壇山駐車場発―4:48 護摩壇山山頂〜5:05 発―5:10 護摩壇山駐車場=(高野龍神スカイライン、林道奥千丈線 経由)=6:00 伯母子岳登山口―6:29 口千丈山―7:16 深タワ―7:30 伯母子岳山頂〜7:46 発―7:55 深タワ―8:43 口千丈山―9:07  伯母子岳登山口=(高野龍神スカイライン、R.371、橋本、R.24、R.24、三在、R.370、下市口、R.169、宮滝大橋、R.370、窪垣内、鷲家、R.166 経由)=14:13 高見峠〜14:18 発―14:28 休憩広場―14:53 高見山山頂〜15:10 発―15:24  休憩広場―15:33 高見峠=(R.166、高見山の湯みの家(700円)、平野出合、開路、R.369、神末 経由)=18:00 不動滝入口  (車中泊)
5月2日(日) 5:50 不動滝入口発―5:54 不動滝―6:38 避難小屋〜6:44 発―6:53 三畝峠―7:05 八丁平〜7:15 発―7:18 三峰山山頂〜7:25 発―7:32 三畝峠―7:34 避難小屋―8:03 林道(雨量計アンテナ)―8:20 不動滝入口=(神末、R.369、菅野 経由)=9:00 亀山登山口〜9:18 発―9:35 亀山―9:44 亀山峠―10:03 二本ボソ―10:12 鞍部―10:25 倶留尊山〜10:47 発―10:50 鞍部―11:00 二本ボソ―11:14 亀山峠―11:35 亀山登山口=(太良路、名張、R.165、R.368、上野、R.25、阿南、甲南、水口、R.,307、彦根、R.8、長浜IC、北陸自動車道、武生IC、今立、R.417、冠山林道 経由)=19:00 冠峠手前路肩  (車中泊)
5月3日(月) 3:55  冠峠手前路肩発―4:25 冠峠―5:19 冠平―5:27 冠山山頂〜5:30 発―5:38 冠平―6:24 冠峠―6:47  冠峠手前路肩=(冠山林道、R.417、池田、R.476、美山、R.158、大野、R.157 経由)=9:32 温見峠〜9:41 発―10:28 標高1500点―10:48 標高1540点―11:00 能郷白山三角点ピーク―11:08 能郷白山祠ピーク―11:14 能郷白山三角点ピーク―11:28 標高1540点―11:36 標高1500点―12:15 温見峠=(R.157、大野、R.158、福井IC、北陸自動車道 経由)=22:40 新潟着

全走向距離 1760km

 琵琶湖の西岸に南北に連なる山系を比良山系と呼び、武奈ヶ岳はその最高峰である。リフトとロープウェイを利用して手軽にアプローチできることから、関西のハイカーに親しまれている山である。山頂付近には山名の由来になったブナ林が広がり、八雲ヶ原の湿原もあり、自然が良く残されている。
 蓬莢山は、比良山系で武奈ヶ岳に次ぐ第二位の高峰である。近江八景や万葉集などで取り上げられた比良の山は、この蓬莢山であったという。山頂からは、琵琶湖の大展望を楽しむことができる。山頂一帯は、びわ湖バレイスキー場として開発され、ゴンドラとリフトを乗り継げば、まったく歩かずに山頂に達することができる。
 金剛山地は、大阪平野と奈良盆地の間を南北に連なる山地で、金剛生駒国定公園に指定されている。金剛山は、山塊の最高峰であり、大阪府の最高峰ともされている。金剛山の実際の山頂は奈良県内に属するが、大阪を代表する山として愛好されている。金剛山の山頂には、葛木神社や修験道に関係有る転法輪寺も置かれ、また西山麓には、楠木正成の千早城があることでも知られている。
 葛城山は、水越峠をはさんで金剛山と向かい合う山である。大阪と和歌山の県境の和泉山地にも葛城山があることから、この山は、大和葛城山と呼ばれている。山頂部には草原が広がり、ツツジの群落でも知られている。
 竜門ヶ岳は、奈良盆地の南東に位置し、津風呂湖に堂々たる姿を映す山である。この山の山麓には、今昔物語の久米仙人が庵をむすんでいたという伝説や、平安時代に栄華を誇ったという龍門寺の跡も残されている。
 護摩壇山は、和歌山と奈良の県境線上にある奥高野の山である。和歌山県の最高峰であるが、高野龍神スカイラインがこの山の山頂下を通過していることから、遊歩道をたどって、容易に山頂に立つことができる。平清盛の孫の「桜梅小将」とも呼ばれた美男子の平維盛は、恋人お万の方とこの山の西の小森谷に隠れ住んだが、平家の運命を占って、この山の頂上に護摩壇を築いたという伝説にこの山の名前は由来している。
 伯母子岳は、護摩壇山の西に稜線を連ねた奥高野の山である。高野山から熊野に抜ける小辺路の険路をたどる旅人の目にとまる山であったという。この山の名前は、子ノ谷の奥に住んでいた美貌の乳母に村の長者が子育てを頼んだという伝説に基づいているという。
 台高山脈は、紀伊半島の北東部に南北に連なって奈良県と三重県の県境を作っている。台高山脈の名前は、大台ヶ腹山の「台」と高見山の「高」をとったものである。高見山は、台高山脈北部を代表する山であり、「関西のマッターホルン」 とも呼ばれるように美しい三角形の山頂を持っている。南山麓には、奈良と伊勢を結んでいた旧伊勢街道が走り、山頂には神武天皇の東征を先導したという八咫烏賀茂建角神社が奉られた信仰の山である。山頂一帯にはブナの自然林が良く残されて冬の霧氷見物の人気も高いという。             
 三峰山は、台高山地の北の盟主といえる高見山の東に位置する山である。三峰山の山頂は、あまり明瞭ではなく、高原状となっている。奥地にあるものの、霧氷見物でも有名で、四季を通じて訪れる登山者が多い。
 室生山地は、火山性の山塊であり、特徴のある姿をした山が連なっている。倶留尊山は、南西の山麓一帯が、ススキの原のになっており、景勝地としても人気も高い。
 冠山は、福井と岐阜県境沿いの山であり、鋭い山頂を突き上げる山である。美濃の奥地にあって、かつてはシタ谷をつめてから岩壁をよじ登るしかなかった登頂困難であったこの山も、西の県境線を冠山林道が越えて、尾根通しの道が整備されたことによって容易に登れるようになっている。
 能郷白山は、福井・岐阜を南北に分ける県境稜線の最高峰である。能郷白山は、養老年間に最澄によって開かれた信仰の山であり、山頂には能郷白山権現社、麓の能郷には里宮が置かれている。この山の名前は、春遅くまで雪をかぶって白く見えることに由来している。石川・福井・岐阜の県境をなしている山を両白山地というが、これは加賀の白山と能郷白山の名前を連ねたものである。

 五月の連休にどこの山に登るか迷った。この時期でなければ登れない残雪の山にも心が引かれたが、結局、関西の300名山を登りに出かけることにした。94年の五月の連休に100名山巡りのために、大台・大峰を中心に5日間の山行を行ったが、この時が初めての車を使っての長期の連続登山であった。車での野宿にもすっかり慣れて、最近ではコンビニも各所で見られるようになって、食料の補給も楽になってきた。
 連休前に片づける仕事があって、家を出るのも、遅めになってしまった。小矢部SAまで走ったところで、これで良しとして、野宿態勢に入った。富山・石川県境近くまで走ったといっても、実際には新潟県を出るのに3分の2の時間がかかっている。五月の連休とあっては、道路の混雑を考えながら、登る山の順番を考えていく必要があった。ビール片手に作戦を考えて、初日の山としては、武奈ヶ岳をめざすことにした。
 敦賀ICで高速を下りて、一般道で琵琶湖をめざした。順調に、比良リフト乗り場の前の路肩の駐車場に到着することができた。乗り場をのぞくと、9時に運行開始とあった。ハイカーに人気の山と聞いていたので、予想外の遅い運行開始時間であったが、車の中で朝食をとりながら、時間をつぶした。空模様があやしくなってきて、小雨も降り始めた。リフトも長くて、雨にさらされると辛そうなため、雨具を着て出発の準備をした。9時が近くなると、ハイカーも集まってきた。山頂駅までのリフトとロープウェイの往復は、2000円であった。安くはないが、下から見上げると、歩く気はおきなかった。まず長いリフトで釈迦岳の肩まで。幸い雨もやんできて、琵琶湖の眺めが眼下に広がった。次に、ロープウェイに乗り換えて、谷を渡って山上駅へ。谷の深さと、ガレ場の眺めが目を引いた。
 ロープウェイ駅を出ると、観光地らしい石造りのケルンがあり、谷越しに武奈ヶ岳のすっきりした三角形の山頂が姿を現した。武奈ヶ岳へは、ロープウェイの山頂駅からでも幾つものコースが考えられたが、新潟では昭文社のハイキング地図は手に入らず、現地に着いてから歩くコースを考えようと思っていた。幸い、乗車券売場にハイキングマップが置いてあり、コースを確かめることができた。八雲ヶ原からイブルキのコバを経由するコースが一番短そうであったが、時間もあることなので、金糞峠経由で登ることにした。
 シャクナゲ尾根に入るとすぐに展望台があり、その先は少し下り気味の道になった。雑木林に囲まれた静かな道であったが、5月始めに咲くというシャクナゲはまだであった。金糞峠で蓬莢山までの縦走路に心引かれたが、所用時間を計算すると、片道ならともかく、往復してさらに武奈ヶ岳の山頂もというのは、少し無理なようであった。峠から谷間に下っていくと、沢が流れていた。テント場に利用されているようで、テントも張られていた。丸太橋で沢を渡ると、沢沿いの登りが始まった。良く踏まれているが、遊歩道のように整備のしすぎということもない、好ましい道であった。沢を何回か渡渉しながらの登りでは、暑くなってフリースを脱いだが、中峠に到着すると、冷たい風が吹き付けてきて、再び着込むことになった。尾根道をたどっていくと、周囲にはブナ林が広がるようになった。下生えの笹には、白く雪が積もっている所もあり、昨晩はかなり冷え込んだようであった。コヤマノ岳は、それとわからぬ緩やかなピークであったが、前方に武奈ヶ岳の山頂もせまってきた。八雲ヶ原からの登山道を合わせると、ここまでは時折登山者を追い越すだけの静かな道であったのが、行き交う人の声の賑わう道になった。登山道も泥濘に変わっていた。最後の急登を終えて西南稜を合わせると、武奈ヶ岳の山頂に到着した。
 山頂は広場となり、すでに大勢の登山者で賑わっていた。ここまでそれほどゆっくりとは歩いてこなかったはずなので、イブルギのコバから直接登ってきた方が、時間はかからないようであった。周囲には素晴らしい展望が広がっていた。東には琵琶湖の湖面が光り、稜線が連なる南には、スキー場の施設に占められた蓬莢山の山頂をのぞむことができた。西には彼方まで山々が広がっていたが、残念ながら知っている山は無かった。北には、伊吹山と鈴鹿の山々。また、山頂からは気持ちの良さそうな笹原の尾根が下っていた。ハイキングマップを見ると、北稜とあり、このコースからでもロープウェイの山頂駅に戻ることができるようであった。人混みを避けて、この道を下ることにした。
 続々と登山者が登ってくる山頂を後に、北稜に進んだ。道は明瞭なものの、笹がかぶり気味であった。周囲の潅木には霧氷がついて、銀世界に変わっていた。五月の季節に、それも関西の山で、霧氷にお目にかかるとは思っていなかった。笹の下の登山道は泥濘になって、足を滑らさないように、笹を手でしっかり掴みながら歩く必要があった。雨はやんでいたが、雨具のズボンは脱いでいなかったのが幸いした。細川越から縦走路から離れて広谷に向かって下った。笹原から一転して、雑木林の中の道になった。谷に下ったところで、枯れ草の茎が立ち並ぶ小湿原の、すげ原に出た。泥地には木道が敷かれていたが、朽ちかけており、歩く人は多くないようであった。沢沿いに下っていくと、山小屋も現れたが、ハイキングマップには記載は無く、公共のものでは無さそうであった。沢の渡渉も数回あり、そろそろ心配になりかけた頃、広谷の分岐に出た。ガレ場の広がる沢から登っていくと、イブルギのコバに出て、ここからは道も広くなり登山者も多くなった。イワウチワの花を眺めながら下っていくとスキー場に出て、そのすり鉢の底が八雲ヶ原であった。ヒュッテの前の広場では、昼時とあって、お弁当を広げた登山者で賑わっていた。八雲ヶ原の湿原を見物してから、遊歩道をひと登りで山頂駅に戻ることができた。
 続いて、蓬莢山をめざした。びわ湖バレイの駐車場代として700円。さらにゴンドラ代に1700円。関東方面のスキー場では、冬はともかく、夏はスキー場の駐車料金はとらないのが普通だが。ゴンドラ券+バーベキューというチケットも売っており、山というよりはレジャー施設の入場と考える必要があるようである。ゴンドラで一気に高度を上げると、山頂部に広がるスキー場の一画に出た。蓬莢山という名前は、300名山で初めて知ったが、びわ湖バレイスキー場なら、子供の頃から名前を聞いていた。ゲレンデの案内図を見て、蓬莢山の山頂までリフトが延びているのを見て驚いた。少しは登山道らしき区間は残されているものと思っていたのだが。リフトは運行していたが、せめて最後の区間は歩くことにした。800円程のお金をかけるのも馬鹿らしかった。そり滑り、ゴーカート場、ターゲット・バードゴルフ、ターゲットアーチェリー、大滑り台等の遊具施設を眺めながら、ゲレンデを登っていくと、リフトの終点に出て、その後ろに蓬莢山の山頂があった。お地蔵さまの石像が並んで置かれ、広場の一画には一等三角点が置かれていた。北には武奈ヶ岳へ至る稜線、南には比叡山、東には琵琶湖の大きな眺めが広がっていた。すぐ下の笹原の中には、小女郎ヶ池が光っていた。素晴らしい眺めであったが、リフトで登ってきた観光客が、蓬莢山の山頂を気にもとめずにゲレンデの中を下っていった。すでに登山の対象からははずれた山頂であった。
 日本300名山が決定たのは昭和五十三年(1978年)。すでに20年が経過して、山の価値も大きく変わってきている。300名山は、昭和五十二年の案から、幾つかの山が変更されているが、今再び山を選び直す時期になっているのかも知れない。
 ゲレンデの下りは、琵琶湖に飛び込むかのような大きな展望が広がっていた。山の楽しみにもいろいろ有る。ただ、この山には登頂の楽しさは無かった。もっとも、一等三角点が置かれて、たいして歩かずに到達できる山頂とあっては、結局は登ってみるしかないことにはなるのだが。
 翌金曜日は、平日とあって、休日には混み合いそうな大和葛城山と金剛山をめざすことにした。中間の水越峠からなら二つの山を登るのに都合が良かった。この二つの山には、ロープウェイもかかっていたが、そうそうロープウェイを使っていては、登山でなく観光になってしまうし、運行開始時間と車の回送を考えると、歩いて登ってしまった方が早そうであった。問題は、水越峠へのアプローチであった。奈良からか、大阪側から入るか。高速を使って大阪側に回り込む方がてっとり早そうであった。
 琵琶湖沿いのR.161を通って名神高速道を目指したが、渋滞のノロノロ運転が続いた。びわ湖タワー温泉というレジャー施設の一画にある温泉を見つけてひと風呂あびた。シャンプーも無く、沸かし湯のようで、値段の割にたいした温泉では無かったが、さっぱりできて時間もつぶすことができた。夕食もとって、道路も少し空いたところで、ドライブも再会した。高速に乗ったのは良かったが、うっかり吹田JCTで近畿自動車道に入ることができず、豊中IC から阪神高速道路に入って松原JCTを目指した。休日の夜遅くとあって大阪市内の道路が空いているのが助かった。大阪市内の土地勘は全く無かったが、南西に向かってあてずっぽうに走っていると西名阪自動車道の案内が出てきてホットした。カーナビが欲しくなるのもこんな時であった。照明に照らされた通天閣の脇も通り、思わぬ大坂見物をした。この日の宿は、道の駅ちはやあかさかとした。国道から奥まった所にあり、町の明かりが眼下に広がる静かな駐車場であった。
 国道から分かれて旧道に入り、ひと登りすると水越峠に到着した。大阪を代表する山と聞いていたのだが、峠付近に駐車場は無く、路肩駐車になった。休日だと、車を停めるのにも苦労をしそうであった。葛城山と金剛山のどちらから登るか迷ったが、時間のかからない葛城山を先に登ることにした。峠の頂点部から杉林の中に続く登山道に入った。右手に沢を見ながら、石段に整備された登山道を登っていくと、丸太の階段登りに変わった。ほぼ最大傾斜線にそって道がつけられているので、辛い登りになった。ダイヤモンド・トレール(ダイトレ)と呼ぶらしいが、あまり良い整備の仕方とも思えなかった。急斜面のカーブ地点を見ると、古い踏み跡が水平に延びているようで、昔はもっとゆったりしたつづら折りの道であったように思えるのだが。急な登りを一旦終えて、水平気味の道を進むと、再び登りが始まった。稜線上に登り着くと、杉林の伐採地の間から大阪湾方面の眺めが広がった。緩やかな尾根道をたどり、小さなピークを越すと、前方に葛城山の山頂が姿を現した。一旦緩やかに下ったのち、ロッジのある山頂部をからみながら、ツツジ園を奥に向かってすすんだ。ロープウェイへの道を右に分けて、草原の中をゆっくりと登ると、葛城山の山頂に到着した。のびやかな山頂であり、大きな展望が広がっていた。とりわけ目につくのは、どっしりと広がる男性的な金剛山であった。山頂近くの草原では、風景を眺めながら朝食中の登山者がひとり、折り返しに下りていった山岳ランナーが一人の、静かな山頂であった。
 葛城山の眺めでは、金剛山まで、かなりの距離と高さがありそうであった。帰りはロッジの脇を通り抜けて、尾根通しに進んだが、一帯はキャンプ場になっているようで、テント場のための木の台が所々に設けられていた。峠に向かっての下りにかかる頃、他の登山者にも出合うようになった。花はどうだったと聞かれて、見た花はスミレに・・・と答えたら、ツツジの事を聞いてきたようであった。昨年の五月の連休にはツツジは咲いていたというが、今年は全く咲いておらず、武奈ヶ岳のシャクナゲといい、全般的に関西の花の時期は遅めになっているようであった。
 水越峠に戻って、次いで金剛山をめざした。少し大阪よりに下った所から分かれる林道が入口であったが、そのゲートは閉ざされており、車の乗り入れはできなかった。右手に谷を覗き込みながらの整備された林道が続いた。谷の奥に進んだ所で、右手に金剛の水という水場が現れた。葛城山でひと汗かいた後の乾いた喉には美味しく感じられた。その先で、左手に小さな橋が現れ、ここが登山道の入口であった。休憩所の脇から、杉林の中のつづら折りの登りが始まった。幸い、緩い傾斜で折り返す道で、葛城山への登りに比べれば歩きやすかった。稜線上のパノラマ台に出て、ひと息いれた。この先も、思ったよりも長い登りが続いたが、杉林や雑木林に囲まれて、見晴らしは良くなかった。下ってくる登山者にもすれ違ったが、軽装で小走りに歩いている者が多かった。
 一ノ鳥居に出ると、その先は杉の大木に囲まれた参道になった。ひと登りすると葛木神社に到着し、まずは、お参りをした。この後ろが最高点の葛木岳であるが、神社の御神体となって立ち入り禁止らしい。神社の先の坂を下っていくと、転法輪寺の前に出た。社務所の前には、50回以上の登拝者の名札がかかげられていた。最高者は、8500回以上の所に名前が記されていた。毎日登っていても23年かかる勘定になる。一日に何回かは登って、さらに何十年も続けていないことには達成できない記録である。ここまでいくと、単なる登山ではなく、信仰の領域となってしまうであろうか。登頂の証明に印を押してもらう受け付けがあり、スタンプ帳を売店で買ったうえで、一回200円が必要なようである。その先の国見城跡は、大阪平野を見下ろす展望地になっており、金剛山山頂の標識が置かれて、多くの登山者が休んでいた。
 一ノ鳥居に戻ってから湧出岳へ向かった。伏見峠への道から分かれる林道をひと登りすると、アンテナ塔の立つ山頂に出た。登り口右手の奥に一等三角点があった。木立に囲まれて展望も無く、他にだれもいない山頂であった。賑やかな金剛山の中で、忘れられたかのような静かな山頂であった。
 車に戻ると、路上駐車の車の列も長くなっていた。時間もまだ昼前であり、車の移動時間も考えて、竜門ヶ岳に向かうことにした。登山口の吉野山口神社の周辺には、駐車スペースが無かったため、集落入口の県道脇の空き地に車を停めて歩き出した。山口神社の左脇の車道を進んでいくと、谷間に入って、未舗装の林道に変わった。車は、この車道終点までは乗り入れることができたようであるが、里の風景を眺めながらの歩きも悪くはなかった。林道は次第に荒れたものになった。左下方に滝の落ち口を見て、これが竜門滝であることを知った。この手前に久米仙人の住居跡の石碑があるはずであったが、帰りもみつけることはできなかった。その先で龍門寺跡の標識が現れた。
 林道から山道に変わり、小堰堤を越して沢の渡渉も二回ほど行うと、二俣に出た。周囲の山肌の杉は、台風によるものか倒れてていて、無惨な姿をさらしていた。ガイドブックには、このような谷間全体の倒木のことは書かれておらず、最近のことのようであった。ここまでは緩やかな登りが続き、これでは山頂まで登り着けないなと思っていたが、その反動というべきか、二俣の間の尾根の急な登りが始まった。所々、登山道の上に杉が倒れ込んでおり、テープが付けられていたものの、コースを外れないように注意が必要であった。足にも疲れが出てきて、急登の連続に泣きが入りそうになった。山頂は見えず、谷向こうの尾根を目でたどれば、山頂までにはまだ登りが残されているようであった。一旦傾斜が緩やかになった後に、再び急な登りが続いた。ようやく山頂がすぐそこに見えた所で、登山道を倒木がふさいでおり、薮を迂回する必要があった。登りはともかく、下山の時には、コースアウトをしそうになり、注意が必要である。
 竜門ヶ岳の山頂は、岳ノ明神の木の祠が置かれ、一等三角点と桜の古木があったが、展望はあまり良くなかった。腰をおろして、静かな山頂でひと休みした。登山口付近で下山してきた登山者に一人会っただけの山であった。下りは、足の疲労も考えて慎重に下った。
 津風呂湖の下にあった温泉で入浴したが、山から下りてのひと風呂には、タオルに浴衣が貸してもらえて900円というよりも、安い方が良かったのだが。温泉でさっぱりすることができ、山へ向かう気力も回復することができた。
 近くには、高見山や三峰山に倶留尊山という300名山もあったが、関西からの脱出を考えると、紀伊半島奥地の護摩壇山と伯母子岳を先に登っておく必要があった。吉野川沿いの道を戻って、高野山に向かった。橋本からのR.370は、R.371が大型車は通行禁止というのでこの道をえらんだのだが、カーブの連続するいやな道であった。ドライブの楽しみとは縁遠い道であった。高野山には、暗くなってから、すっかり疲れてようやくたどり着くことができた。このような山中にと驚くような山深い所に大伽藍が立ち並んでいた。大駐車場も設けられて参拝客も多いようであったが、ここまで来るのは楽ではなさそうであった。
 護摩壇山へは高野龍神スカイラインの有料道路に進む必要があった。料金所が開いていたので、Uターンして高野山中ノ門の前の駐車場でひと眠りした。夜中に目を覚ましてスカイラインに進むと、予想通りに有料道路の料金所は締まって、ゲートは開放されていた。これで片道の1050円は節約できた。
 月明かりに照らされたスカイラインをひとっ走りし、黒々として夜中にはあやしげに見えるごまさんスカイタワーの立つ護摩壇山駐車場に走り込んだ。駐車場からは、この夜中に招くがごとく、山々のシルエットが浮かびあがる眺めが広がっていた。エンジンをかけっぱなしの車もいてうるさかったため、少し先の森林公園入口の広場に移動して再度眠りについた。
 夜明け少し前に目を覚ましたものの、暗い山頂に立っても仕方がないので、明るくなるのを待った。ごまさんスカイタワーの脇から、尾根に付けられた遊歩道を登ると、あっけなく護摩壇山の山頂に到着した。山頂にはあずまやも置かれており、和歌山県の最高峰の護摩壇山は、すっかり観光客用の遊歩道歩きのピークになっていた。ここまでの道のりの遠さと、スカイラインの通行料金を考えると、登る価値のある山頂であろうか。
 車に戻ると、ようやく太陽も顔を出し、今日の本命の伯母子山に至る稜線が浮かび上がった。稜線は長く横たわり、その直下を林道が長々と走っていた。伯母子岳の山頂は、前山に隠されているようで、良く判らなかった。
 高野山方面にスカイラインを少し戻った所に、林道奥千丈線の分岐があった。林道は、そこそこの幅はあるものの、未舗装で、7kmも続いた。伯母子岳の登山道入口は、看板が出ていて見落とす心配は無かったものの、そこに至るまでには少々不安を覚えるようになっていた。車は、登山口近くの路肩駐車になった。標識を見ると、伯母子岳までは7.5kmとあった。たいした登りも無さそうなのに、結構時間がかかるようにガイドブックに書いてある訳が理解でできた.往復15kmとあっては、足を早める必要があった。稜線を緩やかに上下しながらの歩きが始まった。昔は林道であったのだろうか、幅3m程の広い道であった。雑木林に覆われた道は、見晴らしも良かったが、めざす伯母子岳は目に入ってこなかった。谷を巻いた先のピークを伯母子岳かと思ったが、これは夏虫山であった。いくつかのピークを越した後、三等三角点の置かれた口千丈山に到着して、現在位置を確認することができた。その先で、登山道は左手に方向を変え、周囲はカヤトの原となって展望が広がった。次のピークは牛首ノ峰で、ちょっと登るのがいやになる程の高さがあった。幸い、登山道は、山頂を通らず、山腹をトラバースして、尾根を回り込んだ。ここでようやく伯母子岳の山頂が姿を現した。緩やかに下っていき、伯母子岳山頂下の深タワに出ると、右手の尾根沿いに、登山道が分かれた。ここまでの遊歩道は、さらに水平に続き、大股へという標識が付けられていた。潅木の中に付けられた登山道は傾斜を増したが、それも長くはなく、伯母子岳の山頂に到着した。
 伯母子岳の周囲には、大きな展望が広がっていた。北に見えるのは、大台や大峰の山々であろうか。歩いてきた稜線を振り返ると、改めて長かった歩きを確認できた。山々に囲まれて、いかにも奥地という感じの山頂であったが、周囲の山には林道が刻まれているのが、不調和な感じであった。腰を下ろして、ようやくお腹も空いてきたので、朝食をとった。休んでいると、単独行が、同じ林道側から登ってきた。神奈川からの人で、護摩壇山の次に伯母子岳に登ろうとして、一般に登られている野迫川村までは遠いので、このコースを選んだと言っていた。遠くからやってくると、能率的に回る必要があり、このコースが多く利用されるようになりそうであった。
 アップダウンのある尾根道は、帰りも行きと同じくらいに体力を消耗した。これからの予定を考えると、今日のうちにもう一山登っておく必要があった。車に戻り、まずはスカイラインをめざした。長い林道をようやく走り終えてスカイラインに出たところで、車に異常な振動が起きているのに気が付いた。外に出てみると、右後輪がパンクしていた。タイヤの横腹が、石によるのだろうか裂けていた。ジャッキアップして、タイヤを交換するのに時間はそれ程かからなかったが、緊急用の径の小さいタイヤとあっては、すみやかに新しいタイヤを手に入れる必要があった。幸い今日は土曜日。吉野川沿いの橋本あたりまで戻れば、車屋もありそうであった。思わぬアクシデントに気落ちしたが、行きであったら登山を断念せざるを得なかっただろうし、二輪をパンクさせて自力脱出不能にならなかったことを幸いとすることにした。スピードも控えめにスカイラインを運転し、高野山からは、行きとは別な道ということで、ついR.371に進んでしまった。高野山の山頂付近は町並みが広がって普通の道であったものが、谷に向かって下降するようになると、崖縁の車のすれ違い困難な道になった。カーブごとに対向車が来ないことを祈りながらの運転が続いた。幸い、バックは一回だけだったのは幸運であった。林道なら、対向車などめったに来ないのだが、国道であるだけ、交通量もあった。二度と通りたくないワースト2の道であった。ちなみにワースト1は、四国の剣山の際に走った祖谷渓沿いのR.439であった。この国道は、狭くて曲がりくねっているところにもって、ダンプカーの通行が多く、崖っぷちでのバックを何度もさせられた。橋本の町に戻ると、幸いすぐにタイヤ屋がみつかり、新しいタイヤを付け替えることができた。
 時間のロスもたいして無いことから、予定通りに高見山に向かうことにした。途中で、夕飯の柿の葉寿司や翌日の食料も買いこんだ。吉野川沿いからひと山越す道は、再び細いくねくね道であった。伊勢街道のR.166に出ると、きれいな三角形の山頂の高見山が前方に現れた。高見トンネル手前から、右手の旧道に入った。これも曲がりくねった道で、昔は、この峠越えは難所であったようである。
 高見峠には、大きな駐車場が設けられ、登山者や観光客の車がとまっていた。ひと休みする間にも、下山してくる者やこれから登ろうとする者が行き交い、人気の山のようであった。駐車場から山頂を見上げると、実際の山頂が見えているかどうかはあやふやではあったが、それ程遠くは無さそうであった。
 登山道に入ると、急な登りが始まった。ひと登りすると休憩広場に出て、駐車場が足元に見えて展望が広がった。ここまでで引き返しになる観光客も多そうであった。登山のためかドライブの疲れのためか足は重かったが、ジグザグの急登を続けていくと、それほどの時間はかからずに山頂に到着した。お宮の脇に展望台が設けられ、周囲には大きな展望が広がっていた。午後の3時となっては、雲も出始めて、大台や大峰の遠望がきかなかったのは残念であったが、近くには室生の山々や、次に目指す予定の三峰山などが並び、展望を楽しむのには不足は無かった。休んでいた登山者も下山していき、ひと時の静けさが訪れた。この時間になっても登ってくる者もおり、入れ違いに下山にうつった。
 山を下りてから、国道脇にあった高見の湯に入ってさっぱりした。一日の終わりの仕事として、三峰山の登山口までの移動が残っていたが、これも山越えのカーブの連続する道で、ドライブにもいやけがさしてきた。神末の集落内を標識に従って通り抜け、神末川沿いに青少年旅行村に向かった。この青少年旅行村は、ガイドには奥宇陀青少年旅行村と書かれているが、国道の入口その他の標識には、みつえ青少年旅行村と書かれている物もあるので、注意が必要である。三峰山の登山コースとしては、幾つか考えられたが、時間のかからなそうな不動滝コースを登ることにした。
 青少年旅行村手前に不動滝への林道入口があったが、工事のために通行止めという看板が立てられていた。入口にはゲートは無く、通行止めの区間も判らなかったため、行けるところまでということで、林道に進んだ。谷沿いで道幅の狭い所もあるものの、舗装された道が続いた。途中で、登り尾コースの入口を見て、さらに進むと、林道が右に大きく曲がって大タイ谷の沢を渡るところに不動滝コースの入口があった。沢を越した所にはトイレがあった。カーブ地点のスペースに車を停めて、夜を過ごすことにした。柿の葉寿司を夕食にビールを飲めば、たちまち眠りに引き込まれてしまった。
 山では早いとはいえない時間に目を覚ました。夜明けはすっかり早くなり、すでに青空が広がっていた。沢沿いの登山道を進むと、直に不動滝に到着した。滝の手前には、避難小屋ならぬ参篭所があった。ひと登りした所から滝の落ち口へ下りる道があり、その入口にはあまりきれいとはいえないタオルが何本も掛けられていた。落差12mの不動滝では、滝に打たれる行が今も行われているようであった。滝の左岸の尾根を登っていくと、シカ柵が現れ、ワイヤーをほどいて扉を開けて中に入った。上部でもう一個所シカ柵が現れたので、この間は、若い苗の植林帯のようであった。杉林の中のジグザグの登りが続いた。寝起きの頭が働かないうちの方が、このような登りの連続では、余計なことを考えなくて良い。ひと汗かいて尾根上に出ると、避難小屋に到着した。これは立派な小屋で、中には囲炉裏が切ってあり、火が起こせるようであった。その先に少し下った所にも、古びた小屋があり、これが、ガイドブックにある造林小屋のようであった。ここからは、傾斜も緩んで、雑木林の中の気持ちの良い尾根道の登りになった。三畝峠に出て左折し、すぐ先で尾根沿いの道が分かれたが、右前方に見えるピークが三峰山の山頂と思って水平に続く道を進んでしまった。山頂には、この尾根沿いの道に進む必要があり、先に八丁平に回ったことになる。ススキの枯れ草でキツネ色に染まった原の向こうには、のびやかな稜線が広がっていた。美しい眺めであった。この眺めを見て、同じ呼び名を持つ四国の三嶺(みうね)を思い出した。この山も、山頂部にはシコクザサの草原がのびやかに広がっていた。ススキの原の中に付けられた踏み跡をたどって、前方のピークを目指した。ヒメシャラの林の中で踏み跡は不明になった。おかしいなと思って振り返れば、より高いピークがあり、先に八丁平に来てしまったことを知った。八丁平では、シェラフをくくりつけた大荷物の単独行とすれ違ったが、焚き火臭かったので、避難小屋泊まりのようであった。八丁平から山頂への道に入ると、ひと登りで山頂に到着した。山頂は、雑木林で囲まれた広場になり、室生山地方面の眺めが広がっていた。
 避難小屋まで下った後は、登り尾コースをとることにした。今回持ってきたガイドブックの中で発行日が一番新しい関西百名山の地図を見ると、登り尾コースの途中で、不動滝入口から延びてきた林道が横切っているようであった。登り尾コースの途中から林道歩きを少しすれば車に戻れるはずであった。
 登り尾コースは、丸太階段も設けられて、杉林の中の急降下になった。不動滝コースと登り尾コースのどちらも杉林の中の急登は避けられないが、どちらかというと、登り尾コースは、階段が多く、下りの方が良さそうな感じがした。林道に飛び出すと、雨量計のアンテナが立てられ、その前方には小屋が建設中であった。未舗装の林道を右に進んだ。途中の水場で喉をうるおし、造林小屋の先で舗装道路に変わると、不動滝入口に戻った。
 車で林道を下っていくと、登山者が歩いてくるのにすれ違った。林道入口の広場には、登山者の物らしい車が何台か停まっており、通行止めの標識を見て、ここから歩きだしたもののようであった。新道コースを周遊するなら、ここに車を置いていくのが良いが、軽装の者もいて、山頂往復だけが目的のような人達であった。通行止めの看板ではあったが、結局、林道の歩いた部分では工事中らしき所は無かった。
 倶留尊山へは、道路地図を見ると、御杖からの道を行くのが近かった。県道でもない道なのが不安であった。集落を過ぎた所で、道路地図を見ていると、地元の車がやってきて、道を確認することができた。舗装されたほどほどの幅の道を上がっていくと、曽爾高原に到着した。国立曽爾青少年村の入口は、観光客用のものなのか、有料駐車場になっていたため、少し戻った亀山登山口から歩き出すことにした。
 遊歩道として整備された道を登っていくと、亀山の下に出て、急な登りが始まった。腰が引けてしまって坂を下りるのに苦労しているハイカーもいた。亀山の山頂には大勢のハイカーが休んでいたが、素晴らしい展望が広がっていた。日本ボソの南西斜面には美しい草原が広がり、すり鉢状の草原の底には水の涸れたお亀池、その回りの草原には、ベンチが置かれているのを見下ろすことができた。日本ボソとの間の鞍部の亀山峠に向かって、斜めに上がってくる登山道が、草原にアクセントを付けていた。高度感のある眺めであった。この眺めを楽しむためにも、倶留尊山へは亀山から登り始めるのが良さそうである。一旦下った亀山峠周辺でも、大勢のハイカーが休んでいた。日本ボソへは、再び急な登りになった。
 日本ボソへ近づいた所で、おかしな看板が立てられていた。日本ボソから倶留尊山へは入山料を取るとのこと。半信半疑で登っていくと、日本ボソの手前に小屋があり、500円を徴収された。草木保護のためという名目が看板に書かれていたが、単なる登山を目的とする山で、入山料を徴収する山というのはこれが始めてであった。料金を徴収しているのも、柳原林業株式会社ということで、しかるべき公共機関とは思えなかった。ここは国定公園内のはずだが、このような営業行為が許されるのであろうか。入山者の増加による環境保全やトイレ問題で、入山料が検討されている尾瀬などの山もあるが、この山がそういった問題を持っているとも思えなかった。登山口に料金徴収の看板も無かったのもあやしげであった。ガイドブックにこの入山料についての記載が無いのや、関西の岳人が認めているのも不思議であった。これまで、倶留尊山の入山料については、しかるべき議論がなされてきたのであろうか。
 いささか気分を害して立った日本ボソからは、大きく下った向こうに、倶留尊山が鋭い山頂を見せていた。急斜面の下りには、ロープが張られていたが、登山道の整備といえるものはそれくらいであった。鞍部の周辺には美しい雑木林が広がっていたが、登山道をそれて草木を採取するのを防止するためか、有刺鉄線が張り巡らされていた。有刺鉄線が緑に塗られているのは、環境に配慮したためであろうか。入山料を払って、さらにこのような道を歩かされるとは。倶留尊山へは、急坂を登り返す必要があった。倶留尊山の山頂は雑木林に囲まれた広場になっていたが、崖縁からは日本ボソ方面の眺めが広がっていた。縦走登山者からも料金を徴収するために、日本ボソの小屋では、帰りにも半券を渡す必要があった。草地の上での昼食で賑わうお亀池を抜けて車に戻った。倶留尊山はきれいな山であったが、いやな思いが残った。
 予定をした関西の300名山を登り終えて、北陸方面に戻ることにした。名張から上野と、北上するには道を細かく変える必要があり、途中で道路地図を何度も確認する必要があった。八日市で高速に乗ろうとしたが、米原付近で渋滞の掲示が出ていたので、さらに一般道を走り続けて長浜から北陸道に乗った。関西や九州の山に出かけて、この北陸道に入ると、家にも近づいた気分になる。
 次に予定の冠山へは、武生で高速を下りる必要があったが、そこまではたいした時間もかからなかった。冠山へは、池田からR.417に入り、さらに冠林道を進む必要があった。池田が近づくと、国道上に吊るされた電光掲示版に、R.417の県境は落石あるいは冬季閉鎖のために通行不能という表示が現れた。1997年の五月の連休時にも、能郷白山をめざそうとしたが、通行止めのサインが出ていて、登れなかったことを思い出した。R.417は、良い道が続いていたので、とにかく行けるところまで行ってみることにした。夕暮れ迫る中、冠林道に走り込むと、谷を巻きながら、標高を上げていく道が続いた。谷は深く、路肩にはガードレールは無く、車のライトも点灯した中、慎重な運転が続いた。途中でブルドーザーが何台も置かれていた。倒木の脇をなんとかすり抜け、残雪の脇を通過すると、道路の上には落石が散乱していた。車を下りて、懐中電灯で前方を確認すると、路肩が崩れているものの、道幅はありそうであった。大きな落石をかたずければ、なんとかここは通り過ぎることはできそうであったが、その先はどうか。残照に浮かび上がる山のシルエットを眺めれば、峠までは、トラバースを続けて、それ程遠くはなさそうで、充分歩けそうな距離であった。峠と思われる所にも、懐中電灯のような明かりが浮かんで、じきに消えた。考え込んでいると、もう一台の車が上がってきた。下りてきた若者は、岐阜側に抜けるつもりで上ってきたという。この先は通り抜けられないと判断して、引き返していったが、その前に落石帯での記念写真のシャッター押しを頼まれた。林道や国道走行のマニアなのであろうか。もっとも乗っていた普通乗用車では、400番国道ともなると歯がたたない所も多そうであった。落石帯付近の崖を見上げると、雨でも降ると、さらに落石が起きそうであたっため、少し戻って、山側の尾根も低くなった所の路肩スペースに車を停めた。暗闇の向こうには遠く、武生のものであろうか、町の明かりが見えた。夜中にも、二台の車が上ってきて引き返していった。入口の通行止めの表示を見なかったのか、信じなかったのか。その夜の眠りは、車が転落する夢を見て、いつになく浅かった。
 夜中に眺めた月は暈をかぶっていたが、夜明けには風も出てきて、天気は下り坂に入ったようであった。山よりは、林道からの脱出の方が気掛かりで、明るくなる前から歩きだすことにした。ヘッドランプで歩いていくと、山の斜面から落ちてきた雪崩が林道を横切って、そのまま谷に落ち込んでいた。足を滑らせれば、そのまま谷への滑り台にもなりかねず、林道上の雪の上を慎重にトラバースした。冠山の開山祭は、池田町の主催で5月の第2週とのころであるが、これからこの雪を除いて間に合うのだろうか。峠近くになると、林道の周辺を含めた雪原になった。
 予想通りというか、30分の林道歩きで峠に到着することができた。ようやく明るくなってきたものの、ガスが流れて、ここから見えるという冠山の展望は隠されていた。大きな石碑の脇から、登山道が始まった。それ程急な登りは無いが、幾つかのピークを越していく道であった。周囲にはブナ林が広がり、登山道上にも残雪が所々現れた。山頂が見えないために、現在地を把握することは難しかったが、草原の縁に飛び出して、ここが冠平のようであった。すっかり明るくなった帰りに見ると、カタクリの花がそこかしこに咲いていたが、気象条件が厳しいためか、小ぶりであった。右手に折れて山頂を目指すと、岩場も現れる急斜面になった。岩の上には泥が乗っていて、下りには足を滑らさないように注意が必要であった。冠山の狭い山頂に到着したが、周囲はガスに覆われて展望は無かった。風は冷たく、早々に山頂を後にするしかなかった。
 登山者には誰にも会わずに峠に戻った。丁度車が上がってきたが、福井側に進もうとして残雪に対面してバックしていた。岐阜県側からの道は通行できるようであった。登山道も泥濘になっており、登山者も多く入っているようであった。もう少し時間がたてば、この峠も賑わうようになるのであろうか。
 続いて向かう能郷白山へは、冠山からは県境稜線沿いに、道さえあれば歩けそうな距離であったが、一旦大野市まで出てから、R.157に走り込むという大迂回をする必要があった。林道を下っていくと、途中まで、山菜とりの車が多く入っていた。大野市の先の麻耶姫湖には、どのような伝説が残されているかは知らないが、道路脇に黄金に輝く像が立っていた。ダムサイト沿いの良い道が終わると、谷間の奥へと走り込む長い道が続いた。温見川沿いには、明るい谷間が出来ており、山小屋風の建物の回りにキャンパーが集まっていた。この谷を詰めて、ジグザグに高度を上げると、温見峠に到着した。
 温見峠には駐車場は無く、路肩駐車になった。冷たい風が吹き抜けていた。ブナ林の中を登っていくと、直ぐに、木の枝や根につかまる必要のある急な登りが始まった。回りの山の斜面には残雪が多く残されていた。1492mのピークに到着すると、傾斜も緩やかになった。ここには1500m地点 No.3まで840mという標識があった。稜線上になって、残雪歩きも出てきたが、歩くのには支障は無かった。次の1540m地点のNo3の看板には山頂まで400mとあった。雪原の一直線の登りが現れた。視界が開けていれば、山頂が目の前に迫って見える所なのかもしれない。傾斜が緩むと、ここだけ雪融けが進んで一等三等三角点がのぞいている山頂に到着した。周囲の展望が全く無いのは残念であるが、登ってこれただけでも満足するべきか。能郷白山の山頂は二つに分かれ、もう一方に祠が置かれているはずであった。残雪の上の足跡を辿ると、急斜面の下りになった。足を滑らすと停まらない傾斜であったので慎重に下っていくと、右手前方に斜めに上がっていく踏み跡がもう一本現れた。これが根尾村からの能郷道で、ショートカットの踏み跡をを下ってきてしまったようであった。山頂周辺で方向を見失うと危険なため、下りてきた道を登り返した。良くみると、稜線伝いに別なトレースが続いていた。これをたどると、たいした登り下りも無く、祠の置かれたもうひとつのピークに出ることができた。祠の後ろには、冷たい風を避けて、登山者が休んでいたが、ビール片手にラーメンを煮ているのも寒そうであった。
 下っていく途中でも何組もの登山者に出合った。出発時間が遅くなった気がしたのだが、アプローチに時間がかかる山なので、普通の登山の時間帯であったようである。峠に戻ってひと休みしている間も、峠を越していく車は多かった。大野市から岐阜方面に抜けるなら、白鳥に出て東海北陸自動車道に入った方が安全であろうに。帰り道では、10台以上の車がコンボイ状態に連なった後ろについて、すれ違い時には対向車が全て停止したため、ダムサイトまで楽に戻ることができた。
 予備の目標として考えていた北陸の2山も含めて、計画した12山は全て登り終えた。富山付近に戻ったところでもう一日山に登ろうかとも考えたが、天気予報によれば山は荒れるようであった。13番目の山というのも縁起が悪そうで、まだ道路が空いている間に家に戻ることにした。


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