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願文山、大峰山

1999年1月17日 日帰り 単独行 曇り

願文山 がんもんやま(248m)
大峰山 おおみねやま(399.5m) 三等三角点 櫛形山脈(新潟県) 5万 中条、新発田 2.5万 中条、菅谷
ガイド:新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟の里山(新潟日報事業社)、新ハイキング474号p36〜41

1月17日(日) 7:15 新潟発=(R.7、金塚、貝屋 経由)=8:05 貝屋駐車場〜8:32 発―8:44 桜公園入口―8:50 花見の丘〜8:55 発―9:22 願文山〜9:35 発―10:02 展望台地(チェリーヒュッテ大峰)〜10:08 発―10:23 大峰山〜10:27 発―10:41 展望台地(チェリーヒュッテ大峰)〜10:55 発―11:05 水場―11:10 一本松展望台―11:15 吉平観音―11:22 寺沢林道終点―11:47 桜公園入口―11:59 貝屋駐車場=(往路を戻る)=13:50 新潟着

 北は胎内川、南は加治川の間のおよそ13kmにわたって、日本海の海岸線に沿って広がる、標高400〜500mの山の連なりがあり、これを櫛形山脈と呼ぶ。北から白鳥山、鳥坂山、飯角山、櫛形山、法印峰、大峰山、鳥屋ヶ峰といったピークが並んでいる。2万5千分の1地形図に「山脈」と記載されている唯一の例といわれ、日本一のミニ山脈とも呼ばれている。尾根沿いには良く整備された登山道があり、櫛形山脈縦走という形でも日帰りハイキングとして歩かれている。大峰山は、櫛形山脈の南部の中心ともいえるピークであり、谷をへだてた法印峰の南西斜面に広がる橡平のサクラ樹林のお花見展望の山として知られている。林道終点から短時間で登れ、また山頂部に山小屋があることから、四季を通じて登る者が多い。また、願文山は、大峰山から西に延びる尾根上のピークである。その名前の由来は、白山神社神宮寺鹿島山養生寺の祈願文納斎の山だったことに由来し、藤原家賢の山城が築かれていた。
 大峰山には、1994年4月23日に登っている。この時は、5月の連休の遠出を控えて、地元の低山巡りでもということで、朴坂山と高坪山の後の三山目として登ったため、印象も薄いものになってしまった。ハイキングに絶好の時期で、林道終点は路上駐車の列。登山道にもハイカーが途切れることはなく、展望台は大混雑で、中には合唱を始めるおばさんグループも。林道終点からだとすぐに登れてしまうので、ファミリーハイクに適当な山だというくらいの印象であった。翌1995年4月8日には、櫛形山脈縦走ということで、北から大峰山をめざした。この時は、列車を利用し、中条駅から白鳥山を経由して櫛形山まで歩き、さらに大峰山から金塚駅までというつもりではあったが、残雪歩きに体力と水を消耗し、関沢登山口に下山して中条駅に戻ってしまった。櫛形山と大峰山の間は、いつか歩かなければならない区間になっている。
 雪が本格的になったこの時期でも楽しめる山はないかと地図を眺めていて、櫛形山脈の大峰山から西にのびる願文山が気になった。金山の集落から大峰山まで地形図にも道が記載されており、ハイキングコースとしても良く歩かれているようである。また、「新潟の里山」の大峰山のガイドには、貝屋の駐車場から、「桜公園」を抜けて願文山を経由して一周と、付け足しのように書いてある。新ハイキングに掲載された韮沢さんの櫛形山脈のガイドには、「桜公園」のことは書かれていないが、最近になってハイキングコースが整備されたのかも知れない。現地で願文山への登り方を考えることにして、出かけることにした。
 土曜日は、雨で山に出かける気勢をそがれて、家で山の資料のまとめを行ったが、この朝は、気温が下がって路面に凍結が見られるものの、まずまずの空模様になった。二王子岳を横目に、それに比べれば、ずっと高度を下げた櫛形山脈に向かった。大峰山という看板に従って国道から脇道に入ると、路面も圧雪状態になった。寺沢林道の始まる貝屋の駐車場に、20センチ程の雪をかき分けて車を乗り入れた。林道の先に車の轍は続いていたが、どこまで行けるものやら。スタックしなくとも、方向転換もできなくなる可能性があった。広い駐車場には、自分の車だけであったが、歩きだそうとする時、一旦林道の先に進んでいった車が、戻ってきて駐車場に入ってきた。
 駐車場の前の丘には、桜らしい木が植えられ、あずまやや遊歩道も見え、これが桜公園のようであった。駐車場前から田圃の中の道を進めば、この丘に取り付くことができたが、踏み跡は無かった。寺沢林道を大峰山に向かえば、この丘の下部をかすめるようなので、とりあえず林道を歩き出すことにした。丘の下に進むと、桜公園の入口の標識が立っていた。コースを考えていると、後から三人グループが追いついてきた。声をかけると、新発田の人で、ここから願文山を経由して大峰山に登ることができることが確認できた。ここから登って、帰りは寺沢林道へ下りるのが良いよと教えてくれた。進入禁止の車止めのしてある車道が右に上がっていたが、雪の上に高みに向かってのトレースが続いていた。雪の無い時には踏み跡程度なのか、遊歩道なのかは判らなかったが、ひと登りで尾根の上に飛び出した。右手に看板があったので見に行くと、花見の丘と書かれていた。丘には遊歩道がめぐらされ、尾根沿いに道が下っていた。駐車場の前から取り付いても良いようであった。
 ここからは、尾根沿いの道になった。この尾根に上がりついた所には、「この先は、道が荒れておりますので一般の方は、ご遠慮願います」という看板が立っていた。どうやら、自分は一般の人では無いようである。雪の中でも不安の無い幅の広い立派な道で、雪の上にはトレースが続いていた。雪はしまってワカン無しでも歩くのに支障は無かった。緩やかに尾根を登っていくと、前方のピークめざしての急な登りが始まった。ロープも張ってあるものの、雪にキックステップが入り、滑る心配も無かった。杉の植わったピークに登り付くと、ここが願文山であった。願文山は、かつて山城の置かれていた山である。承久の乱(承久三年(1221年))のおり、後鳥羽上皇方についた藤原家賢(いえかた)(酒匂八郎家賢)は、北条幕府方の加治の城主佐々木兵衛太郎信実の西上を牽制するために、一族郎党を引き連れて願文山にこもったが、約二ヶ月の攻城戦の後に破れて滅亡してしまったという。昭和三年、天皇からその功績をたたえられ正五位が授与され、それを契機に金山の住民が山上に酒匂(さかわ)神社を建立したという。「忠臣酒匂家賢之墓」という立派な石碑や石灯篭も立ち、しばし昔に思いをはせてみた。しかし、はるか昔の地方の城主を、昭和になってからその忠義をたたえて官位を授けるとは、なんとも気の長い話である。
 史跡モードから、山登りモードに戻ることにした。金山からの道は、雪に覆われ、歩いた形跡はなかった。願文山からは一旦下りになり、その先に櫛形山脈は横に広がり、めざす大峰山に向かって尾根は続いていた。周囲の木々は雪で覆われ、すっかり雪山の風景に変わっていた。標高が上がるにつれて、トレースも新雪で覆われるようになった。三人グループが先行してしまったため、後をついていけばよかったが、迷うような道ではなかった。時折晴れ間ものぞくようになり、フリースだけでも汗が吹き出てきた。
 登り付いた展望台地は、一面の雪で覆われていた。振り返れば、願文山は下に見え、里の家並みや日本海がその先に広がっていた。谷を越して、法印峰がきれいなピークを見せていた。展望台地の後ろには、山小屋があり、中での休憩にも心が引かれるが、まずは大峰山の山頂へ進んだ。緩やかな尾根歩きであるが、雪は深くなった。先行の三人グループがワカンで歩いているため、時々足を踏み抜くものの、そのままで歩き通すことができた。前にも歩いている道であったが、雪道は遠く感じた。大峰山の山頂は、木立に囲まれて、標識が無ければそれとわからずに通過してしまうような所である。多くのハイカーは、山小屋の前の展望台地を山頂と思って引き返してしまう者も多いようである。ここには三角点があったはずではあるが、雪の下で、どこを掘ったらよいのか判らなかった。
 山小屋に戻ると、管理人らしき人が登ってきており、周辺の整理を行っていた。ログハウス風造りの山小屋には、チェリーヒュッテ大峰と名前が書かれていた。スキー場の脇にでもありそうな名前であるが、ちょっと山小屋には似合わないような感じもするが。中は板敷きになっており、靴を脱いで上がった。丈の低いテーブルも置かれ、宴会を開くのにも好都合であった。管理人室もあり、営業小屋と見間違うような立派な小屋であった。
 寺沢林道への下りは、谷間への道であり、雪は深そうなため、ワカンを付けることにした。トレースが付いていなかったため、標識や地図を確認していたら、下から二人連れが登ってきて、コースの心配は無くなった。立派な遊歩道が続いているはずであるが、雪で完全に隠されており、トレースが無かったなら、歩くのに細心の注意が必要であったろう。もっとも、日曜日なら、小屋で酒でも飲んで待っていれば、下から誰かが登ってきてトレースは出来てしまいそうであった。大きくジグザグをえがいて下った後、トラバースに入ると水場が設けてあり、冬でも水が流れ出ていた。その先で一本松展望台に出て、法印峰の南西斜面の眺めが広がった。桜の季節にも来る必要があるが、さぞ混み合うだろうな。その下で杉の植林地の中に入り、トレースが無ければ、道が分かり難くなりそうであった。吉平観音のお堂を右に見ると、その先で大沢林道との分岐に出た。大沢林道に向かってもトレースが続いていたが、ここは左折して少し下れば寺沢林道の終点に降り立った。この下りでは何人ものハイカーと出合って、冬でも登山者が多いことが判った。後は、雪で覆われた林道の歩きが残されるだけになった。体力的にはきついものの、自動車の埃をかぶる心配の無い雪の林道歩きは楽しむことができた。車に戻った時には、雪の低山歩きを堪能した気分になっていた。

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