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大蔵山・菅名岳・鳴沢峰

黒石山・二王子岳

1998年10月24日〜25日 各日帰り
10月24日 2名 晴 10月25日 登山メーリングリスト 新潟オフミ(7名) 雨後曇り
大蔵岳 おおくらだけ(864.3m) 三等三角形
三五郎山 さんごろうやま(910m)
菅名岳 すがなだけ(909.2m) 二等三角点
鳴沢峰  なりさわみね(880.1m) 四等三角点
  菅名山塊(新潟県) 5万 新津、津川 2.5万 村松、馬下
ガイド:新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、片雲往来 PARTIII 阿賀南の山々 P.1〜41

ナリバ峰 なりばみね(874.3m) 三等三角点
黒石山 くろいしやま(1100m)
二王子岳 にのうじだけ(1420.3m) 二等三角点
 飯豊周辺(新潟) 5万 新発田、飯豊山 2.5万 えぶり差岳、二王子岳、上赤谷
ガイド:越後の山旅 上巻(富士波出版社)、アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「飯豊山」(昭文社)

10月24日(土) 6:05 新潟発=(磐越自動車道)=6:30 安田IC〜6:50 発=(R.49、馬下橋、咲花駅(車一台デポ)、R.290 経由)=7:30 大蔵岳登山口〜7:36 発―7:43 階段コース取り付き―8:08 二合目―8:17 三合目―8:28 四合目(沢コース合流点)―8:37 五合目―8:48 六合目―8:59 七合目―9:05 八合目―9:11 九合目―9:20 大蔵山〜9:32 発―9:50 三五郎山―10:32 菅名岳〜11:26 発―11:45 鞍部―12:01 鳴沢峰〜12:50 発―13:09 鉄塔―13:32 送電線分岐(←飯豊幹線No.12 →新潟幹線No.138)―13:43 鉄塔―13:53 鉄塔(咲花駅・温泉分岐)―14:01 林道(鹿新線63、新潟幹線138、飯豊幹線No.11)―佐取踏切―14:19 咲花駅=(R.290、大蔵岳登山口、R.290、馬下保養センター入浴400円)、R.49、水原、瓢湖、出湯、R.290、八幡、天ノ原、小戸橋、上羽津田屋、南俣 経由)―6:40 二王子神社  (車中泊)
10月25日(日) 6:10 二王子神社発=(南俣、上羽津田屋、西姫田、四本樋橋、R.290、胎内スキー場)=7:09 胎内第一ダム〜7:02 発―8:04 地蔵―8:16 雨量計No.16―8:43 稜線上―8:53 ナリバ峰〜9:03 発―9:35 雨量計No.17―10:00 黒石山―10:25 雨量計No.18(水場入口)〜10:34 発―11:16 砂岩の鎖場―11:33 雨量計No.19―12:04 雨量計No.20―12:08 二王子岳〜13:37 発―13:39 九合目―13:48 八合目(お花畑、水場)―14:01 七合目(油こぼし)―14:21 六合目―14:39 五合目(定高山)―14:55 四合目―14:09 一王子(三合目)〜14:47 発―15:25 二合目(水場)―15:37 一合目―15:52 二王子神社=(南俣、上羽津田屋、西姫田、四本樋橋、R.290、胎内スキー場、胎内第一ダム、胎内スキー場、R.290、〆切、加治駅、川尻、米子、聖篭IC、R.7 経由)=6:40 新潟着

 菅名山塊は、阿賀野川と早出川に挟まれ、新潟平野の南東端に沿って広がる山塊である。北は阿賀野川より、鳴沢峰、菅名岳、三五郎山、大蔵岳、不動堂山と頂稜を連ねて早出川に落ち込んでいる。美しいブナ林、酒の仕込み水として有名になったどっぱら清水など、手頃に自然と親しむことのできる山である。菅名山塊には、多くの登山道が整備され、周遊コースをとることもでき、新潟市周辺における人気の山のひとつになっている。しかしながら、適当な周遊コースが取れるためか、大蔵山から古くからのコースである咲花温泉まで通しで歩く者は少ないようである。
 二王子岳は、日本海側に望む飯豊連峰西端の山である。二王子岳は、信仰の山として登山道も良く整備され、山頂からは飯豊連峰の大展望を楽しむことができることから、新潟周辺でも人気の高い山となっている。最近では、日本200名山にも選ばれていることもあり、遠来の登山者も多くなっている。二王子岳への登山道は、二王子神社からの往復が一般的であるが、胎内ダムから黒石山を経て二王子岳に至るというコースがある。このコースは、地形図にも記載されているものの、ヤブで道が不明瞭ということで、98年度の昭文社のハイキング地図にも、登山コースのラインは記載されていない。しかし、現在は、雨量観測の保守道として整備され、要所にはロープが張られ、広い刈り払いもされており、通常のレベルの登山コースとして歩くことができる。
 インターネットの新潟オフラインミーティングを、二王子岳縦走ということで開くことになった。前日の土曜日に、ここのところ、会津の山ですっかり世話になってしまった川田さんを、新潟付近の山に案内することになった。週の半ばまで、天気が悪いという予報が出ていたため、雨でも歩くことのできる菅名岳に登ることにした。土曜日の朝は曇りになったが、待ち合わせの安田ICに下りると、強風が吹いていた。しかし、雲の流れるのも早く、次第に天候は良くなりそうな気配であった。川田さんと落ち合い、2台の車で馬下に向かった。どうせなら、これまで経験の無い縦走として歩いてみたかったため、まず下山口の咲花温泉に向かった。前日に山の資料を捜したが、咲花温泉の登山口の情報が見つからなかった。咲花駅を過ぎて、温泉街の中を登山口を捜しながら進んでいくと、鳴沢峰登山口の標識がみつかった。線路を渡った先の咲花ひょうたん園天祥閣の空き地の脇にも標識があったが、十字路の角にあって矢印がないため、どちらの方向に進むかはっきりしなかった。いずれにせよ、ここらに下りてくることは確認できた。周辺はホテルの私有地のようなので、駅前に置くことにした。川田さんの車を置いて、私の車で大蔵山登山口に向かった。両登山口は、車でも結構な距離があった。荒れ模様の天気のためか、大蔵山登山口の駐車場には、1台の車があるだけであった。
 先回は、沢コースを登ったため、今回は階段コースを歩くことにした。林道を進み、左に分かれる丸山尾根口への林道を見送り、緩やかに右にカーブしながら歩いていくと、階段コースの入口に到着した。駐車場の登山届けのポストの先から登ってくる道は、もう少し先で林道に上がってくるようであった。杉林の中の階段登りが始まった。丸山尾根もそうだが、菅名岳は、いきなりの急登で体力を試される。歩きだしに着ていたフリースもすぐに脱ぐことになった。木立の中を吹き抜けてくる風は、汗ばんだ体に心地よかった。道は良く整備されており、安心して歩くことができた。合目標識を順調に上げていくうちに、周囲にはブナ林が広がるようになった。4合目で、沢コースとも合流した。前回は新緑の中で、多くの登山者と行き会ったが、今回は、誰にも会わない静かな山であった。今年の紅葉は、葉が茶色に変色してしまい、いち早く枯葉状態になっていた。しかし、枯葉のブナ林は、冬の訪れを予感させるしんみりした気分にあふれ、それなりに楽しませてくれた。木立の切れ目からは、新潟平野部に日がさしはじめているのが見え、山頂での展望が楽しみになってきた。天候が心配で、土曜の登山は中止と連絡しようかと思ったが、予期せぬ晴天の山に変わろうとしていた。ブナ林の広がる谷間の向こうには、菅名岳から鳴沢岳にかけての稜線も望むことができた。健脚の川田さんと一緒なので、一気に山頂まで歩き通すことになった。大木のブナ林も高度を上げていくと、次第に潅木化していき、疲れてきた足をひと頑張りさせると、大蔵山の山頂に飛び出した。青空が広がり、周囲には大展望が広がっていた。阿賀野川と早出川の流れの向こうには、新潟平野が大きく広がっていた。角田山に弥彦山の連なりの向こうには、日本海を越して佐渡島が長く横たわっていた。その北よりには、小さく粟島も。開放感あふれる眺めであった。米山、白山、粟ヶ岳、五頭山と見える山の名前を挙げていき、明日登る二王子岳も五頭山の奥に顔をのぞかせていた。さらに東の展望は、菅名岳の山頂までのおあずけとなった。
 ひと休みの後、稜線を先に進んだ。周囲の潅木帯は葉も落ちて、周囲の眺めも良くなっていた。910mという標識だけが掛けられている最高点の三五郎山を過ぎ、さらに緩やかなアップダウンを続けた。東には、川内山塊の山々が広がっていたが、山があまりに多く、日本平山くらいしか見分けることができなかった。日差しも暖かくなり、落ち葉を踏みしめながらの日溜まりハイクといった風情になった。菅名岳に到着すると、大賑わいの先回と違って、今回は4〜5グループが休んでいるだけの静かな山頂であった。すっかり青空が広がり、飯豊連峰にかかった雲もあがっていた。飯豊連峰が良く見える斜面の縁に腰を下ろした。飯豊を眺めながらする話は、今年の夏に歩いた飯豊の思い出話であった。
 昼にも少し早いので、鳴沢峰まで歩いたところで昼食にすることにした。再び緩いアップダウンを繰り返す稜線歩きになった。鳴沢峰方面からの登山者にもすれ違ったが、これは、小山田登山口から五葉尾根を登ってきたもののようであった。中間部に「鞍部」という標識がかかり、ここにも鐘が吊るされていた。菅名山塊では、大蔵山、菅名岳、鞍部、鳴沢峰に鐘がつるされているが、よその山ではあまり見かけないように思う。登山の安全祈願や緊急時の意味を込めてのことだと思うが、ここまで多くの鐘を置くとなると、新潟県人の趣味としかいいようがないようである。左に方向を変えて、ひと登りすると鳴沢峰に出た。以前は、木立に囲まれたピークであったと思うが、刈り払われて、良い展望が得られるようになっていた。五頭山塊を目の前にして、飯豊を眺めながらの昼食になった。
 下山は、山頂から少し下って五葉尾根との分岐に出て、右手の咲花温泉への道に進んだ。潅木の枝を掴んだり、体を横にしたりする必要のある急な下りが始まった。下りはともかく、登りには使いたくない急斜面であった。眼下には、阿賀野川の流れと磐越自動車道、咲花温泉の家並みを眺めることができた。通る者は少ないのか、登山道の表面の土は軟らかく、キノコがのんびりと頭を出していた。痩尾根を下っていくと、送電線の鉄塔が立っており、巡視路が途中で何カ所か分かれた。三番目と四番目の送電線は、短い距離で平行に走っており、上下二段に重なった鉄塔の下部で、咲花駅と温泉へのコースが左右に分かれた。車を駅に置いてあることから、左の駅へのコースに進んだ。杉の植林地の中をジグザグに下っていくと、古い林道に飛び出した。ここには、送電線の巡視路の標識はあるものの、鳴沢峰への標識はなく、登りに使うと、迷いそうであった。のんびりと林道を下っていくと佐取踏切に出て、線路を渡れば、駅は遠くなかった。
 車の回収に大蔵岳登山口に戻ると、駐車場は満員の盛況であった。馬下保養センターで入浴し、水原の町に出て夕食と翌日の食料の買い物を済ませた。瓢湖に寄り道してみると、暗くなった湖面を、渡ってきたコハクチョウが白く埋めていた。ハクチョウが寝場所にしているため、昼間よりも数が多かった。山に雪が訪れるのも、遠くはなさそうであった。暗くなった中を、二王子神社への林道を登っていくと、下山してくる車とすれ違った。後に続く川田さんの車と話しており、駐車場についてから話を聞くと、私を捜しているようであった。少し待つと、4WD車が上ってきて話をすると、茨城の久保田さんであった。集合時間を土曜日の夜6時と間違えて待っていたそうで、あやうく会えないところであった。一旦新潟市に引き返す久保田さんと別れ、二王子神社で野宿態勢に入った。
 夕方の天気予報では、日曜の朝方に雷雨という予報が出ていた。夜中に窓ガラスを打つ雨音で一回目を覚ました。次に目を覚ました時は星空が広がり、安心して眠りに落ちていった。目覚ましで起き出し、暗い中で、朝の支度を始めたとたんに、激しい雷雨が始まった。直に雨は小降りになり、集合時間の6時前に雨はあがった。7名のメンバーが集まったところで、鈴木眞さんと吉田さんの車に便乗して胎内に向かった。深くけずられた胎内渓谷を遡っていくと、途中でカモシカと猿に出合った。幸いというか、今回の山行では、クマには、頂上付近で、新しい糞に出合っただけですんだ。胎内第一ダムの広い空き地に車を停めて、出発の準備を始めた。あいにくと雨が降りだし、雨具を着けての出発になった。高速道路のバス停から一般道路へ下りる通路の入口といった感じの扉があり、ここが登山口であった。中に入ると、階段でダムの堰堤に下りることができた。事情を知らないと、ちょっと迷いそうであった。幸い、今回は、二王子岳の胎内ルートを歩いた経験者が二人もいるので、安心して歩くことができた。堰堤の先からは、ハシゴを使って、対岸のブナ林に上がった。歩き始めると、ブナの大木が倒れており、いきなりのヤブ漕ぎで、前途多難と思われた。尾根に取り付くと、飯豊特有の急登が始まった。それでも、皆元気で、おしゃべりの声は止まなかった。鈴木眞さんの指導のもと、キノコを採りながらの余裕の歩きであった。一歩毎に高度を上げていく登りを続けると、ヤセ尾根の途中の左手にお地蔵さまが置かれていた。ここは、ナリバ峰への登りの中間点であったが、依然として胎内ダムが足元に見えていた。ひと休みした後に、再び急斜面に汗を流した。コースは良く整備されており、ヤセた岩稜帯にはトラロープが張られていた。今回のコースの目標物の一つである雨量計も現れた。風倉山に続く稜線との合流点に出ると、ようやく傾斜は緩やかになった。鹿ノ俣川に沿う長い稜線の先には双耳峰の風倉山が、招くようにそびえていた。かすかな踏み跡が潅木の斜面を下っていたが、風倉山へ続いているのだろうか。その先わずかで、潅木に囲まれたナリバ峰に到着した。三角点がなければそのまま通過してしまうような平坦地であった。ナリバ峰は、熊うちの指揮場の「鳴り場」から来ているという。
 ひと休みをして、果物やお菓子で元気を取り戻して歩き出した。緩やかに下った後に、再び急登が始まった。小ピークを乗り越していく道は、なかなかハードであったが、皆の足は止まらなかった。もっとも、話し声は、さすがに少なくなっていた。前方の小ピークを見て、思わず目を凝らして見てしまった。ピークの上から、白い物が一直線に下っており、近づいていくと、ロープであることが判った。斜面に取り付いてみると、確かに、ロープの必要な急斜面であった。ロープと木の根を頼りに、一人づつ慎重に登った。前方に横たわる稜線上に登り着くと、ようやく黒石山に到着した。北にはガラク峰に至る稜線が長く延びていた。黒川村と新発田市の境界にあたるこの稜線も、歩けたら面白そうなのだが。尾根の末端付近には熊出神社があり、いかにも熊うちと関係が深そうである。
 黒石山に登り着いて、ほっとしたものの、高度はともかく、まだ長い水平距離が残っていた。稜線を辿っていくと、雨量計No.18に出て、ここには水場入口と書かれていた。ロープを頼りに、10m程の斜面を下ると、沢の源頭部に出た。残念ながら、水はちょろちょろで、コップを満たすのにも時間がかかる状態であった。小さな草原に出ると、その先で、滝の落ち口のようにえぐれた、4m程の砂岩の崖が現れた。足がかりが少なく、ロープを頼りに登る必要があった。ロープが無かったら、脇のヤブを高卷きよろしく登ることになりそうであった。ようやく急登からも開放されると、登山道の上のキノコに目が行くようになった。ナラタケなどを収穫しながらのキノコモードの歩きになった。山頂台地の一画に出たところで、雨量計に向かって作業中の人に出会った。もしやと思って、岡本教授ですかと尋ねると、はたしてそうであった。新潟大学工学部土木科の岡本教授は、集中豪雨の研究のために雨量計を設置して、局所の雨量を測定していると以前の新聞にも紹介され、飯豊付近で雨量計を見るにつけ、一度お会いしたいものだと思っていた。話をうかがうと、冬に備えて、雨量計にカバーをしているところとのことであった。胎内ダムからの登山道の整備のお礼を述べた。三年間は、研究が続くために、コースの整備はされるとのことであった。熊がいるため、いきなり出っくわさないために、広く刈り払いをしてあるとのことであった。この先にも、新しい熊の糞が落ちていると教えてくれた。作業の邪魔をしたことをわびて先に進んだ。ガスが晴れて、緩やかに起伏する向こうに二王子岳の山頂が姿を現した。飯豊の稜線部を思わせる光景であった。写真を撮ったりして足が止まったにせよ、山頂手前で岡本教授と同行一名の一行に追い抜かれた。さすがに、雨量計の保守のために山を歩いている足は健脚であった。遊びと仕事では、レベルが違うということか。
 二王子岳の山頂にようやく到着すると、鈴木眞さんが、知り合いと挨拶を交わした。話を聞くと、登山メーリングリストのメンバーの吉田六右ェ門であった。昨晩会合があったため、二王子神社からの往復ということで登ってきたとのことであった。1時間待って、寒くなってしまったとのことであった。山頂では、「青春の鐘」を新しい支柱に据え付けている最中であった。飯豊の稜線は雲で覆われていたが、登り始めの胎内川は、遥か下であった。二王子岳の北側の台地も、今そこを歩いてきたかと思うと、以前よりも親しみをもって眺めることができた。山頂を吹く風は冷たく、かたわらで、鐘を吊るす作業をしているため、避難小屋の脇に移って昼食にした。今回は、ハードな歩きが予想されたため、食料や酒の打ち合わせはしなかったのだが、早川さんと吉田さんが、鍋の材料を持ってきてくれたため、途中で採ってきたキノコを入れた、ほうとうキノコ汁を御馳走になることができた。まずは、登頂を祝って乾杯した。
 山頂で記念写真を撮ったのちに、二王子神社に向かって下山を開始した。慣れた道のせいか、下山のスピードも上がった。胎内ルートと比べると、登山道がえぐれているのが目立った。やはり、人が多く歩くと、登山道は荒れていくのだろうか。平野部を眺めながらの下りは、開放感にあふれて気持ちの良い道であった。冬枯れの二王子岳に別れを告げ、ブナ林の中を下った。二王子神社への到着は、日も陰りはじめた4時になり、無理のない山歩きのぎりぎりのタイミングになった。二王子神社にて解散とし、車の回収のために、夕暮れの胎内ダムに戻った。
 一日を山歩きで過ごしたという充実感に満たされた。今回は、4回目の二王子岳登山になったが、仲間の協力を得て行った、二王子岳横断という特別な山行として、記憶に残ることになろう。胎内ルートでは、二王子岳のきびしさと、山頂直下にのびやかに広がる稜線といった、飯豊のエッセンスを味わうことができた。岡本教授の研究期間はあと三年間。多くの人に、この整備された登山道を歩いて欲しい。利用者が多いなら、その後も、登山道が維持されるかもしれないから。

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