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浅草岳、鬼ヶ面山

1998年9月23日 前夜発日帰り 4名グループ 雨のち曇り

鬼ヶ面山 おにがつらやま(1465.1m) 三等三角点
浅草岳 あさくさだけ (1585m) 一等三角点本点 会越国境(新潟、福島)   5万 小林、須原、守門岳、只見  2.5万 田子倉湖、毛猛山、守門岳、只見
ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)、山を訪ねて(歴史春秋社)、山と高原地図「越後三山・卷機山・守門岳」(昭文社)、岳人1997年10月号p.18〜21

9月22日(火) 19:00 新潟発=(磐越自動車道、R.252 経由)=10:00 只見駅=10:10 入叶津登山口  (テント泊)
9月23日(水) 5:00 入叶津登山口発=(R.252 経由)=6:45 六十里越〜7:00 発―7:27 送電線鉄塔〜7:31 発―7:55 マイクロウェーブ―8:14 吹峠分岐―8:52 南岳―9:38 鬼ヶ面山〜9:52 発―10:18 北岳―11:28 前岳―11:30 桜ソネ分岐―11:42 山頂下木道〜11:54 発―11:58 浅草岳〜12:02 発―12:13 天狗の遊び場―12:22 避難小屋〜13:18 発―14:00 すだれ岩―14:17 三方分かれ〜14:22 発―15:04 渡渉点―15:34 風穴―15:52 小三本川―16:13 山の神杉〜16:23 発―17:02 入叶津登山口=(只見町温泉保養センター入浴250円、六十里越車回収、往路を戻る)=21:20 新潟着

 浅草岳は、江戸時代より越後と会津を結ぶ交易路として利用された六十里越と八十里越に挟まれた山域にあり、かつては未開の山域であった。只見線の開通、只見ダムの完成と六十里越の車道化(R.252)によって、この地も登山客が入り易くなった。最近では、東京方面からの登山者も多くなっているが、浅草岳・守門岳を合わせて登る者が多いのか、二つの山を続けやすく、歩行時間の短い五味沢からの林道口から登る者が大部分である。なだらかな山容の西面に対し、福島県側の浅草岳から鬼ヶ面山に続く稜線の東側は、大岩壁になって、対称的な姿を見せている。
 浅草岳は、登山を始めた年に、登れそうな簡単なコースを捜しては、少しづつ足を延ばしていた時期に登った山である。当然、最も楽な五味沢からの林道口からの往復であった。その日の天候は雲が流れて、鬼ヶ面山の大岩壁が見え隠れする状態であった。また、田子倉からの急峻な尾根を見下ろして、とても私には登れそうもないと思った。ヒメサユリの花を見て満足はしたものの、会津側からの登山コースに鬼ヶ面山が、いつかの課題にと心の片隅に留まった。
 登山メーリングリストのやり取りから、宇都宮の白石さんが、この秋分の日に浅草岳に登る計画を立てていることを知った。この春にも登っていたので、今度はキノコ採りが目的のようであった。私の車を使って、周遊コースをという申し出でをして、六十里越から鬼ヶ面山を越えて浅草岳に登り、ブナ平新道を経て、途中沼の平に寄って入叶津に下山するといったコースに変更してもらった。前半は、岩場の縁をたどる縦走路、後半はキノコを求めてブナ林をいく、好対照なコースの設定となった。
 山行の打ち合わせは数回のメールの交換で終わったものの、ままならぬものが台風であった。連続して二つが発生し、ひとつは無事に通過したものの、もうひとつが前夜、それも家をでる時に、新潟に接近した。大学から急いで帰宅して出発したものの、帰宅をいそぐ車で道路は満員であった。高速にのった段階では、横風が強いものの、雨は降っておらず、速度規制は無い状態であった。ラジオでは、上越地方から、鉄道が止まり、高速道も閉鎖になっていくニュースが入ってきた。会津坂下ICを下りて只見川に沿ってさか上っていくと、台風は佐渡沖に接近というニュースとともに、横殴りの雨が降り始め、杉の枯れ枝が空を舞う状態になった。道路を落ち葉が茶色におおい、枝も落ちているため、スピードダウンを強いられた。トンネルの中で強風をやり過ごそうかとも考えたが、待ち合わせがあったので、車を進めることにした。思った時間より30分遅れて、只見駅に到着すると、白石さんの車が到着していた。台風にもめげない、物好きな人間どおしということか。風雨が激しいため、入叶津登山口の先の、林道終点のスノーシェード内に移動することにした。車道に転がる大きな枝を避けながら、スノーシェード内に逃げ込んだ。スノーシェードの中は、風も吹き込まず、さっそくテントを張り道路に車座になって、台風を忘れての酒盛りになった。足がふらつくまで飲んでテントに潜り込み、夜中にトイレのために起きると、風は止み星が輝いていた。明日の登山を確信しながらも、再びテントに入り込んで意識を無くした。
 翌朝起きると、空を雲がおおって、小降りの雨が降っていた。風は無く、予定どおり六十里越から鬼ヶ面山に登ることになった。白石さんの車を入叶津登山口に起き、私の車に4人が乗り込んで、六十里越に向かった。田子倉駅から六十里越までは、車でも30分程かかる長い距離があった。田子倉ダムの湖畔からは、鬼ヶ面山の岩壁は雲に隠されて見えなかった。峠のトンネルを越して新潟県に戻り、広い駐車場に車をとめた。電源施設のかたわらには電話ボックスもあった。鬼ヶ面山から下山した人がタクシーを呼ぶのだろうか。雨が本降りになり、雨具を着込んでの出発になった。少し大白川よりに下った所に、登山口があった。笹原の中の刈りはらい道の登りになった。送電線の巡視路であるため、道は整備されていたが、それでも、路肩が崩れており、足元に注意する必要があった。送電線への巡視路が枝分かれするので、登山道を間違えないように注意する必要があった。送電線の分岐を過ぎてひと登りしたところで鉄塔の下に出て、さっきの分岐が昔の六十里越の峠であったことを知った。六十里越には、昔の峠のおもかげは無かった。さらに登り続けていくと、マイクロウェーブ施設のある広場に出た。その先も広い道が続いて、登山道にしては立派だと感心していたら、吹峠分岐でこの送電線巡視路から分かれて、尾根通しの登山道になった。矮小化したブナ林の中を緩やかに登っていくと、ピークに到着して、ガスで周囲が見えないものの、ここが南岳のようであった。ここから、岩壁の上の気の抜けない歩きが始まった。右手の路肩は潅木でおおわれており恐怖感は無いものの、その下は抜けているようであった。鬼ヶ面山の頂上に到着して、ひと息ついた。頂上は小広場になっており、山頂標識と三角点があった。さらに浅草岳をめざして縦走路を進むと、この先の登山道は前よりも険しくなった。登山道は、崖に向かって斜めになり、木の根も出ている所もあり、前よりも注意が必要になった。歩く者も少ないようで、六十里越から鬼ヶ面山の往復登山の者が多いように感じた。アップダウンの多い縦走路に、次第に疲れもたまってきた。北峰は、縦走路から分かれて、左手に向かって尾根の踏み跡をたどりひと登りする必要があった。北峰の頂上は、ヤブに囲まれていた。さらにアップダウンの多い縦走路を行くと、長い登りが始まった。前方に空が見えて頂上かと期待すると、登山道は方向を少し変えてさらに上に続いていた。ようやく、登山道は下りに転じて、周囲の展望はなかったが、ここが前岳のはずということになった。急な坂を下ると、すぐに草原に敷かれた木道に出て、桜ツネからの道と合わさった。
 ようやく、崖縁の気の抜けない歩きから開放された。木道をたどると、周囲の草は黄金色に染まっていた。山頂直下の木道で、腰を下ろして、草紅葉を楽しんだ。幸い雨はやんでいた。休んでいると、賑やかな話声が近づいてきて、おばさん6人グループが到着した。話をしてみると、柏崎からとのことであった。ひと登りで山頂に到着すると、おばさんグループはお弁当を広げ、もう一組、夫婦連れが休んでいた。ここにも、懲りない人達がいた。賑やかな山頂になっていたので、写真を撮って、先の避難小屋に進むことにした。入叶津へのブナ平新道は、緩やかな尾根で始まり、しばらくいくと、美しい草原に出た。天狗の庭と標識に書かれていたが、黄色に色づいた草が風に揺れる美しい草原であった。木道が敷かれており、歩く者が少ないせいか、踏み荒らされていなかった。山頂からこの天狗の庭までは近い距離であり、他のコースからの登山であっても、ここまでは足を延ばした方が良さそうであった。そこから遠くはなく、避難小屋に到着した。小屋の内部は、6畳が二つ続いた位の広さで、ヘリスキーの資材と、毛布が置かれていた。小屋の中で昼の大休止になった。ビールでまずは乾杯。またもや、皆の御馳走をわけてもらった。
 酔いも回り、腹も膨れて、歩くのが苦しくなってしまった。避難小屋の下には草原が広がり、沢の源頭部となって水場になっていた。草原をトラバースして尾根に乗ると、長い下りが始まった。尾根の周囲にはブナの大木が並び、山の表情はまた変わった。昨日の台風の名残で、ブナが登山道に倒れかかっている所が何ヶ所も出てきた。中央突破が無理な時は、回りのヤブを迂回することになり、予期せぬヤブ漕ぎになった。尾根道の途中の三方分かれに出て、どちらのコースを下るか、迷った。時間も少し遅くなっているが、せっかくだからということで、沼の平経由で下山することになった。急坂の下りになった。丸太階段が設けられている所もあったが、荒れ気味であった。木立の間からいくつかの沼を見下ろす場所があり、ここが展望台のようであった。濁った緑色の沼が濁り沼か。曲沼はコバルトブルーに輝いていた。坂を下って、小三本川を踏み石伝いに飛び越した。ブナの巨木の森の中の道になった。山菜採りか、隠れた沼に通じる道か、幾つかの道が分かれて、登山道を見分ける必要があった。白石さんは、今回の目的のキノコ捜しに、目を光らせながら歩いているようであった。願いはかなえられ、ブナの倒木に白いキノコが一面に生えているのにであった。ブナハリダケのことで、油いためにするとうまいとのことであった。ビニール袋ふたつの収穫になった。毒キノコのツキヨタケはいたる所で大きくそだち、山のめぐみを感じさせる森であった。もう一回渡渉をして尾根に上がるはずと思いながら歩いていくと、広い河原に出た。先だって飛び越えてきた小三本沢が、広い河原を持つまで太くなっているのに驚いた。岳人の記事では、丸太の橋で沢を渡る写真が出ていたが、流されたのか見あたらなかった。踏み石伝いに対岸に渡り、尾根への取り付きを捜すと、少し下流寄りに見つかってひと安心した。この沢は、増水すると渡れなくなりそうであった。緩やかにジグザグを繰り返していくと、山の神杉に出て、尾根通しの道に合わさった。杉の大木の下には、石の祠が置かれていた。ここから最後の下りになった。堰堤まで下ると、その先で昨晩野宿したスノーシェードを見下ろすことができた。右に尾根をトラバースすると、入叶津登山口に到着した。広場のかたわらには水場も設けれており、乾いた喉をうるおすことができた。長い歩きであったが、変化に富んだコースであった。只見町の温泉保養センターの温泉に向かい、女性陣にはゆっくりと温泉につかっていてもらい、白石さんと車の回収に向かった。六十里越のトンネルに入ると前方が見えなくなり、新潟県側にでると、濃い霧が立ちこめていた。温泉に戻り、ここで解散になった。

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