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長倉山(中退)

取立山

1999年4月10日 長倉山(中退) 二名グループ 雨
 4月11日 取立山 北陸オフミ(15名) 

長倉山 ながくらやま(1660.6m) 三等三角点 白山前衛(石川県) 5万 白峰 2.5万 市原、白峰
ガイド:分県登山ガイド「石川県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「白山」(昭文社)

取立山 とりたてやま(1307.2m) 三等三角点 白山前衛(福井県) 5万 越前勝山 2.5万 北谷
ガイド:分県登山ガイド「福井県の山」(山と渓谷社)

4月9日(金) 20:00 新潟発=(北陸自動車道、金沢西IC、R.8、R.157 経由)
4月10日(土) =0:40 鶴来道の駅「しらみね」
5:05 鶴来道の駅「しらみね」発=(市原、R.360、一里野 経由)=5:35 温泉口〜6:24 発―6:39 登山口―9:15 檜新宮〜9:23 発―9:40 しかり場分岐〜9:50 発―10:01 檜新宮―12:00 登山口―12:18 温泉口=(一里野、R.360、市原、R.157、白峰温泉入浴(350円)、雁ヶ原スキー場 経由)=14:00 雁ヶ原青少年キャンプ場 (車中泊)
4月11日(日) 6:45 雁ヶ原青少年キャンプ場発=(雁ヶ原スキー場、R.157 経由)=7:09 東山いこいの森〜7:33 発―8:16 林道終点(山頂まで1.6kmの標識)〜8:26 発―9:04 稜線末端(山頂まで1.0kmの標識)〜9:10 発―9:38 取立山〜11:38 発―11:58 稜線末端―12:17 林道終点〜12:23 発―12:55 東山いこいの森=(R.157、R.8、金沢西IC、北陸自動車道 経由)=19:40 新潟着

 白山には、信仰登山のための禅定道が、美濃、越前、加賀から通じていた。このうち、加賀禅定道は、一里野より長倉山を経て白山に通じるものであるが、長い間廃道になっていたのを、昭和62年に整備されて復活した。加賀禅定道は、全長18kmと長いために、主に白山からの下山路に使われているが、長倉山への日帰り周遊コースとしても歩かれている。なお、地形図には、口長倉と記載されており、奥長倉と対をなしている。北陸方面には、口を頭に付けた山名が良く見られるが、この口は、里に最も近いことを意味している。
 白山南部の三ノ峰より西に延びる石川・福井県境には、赤兎山、大長山そして取立山(山頂はわずかに福井県側に入っている)が連なっている。ミズバショウの群落や白山の展望台として、人気のある山である。
 鶴来の越村さん幹事による北陸オフミが、奈良岳、野伏ヶ岳に続いて取立山で開催されることになった。ミズバショウの時期には早いものの、残雪の山として、白山の展望を期待して、登ろうということになった。関東方面からのメンバーの参加は遠方のために見送られたが、北陸、関西、名古屋、そして新潟の私を含めて15名の大人数の参加者が集まることになった。恒例の夜の宴会のメニューも、山行よりも綿密な打ち合わせによって、ホウトウと決まり、材料の分担がなされた。
 今回のオフミは、前夜祭と、翌日の取立山登山という日程になったため、前日の土曜日にも山に登りたく、越村さんを誘って長倉山に登ることにした。長倉山は、加賀禅定道の途中の山であると聞いたが、地図を良く見ると、山毛欅尾山と向き合う山であった。笈ヶ岳へのコースの一つとして山毛欅尾山コースを考えていたこともあって、この一帯の山に登ることにも興味を持った。
 ようやく車のタイヤも交換し、今年始めて、県外の山を目指した。これまで、冬は雪の少ない太平洋側の山を目指していたが、ようやく低山ながら新潟の山で冬を越すことができた。高みを目指して、いましばらく、残雪の山は続くことになるのだが。金沢で高速を下りた後で、道に少し迷ったものの、予定以上に進んで、鶴来の道の駅で野宿に入った。翌朝、ひと走りして、長倉山の登山口の岩間温泉への林道入口に車を停めた。林道の入口にはゲートが閉じられ、雪も残っていた。朝食をとる間にも雨が降りだし、計画を変更すべきか迷った。約束の時間よりも早く越村さんが到着した。野伏ヶ岳以来、一年ぶりの再会であった。土曜日の天気は、曇り後雨というものであったが、天気の崩れるのも早まっているようであった。雨具をつける程の雨ではないため、とにかく出発することにした。
 岩間温泉への林道は、崖縁に続き、登山ならともかく、温泉のための観光客には危なそうな道であった。谷向こうには、山毛欅尾山が急斜面で落ち込んでいた。歩いていくと。谷の下方に建物が現れ、越村さんからカモシカやクマの観察のためのブナオ山観察舎であると教わった。ハライ谷渡ると急な尾根が落ち込んできており、そこが登山口であった。コンクリートの側壁の間に設けられた入口の階段は雪に埋もれており、いきなり2m近くのコンクリート壁をよじ登ることになった。残雪の上に、最近登山者の歩いたような形跡は見あたらなかった。つづら折りの急登が始まった。少し登ると、登山道も残雪に覆われて、コースを見定めるのは困難になった。それ程登ってはいない、意外に低い所で、カモシカに会うことができた。1時間程汗を流すと、傾斜も緩くなって、幅広の尾根に出た。二重山稜のように尾根も分かれ、初めてだと、コースに不安を覚えるところであろうが、山スキーで登ったことのある越村さんの先導で、無事に先に進むことができた。白山周辺にはブナの原生林が残されていると聞いていたが、この尾根にも立派なブナ林が現れた。
 30分毎に休みを取っていたが、雪は次第に深くなって、足を取られるようになった。再び尾根がやせてきて、急な斜面に変わったところで、ワカンの装着が必要になった。雪は、気温と雨のためにグズグズで、、足を運ぶのに体力を消耗した。天気は悪いものの、意外に遠望がきいており、笈ヶ岳と大笠山を眺めることができた。山毛欅尾山から冬瓜山を経て笈ヶ岳へ至る尾根を目で追うことができて、笈ヶ岳への登山コースの興味深い眺めが広がっていた。冬瓜山は、こぶのように盛り上がっており、残雪期に通過するのは、難しそうであった。標高差もかなりあり、三方岩トンネル経由の方が楽なような感じであった。 稜線手前に、何本かの檜木が生えており、そこに檜新宮のお宮が置かれていた。前方の稜線めざして、もうひと頑張りすると、一里野温泉スキー場からの加賀新道が合わさるしかりば分岐に出た。
 風が急に吹きだし、天気がいよいよ崩れそうな気配を見せていた。体力もここまでの登りで、すっかり使い果たしていた。夏道のコースタイムでは、あと35分の距離であったが、前方に見える長倉山への稜線は痩せている所もあり、一旦下った後の登りも、この雪の状態だときつそうであった。明日のこともあり、無理はできないということで、ここから下山することにした。残念ではあるが、いつか白山から加賀禅定道を歩いて、長倉山の山頂を踏むことにしよう。心残りの山は、登った時の喜びも一層大きくなるというもの。
 下りに移ってからも、雪は重く、足への負担は軽くならなかった。かかとに力を入れながら下ってきたため、最後の急斜面で、足の筋肉がつってしまった。めったにないことなのだが、体力の限界近くといういうことか。登りの時と同じ様な所で、またカモシカが現れた。足の筋肉をもみほごしながら見ていると、じっとこちらを眺めていた後、急斜面を軽々と下っていった。
 車に戻ると、雨も本降りになってきた。体も冷えて、まずは、白峰温泉をめざした。この温泉は、白山帰りの登山者で賑わうということだが、350円で安くて、良い湯であった。石鹸にシャンプがついていないのだが、値段も安いので減点にはならないであろう。夜の宴会用にイワナを引き取り、雁ヶ原スキー場をめざした。スキーゲレンデの中の林道を上っていくと雁ヶ原青少年キャンプ場が右手に現れた。実際には、気が付かないで通り過ぎてから引き返したのだが。雨も本降りで、夜の宴会は出来るのだろうか心配していたが、キャンプ場に受け付けをすると、屋根のあるステージ部にテントを張って良いと言われて、ひと安心した。集合時間まであと少しあったので、車の中でひと眠りさせてもらうことにした。
 おおよその集合は3時半ということで、参加者も次第に集まってきた。まずは持ち寄った酒を並べて、宴会ムードを盛り上げた。ホウトウの材料も集まった所で、山梨の宮本さんの指導のもとに、調理を開始した。イカの一夜干しも焼いて、5時前より宴会に突入した。まずは一番人気の越の寒梅を皮切りに、イワナの骨酒、ブドウ酒、何本もの酒が開いた。つまみも、イワナのムニエル、鯖寿司、チーズベースのデイップ、干し魚など、御馳走が並んだ。以前からの知り合いもいれば、ホームページを通じて名前だけはという人、今回が初めての人も。自己紹介に始まり、酔う程に、長年の友のような気分になって、歌は出るは、踊りは出るは、トランプの大貧民ゲームに興ずるもの、山の話を続けるもの。12時を過ぎて、明日のことが心配になって、眠ることにした。
 夜中に、雨は激しくなったようであるが、5時少し前に起きると、雨は止んでいた。良い天気になりそうであった。皆をたたき起こして、朝の準備に取りかかった。朝食は、京都の津原さんによる、京風雑煮。二日酔いであったが、美味しく食べることができた。いそいで後片づけをして、山に向かって出発した。  取立山の登山口は、東山いこいの森になるのだが、このキャンプ場はオープン前ということで、前夜祭は雁ヶ原青少年キャンプ場でということになった。東山いこいの森までの道路は除雪はされていたが、車はここの駐車場までとなった。谷峠への周遊という声もあったが、雪の状態も悪かったことから、尾根コースの往復ということになった。歩き出すと、林道の除雪も少し先で終わり、雪道の歩きになった。林道をショートカットしながら進んでいくと、雪融けの進んだ原では、潅木の枝がうるさくなってきていた。林道終点の大きな駐車場を過ぎて、杉林の中をショートカットすると、山頂まで1.6kmの標識が現れ、この先は、尾根の急な登りになった。ひと息入れて、急斜面の登りにとりかかった。前日の歩きの疲れと酒の酔いで、ぱっとしない体調も、汗をかくうちにだんだん本調子になってきた。山の斜面の傾斜はきついものの、登山道はつづら折りにつけられているために、歩きやすかった。残雪も多く、谷に落ちないように足元を確かめながら歩く必要のある所もあった。前日とは違って、ほとんど沈み込まない、歩きやすい状態の残雪であった。登るにつれ、青空のもとに、越前大日山や経ヶ岳が顔をのぞかせるようになった。
 登っていく途中でピークのように見えたのは、稜線の末端のニセピークであったが、ここには山頂まで1.0kmの標識がたっており、傾斜も緩くなった尾根が先に続いていた。その先の台地に出ると、もうひと登りといった感じで、取立山の山頂が目の前に丘状に盛り上がっていた。最後に細い雪稜を辿ると、取立山の山頂に到着した。
 取立山の山頂は、雪原となり、周囲の大展望が広がっていた。白山は、その名前に相応しく、真っ白な姿を見せていた。大汝山から御前峰、別山、三ノ峰、二ノ峰、一ノ峰。取立山から白山に向かっては、幅の広い稜線が次第に高くなりながら続いていたが、僅かに頭をのぞかせているのが大長山であろうか。その右手には経ヶ岳が大きく、南西には銀杏峰や部子山が少し遠く。西には越前大日山が険しい姿をみせ、その向こうには日本海ものぞむことができた。快晴のもと、20万分の1地図が必要な展望が広がっていた。ビールと昼食の後、せっかくの機会なので、宮本さんから雪上技術の講習を受けることにした。雪が柔らかいために、滑落防止訓練には適した状態ではなかったが、勉強させてもらった。
 避難小屋までの往復組が戻ってきたところで、名残惜しいが、下山にうつることにした。雪も緩んできていたが、下りなので問題なく、快調に下山することができた。昼に下山することができ、夜も早い時間に新潟に戻ることができるめどがたった。次回の北陸オフミでの再会を約束して家路についた。


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