9851

湯ノ沢岳

1998年11月7日 前夜発日帰り 2名グループ 晴

湯ノ沢岳 ゆのさわだけ(964m) 三等三角点 摩耶連峰(山形県) 5万 湯殿山 2.5万 下名川
ガイド:分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明舎)

11月6日(金) 20:15 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、神林、R.7、鶴岡、R.112 経由)=23:30 朝日村本郷  (車中泊)
11月7日(土) 7:40 朝日村本郷発=7:55 湯ノ沢川砂防ダム〜8:07 発―8:14 たらたら滝不動明王分岐―9:15 清め滝大黒天分岐―9:20 御宝前参道分岐―9:40 鎖場ピーク―10:03 母狩山分岐〜10:08 発―10:14 清水分岐―10:26 湯ノ沢岳山頂〜11:31 発―11:38 清水分岐―11:43 母狩山分岐―11:57 鎖場ピーク―12:17 御宝前参道分岐―12:21 清め滝大黒天分岐―13:03 たらたら滝不動明王分岐―13:10 湯ノ沢川砂防ダム=(往路を戻る。立岩懐中温泉入浴350円)=17:35 新潟着

 朝日連峰の以東岳から北西に長大な尾根が延びている。その途中には、摩耶山、湯ノ沢岳、母狩山、金峯山のピークが連なり、最後は荘内平野に終わっている。広義には朝日連峰に含まれる山々であるが、最高峰の摩耶山の名前をとって、摩耶連峰と呼ばれている。湯ノ沢岳は、摩耶連峰第二の高峰であり、豪雪地にあって東面にスラブを形成した、急峻な山である。
 湯ノ沢岳は、摩耶連峰第二の高峰ということで、前々から登りたいと思っていた。登山メーリングリストのやりとりから、宮城の高橋さんが登ろうとしていることを知り、一緒に登る相談ができてしまった。集合時間に間に合うには、新潟を早朝に出発する必要があり、それよりは、前夜発で出発することにした。朝日村中学校の近くの空き地で夜をすごし、目を覚ますと、ひさしぶりの快晴の空が広がていた。大鳥川を挟んで、湯ノ沢岳から母狩山に至る稜線を良く眺めることができた。湯ノ沢岳は、標高はそれ程でないにせよ、険しい姿をして、登頂意欲をそそるかのようであった。高橋さんの到着を待ち、湯ノ沢岳の登山口に向かった。登山口に向かう林道の入口が判りづらかったが、、下本郷の集落から湯ノ沢川右岸の林道を上がっていくと、採石場の中に出て、さらに進んでいくと、 湯ノ沢川砂防ダムの下に出て、ここには車5台程の空き地があった。左岸に渡る木の橋があり、小さな杭に湯ノ沢岳の登山口と書かれていた。先客の車が一台停まっていた。
 橋を渡ってひと登りすると、休耕田となって草の茂った台地が広がっていた。沢に向かって踏み跡が分かれており、標識には、たらたら滝不動明王と書かれていた。湯ノ沢岳は、信仰の山で、その名残が残されているようであった。杉の植林地の中のジグザグの登りになるが、すぐに尾根に上がって、周囲にはナラやブナの林が広がるようになった。登山道には落ち葉が積もり、踏みしめるカサカサという音が、静かな林の中に響いた。秋も終わりで木立の葉は茶色に変わっていたが、それでも鮮やかな黄色や赤の色が目に飛び込んできた。山の話をしながら、尾根道を登り続けた。尾根は次第に痩せてきて、傾斜もきつくなった。途中で、清め滝大黒天や御宝前参道と記された踏み跡が、右手の沢に向かって下っていたが、木の根が張りだしたトラバース道で、歩くのは難しそうであった。鎖も掛けられた岩場も現れ、慎重に通過した。尾根の上からは、天候にも恵まれ、素晴らしい眺めが広がっていた。背後には荘内平野が広がり、弧を描く日本海の海岸線の先には鳥海山が高く頭をもたげていた。月山は、目の前に横に長く広がっていた。湯ノ沢岳の東面は、アパランチ・シュート特有の地形が見られ、底光りする岩肌がむき出しになっていた。湯ノ沢岳の山頂から北に向かって、紅葉に彩られた稜線が続いており、その先には母狩山がきれいな三角形の山頂を見せていた。傾斜も緩くなり、山頂手前で左に方向を変えようとする所に、母狩山への分岐があった。ブナ林の林床をおおう落ち葉に隠されるかのように、踏み跡が下っていた。鶴岡のもりさんから、残雪期の分岐の確認用のマーキングを頼まれており、踏み跡に向かって左手の木に二本、斜面を5m程下った頭上の枝に一本の赤テープを結わえ付けた。冬を越した後まで、無事にこのテープが残っているといいのだが。母狩山への稜線は、確かに誘うかのように魅力的であった。山頂手前で水場の標識があったが、涸れているようであった。
 湯ノ沢岳の山頂には、中年の夫婦連れが休んでいた。新潟と宮城からというと驚いていた。山頂は、潅木に囲まれて見晴らしはなかったので、東の斜面に少し下って、枯葉の上に腰をおろした。南には、朝日連峰が広がり、以東岳はすでに雪を被っていた。その左の尖ったピークは障子ヶ岳であろうか。月山も山頂部は白く、いよいよ冬の到来であった。湯ノ沢岳の山頂部の落ち葉の上にもミゾレの名残が所々残されていた。日差しは暖かく、眺めを楽しみながらのんびりすることができた。
 下りは、落ち葉に足を滑らせないように、木の枝を頼りにする必要があった。光線の加減か、月山の山頂部の雪も輝くようになり、信仰の対象とされてきたことが判るような気がした。一日を山で遊び、心地よい疲れとともに、下山することができた。

山行目次に戻る
ホームページに戻る