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大毛無山

1998年9月15日 単独行 日帰り 雨

大毛無山 おおけなしやま(1429m) 二等三角点 矢代山塊(新潟県) 5万 妙高山 2.5万 関山
ガイド:新ハイキング1998年10月号p.44〜47、越後の山旅 下巻(富士波出版)

9月15日(火) 7:00 新潟発=(北陸自動車道、上越IC、R.18、上中、西野谷、南葉山林道 経由)=9:35 林道分岐〜9:44 発―9:48 堀割(粟立峠)―10:03 山頂まで1.9km標識―10:19 リフト山頂駅―10:21 山頂まで1km標識・小湿原―10:30 水場―10:44 大毛無山山頂〜10:50 発―11:00 水場―11:05 山頂まで1km標識・小湿原―11:17 リフト山頂駅―11:20 山頂まで1.9km標識―11:29 堀割(粟立峠)―11:38 林道分岐=(往路を戻る)=14:50 新潟着

 大毛無山は、上越市の高田の西に広がる南葉山塊と妙高山塊に挟まれた矢代山塊にある山である。大毛無山から南西に延びる尾根は、不動山、容雅山を経て火打山に続いている。大毛無山周辺は豪雪地で、遅くまで雪が残るため、東斜面には「ARAI・マウンテンANDスノーパーク」というスキー場が設けられている。
 今月号の新ハイキングに、大毛無山のガイドが載っていた。雑誌を見て登らなければと思っても、少し経つと、どこにそのガイドが載っていたかを忘れて、雑誌の山をひっくり返すことになることが多い。宿題を残さないために、さっそく出かけることにした。
 家を出た時には青空も広がっていたが、上越ICが近づくにつれ雲が多くなった。日本に接近中の台風のせいのようである。いつもなら眺めを楽しむことのできる、南葉山から妙高山の頂は雲に隠されていた。西野谷の集落を抜けると、万内川砂防公園があり、その入口に直進する重倉林道と左折する南葉山林道の標柱が立っていた。左折して一車線幅の南葉山林道を進んだ。途中から未舗装に変わったが、ところどころ舗装部が現れ、ドライブの息抜きになった。林道の途中には、よもしろうの滝を眺めることができたが、谷を大きく屈曲しながら上っていく林道は長く疲れた。前方に栗立山が近づいてくると、林道は左方向のトラバースになった。稜線が近づいてくると、右手に林道が分かれたが、その入口には通行止めの標識が立っていた。林道をそのまま進むと下りになって、峠への道を行き過ぎたことに気が付いた。引き返して、分岐に車を停めた。
 激しい雨が降ってきて、車の中で雨具を着込んでの出発になった。分岐から先の林道は少し荒れ気味であったが、車の走行は可能なように思えた。切り通しになった堀割に到着すると、左手に大毛無山登山道の看板が立てられていた。峠の向こうをのぞくと、林道がくねくねと谷を下っていき、名立までは落石のために通り抜けできないとの看板が立っていた。登山道に入ると、丸太の段々登りが始まった。稜線の上に乗るまで、それほどの標高差があったわけではないが、週末の疲れが残っているためか、足が重く息が切れた。ひと登りすると、潅木の中の切り開き道の緩やかな道になった。木立の間から、弧状を描く稜線の先に大毛無山の山頂を眺めることができた。「山頂まで1.9km、堀割まで0.5km」の標識が、まず現れた。雨は時折激しくなったものの、潅木に囲まれた歩きやすい道のために、歩くのが困難といった感じはなかった。続いて、左手にリフトの山頂駅が現れた。木立が切れて、雨雲の間から、麓の集落や関田山塊を眺めることができた。緩やかな登りが続き、小湿原が現れると、ここには「山頂まで1km」の標識があった。その先で、アンテナ塔があり、踏み跡が左手から合わさってきた。これが両善寺からの旧道のようであったが、草がかぶり気味であった。わずかな水がしたたり落ちる水場が現れると、登山道は右手にコースを変え、登りの傾斜もきつくなった。スキーツアーの標識なのか、上に標識をつけた高いポールの下のトラバース道に出ると、妙高方面の眺めが広がった。ガスが流れて、妙高連山の山頂は見え隠れしていた。最後にひと登りすると、大毛無山の山頂に出た。小広場になった山頂の中央には三角点が置かれていた。潅木が山頂の縁にあるくらいで、眺めの良さそうな山頂であった。いつか晴れの日にと思わせる山頂であった。スキー場のリフトが動いている時に、残雪をたどってこの山頂に登れば、妙高連山の大展望が楽しめそうであった。そうなったら、さらに容雅山、その向こうの火打山へと、足を踏み出す誘惑にかられそうであったが。雨の日の登山としては、新しい山に登ることができたことに満足した。
 堀割に戻り、越後の山旅に紹介されている栗立山への登山道の入口を捜してみた。峠周辺は、切り通しの高い崖になっており、登ることはできない状態であった。峠の両脇は草がかぶっていたが、その中には踏み跡らしきものは無かった。木の枝を掴みながら稜線に上がれば、踏み跡が見つかるのかどうか。昔の登山道は林道によって寸断され、廃道になっている可能性の方が高かった。林道分岐へ下る道のカーブ地点に、コンクリートでできたブロックがあり、これが越後の山旅に書かれている休憩舎のなれの果てのようであった。

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