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ウト山、日本国

1999年4月24日 日帰り 単独行 曇り

ウト山(源ヶ峰) うとやま(げんがみね) (512.8m) 三等三角点 山北(新潟県) 5万 温海、勝木 2.5万 鼠ヶ関、勝木
ガイド:ランタン通信Np.197、ランタン通信Np.209

日本国 にほんこく(555.4m) 二等三角点 山北(新潟県、山形県) 5万 温海 2.5万 鼠ヶ関
ガイド:分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、新潟ファミリー登山(新潟日報社)、新潟50山(新潟日報社)、新潟の里山(新潟日報社)

4月24日(土) 5:50 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、神林、R.7、大毎、荒川 経由)=7:55 半太平バス停〜8:07 発―8:17 配電線巡視路入口―9:13 ウト山〜9:25 発―9:32 電柱NO.53分岐〜9:40 発―10:15 配電線巡視路入口―10:24 半太平バス停=(中継、小俣峠、小俣、堀切峠 経由)=10:53 中の俣登山口〜10:56 発―11:07 林道中の俣線終点―11:14 七曲り坂―11:26 五合目―11:50 日本国〜12:04 発―12:43 林道桂谷線下山口―13:32 小名部橋―14:00 中の俣登山口=(小名部、R.345、鼠ヶ関、R.7、神林、R.345、荒井浜、R.113、蓮野IC、R.7 経由)=16:50 新潟着

 ウト山は、新潟・山形県境近くにあり、小俣川をはさんで県境線上の日本国と向かい合う山である。この山の名前は地図には記載されておらず、三角点名は、源ヶ沢であるが、韮沢氏の資料によれば、ウト山(小俣、中継、興野)、源ヶ峰(半太平)などと、地元での呼び名も一定していないという。登山道は、南面の半太平からの一本であり、これは山頂のアンテナ施設の保守道を利用したものである。登山道は、地図の勝木に、山頂の三角点は鼠ヶ関に分かれているため、地図を見ていても、この山は見落としやすい。
 日本国は、旧出羽街道沿いの新潟・山形県境に位置する山である。地元では、石鉢山ともいうが、山とか峰、岳とかいう字の続かない変わった日本国という名前の由来としては、都からの落ち人がこの山に登り、この山から向うが日本国と言ったとか、エゾ地との境の山で日本を誇示するために名付けたと言う説がある。また、この山で捕獲した鷹を鶴岡の酒井候に献上したところ、日本一の見事な鷹よ、これより捕れた山を日本国とせよと言ったことによるとも言われている。山北町の手によって、登山道や設備が整備され、県北部を代表するファミリー登山の山となっている。標高555mにちなんで、「ゴー、ゴー、ゴー、日本国征服」といった具合のスローガンのもとに、盛大な山開きが行われている。従来、この山の登山道は、新潟県側からのものであったが、最近になって、山形県側からの登山道も開かれている。
 天気予報がちょっと優れなかったため、雨でも登れそうな手頃の山ということで、ウト山(源ヶ峰)をめざすことにした。松本氏の資料を見て、以前から気になっていた山であるが、今回届いたランタン通信には韮沢氏の報告が載っており、これをきっかけに登ることにした。
 登山口の半太平のバス停付近からは、ウト山を良く眺めることができた。山頂部は三つに分かれて、中央にはアンテナ施設が置かれていた。集落内は道路が狭そうであっため、県道沿いのバス停脇に車を停めて歩き出した。出発の時、雨粒が落ちてきたが、雨具をつける程では無かった。半太平橋を渡って集落を抜けた。集落の背後には良く手入れされた杉林が広がり、林の中にはシイタケのホダ木が置かれていた。家の軒先には、薪が積まれて、山と深い関わりを持って生活しているようであった。林道は、集落内では狭かったものの、その奥では路肩に駐車できるスパースはあり、登山口まで車を乗り入れても良かったようである。もっとも、たいした距離でもないので、足慣らしに歩いた方が良いかもしれない。
 沢沿いに直進する林道から左に分かれる林道に入ると、すぐ先の尾根の下に配電線巡視路入口という東北電力の標識があり、ここが登山口であった。上に向かって電柱の列が続いているのが見えるが、登山道もこれに沿っている。電柱には番号が付けられており、登山口はNo.9で山頂はNo.56になるが、この番号ばかり見ていると、かえって足が進まなくなるかもしれない。急斜面の登りで始まるが、それ程広くない尾根には、細かくジグザグの道が付けられており、比較的楽に歩くことができた。山頂付近まで急な登りが続くが、途中で傾斜も緩まる所もあり、息を整えることができた。始めは杉林の中の登りであったが、高度を上げるにつれて、木の間から展望が広がるようになった。No.33付近からは、登山道脇の赤松の列も無くなり、粟島や日本海の眺めも広がるようになった。海岸線部の府屋の集落や、雨乞立も目に入ってきた。No.53の電柱で左から尾根が合わさり、この尾根にも踏み跡が続いていた。入口にはNHKのL字鉄杭が埋め込まれて、赤い杭も打ち込まれていた。帰りにこの踏み跡を辿って、どこかに下山できるのかと思って下っていくと、僅か先でテレビアンテナに行き着き、そこで行き止まりになっていた。下山時には、この踏み跡に入り込まないように注意が必要である。右上に山頂部も顔をのぞかせるようになったが、見る角度によるものか、両脇のピークが中央よりも高いように見えた。新緑のまぶしいブナ林を眺めながら登っていくと、No.55で左のピークに到着し、あとは緩やかになった道を辿ると、中継施設のあるフト山山頂に到着した。
 この山頂は、ススキが眺めを邪魔しているという話を聞いていたが、幸い冬の雪のために枯れ草は倒れており、障害物は無かった。展望は南面が開け、雨雲のために朝日連峰の山頂部は隠されていたが、蒲萄山塊は良く眺めることができ、特にアンテアの立つ蒲萄山は高度もあり周囲の山からひときわ目立っていた。幾重にも重なる山の中から、三条山の頭や、烏帽子岳など、登った山を見つけては、楽しんだ。ただ、北に向かい合う日本国が木立に邪魔されているのが少々残念であった。
 車に戻って、ウト山の次の山として日本国に向かうことにした。日本国は、1993年11月13日に登っていたが、これは一般的な小俣からの周遊コースを歩いたものである。山形県側にも登山道があるというので、今回は、これを歩いてみることにした。旧出羽街道を通って、小俣峠から小俣へ、さらに堀切峠を越して山形県に入った。この旧街道は、舗装されているものの、幅の狭い道が続き、現在では山間部の集落をつなぐ間道になっている。堀切峠で、県境沿いの道は無いかと見ると、西の斜面には地権者が山菜採り禁止のビニールテープを張っていて、日本国方面に向かって、踏み跡程度でも道があるのかどうかは判らなかった。東の県境線に向かっては、杉林に踏み跡が続いているようであった。
 堀切峠を下っていくと、左手に登山口の大きな絵看板が現れた。林道の名前をとって中の俣登山口と書かれていた。絵を眺めていくと、中の俣登山道と合わさる尾根を下っていき深沢川橋へ至る整備予定のコースや、稜線伝いに歩いた後に林道桂谷線へ下るコースもあることが判った。ガイドブックには載っていないコースが新設されているようであった。
 中の俣林道は、未舗装であるが、車も乗り入れられそうであった。林道終点から杉林の中の登山道が始まった。見晴らしの効かない道で、七曲り坂の標識を見ると、傾斜も一層きつくなった。結構辛い登りで、通常のファミリー登山の体力の人だと足が止まってしまうかもしれない。登山道沿いに咲く、紫や黄色のスミレやキクザキイチゲ、コブシの花などが、目を楽しませてくれた。尾根上に出ると、五合目の表示があった。下っていく尾根には、踏み跡があり、これはガイドブックによれば小名部に続く道のようであった。尾根に出て、登りはひと段落かと思いきや、急な登りはさらに続いた。山頂も近づいたなと思う頃になって、カタクリの花が現れた。山の麓では見かけなかったので不思議に思っていたのだが、季節も進んで、花も山頂付近まで上がってしまったようである。
 集落のテレビアンテナが現れると、その先で、日本国の山頂に到着した。3組12名程のハイカーがいるだけで、人気の山としてはすいていた。雨の予報のためにハイカーも出足がくじかれたようである。日本国の山頂は、新潟県側は木がかられて大きな展望が広がっていた。展望台に登れば、さらに展望も広がった。三つに分かれた山頂を持つウト山は、目の前にあり、その向こうには烏帽子岳から蒲萄山にかけての蒲萄山塊。朝日連峰の山頂部は雲に隠されていた。濃淡さまざまな新緑の山から、残雪を抱く山の眺めが広がっていた。日本海には粟島が浮かび、その向こうには佐渡ヶ島も。弧状に続く日本海の海岸線近くに佇む山は、角田山のようであった。山形県側の展望は木に妨げられ気味であった。山頂には、小ぶりだがしっかりした作りの休憩小屋が作られていた。前回登った1993年11月13日の時点では、小屋は落雷で消失しており、その後再建されたようである。
 山頂の西に向かって、「小名部板ヶ台に至る」という標識が立てられていた。登山口の絵看板にも書かれていた登山道のようであった。地図を見ると、北に林道が入り込んでおり、北に続く尾根を辿って、ここに下りたつのだろうと見当をつけた。あとは、中の俣登山口までの車道歩きを覚悟すれば良い。ということで、この道を下ってみることにした。新緑の雑木林に囲まれて、落ち葉を踏みながらの気持ちの良い道が続いた。歩く者は少ないのか、登山道は落ち葉に隠され気味であった。測量杭の列が続いていた。北に向かう尾根を下っていると思っていたのだが、どうも様子がおかしかった。磁石を出して地図を合わせると、北西に向かっており、前方右手に見えるピークは源蔵山のようであった。予想では、林道に下りる直前で北西に向かうように思えたが、まだ標高をそれほど下げていなかった。結局、県境線を北西に向かって歩いているようであった。下山口がどこになるのか心配になったが、歩き続けるしかなかった。杉林の中に入ると、木の枝が倒れていたり、落ち葉が積もるようになって、道も少しわかり難くなった。初心者だけでは、道を見失う可能性もありそうであった。谷の源頭部を回り込んで尾根を下っていくと、左下に林道が現れてきて、下山口に出た。ここには「下山口 史跡を通り小名部に至る」という看板が立っていた。途中で、杉の植林地の作業道に入り込んでしまったかと、疑問も湧いてきていたのだが、無事に登山道をトレースできたようであった。ただ問題は、ここはどこ?という点であった。地図を見ると、林道脇には沢が流れているのだが、地形が合わなかった。とにかく、そのうち里に出るだろうということで、林道を歩いていくしかなかった。少し先で、板ヶ台の説明の看板が現れた。ここには先住民族の住居跡があり、発掘の結果縄文式土器が発見されたという。板ヶ台は、板のような平坦な土地を言い、柳清水という清水が湧き出ているので住居をかまえたのだろうという内容が書かれていた。平坦部を地図で捜して、ようやく現在地の見当がついた。林道が大きなカーブを描いて谷に下っていくと、堰堤が現れ、地図に記載されている部分まで下ることができた。沢沿いに下っていくと、小名部橋の右岸部でR.345に飛び出した。この入口には、林道桂谷線という看板は出ているが、日本国登山口という看板は出ていないので、ここから登ろうとするならば、注意が必要である。その場合、林道の路面状況は悪くないので、登山口まで車で入ることができるであろう。車道を歩いて、中の俣登山口まで戻るには、さらに日本国を四分の一周する必要があった。
 日本国に山形県側から登ると、人には会わない静かな山という感じがして、新潟県側からのファミリー登山の山というイメージとはまた違った感じを受けた。


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