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鍋倉山、蔵王山

1999年3月13日 日帰り 単独行 晴

鍋倉山 なべくらやま(448m) 無し 蒲萄山塊(新潟県) 5万 村上 2.5万 柏尾
ガイド:新潟県の低山薮山(白山書房)、ランタン通信205号

蔵王山 ざおうやま(220m) 無し 朝日連峰周辺(新潟県) 5万 勝木、塩野町 2.5万 蒲萄、塩野町
ガイド:武田氏の個人情報

3月13日(土) 6:30 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、村上、笹川流れ 経由)=8:20 吉浦〜8:28 発―8:46 枝沢渡渉点―9:02 大日川渡渉点―9:09 尾根取り付き(最初の枝沢)―9:21 尾根上〜9:25 発―10:22 鍋倉山〜10:48 発―11:39 尾根上―11:47 尾根取り付き(最初の枝沢)―11:52 大日川渡渉点―12:06 枝沢渡渉点―12:24 吉浦=(R.345、寒川、R.7、塩野町、本小須戸 経由)=14:00 荒沢の林道口〜14:06 発―14:23 219.2ピーク手前の鞍部―14:32 送電線巡視路分岐―14:40 蔵王山〜14:48 発―14:51 送電線巡視路分岐―15:09 219.2ピーク手前の鞍部―15:18 荒沢の林道口=(R.7、村上、R.345、荒井浜、R.113、蓮野IC、R.7、)=17:40 新潟着

 蒲萄山塊の主稜線南部にある三額山から日本海に向かって延びる尾根上に鍋倉山がある。鍋倉山は、その名前のように鍋を逆さまにしたようなドーム型の山頂を持ち、「倉」の字に相応しく、地形図でも岩場記号に囲まれた山である。日本海の海岸線からかなり奥に入っているため、麓の集落よりは、むしろ三額山といった主稜線からの眺めで、目に留まる山である。
 蔵王山は、朝日連峰と蒲萄山塊の間に広がる、朝日連峰前衛の山である。地図にも山頂にお宮マークが書かれているが、お堂が設けられて麓の荒沢集落の信仰の山になっているる。
 先週の天上山と城ヶ峰登山の際に見た蒲萄山塊の雪融けはかなり進んでいた。そろそろ山奥にも足を踏み入れることができそうな季節になったので、鍋倉山に登りにいくことにした。鍋倉山は、昨年の暮れの三額山の山頂から眺めて、その釣り鐘状の山頂が気になっていた山であるが、山頂をめざすには冬を越す必要があった。コースについては、「新潟の低山薮山」における鉱山道から左岸尾根経由や、武田氏の吉浦の神社から左岸尾根経由という情報があったが、距離が短くてすむ、ランタン通信205号に報告された上村さんの鉱山道から右岸尾根経由で歩くことにした。
 笹川流れに入ると、つい半月程前の荒れ狂う日本海がうそのように、穏やかな春の海が広がっていた。吉浦の海岸道路の駐車スペースに車を停め、波の音を聞きながら、登山の準備をした。堤防の外は日本海なので、海抜5mからの出発であった。コンクリートで固められて目立たなくなっている大日川の脇から集落内を抜けている旧道に出て、人家の脇から羽越線の線路端に出た。目の前の丘状の尾根末端に、左から右に折り返すように道がついているのが見えて、地図にある鉱山道の取り付きはすぐに判った。「ここは踏切ではありません、立ち入り禁止」、という看板で、線路の横断点を確かめることができ、右左を良く確認していそいで線路を渡った。線路の横断は、いつ列車が来るかもしれず、岩場の通過よりもおっかない気がする。丘に向かって登り出すと、尾根の大日川とは反対側に移って、別の沢に沿った道になった。周辺は、しの竹の林になっており、その中に幅2m位のはっきりした道が続いていた。この道は、50年の昔に稼働していた鍋倉鉱山から鉱石を運び出していた鉱山道であったという。大日川の詰めにあった鉱山から続く道は、当時小型トラックも入れた車道であったという。現在は、杉の枝打ちに歩かれているくらいのようであったが、まずははっきりした道で登山が始まったことにひと安心した。ほぼ水平に続く道は、尾根を乗り越して大日川沿いの谷間に移った。土砂崩れによって鉱山道が崩れた所に設けられた丸太の桟道を二ヶ所渡ると、地図にも破線が大きくヘアピンカーブを描く、枝沢の渡渉点に出た。コンクリートの土台は残っているものの、橋桁は腐って落ちていた。沢の中に踏み後が下っており、ひと跨ぎで流れを越して、対岸に上がることができた。尾根を回り込むと、大日川を左下に見下ろしながらの道になった。水量は多くないものの、谷は深く彫り込まれていた。杉林の中をたどりながら、大日川の渡渉点が次の目標になった。鉱山道は、所々崩壊して、その先の状態が心配になったものの、踏み後をたどると、すぐにその先で良い道が現れるという状態であった。植林のための作業道らしきものも沢に向かって下がっていたが、ほぼレベルに続く道を谷の奥に進んでいけば良かった。次第に沢との高さの差が小さくなってくると、鉱山道は沢にぶつかって、対岸に道が続いているのが見えた。踏み跡を拾って沢におりると、心配していた水量はひとまたぎで越せる程であった。ここが地図における大日川の渡渉点であった。右岸に移り、杉林の中を少し進むと、笹原に出た。ここは笹がかぶって、道が見え難くなっていた。その先で左から枝沢が落ち込んできており、そこを渡った左岸尾根が取り付きであった。
 沢の脇は傾斜がきついため、少し先に進んだ杉林の中から登り始めた。尾根にのると、明瞭な踏み跡が現れてきた。鉈目も多く、山仕事に良く使われている道のようであった。ひと汗かいたところで、主尾根に登り着くことができた。踏み跡は、カーブを描いて山頂方向に続いていた。吉浦方面の尾根の踏み跡はかすかであった。下降点を振り返ると、登ってきた尾根に自然に入りそうであったが、念のために、赤布を付けた。尾根の上の踏み跡は明瞭なものの、潅木の枝が少しうるさく、背中のワカンやストックのリングが枝に引っかかるのがわずらわしかった。少し登れば残雪が現れるだろうと思って、プラスチックブーツを履いてきたが、主尾根に登ってからも雪の気配は無かった。快晴の青空が広がり、ひさしぶりの日溜まりの歩きになり、装備も季節に会わせて変える時期になったようである。236点に登ると、前方に鍋倉山の山頂が一部姿を現した。この先の尾根歩きは、枝をよけて歩くのに意外に時間がかかってしまった。尾根を辿っていくと、大日川の左岸の山腹に白い帯となって、鉱山道らしいものが続くのを眺めることができた。山頂手前の小ピーク付近から、ようやく残雪が現れた。山頂への急坂の基部からは、左岸尾根に向かって、踏み跡がかすかに続いているようであった。露岩を足がかり、潅木の枝を掴みながら、山頂に向かって急坂をひと登りすると、鍋倉山の山頂に到着した。
 鍋倉山の山頂は、潅木で囲まれた広場になり、東のはずれに石を1m程積み上げたケルンがあった。四方が切り落ちて展望が期待される地形であったが、残念ながら、木立がうるさく、写真撮影には向いていなかった。新保岳から戸立山の連なりは残雪をまとい、先日登った三額山も東に眺めることができた。西には、日本海の海原が青く広がり、粟島が浮かんでいた。腰をおろして、春のひとときを楽しんだ。
 一応は、踏み跡は続いているものの、静かな山であった。山に出かけたが混雑していやな目にあったという声を聞くが、カモシカやクマならともかく、こ人とは出合わないこのような山もある。一人切りの山頂は、パンをひとつほうばり、ジュースを流し込めば、それで出発の準備は終わり。周囲を眺めながら、のんびりと山を下ることにした。
 下り始めて眺める海は遠く、かなり山奥に入りこんだことが判った。下降点までは一本尾根ではあるが、それでも枝尾根に入り込まないように注意が必要であった。下降点の赤布をはずし、枝尾根を一気に下れば鉱山道に下り立ち、あとは気楽な歩きになった。
 春の海を眺めたく、笹川流れを北上し、景色の良い所で車を停めた。残りのパンを食べながら、次の計画を考えた。春の陽気に誘われて、もう一山。歩行時間の短い蔵王山を選んだのは、ランタン通信に上村さんが、機会があったら登ってみたい低山のうちに蔵王山を挙げていたのを思い出したこともある。
 海岸部の山肌からは、完全に雪は消えていたものの、R.7に向かって内陸部に進むと、道路脇にも残雪が現れるようになった。塩野町から本小須戸経由で荒澤の集落を目指した。大須戸へ通じる道から右に曲がり、尾根を乗り越すと下りに転じて、荒沢の集落に入ってしまった。地図を見ると、尾根の切り通し部分から林道が分かれて、その先から登山道が始まるはずであった。戻りながら、道の脇を良く見ていくと、お墓の脇から林道が始まり、その入口は雪が積まれて隠されていた。ワカンの跡もあり、ここが登山口に間違いは無いはずと思って、歩き出す準備を整えた。
 蔵王山は、200mちょいの低山であるが、残雪もたっぷりとあり、午後も遅くなって雪も緩んで、ワカンを付けての歩きになった。林道を進むと、右手にコンクリートでできたなにかの施設の建物があるところで、緩やかな尾根に取り付く登山道が現れた。参道を思わせる杉林の中の広い道で、林道自体が右にカーブしてしまうため、自然にこの道に入ってしまうことになった。しばらく進むと、左から尾根が下ってきて、前方は杉林となり、その向こうは下り斜面になっていた。蔵王山は、前方左手にあるはずであったが、左手上方から下ってくる尾根に隠されているようであった。地図を見ると、登山道はこの尾根を途中で横切っているようであったが、山の位置を把握できないのが、不安であった。時間も遅くなり、コースミスをすれば、そのままタイムオーバーになり、後日の課題になるところであった。219点に通ずるはずの左の尾根を登り、途中の鞍部から蔵王山に向かって下降することにした。尾根をひと登りするとアンテナが立てられ、その先からは、道はあやしくなった。幸い、潅木も少なく、雪原を歩くのに支障は無かった。鞍部に出ると、右前方に蔵王山が姿を現した。山頂にはお堂もはっきりと見えて、蔵王山であることを確認できた。右に曲がって斜面を下っていくと、水田跡なのか、段々が現れた。雪が消えて現れた湿原状の原に流れる小さな沢を渡ると、杉林の中の谷間に出た。正面は山頂に続く急斜面のために、左手に曲がって、高みをめざした。杉林の中を緩く登っていくと、ワカンの跡も現れて、登山道に再び乗っていることが確認できた。峠状の鞍部に登ると、ここには送電線・羽越線の標識が立っていた。地図にもあるもう一本の登山道は、左手からここに上がってきているようであった。右に曲がり、尾根をたどって、最後はお堂の左手に回り込むようにして山頂に到着した。
 木造のお堂は、戸が閉ざされて、中をうかがうことはできなかった。蒲萄山塊とその前に広がる平野部、天蓋山を始めとする朝日連峰前衛の山々の眺めなど、場所を少し移動する必要はあったが、楽しめる展望が広がっていた。
 無事に山頂に登ることはできたものの、雪原の上とはいえ、地図とは違ったコースを歩いたようなのが気に掛かった。途中の雰囲気では、参道としてかなりの幅の道が頂上まで続いているように思えた。地図にある道は、沢を渡った先の少し登ったあたりで尾根を横断するように思えたが、良く周辺を捜す時間的余裕も無く、鞍部に登り返して来た道を戻った。
 車に戻って、道具を車に放り込み、それでは家に帰ろうかと思ったら、荒沢の集落から登山姿の人が近づいてきた。良く見ると上村さんで、後ろには田村さんと、入口を尋ねたという地元のお爺さんが続いていた。前日に電話で県北の雨乞山に出かけることを聞いていたのだが、まさか蔵王山で出合うとは思わなかった。雨乞山で一杯やって、蔵王山に回ってきたという。会ったとたんにこれから登るのですかと言ってしまったが、雪の上にトレースは着いているし、大ベテラン二人なのでギリギリセーフといったところか。二人を見送り、快晴に真踏まれて明るい日差しが続く中を家路についた。


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