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真光寺山、権現山

1999年1月23日 日帰り 単独行 曇り時々雨

真光寺山 しんこうじざん(128.2m) 三等三角点 五頭山塊周辺(新潟県) 5万 津川 2.5万 出湯
ガイド;無し

権現山 ごんげんやま(238.6m) 四等三角点 五頭山塊(新潟県) 5万 新発田 2.5万 天王
ガイド;無し

1月23日(土) 8:40 新潟発=(R.49、水原 経由)=9:35 優婆尊〜9:40 発―10:05 真光寺山〜10:10 発―(真光寺山ヴィレッジ経由)―10:34 優婆尊=(出湯、R.290、折居 経由)=10:53 八所神社〜10:58 発―11:24 権現山〜11:38 発―11:58 八所神社=(林道新発田南部線偵察後、往路を戻る)=14:25 新潟着

 五頭山塊の西端は、R.290によって区切られているが、その西側には南北に丘陵が広がり、いくつものゴルフ場やロシア村といった観光施設が設けられている。真光寺山は、五頭山への登り口として最も利用されている出湯の西側に向かい合う山であり、その麓には、地元の信仰の厚い優婆尊が置かれている。しかし、東斜面には、真光寺ヴィレッジという分譲地が広がって、車道が山頂まで延びている。
 権現山は、五頭山塊北部の折居の集落の背後にそびえ、標高は低いなりに、三角形をした山容が目立つ山である。登り口には八所神社、頂上には奥の院が置かれている。
 雨の予報の出ている暖かい朝になった。この季節に、山で雨にあたるのは辛い。昨年の歩き始めの1月3日に五頭山塊の虚空蔵山に登り、その北側の折居 の集落から破線の延びている権現山にも登ろうと思ったものの、虚空蔵山への道を捜して山中をうろつき回り、結局は虚空蔵山に登ることができただけで満足して家に帰ってしまった。天候が少々悪くても、登るにはそれ程時間もかからないはず、ということで権現山をめざした。
 権現山だけでは少々物足りないので、適当な低山をと地図を見ると、出湯のすぐ手前に真光寺山があった。東側には別荘地らしきものがあって、車道が山頂付近まで上がっているようであったが、麓の優婆尊から破線が山頂に延びていた。抹香臭い山の名前から考えても、優婆尊からが、この山に登る昔からの道だろうと思ったのだが。優婆尊の前の駐車場に車を置かせてもらった。看板には、「聖武天皇の天平五年(約1250年前)僧行基が越後巡国の時、出湯村に滞在したおり、五頭山の一樹に紫雲がたなびいているのを見られて、仏に縁起深い地と観察されてここに篭もり奇跡を待ちうけたところはたして三途の川に住む姥が現れて・・・・」と書いてあった。「越後の山旅」によれば、優婆尊は、羽黒山伏の流れで、役の優婆塞を安置したもので、出湯のウバサマとと呼ばれると記されている。世俗信仰の賽の河原の奪衣婆との混同があるようである。
 境内を掃除していた近所の人らしいオジイサンに、挨拶がてら真光寺山への道を確認すると、別荘地からの道なら車で上がれるけど、ここからは歩く人もいないので、荒れているという返事が返ってきた。登る目的も、薮漕ぎの練習のようなものなので、道をたどってみることにした。社屋の右手を登っていくと、コンクリート舗装の遊歩道が設けられ、道の脇には、石仏が幾つも置かれていた。この境内の散策路を過ぎると、踏み跡は急にあやしくなった。しばらくは残雪の上からでも道形は見分けることができたが、ひと登りして尾根が広がるようになると、雑木林の中を、枝を払いながら歩くようになった。道はどうやら消えてしまっているようであった。前方に杉林が近づいてくると、明瞭な尾根にのり、緩やかに登ると真光寺山の山頂に出た。
 山頂には、テレビのアンテナが立ち、2m程の切り開きを下りれば、駐車場であった。これ程まで、車道が山頂にせまっていたとは予想していなかった。山頂からは、雲で半ば覆われた五頭山塊の眺めが広がっていた。三角点にも触れて、一応は、山に登った気分を味わうことができた。
 山頂への到着と同時に雨が降りだした。雨具を着るのも面倒なので、傘で歩くことにして、この車道を下ってみることにした。山の急斜面に、別荘が立てられていたが、人の気配は無かった。別荘地の中で、道が枝分かれして、行き止まりで何度か引き返すはめになった。薮漕ぎはノーミスで山頂に達することができたが、別荘地の中では迷子になりかかった。登り口の優婆尊に戻るために右寄りに進んでいくと、車道は終点。その向こうを見ると、田圃の中に農道がまっすぐ延びており、その向こうを横切る道路には車が行き来していた。雪で覆われた農道を進んでいくと、ぐるりと一周して、優婆尊御霊水の脇に出た。やれやれという感じで、この水を飲んだが、少しぬるくてあまり美味しくは感じられなかった。 続いて、権現山に向かった。覚えのある虚空蔵山の登り口を過ぎると、前方に、三角形に盛り上がった権現山がせまってきた。折居の集落に入って、登山口の八所神社をめざした。神社の左手から、石橋で小川を渡るように登山道が始まっていた。わずか先で、水場が設けられ、ひしゃくも置かれていた。ここから急な登りが始まった。赤土の登山道は、樋状に削られて、滑りやすかった。ひと登りすると、右手が、若い杉の植林地となって、五頭山塊の眺めが広がった。特に、虚空蔵山が目の前に大きかった。赤松が目立つようになると、尾根の上に出て、登山道の方向も東に変わった。山頂が近づくにつれ、一旦緩やかになった傾斜は、再び急になった。登山道の雪は、完全に消えている所もあって、歩くのに支障は無かった。山頂部には、奥の院の境内の印なのか、杉が植えられていた。
 山頂は広場になっており、麓の八所神社の奥の院なのか、お堂も設けられ、その左手には、月山、湯殿山、羽黒山、と彫られた石碑が置かれていた。山頂の広場は、10センチ程の雪で覆われていた。展望は、木立に覆われて、南西方面が開けているくらいであった。お堂の前に、航空測量のための、標識が立てられていた。雪をかき分けて三角点にご対面のはずであったが、見つからない。三角点は上空からは見えない場所に埋められていて、場所を少し移して測量したものと推測した。一番高そうな所の雪を掘ってみたが、見つからなかった。お堂の背後の杉の木の下あたりにも見つからなかった。地図を良く眺めてみると、三角点はお宮マークの北に置かれていた。もう一度お堂の周囲を見ていくと、右奥のコーナーに四等三角点が、ガードの石と共に埋められていた。ひさしの先端の下で、これでは、上空からでは見えっこない。航空測量でなくても、周囲の見晴らしは期待できない場所であった。
 下りは、落ち葉の上に積もった雪が滑りやすく、短い距離であったが、三度も尻餅をついてしまった。再びあたりは薄暗くなり、雨が降り始めた。登りの時に降られて、山歩きの気勢をそがれなかっただけ良かったのであろう。下り口の水場で、水をひと口味わった。こちらの水の方が冷たくて美味しかった。
 雨も本降りになり、二山登ったことで充分として、山登りを終えることにした。時間も早いので、近くの岳岡山や真木山の山腹に上がっている林道新発田南部線の偵察を行った。

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