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赤津山

1998年11月3日 日帰り 5名グループ 雨のち曇り

赤津山 あかつやま(1408.1m) 三等三角点 飯豊連峰(新潟県) 5万 飯豊山 2.5万 二王子岳
ガイド:新潟の低山薮山(白山書房)

11月3日(火) 4:05 新潟発=(R.7、新発田、上赤谷、加治川ダム 経由)=5:47 四郎左衛門沢出合〜6:03 発―6:54 716ピーク―7:29 941ピーク〜7:33 発―8:14 1210ピーク―8:49 西ノ峰〜8:59 発―10:05 雨量観測小屋―10:08 赤津山〜10:17 発―10:21 雨量観測小屋〜11:18 発―12:28 西ノ峰〜12:33 発―13:01 1210ピーク―13:35 941ピーク〜13:42 発―14:12 716ピーク〜14:18 発―14:54  四郎左衛門沢出合=(加治川ダム、上赤谷、八幡、R.290、月岡温泉・美人の湯入浴(500円)、豊栄、R.7 経由)=17:15 新潟着

 赤津山は、飯豊連峰の門内岳から西に派生し、二王子岳に至る長大な尾根の途中にある山である。飯豊川(加治川)の右岸に位置し、最近登山道が開かれて多くの登山者を迎えている蒜場山と向かい合っている。「明かずの山」とも呼ばれることもあるように、訪れた者も数少ないこの山にも、西ノ峰経由の踏み跡が紹介されるようになって、注目されるようになっている。
 赤津山に登ろうと、二王子岳山行の際に、吉田さんから誘われた。昨年の同じ時期に、鈴木さんと登ろうという話が出ていたが、蒜場山の翌日で疲れてしまい、さらに雪が降ってしまったため気持ちが萎えて中止してしまったことがあった。鈴木さんの知り合いの玉木さんに、先日の二王子岳で、すっかり飯豊の虜になってしまった川田さんも参加することになって、賑やかなメンバーが集まった。
 歩き出しを6時に予定していたため、家の出発も朝の早い時間になった。天気予報では、雨のち晴というものであったが、激しい雨に、ラジオには雷の空電も入っていた。予定の変更もあり得ると思って、新潟周辺の2.5万分の1地図の箱を車に積んで出発した。少し早めに加治川治水ダムについたので、朝食をとりながら、様子見をした。吉田さんが到着して奥の駐車場に行くと、川田さんがすでに到着していた。しばらくして、鈴木さんと玉木さんも到着。しかし、断続的に激しい雨が襲ってくる状態であった。赤津山経験者の鈴木さんに、何時までが様子見のタイムリミットかと尋ねると、7時までということであった。1時間しか余裕がないのなら、ともかく、登山口で出発の準備を済ませておく必要があった。周囲が明るくなるにつれ、雲も薄くなっているのが見えた。湯ノ平温泉へ行くために何度か通った林道であったが、登山口の四郎左衛門沢は、まだ確認したことが無かった。各沢には標識が立てられており、四郎左衛門沢も容易に知ることができた。沢を渡って、尾根の末端を左に回り込むと、右手に滝谷山国有林の看板が立てられ、路肩には車を停めるスペースがあった。左手の山の斜面にはブナ林が広がっていた。雨は止んでおり、とりあえず雨具の下だけを履いた。出発の準備をしていると、単独行がやってきて、自転車を木にしばりつけていた。言葉を交わすと、地図にある内ノ倉川から延びる破線を登って、周遊するつもりとのことであった。内ノ倉川のコースは、鈴木さんが昨年たどったが、途中までしか歩くことができなかったので、ここからの往復にするようアドヴァイスした。
 雲のためかまだ薄暗い中を、予定通りの6時に歩き出した。ブナ林の中に入ると、落ち葉に覆われているものの、はっきりした踏み跡が付いていた。ブナの幹に記されたペンキマークに従って急な斜面を登って尾根に向かった。なま暖かい気温で、すぐに汗が吹き出てきた。北日本は、今年一番の寒気が入って冷え込むという予報が出ていて、新潟が含まれるかどうかが、気がかりであった。冬に準じた衣類は用意してはいたが、みぞれに変われば危険であった。落ち葉で滑る急斜面をジグザグに登ると、尾根に乗り、ここからはやせ尾根の登りが始まった。予想と違って、しっかりした踏み跡が続き、刈り払いもしてあったが、岩場や両脇の切り落ちた個所もあり、体力と同時に慎重さも必要であった。716ピークに出て、ひと息付いた。5人のフル^プでも、狭いくらいのピークであった。先をうかがうと、小さなピークを連ねながら、尾根が突き上げていくのが見えた。山頂はうかがえず、しばらくは、我慢の登りを続ける必要があった。次の目標の941ピークは、西面に杉が生えて、下からでも良く目立つピークであった。ヤセ尾根は、赤津沢支流の西ノ沢に向かって一気に切り落ちるようになった。3点支持を心がけながら岩場を登って716ピークに立つと、稜線部の雲が薄れ始めてきて、西ノ峰から三本槍を経て赤津山に至る稜線が見え隠れし始めた。山頂は、まだまだ遠くのようであった。次の目標は、焼峰山に続く稜線が分かれる1210ピークであった。ここからは、粘土質の滑りやすい広尾根の道になった。潅木の枝を頼りに体を持ち上げる登りが続いた。1210ピークからは、傾斜も少し緩やかになり、潅木帯の中を登っていくと西ノ峰に到着した。稜線に上がったためか、天気が変化してきたのか、かなり気温が下がってきた。西ノ峰の山頂には、赤旗の束が置かれていたが、少し古びて、昨年の冬用のものであったのだろうか。ここからコースは東に向きを変えるが、登山道の状態は悪くなった。ここまでは登山道整備済みの状態であったが、ここからは踏み跡は明瞭なものの、潅木の枝が体にバチバチ当たる状態になった。葉の落ちた今の時期であるから良いようなものであるが、夏には辛い道になりそうであった。右手の潅木の中に池を見て小ピークに登ると、その先は急な下りになった。地図で確認すると、高度差80m程の下りであったが、先の見えない下りは、気持ちを落ち込ませるに充分であった。続いて、小ピークの上り下り。ここが三本槍のようであった。一際鋭いピークの上に立った時、ガスが切れて、周囲の展望が広がった。赤津山は、ようやく目の前に迫っていた。足元は、西ノ沢の源頭まで切り落ちていた。痩せ尾根を終えて左手に小さな池を見ると、赤津山への最後の登りになった。傾斜が緩やかになったと思うと、雨量観測施設のアンテナが目に入ってきた。雨量観測施設の回りは広場になっており、風を避けて休憩するのに良さそうであったが、まずは最高点を訪れることにした。前方に丘状に盛り上がった山頂めざして、潅木帯の中の踏み跡を辿った。山頂はヤブが刈られて、中央には三角点が頭をのぞかせ、赤津山という標識が結びつけられていた。先に到着した単独行が荷物を広げていたので、記念写真のみで、雨量観測施設まで戻って休むことにした。
 まずは、ビールで乾杯。鈴木さんも吉田さんも、二度目の挑戦で登ることができた赤津山に、一度の挑戦で登ることができたのは幸運であった。途中で採ってきたキノコを、吉田さん持参のダシ汁に入れ、川田さん提供の弁当のオカズと煮込んで、今回もキノコ汁を賞味することができた。鈴木さんの報告によれば、クリタケ、カノシタ、ナメコ、シモフリシメジとのことであったが、どれも自分では見分けることはできない。休んでいる間に、3組程の他のグループが登ってきた。貸し切りの山と思っていただけに、これは意外であった。周囲の展望も開け始め、蒜場山から烏帽子山の稜線が見えるようになったが、ついに大日岳は、雲の中に隠れたままであった。風は冷たく、体が冷えてきたことから、下山にうつることにした。
 三本槍の真ん中のピークに登り返すと、周囲の展望が広がっており、思わず足が止まってしまった。眼下に見える西ノ沢の源頭部は、カールの底のように尾根に囲まれて、紅葉に彩られた林が広がっていた。登ってきた尾根も、目で追うことができたが、改めて急斜面であることを確認することができた。西ノ峰に向かっては、辛い登り返しになった。尾根の下りは、極めて滑りやすく、細くてしなる潅木をロープかわりに使ってようやく下ることができた。おかげで、翌日からは腕が痛くなってしまった。途中のピークで、なごりの展望を楽しみながら下りを続けた。途中でも、下山途中のグループに出会い、話を聞くと、時間切れのために引き返しとのことであった。最近出た羽田氏の「新潟の低山薮山」における赤津山のコースタイムは、登り3:15、下り2:20であるが、私たちの歩きだと、登り4:00、下り3:30程度。この本を参考にしたかどうかは判らないけれど、もしそうであったら、同情の余地がありそうであった。下山口近くのブナ林は、美しく黄色に色づき、午後の日差しに輝いていた。林道に飛び出すと、全部で15台の車が停まっているのに驚いた。着替えをしていると、湯ノ平温泉からの帰りの車が、この車の列を不思議に思ってか徐行しながら通り過ぎていった。中には、ここが赤津山の登山口か尋ねてくる者もいて、赤津山に関心を持っている者は多そうであった。これまで道が無くて登るのが難しかった蒜場山に昨年登山道が開かれ、続いては、対岸の赤津山が登るのが難しい山として注目をあびるようになってきたのであろうか。ようやく登ることができた赤津山。季節を変えて登ってみたい山であった。いつか、縦走路の通過点として、その頂を越してみたいものだが。

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