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焼曽根山

1998年9月6日 峡彩ランタン会山行23名 日帰り 晴

焼曽根山 やけそねやま(788.6m) 三等三角点 飯豊連峰(新潟県) 5万 大日岳 2.5万 蒜場山
ガイド:ランタン通信182号、183号

9月6日(日) 6:15 新潟発=(磐越自動車道、津川IC、R.459、日出谷、実川 経由)=7:50 裏川ダム〜8:15 発―10:00 要所口〜(渡渉訓練)〜11:30 (昼食)〜12:50 発―14:20 焼曽根山〜14:35 発―15:30 要所口〜16:10 発―17:15 裏川ダム=(赤湯温泉入浴(200円)後、往路を戻る)=19:30 新潟着

 焼曽根山は、飯豊の実川に合流する裏川の右岸にある山である。実川の源流部稜線には、鏡山から三国岳、飯豊本山、御西岳、大日岳、櫛ヶ峰と、一般登山道が設けられて脚光をあびる峰々が連なるのに対し、裏川源流部には、笠掛山から櫛ヶ峰、大日岳、烏帽子岳、筆塚山と、一般登山者は足を踏み入れることのできない山域となっている。その日の当たらない裏川沿いにあって、焼曽根山は、その取り付きまでは地形図にも道の印の波線が書き込まれ、尾根には踏み跡があり、日帰り登山が可能な山である。
 焼曽根山の難しさは、裏川ダムから登り口である裏川本流と白蓬沢の要所口と呼ばれる合流点までの道が、夏草に覆われていることがまず挙げられる。地図には波線で道が記されているが、現在ではゼンマイとりで山に入る者も少なくなって荒れている。さらに、裏川本流の渡渉があり、春先の増水時には渡ることが難しく、登山の季節が水量の少なくなった秋に限られてしまう。飯豊の主稜線に皆の目が向いている間に、焼曽根山は忘れられた山になったようである。
 峡彩ランタン会の1997年9月の会山行として、焼曽根山が取り上げられた。事前に要所口までの草刈りが行われ、偵察時には4時間の行程が、本番では1時間で歩くことができたという。稜線に取り付いてからは、明瞭な踏み跡があり、余裕を持って10名の参加者が山頂を踏むことができた。当日に問題点になったのは、雨による増水で、偵察時には膝下であったものが、当日は膝上に達してザイルによる確保が必要だったという。会で渡渉技術の講習を開く必要があり、この場所で講習でもという話になった。
 私は、昨年の秋の山行に参加する予定であった。しかし、寝坊してしまい、登山口まで追いかけたものの、雨で茶色く濁る裏川を見て、一人で後を追いかけることは困難と判断して、焼曽根山を断念した。もっとも、その後で黒崎山に登って、その日は無駄にはならなかったのだが。二度と登る機会もないだろうと諦めた焼曽根山であったが、渡渉訓練の後、焼曽根山にも登るということで、喜んで会山行に参加した。
 大日岳登山口の湯の島小屋へ通じる実川沿いの道を、右岸に渡った所で鋭角的に折り返して林道を進むと、裏川ダムの広場に出る。昨年は、伐採した木材の運び出しのためか飯場が設けられていたが、今回はきれいに片づけられて、長者清水という看板を添えられた水場が設けられていた。テント場にもってこいの広場であり、釣り人のものかテントがひと張り残されていた。23名の大部隊が、要所口めざして山道に進んだ。今回も事前に草刈りが行われていたが、山道は山の斜面をトラバースしており、下は深い谷で、草むらに足を踏み外さないように注意が必要であった。ブナ林の中は明瞭な道が続いてひと息つけたが、草だけの斜面ではススキや葛が生い茂って、草を押し分けて歩くのに苦労した。暑くてTシャツになった腕は、切り傷だらけになった。何ヶ所かの小沢を渡る所では、手足のホールドを確かめて越える必要があり、大人数のために時間がかかった。途中で一回休憩し、沢の合流点を間違えて沢まで下りて少し時間をロス。途中にも何ヶ所か、釣り人のものによる、沢に下りる赤布があり、引き込まれないように注意が必要である。ブナの段丘に出て、要所口に到着した。裏川本流は10m以上のとうとうたる流れであるが、白蓬沢は、水量もそれ程ない飛び越せるくらいの枝沢であった。対岸には白蓬沢を挟んで杉の大木が二本立っており、左手の白蓬沢右岸にはゼンマイ小屋が置かれていた。裏川本流の両岸の間には、篭渡しのためか、ワイヤーが張られていた。山奥にもかかわらず、人の気配の残されていることに驚いた。遊びと仕事で山に入るのでは、レベルが違うということか。
 岸辺に降り立ち、渓流シューズを履いて、ハーネスを装着した。幸い水量は多すぎるということはなかった。最初は、流れの強さや深さやの解説。対岸の洲に向かって、三人組でのスクラム渡渉の練習。続いて、ザイルにカラビナとシュリンゲで確保しながらの渡渉。水が腰までくると、さすがに足が取られそうになり、水の冷たさに身震いした。リーダーによるトップが流された時の岸への引き寄せ方やザックを使ってのラッコ泳ぎの実演。講師は何度か繰り返したため、焚き火にあたってもふるえが止まらない状態になってしまった。さらにストックを使っての渡渉の練習。腰までつかっての水遊びも楽しかったが、秋の水は少し寒かった。
 焚き火にあたりながらの昼食を、豚汁も作ってもらい楽しんだ。失敗だったのは、良く冷えたビールしか無かったこと。ウィスキーか、熱燗の日本車が出番のようであった。
 昼食後、登山希望者の十数名が焼曽根山に向かった。州の背後の裏川本流の岸辺の5m程のガケを、木の枝を頼りによじ登った。帰りは、この崖は避けて尾根の末端近くで白蓬沢側に下りたが、そちらの方が安全に上り下りできそうであった。尾根の上は、下草の少ないブナ林で楽に歩くことができた。少し登ると、左手の白蓬沢側から踏み跡が上がってきた。ルートに関しては、この踏み跡に乗っていけば問題はなかった。登りの傾斜は、山頂に近づくにつれきつくなった。途中で登山道の脇にカモシカの白骨が散乱していた。昨年は頭蓋骨もあったというが、これは見あたらなかった。かわりに、歯の揃った下顎骨があったので、標本用に持ち帰った。山頂近くで傾斜が緩やかになったところで、直登の踏み跡もあったが、まず左の肩をめざし、ここから右手に折り返すと、待望の焼曽根山の頂上に出た。小広場の中央には三角点が置かれ、周囲は木立に囲まれていたが、北側は刈り払われ、大日方面の展望が開けていた。雲が低く、主稜線の山頂部は隠れていた。切れ間から見えたのは櫛ヶ峰あたりであっただろうか。ひと休みした後、稜線からの下り口を直進して少し進んだところの見晴らしに移動した。踏み跡は、二つ目の鞍部より少し上までで、その先はヤブ。ゼンマイ採りの道は、鞍部から沢に向かって下りているという。稜線は、いかにも登頂意欲をそそるように続いているが、残念である。下りは、木の枝を頼りに、一気に高度を落とした。尾根の末端部は踏み跡に従って白蓬沢に下り、草をかきわけて流れの中に出て、それほど水量の多くない沢を飛び石伝いに下って、休憩地点の洲に戻った。
 荷物を撤収して、再び草をかき分けながら裏川ダムに向かった。20数名が歩いたにもかかわらず、ヤブも手強く、踏み跡が広がった様子も無かった。登山口に到着した時は、夏も過ぎて日も短くなって、夕暮れがせまっていた。

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