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未丈ヶ岳

1998年10月3日 日帰り 単独行 晴

未丈ヶ岳 みじょうがたけ(1552.9m) 二等三角点 奥只見(新潟県) 5万 須原、八海山 2.5万 未丈ヶ岳
ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、新潟の山旅(新潟日報社)、片雲往来PARTIII阿賀南の山々 P.237-254、山と高原地図「越後三山・卷機山・守門岳」(昭文社)

10月3日(土) 5:50 新潟発=(関越道、小出IC、R.352、折立、奥只見シルバーライン 経由)=7:40 泣沢口〜7:50 発―8:07 オリソノ沢渡渉点―8:15 三ツ又口鉄橋―9:12 前ノ沢峰(974ピーク)〜9:15 発―9:23 松ノ木ダオ―10:39 未丈ヶ岳〜11:42 発―12:42 松ノ木ダオ―12:54 前ノ沢峰(974ピーク)〜12:58 発―13:43 三ツ又口鉄橋―13:48 オリソノ沢渡渉点〜13:52 発―14:12 泣沢口=(奥只見シルバーライン、銀山平、R.352、銀山平温泉入浴、往路を戻る)=18:00 新潟着

 尾瀬ヶ原から流れ出る只見川の源流部付近には、奥只見ダム、大鳥ダム、田子倉ダムという三つのダムが連なり、さらに信濃川水系に属する黒又川ダムや複雑に分かれる沢筋によって、毛猛山塊を代表とする、人を容易に寄せ付けない山塊が形作られている。未丈ヶ岳は、その中でも、一般登山道が整備されている数少ない山である。この一帯には、かつては、鉱山、山菜採り、狩猟のために生活道が付けられていたが、電源開発のための道路の奥只見シルバーラインが開発されてからは、奥只見湖のほとりの銀山平が観光の拠点になり、荒沢岳や平ヶ岳の登山基地あるいは岩魚釣りの基地としての脚光をあびている。その反面、かつての生活道のあるものは廃道になっている。未丈ヶ岳への登山道も、湯之谷村と只見川の大鳥を結んでいたかつての生活道を利用したものであるが、その後半の山頂から大鳥へ至る道は消えている。
 未丈ヶ岳は、昨年の97年6月21日に、雨のために増水したオリソノ沢渡渉点が渡れずに、登山を断念した心残りの山であった。行こうとしながらもなぜか延び延びになっていた。最近文庫本で読んだ山岳ミステリーの真保裕一著「ホワイトアウト」の舞台が奥只見ダムや未丈ヶ岳であったこと、登山メーリングリストでなぜか未丈ヶ岳の話題が盛り上がったことから、晴の日を待ってでかける気になった。
 週末の天気予報に、ひさしぶりの晴マークが付いた。魚沼川からの霧が立ちこめる越後川口を抜けて小出に入ると、青空をバックに越後駒ヶ岳がお出迎えしてくれた。奥只見シルバーラインに入って、泣沢の出口を見落とさないように注意しながら車を走らせた。幾つかのトンネルを過ぎると、地下鉄かと思うような長いトンネルが続いた。泣沢退避場500mと書かれた天井に付けられた表示灯が現れ、続いて200mの表示。左手に脇道が現れ、車を乗り入れると、正面に木の扉がある。観音開きに扉を開けて、外の広場に出ると、そこが泣沢の広場である。この扉は、開けるのはよいが、閉めるのは風が吹き込んで容易ではない。この出口から銀山平よりに少し進んだところにもシャッターがあり、帰りに見ていたら、他の車がこのシャッターを開いてトンネル内に戻っていった。泣沢口の広場には、5台の車が停まっていた。登山道入口のポストの登山届けを見ると、6名グループが先行しており、ひさしぶりの晴天で山は賑わいそうであった。  オリソノ沢に沿って歩き出すと、まずパイプで支えられた橋に出た。木の板が渡されているが、表面には濡れた落ち葉が積もっており、下をのぞくと沢は深く、滑っては一大事と慎重に渡った。左岸に渡ると、ブナの林に沿っての道になった。見上げる山肌の緑は青々として、紅葉の気配は無かった。暖かい日が続いており、葉がまだ色づかず、先日の台風でしおれた葉は落ちてしまったようである。今年の紅葉はあまり期待できそうもない。先回引き替えしたオリソノ沢渡渉点へ鎖を使って下りて、今日の水量はと見た。所々流れの中の石が頭をのぞかせて、飛び石伝いに渡れそうでひと安心した。先回は、鎖を末端まで水が上がってきており、水の深さは膝上位のものであったが、流れの強さがかなり有りそうで、渡渉を断念してしまった。少し水に潜った石の頭を踏んで、靴底を濡らす程度で対岸に渡ることができた。対岸の鎖をよじのぼって、黒又川左岸沿いに少し遡ると、谷の奥に未丈ヶ岳が顔を覗かせた。かなりの登りがいがありそうであった。コンクリートの土台に渡された鉄製の橋が現れ、深い流れを見下ろしながら右岸に渡った。橋を渡った所で上流に向かって右折し、その先で指導標に従い、黒又川沿いの踏み跡から分かれて左折。三頭沢沿いの道になるが、少し先で、導標に従って右折すると、尾根に取り付いて本格的な登りが始まった。この三ッ又付近は、山菜採りのためか明瞭な道が分岐するので、指導標を良くみることが必要である。木が頂上に生えて鋭い三角形に見える小ピークを右から回り込むと、ヤセ尾根の登りが始まった。展望の良い尾根上の歩きが続いた。振り返ると、黒又川の流れや御神楽沢のスラブを見下ろすことができた。時折、固定ロープや木の根を足がかりにするような急登を交えながら高度を上げていくと、荒沢岳や越後駒ヶ岳や中ノ岳が姿を現した。魚沼方面から眺める越後駒ヶ岳は、すっきりした三角形の山頂を持つ山として眺められるが、ここからは、肩をいからせたごつごつした感じに見えた。同じ山でも見た方向によって、感じは変わるようであった。越後駒ヶ岳の下方には、枝折峠の道路もはっきりと見ることができた。前ノ沢峰(974ピーク)に登り付いて、登りもひと区切りになった。以前は、このピークは巻いて登山道が付けられていたようであるが、今はこのピークを越すように登山道が整備されていた。一旦鞍部の松ノ木ダオに下った後に、尾根が一気に未丈ヶ岳の山頂へ上がっていくのを眺めることができた。谷向こうには四十峠から山頂に至る尾根が気持ちよさそうに長く続いていた。広場のかたわらには、木製の慰霊碑が立てられていた。平成元年六月の日本山岳会越後支部の懇親山行の際に亡くなられた峡彩山岳会の曽山氏を追悼したものであるという。以前は、登山道は前ノ沢峰を巻いており、ヤブをこいで登ったピークの上に慰霊碑を置いたという。思いもよらず賑やかになってしまったピークの上で、とまどっておられるかどうか。
 前ノ沢峰からの下りは、新しい切り開きのためか、足元に注意しながら下る必要があった。松ノ木ダオの名前のとおりに、鞍部にはヒメコマツの木が並んでいた。ここからはひたすらな登りが続いた。三ッ又付近から山頂までは1000mの標高差があり、楽な登りではない。体力温存モードでゆっくり登っていったが、他のグループに追いつき、追い越した手前ペースを上げざるを得なくなった。三組を抜き去った頃には、左手に三ツ頭岩が近づいてきて、正面に未丈ヶ岳の丸い山頂が近づいてきた。山頂部は潅木に覆われ、所々紅葉も見られたが、まだ紅葉の始まりという状態であった。最後の急坂を登り、左手に方向を変えると、未丈ヶ岳の山頂に到着した。
 狭い山頂は、先客の6名グループでいっぱいになっていた。広げた荷物を脇に寄せて、「どうぞ三角点に触って下さい。ついでにおばさんにも」と勧められた。三角点はともかく、それ以上はご辞退して、荷物をおろして周囲の展望を楽しむことにした。北には、毛猛山や檜岳の毛猛山塊がまず目に飛び込んできた。未丈ヶ岳から毛猛山塊まで歩く人もいるというが、目でたどっても遠い道のりであった。その向こうには浅草岳や守門岳。その左手には、権現堂山から唐松山の連なりを眺めることができた。西には、越後駒ヶ岳から中ノ岳、兎岳へ続く稜線、その手前に荒沢岳が横に屏風の様に広がっていた。山頂広場の周辺は潅木が生えて、写真を撮るには、ヤブを踏んで背伸びをする必要があった。東斜面を見下ろすと草地が広がっており、山頂を少し戻った笹の中の踏み跡をたどって、草地に降り立った。草地には、踏み跡が続いており、少し右手に回り込んだ所で腰をおろした。会津方面の遮るものの無い眺めが広がっていた。右手から台地状の平ヶ岳、鋭い二つ耳の燧ヶ岳、その左奥の鋭いピークは日光の白根山か。会津駒ヶ岳から三岩岳、窓明山、坪入山、丸山岳、会津朝日岳に至る稜線が長く続いていた。稜線の高低は少なく、それぞれのピークを見分けることは難しかった。双眼鏡で眺めると、稜線の所々に草原が広がっていた。右手の尾根が下っていく先には、奥只見丸山スキー場が意外な近さに見えた。残雪期にこの尾根をたどって未丈ヶ岳に登ることができるそうだが、いつか歩いてみたいものだ。奥只見ダムから大鳥ダムに通じる電源開発道路も、谷間に見え隠れしていた。黄金色に色づき始めた草原にすわり至福の時を過ごした。後続の登山グループの到着によって、草原の静けさも破れた。腰を上げて、左方向へ続く踏み跡をたどった。潅木に行き当たったところで、踏み跡は終わっていた。山頂から北に向かって、ササの中に踏み跡が残っていたものの、歩くのは難しそうであった。やはり大鳥池までの道は、今では歩けそうになかった。
 山頂に戻ると、皆草原に移動して、広場には誰もいない状態になっていた。山頂の写真をとり、下山にうつった。油断すると濡れた落ち葉で滑りやすく、一歩づつ足元を確かめながら下る必要があった。気温が上がっており、持ってきた1リットルの水は無くなりかけてしまった。尾根を下っていき、沢音が近づいてくるにつれて、喉の乾きもましてきた。尾根を下りきって、オリソノ沢渡渉点に出て、沢の水を思う存分に飲んだ。泣沢口に戻ると、車は増えていた。
 登山後の入浴のために、銀山平の温泉をめざした。奥只見シルバーラインから銀山平に出て、R.352を尾瀬に向かってすすむと、湖畔の道を3.9kmたどった丸太沢の出合の右手にプレハブ小屋が現れた。一般の観光ガイドには載っていないものの、隠れた人気スポットになっており、周辺には何台もの車が停まっていた。入口の料金箱に気持ちということで、100円を入れて中に入った。シャンプーと石鹸の使用禁止は、山の後の温泉としては少し残念であった。浴槽としては、家庭用のバスタブよりひと回り大きく深さもある漬物用ポリ容器が三つも並べられて、前を横切るパイプから温泉が勢い良く流れ込んでいた。湯加減も丁度良く、疲れた筋肉もほぐれていった。
 温泉にも入って一日の予定は終了したが、翌日どうしようか迷った。紅葉がきれいなら荒沢岳の再訪も良いかなと思って、泊まりの準備をしてきたが、未丈ヶ岳で、思う存分の展望を楽しみ、足にも疲れが出ているのだ、無理はせずに家に帰ることにした。

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