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大平山、高立山、菩提寺山

1998年12月12日 日帰り 単独行 曇り

大平山 おおだいらやま(278.5m) 四等三角点
高立山 たかだちやま(276m)
菩提寺山 ぼだいじやま(248.4m) 三等三角点 新津丘陵(新潟県) 5万 新津 2.5万 矢代田、村松
ガイド:ランタン通信203号

12月12日(土) 9:40 新潟発=(R.49、茅野山、R.403、矢代田、林道長峰線 経由)=10:36 大沢公園〜10:45 発―11:46 大平山北ピーク〜11:20 発―11:28 大平山三角点ピーク〜11:50 発―12:04 高立山〜12:27 発―12:40 林道登山口―12:57 T字路―12:59 菩提寺山登山口―13:08 仏路峠―13:02 菩提寺山〜13:31 発―13:31 仏路峠―14:04 大沢公園=(往路を戻る)=15:20 新潟着

 新潟平野の内陸部の縁に沿った、新津、加茂、五泉の中間に広がる丘陵地を、新津丘陵と呼ぶ。新津丘陵では、一等三角点も置かれている護摩堂山が良く知られているが、最近では、菩提寺山や高立山もハイキングコースが整備されて、訪れるハイカーも多くなっている。新津丘陵の最高峰は、一般には高立山とされることが多いが、地図をみれば判るように、その北に位置する三角点ピークの方が高く、地図には名前は記載されていないが、大平山と呼ぶようである。
 ランタン通信の11月号に上村氏による大平山の紹介が載っていた。登りたい宿題の山のリストに大平山も入れておくことにした。この土曜日には、朝方に用事があったので、ゆっくりと出発しても登ることのできる山ということで、新津丘陵最高点として気にかかっていた大平山に出かけることにした。1996年3月31日に菩提寺山に登っていたので、新津丘陵には2年ぶりであった。矢代田の先の国道脇には、菩提寺山登山口と大沢公園を示す標識が整備されていた。先回は造成中で泥地と化していた大沢公園も、きれいに整備され、トイレや炊事棟が設けられていた。Y字路の角に立つハイキングコースの案内図を見ると、林道を右手に進めば護摩堂山、直進すれば五泉に抜けることができるようであった。先回の時は、この林道は行き止まりで引き返したのだが。大きな変わりようにまず驚いた。
 吊り橋を渡って公園内に入り、炊事棟左手の崖に付けられた丸太の段々を登ると、杉林の中に踏み跡が続いていた。明瞭な道で、一般登山道といっても通りそうであった。濡れ落ち葉で滑りやすい杉林の急斜面を登りきると、雑木林の広がる尾根に出て、のんびりした歩きになった。左右に沢が走って、道を間違う心配も無かった。前方を弧状に稜線が横切り、その右手のピークがめざす大平山のようであった。標高300mにもみたない山ではあるが、登るに連れて、登山道上にもシャーベット状の雪が被さるようになった。太陽は雲で覆われていたが、寒さは感じない気温であった。小ピークに到着すると、雑木林の中に営林署のものと思われる小さな石柱が埋められていた。名前を読むと、東鑛と書いてあるのだろうか。二番目の字をうまく読みとることができなかったが。木の枝には、空き缶が差し込まれ、これはハイカーというより、山仕事の人の目印のようであった。
 踏み跡は、雪の為もあるが、この広場で一旦不明瞭になった。地図を確認して、右手の杉の木立をめざした。杉林と雑木林の境の尾根上に、踏み跡が続いていた。一旦ピークを下り、鞍部からの登りになると、踏み跡はかすかになったが、葉の落ちた雑木林のために、歩くのに支障は無かった。高みをめざして進んでいくと、木に結ばれたテープを見つけ、近寄っていくと、その下に四等三角点が頭をのぞかせていた。周囲は木立に囲まれて、展望は開けていなかった。すぐ脇の西の尾根からも踏み跡が登ってきており、テープが付けられていた。後で五泉市商工観光課のハイキングマップを見ると、大沢公園から護摩堂山に抜ける林道の途中から、沢沿いの道があるようで、その途中から尾根を伝って登ってくることができるのだろうか。南の尾根からも薄い踏み跡が上がってきていた。これは五泉市と田上町の境界尾根で、護摩堂山近くの林道に通じているようであった。読図の練習も兼ねて、薄い踏み跡をたどって、これらのコースを歩くのも面白そうであった。
 次の目的地の高立山はいずこと眺めると、目の前に、上が平らな台地状のピークがあり、三角屋根の休憩所も建てられていた。菩提寺山の雰囲気と似ているために、一瞬混乱に陥ってしまったが、地図を見れば、これが高立山であった。高立山へは、来た道を一旦戻って、鞍部から東に方向を変える必要があった。山頂から下り始めると、地元の山仕事の人に出合った。こちらも人に出会うとは思っていなかったが、先方も、登山靴の者が歩いているのを不思議に思っていたとのことであった。確かに、足元は、長靴姿であった。鳥撃ちも山に入っているので、その足跡かと思ったとも。丁度良い人に会ったので、高立山への移り方を再確認させてもらった。この人は、キノコ採りとのことであった。この季節でもキノコ狩ができるとは知らなかった。鞍部に下りると、先ほどは見落としていたが、北に向かって斜めに下っていく明瞭な踏み跡が続いていた。この鞍部からは、高立山はまったく見通すことはできず、始めての場合には、大平山に一旦登って位置を確認してから向かう方が無難なようである。大平山と高立山の間の鞍部に下り、続いて、杉林の中の急坂を登ると、高立山山頂手前のハイキングコースに飛び出した。この地点にはテープも付けられており、大平山と高立山の間のコースを歩く者もいるようであった。
 高立山の山頂は、すっかり整備されて、山頂標識、石碑、三角屋根の休憩小屋で賑わっていた。谷越しに眺めることのできる大平山とは、正反対の山頂であった。静かさには欠ける山頂であったが、第一級の展望が広がっていた。ひときわ大きいのは、白山と菅名山塊。その奥の川内山塊や飯豊連峰は雲に覆われているのが残念であった。いつか遠望の効く日に訪れてみたいものだ。先客から声を掛けられ、小屋に入ると、土間で焚き火がおこされており、暖まらせてもらうことにした。話をすると、五泉の人で、新津丘陵にはしょっちゅう登りに来ているとのことであった。毎日登りに来て、周辺の整備をしている人もいるそうで、中につまれた薪も、その人が集めたものとのことであった。かたわらの箱には、五泉市商工観光課の作ったハイキングマップも置かれており、一部もらうことにした。続いて、三人組と単独行が到着。角田山とまではいかないまでも、なかなかの人気のようであった。
 ひと休みの後に、ハイキングマップを見ながら、菩提寺山に向かうことにした。地図には、林道は書かれていないため、ここからはハイキングマップの方が役に立った。北に向かう尾根を下っていき、竹林を周囲に見るようになると、林道に飛び出した。この林道からの入口には、立派な登山口の標識が立っていた。林道は、未舗装であったが、普通車の走向にも支障はなさそうであった。谷を巻きながら振り返ると、高立山が、大平山方向からと違って、意外に立派な山頂をのぞかせていた。大沢公園からの林道千貫石線とのT字路を越した先に、菩提寺山への登り口があった。マウンテンバイクの進入禁止の立て札があったが、確かに走れそうな広い道であった。再び高度を上げていくと、石仏が並んだ、見覚えのある仏路峠に出た。地図には、矢代田から大沢公園に抜ける途中に、仏路峠と書かれているが、昔からの峠というなら、ここが相応しいように思う。高みに向かってひと登りで、菩提寺山の山頂に到着した。4名程の先客がいた。菩提寺山からの眺めは、菅名山塊が中心であった。
 菩提寺山からは、大沢公園への遊歩道を下った。先回はオープン前の造成中であったが、砂利道も落ち葉に覆われて、山道らしくなっていた。遊歩道は、小さなアップダウンがあり、登り返しがめんどうになった。途中から尾根の左手に平行に走る道に入ると、そのまま緩やかに下り続けて、下山口近くで遊歩道に合わさった。結局、途中にあったはずのあずまやにも寄らないで下ってしまった。この道が、昔の峠道であったのではという疑問がわいてきた。先回、林道の終点から、地図で仏越道と書かれた道を辿ろうとして見つからなかったのは、地図がおかしかったからでは。林道が開通してしまった今となっては、仏越道という昔の道があったのかどうかは確認はできなくなった。大沢公園に戻ると、これもハイカーの車であるのか、脇に車が一台停まっていた。
 今回のコースでは、大平山、高立山、菩提寺山という、新津丘陵の三山を効率良く回ることができた。新津丘陵は、ハイキングコースの整備が進んでおり、白玉の滝から菩提寺山の西に上がってくるコースも平成11年に開通予定とのことである。その反面、最高峰の大平山へは、地図読みをしながらの山歩きが必要になる。各レベルの山歩きを楽しむために、大平山くらいは、静かな山として残しておいて欲しいものである。

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