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大嵐山、佐倉山(八総)

男鹿岳

1998年10月30日〜11月1日 一泊二日
10月30日 大嵐山、佐倉山(八総) 単独行 晴
11月1日 男鹿岳 9名グループ 晴

大嵐山 おおあれやま(1635.4m) 二等三角点 南会津(福島県) 5万 糸沢 2.5万 湯ノ花
ガイド:南会津・鬼怒の山50(随想社)、会津百名山(歴史春秋社)、ふくしまの山50(歴史春秋社)、ふくしま百山紀行(歴史春秋社)

佐倉山(八総) さぐらやま(やそう)(1073.2m) 三等三角点 南会津(福島県) 5万 糸沢 2.5万 湯ノ花、松戸原
ガイド:南会津・鬼怒の山50(随想社)、会津百名山(歴史春秋社)、ふくしまの山50(歴史春秋社)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、ふくしま百山紀行(歴史春秋社)

男鹿岳 おがたけ(1777.1m) 三等三角点 男鹿山塊(福島県、栃木県) 5万 那須岳 2.5万 栗生沢、日留賀岳
ガイド:山と訪ねて(歴史春秋社)、会津百名山(歴史春秋社)、ふくしまの山50(歴史春秋社)、ふくしま百山紀行(歴史春秋社)、日本300名山登山ガイド東日本編

10月30日(土) 5:20 新潟発=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、会津本郷、大戸町、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.121、上ノ原、R.352、松戸原、湯ノ花 林道滝沢線 経由)=8:27 林道終点登山口〜8:39 発―9:06 沢末端―9:58 谷末端―9:53 主稜線―10:20 大嵐山山頂〜10:46 発―11:03 主稜線―11:15 谷末端―11:32 沢末端―12:06 林道終点登山口=(林道滝沢線、湯ノ花、松戸原、R.352、井桁 経由)=12:50 佐倉山東登山口―13:00 T字路―13:18 アンテナピーク〜13:21 発―13:43 佐倉山山頂〜13:55 発―14:21 アンテナピーク―14:38  T字路〜14:41 発―14:50 佐倉山東登山口=(R.352、滝の原温泉・夢の湯入浴(500円)、上ノ原、R.121、会津田島、栗生沢入口 経由)=17:50 栗生沢  (車中泊)
11月1日(日) 6:43 栗生沢発=(県道栗生沢板室線)=7:15 オーガ沢橋手前〜7:29 発―8:35 男鹿峠〜8:48 発―10:25 栗石山〜10:42 発―11:26 男鹿岳山頂〜12:36 発―13:11 栗石山〜13:17 発―14:15 男鹿峠〜14:36 発―15:35 オーガ沢橋手前=(栗生沢、栗生沢入口、長野、長野向、R.121、湯野上、R.118、大戸町、芦の牧温泉・ドライブイン温泉入浴(350円)、会津本郷、会津坂下、R.49、会津坂下IC、磐越自動車道 経由)=7:35 新潟着

 大嵐山 は、南会津のひなびた温泉として有名な湯ノ花温泉の南東に位置する山である。サンショウウオ漁の行われている沢から稜線を登り詰める、周囲の大展望を楽しむことのできる山である。
 八総佐倉山は、八総の集落の背後に、低いながら、鋭いピークを連ねる山である。R.352からその山容を良く眺めることができ、登頂意欲をそそられる。
 男鹿岳は、福島・栃木県境部に広がる男鹿山塊北端に位置する、登山道の無い秘峰である。この山塊では、大佐飛山が最高峰であり、また登山道が設けられている日留賀岳があるが、男鹿岳の名前が用いられている。登山道も無いことから、一般の登山者の関心の集まる山では無いが、日本300名山に採用されて、ヤブ山山行の試金石となっている。おがたけあるいはおじかだけと呼ばれているが、奥田博氏の「ふくしま百山紀行」によれば、麓の糸沢村あるいは栗沢村では、宇賀岳と呼ばれており、おがたけが正しいようである。
 宇都宮ハイキングクラブの室井さんから、男鹿岳の山行の誘いがあった。日曜日の日帰り山行であったため、土曜日には、会津の山を一人で登ることにして、最近はガイドでも良く取り上げられることの多い大嵐山 に登ることにした。朝は、雨が残ったが、会津に向かうにつれ、天気は回復してきた。今年の紅葉はハズレという感じを持っていたが、南会津の国道脇の里山の斜面は、赤や黄色に染まり、紅葉の盛りになっていた。以前、田代山へ登るために訪れたことのある湯ノ花温泉の入口には、バイパス道ができていた。温泉街への旧道に入るとすぐに、大嵐山登山口の標識が現れた。左に曲がると、すぐに右に戻るように林道が分かれ、これが林道滝沢線であった。いきなりの曲がり角の連続で、そのまま行きすぎて、Uターンして戻ることになったが、車を回しきれない急カーブだったので、それでよかったようである。そのまま進めば、湯ノ花石場前バス停脇に出るので、ここに大嵐山登山口の標識を立てればよさそうなものだが。舗装されてはいるが、急坂の林道を上がっていくと、林道の終点広場に到着した。すでに4台の車が停まっていた。
 杉林の中を歩き出すと、すぐに荒れた林道に飛び出した。伐採用につけられたようであるが、道の上には草が茂って、車は通っていないようであった。緩やかな林道歩きを続けていくと、左手から沢が合わさってきて、落葉樹の林の紅葉を眺めながらの歩きになった。沢を何度か渡り、林道跡も何度か消えたり現れたりした後に、本格的な登山道に変わった。沢沿いということで、道を見失う心配をしていたが、はっきりした道が続いていた。水量が減ってくると、沢の中を歩く所も出てきたが、概ね、左岸に道は続いていた。沢には、各所に青い網袋が落ちており、サンショウウオ漁に使われたもののようであった。涸れ沢を詰めると、その上で、シダの下生にトチやサワグルミの林が広がる美しい谷間に入った。右手に延びる尾根が近づいてくると、沢筋から別れて、山の斜面の急な登りが始まった。一気に高度を上げると、稜線の上に飛び出した。東面の鱒沢渓谷や七ヶ岳の眺めが広がった。汗ばんだ体に、風は冷たかった。ここからは、痩せ尾根の登りが続いた。小岩場があり、慎重に通過したら、右下に卷き道が付けられていた。足元が一気に切り落ちている場所もあり、注意して歩く必要があった。急な登りを終えると、大嵐山の頂上に到着した。山頂は狭く、周囲には大きな展望が広がっていた。雨上がりの後で、雲が消えていなかったが、会津の山の眺めを楽しむことができた。台地状の山頂を持つ田代山はすぐに見分けがついたが、帝釈山はその奥に隠れているのか。会津駒ヶ岳方面が、雲に覆われているのが残念であった。日光連山が意外に近くに見えた。また、七ヶ岳が横に大きく広がっていた。雲の切れ目から日がさすと、スポットライトをあびたように、谷間の紅葉が鮮やかに浮かび上がった。眺めを楽しみ、軽くパンを口にしてから、下山に移った。落ち葉が積もった道は滑りやすく、また沢に下りてからは、落ち葉に隠された浮き石に乗らないように注意が必要であった。山頂や途中で出合った登山者は、6組程にのぼり、会津の山としては大賑わいのようであった。
 車に戻り、湯ノ花温泉で入浴か、もう一山か迷った。天気も良く、もうひと頑張りすることにして、近くの八総佐倉山をめざすことにした。R.352の井桁の手前からは、佐倉山を良く眺めることができた。車の中で、山を眺めながら昼食にした。佐倉山の東登山口は、R.352脇に看板があり、すぐに見つけることができた。しかし、周辺には個人的所有地の空き地しかなく、100m程田島側に進んだ路肩の空き地に車を停めた。東登山口の看板には、会津百名山という宣伝文句も書かれて、徐々に会津百名山も広まっているようであった。そのわりには、登山口付近は草が茂っており、入り込むのにちゅうちょしそうであった。急斜面をジグザグに登っていくと、うつくしいブナ林が広がるようになり、稜線の上に飛び出した。T字路になっており、左に曲がって山頂をめざした。その先で岩場の上に出て、眼下に集落を見下ろすことができた。岩の上には松の落ち葉も積もって、断崖絶壁の上を通過するのは危険極まりなかった。少し戻って、迂回路を進むことにした。中年の男女が下りてくるのに出会ったが、この山で会った登山者の全てであった。小さなアップダウンを続けていくと、正面に鋭い山頂が近づいてきた。雑木林の中の急な坂を登り切ると、アンテナの立つピークに登り着いた。アンテナピークを下った鞍部からは右手に道が分かれており、これが西登山口へ至るコースのようであった。ここからは、今まで以上の急登が始まった。ロープも掛けられていたが、足元は落ち葉と泥で滑りやすく、足を滑らさないように注意が必要であった。ロープの無い岩場もあり、岩角や木の枝のホールドを確かめながら登る必要があった。細い尾根道で、眼下の崖下には、紅葉に染まった雑木林が広がっていた。ガイドブックには、雨の日には滑って危険きわまりない、と書いてあるのが良く判った。ピークを乗り越しながら山頂に近づいていくと、正面に大きな岩が現れた。ここは水平に張られたロープを頼りに一旦右にトラバースしてから左折し、再び尾根に戻った。このトラバースは、登りはともかく、下りは足元が不安定で、ロープにしっかりとすがる必要があった。その上の小ピークでひと息つくと、最後の登りになった。登り着いた山頂は、狭く、周囲の展望が広がっていた。標高が低いだけ、周辺の山の紅葉も鮮やかであった。東には七ヶ岳が大きく、振り返ると、先ほど登っていた大嵐山も眺めることができた。佐倉山は、低いながら手強く、西上州を思わせる岩峰であった。下山は、滑らないように、最高レベルの慎重さを心がけた。アンテナピークに戻って、ひと安心。少なくとも、この先は、滑っても、ズボンが汚れるだけの問題になった。
 山登りを終えて、どこの温泉に向かうか迷った。湯ノ花温泉に戻るのも面倒なため、会津田島に向かう途中の、会津高原駅手前の夢の湯に入った。山歩きで汗を流していても、体は冷え込んでおり、温泉の暖かさが心地よかった。次いで、会津田島で夕食の予定であったが、時間が早くて国道脇のレストランが昼の休憩中で、コンビニ弁当や食料を買い込み、翌日の集合場所の栗生沢に向かうことにした。
 男鹿岳は、登山道の無い山である。男鹿山塊として名前を用いられている山といっても、この山塊自体、北の那須や、南の帝釈山塊ほど、名前が知られているわけでも無い。このヤブに覆われた篤志家向きともいえる地味な山が注目されているのは、日本300名山に選ばれていることがあると思う。男鹿岳の登り方としては、幾つかのルートが考えられる。男鹿岳の南には、税金の無駄使いの典型のような、車の通行禁止の塩那道路が通っている。西面の滝沢橋から工事の資材運搬用に作られて現在は廃道になっている林道跡をヤブ漕ぎして塩那道路に上がり、男鹿峠と呼ばれる鞍部から男鹿岳を往復するというものが良く用いられるコースであり、11時間半程かかるようである。もう一つは、最近出版された「会津百名山ガイダンス」や森澤氏の「山を訪ねて」に紹介されている、北面を通る県道栗生沢板室線の男鹿峠から山頂をめざすものである。本格的なヤブ漕ぎ山行になるが、峠からは往復5時間半の日帰り山行が可能である。今回のコースは、この栗生沢コースをとることになった。
 待ち合わせの栗生沢小学校を確認し、野宿の場所を捜した。少し戻った大橋から水無川沿いの道に入り、車を停めた。その夜は、月明かりに山のシルエットが照らし出される、月夜になった。明日の登山の成功を約束してくれるかのようであった。明け方、冷え込んで目を覚ました。季節も移り、そろそろ、車の中の野宿も寒さに備えて厚着をする必要が出てきたようである。小学校の前に戻り、朝食を済ませて、室井さん一行を待った。室井さんの車は、待ち合わせの7時よりも前に到着し、挨拶もそこそこに山に向かった。栗生沢の集落を過ぎるとすぐに未舗装の道に変わった。水無川沿いに登っていき、支流の釜沢を渡り、高度を上げて谷間に入っていくと、道路の状態も悪くなった。路面の中央は大きくえぐれ、タイヤをまたぐように崖縁ぎりぎりを通る必要もあり、車の底を何度もこする最徐行の運転になった。室井さんの車も私の車も車高は高くなく、これ以上は無理と車の走行はあきらめることにした。地図を確認すると、林道が水無川を越すオーガ沢橋の少し手前であった。峠まで上がることができなかったのは残念であったが、1時間程の林道歩きと予想して歩きだした。ここのところ、宇都宮ハイキングクラブの室井さんや、白石さん、川田さんには、あちこちの山でお世話になっており、山の話をしながらの林道歩きも苦にはならなかった。今回の山行では、白石さんは風邪のため、本調子でないようであった。谷の木々は紅葉に染まり、秋の最後になって紅葉見物もすることができた。林道の路面は荒れていたが、タイヤの轍が残っており不思議に思ったが、これはバイクのもののようであった。予想通りの時間に峠に到着した。林道の県境部にはゲートが設けられ、通行止めになっていた。ササヤブは夜露に濡れており、雨具の下とスパッツを着けて、出発の準備をした。いつもの山行とは違って、地図のコピーに稜線と水線、磁石の方向や、ポイントの高度も書き入れて、山行の下準備もしてあった。
 峠から南に延びる尾根に取り付くと、予想以上にはっきりした踏み跡が付いていた。所々木にはペンキマークも付けられており、テープも各所に残されていた。といっても、手強いササヤブの急斜面に、体力を絞り出す必要があった。体が重く、昨日頑張りすぎたかなと、少し反省することになった。踏み跡が続いているといっても、倒木で迂回する所や、消えている所もあって、ルートファインディングの必要な歩きであった。植生がブナ林からオオシラビソに変わり、高度を上げてきたことを知ることができた。尾根から、広い斜面の登りに移ると、次第に前方のピークが近づいてきた。ガイドブックにも紹介されている、クロベの大木の脇に、明治大学ワンゲルのプレートが打ちつけられており、見ると五九郎新道と書かれていた。確かに苦労させられる道であった。そこからは、僅かな歩きで1701ピークの栗石山に到着した。何枚もの明大ワンゲルのプレートが打ちつけられていたが、あまり多いと、趣味も良くないものに思われた。栗石山は、木立に囲まれていたが、その隙間からは、めざす男鹿岳が目の前に迫っていた。尾根伝いの道は、ササがうるさそうであったが、ここまで来れたのなら、男鹿岳の山頂には到達できそうであった。
 いよいよ、男鹿岳の山頂をめざしての歩きになった。前よりもヤブのうるさくなった尾根をたどっていくと、左手から沢状地形が上がってきて、その向こうに、山頂に続く斜面が広がっていた。室井さんの判断で、尾根をこのままたどるより、ヤブの薄そうなこの斜面に取り付くことにした。少し登ると、涸れ沢状地形が現れ、ここを伝って、高度をかせぐことができた。この斜面にも赤布が所々付けられており、同じ様なコース取りをするものだと関心した。山頂手前で、北に延びる尾根に乗ると、東面の展望が広がった。登るに連れて傾斜は緩くなり、オオシラビソやブナの木の並んだ男鹿岳の山頂に到着した。山頂は緩やかな台地状であるため、どこが山頂ということになっているのか迷ったが、オオシラビソの木立に囲まれた小広場に男鹿岳の山頂標識が落ちていた。三角点を捜したが、ここにはなかった。もう少し展望の利く崖際だろうと思って、東よりのササヤブの中を捜すと、三角点が見つかり、ようやく山頂に立ったとすっきりした気分になった。その北側には、二本の杭が並んで立っていたが、あとでガイドを読み返してみると、これは山頂標識の支柱のようであった。誰かが、山頂標識を引きはがしてしまったのか、それとも自然に落ちてしまったものなのか。
 ガイドを読むと、男鹿岳は、展望の利かないヤブ山のような印象を持ってしまうが、那須連峰の、沼の平から南月山、噴煙を上げる茶臼岳、流石山などが、目の前に広がっており、展望の楽しめる山頂であった。南面は木立で展望が遮られているため、南の山頂の縁まで行ってみることにした。塩那道路から上がってくるこちらの方が、踏み跡はしっかりと付いているようであった。尾根に移るところで、展望が広がった。正面には、大佐飛山が大きく広がっていた。このあたりの山に精通している室井さんは、その他にもいろいろの山の名前を挙げていたが、記憶に留めることができなかった。大佐飛山だけでも、心に留めておくことにしよう。いつかは、大佐飛山にと。ひとつの山に登りて、さらに遠くの山に憧れる。
 昼食で鋭気を取り戻し、下山に移った。下山は、重力に逆らわず下りていけばよく、登りよりも楽であった。栗石山手前のササ尾根では展望が広がり、会津の山の山岳同定にしばらく足を停めた。栗石山からの下山時に、大川の源頭部に落ち込む斜面に入りかけて、左にトラバース気味に方向を変えて尾根に乗る必要があった。この栗石山から下る所は、下山時に一番注意が必要であった。尾根に乗ってからも、こんな急坂を登ってきたのと驚くような道が続いた。峠に降り立つと、驚いたことに、バイクの一団が休んでいた。両グループとも、なんでこんな所にといった感じで、趣味はかみ合いそうもなかった。少し下った所の林道に座り込んでひと息ついた。後は、林道歩きのみ。やはり、ヤブ漕ぎ山行は、肉体的にも精神的にも疲れる。林道の下山は、思ったよりも長く感じられたが、これも緊張感が無くなったためであろうか。車に戻ったところ、思わぬアクシデントが待ちかまえていた。室井さんの車の後輪のタイヤがパンクしていた。タイヤを交換し、荒れた林道を慎重に通過して山を下った。もう少し手前で、車を諦めた方が良かったようである。栗生沢で、室井さん一行と別れて、新潟に向かった。次第に体が冷えてきて、芦の牧温泉のドライブイン温泉に入って、ようやくひと心地を取り戻した。
 男鹿岳は、今の私の力では、一人であったなら登れたであろうか。日本百名山は、ともかくも自分一人の力で登ってきた。その後の日本300名山は、一層の力を付け、さらに多くの山友達との出会いとともに登っていけば良いように思う。あせることは無い。一つの山に登れば、その先にはさらに多くの山々が広がるのが見えるのだから。

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