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下渡山、能化山、城山(越沢)

1998年9月5日 日帰り 単独行 晴

下渡山 げどやま(237.8m) 三等三角点 蒲萄山塊(新潟県) 5万 村上 2.5万 村上
ガイド:ランタン通信198号

能化山 のっけざん(380.5m) 三等三角点 蒲萄山塊(新潟県) 5万 村上 2.5万 柏尾
ガイド:ランタン通信180号

城山(越沢) しろやま(348.6m) 三等三角点 蒲萄山塊(新潟県) 5万 勝木 2.5万 勝木
ガイド:ランタン通信197号

9月5日(土) 8:00 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、村上、下渡大橋 、下渡 経由)=9:30 姥化懐登山口〜9:45 発―9:55 テレビ中継塔(TNN)―10:08 下渡山〜10:15 発―10:26 林道・下渡コース登山口―10:32 車道(電柱・上海府線25東2)―10:42 姥化懐登山口=(下渡、R.245、間島 経由)=11:00 能化山登山口―11:10 畑上部―11:58 能化山〜12:10 発―12:36 畑上部―12:43 能化山登山口=(R.245、寒川 経由)=13:25 越沢・城山の里看板―13:40 天王山―14:06 ケーブル道分岐―14:12 城山〜14:18 発―14:21 ケーブル道分岐―14:46 越沢・城山の里看板=(蒲萄、R.7、神林、R.345、荒井浜、R.113、蓮野IC、R.7 経由)=17:25 新潟着

 蒲萄山塊は、新潟県の北部に、日本海に沿って連なる山塊である。最高峰は、一等三角点の置かれている新保岳である。一般登山ガイドに取り上げられるのは、この山くらいのものであるが、その他にも、軽いヤブ漕ぎあるいは残雪歩きで登ることのできる山も多い。今回の三山は、新潟周辺の知られていない低山を研究して登っている松本氏の資料を参考に、登ったものである。
 下渡山は、蒲萄山塊の最南端の三面川のほとりに、村上市と向かい合う山である。最近、登山クースが整備され、手軽に展望の良い山頂を楽しめるようになっている。  能化山は、蒲萄山塊の南部の日本海側に位置する山である。羽越線の間島駅が起点となり、登山口及び要所には、登山標識が設けられている。
 城山(越沢)は、笹川流れとR.7を結ぶ県道山北朝日線沿いにある越沢集落の背後に広がる山である。山中には、山城の遺構が残り、かなり古い城跡であるようだが、城主がだれであったかということは伝わっていない。
 日曜日に山の会の山行が控えていたため、土曜日は休養にあてようと思っていたのが、天気予報では、晴天になりそうであった。とりあえず、山の準備をして寝た。翌朝は、ひさしぶりの青空が広がった。松本氏の報告で気になっていた蒲萄山塊の山に出かけることにした。中条の荒井浜が近づいてくるにつれ、蒲萄山塊の眺めが目に飛び込んできて、一段低いものの三角形に形の整った下渡山も見分けることができた。村上市内から下渡大橋を渡った。橋の上から、下渡山が大きく見え、車を止めてまず写真撮影をした。橋を渡って笹川流れ方面に進むとY字路に出て、折り返すように右手に進むと、下渡の集落内に出た。集落を通り越すと、農林公園、木炭生産組合があり、その先で大きな無線鉄塔の下に出た。ここの路肩のスペースに車を止めた。鉄塔の先に、東登山入口(姥ヶ懐コース)という標識があった。歩き出そうとすると、標識の脇の踏み跡は、草がかぶり気味で判り難かった。鉄塔周辺の山の斜面は木が伐採されており、そのために夏草がはびこってしまったようである。9月始めでは、草がうるさく、時期を間違ったかと不安がわいてきた。斜面をひと登りして、雑木林の広がる尾根に出ると、道は明瞭になった。一旦少し下ると、左右に沢状の窪地が落ちていき、右手の林の中から明瞭な道が上がってきていた。この道の方が明瞭で、新しく登山口が設けられたようであった。林の中を登っていくと、テレビの中継施設が、道に沿って三つ現れた。ここまでは保守道を兼ねているはずであったが、その先も、ブナやナラの林の中に、迷う心配のない道が続いた。結構急な登りを続けると、下渡山の山頂に到着した。山頂の西面は木が伐採され、ススキの穂の頭越しに、日本海、村上市内、朴坂山塊、朝日・飯豊連峰の眺めが広がっていた。短い歩行時間にもかかわらず、高度感のある見晴らしの良い山頂であった。広場の中央に残された木と、立てられた金属ポールから、二つの鐘が吊るされていた。新潟周辺は、山頂の鐘が好きなようである。登山コースの整備というと、道や標識の整備に加えて、鐘を吊るすことも入っているようである。山頂には、麓の幼稚園からか子供の騒ぎ声が、小さく届いてきた。二つの鐘を一回づつ、カーンと鳴らした。
 下りは、下渡の集落へ通じる道に進んだ。下りるにつれて、尾根上の道になった。粘土質で滑り易かったが、急な箇所には、ステップが切ってあった。姥ヶ懐コースよりは良く踏まれており、一般ハイキングコースのレベルの道であった。高度を一気に落とすと、右手に浄水施設か、コンクリート製の施設が現れ、その先で林道に飛び出した。ここには、下渡山登山道入口という標識が付けられていた。車の轍の跡もかすかな林道を下っていくと、畑の脇をかずめ、左右に民家の並ぶ道から、行きに通った車道に飛び出した。ここには、下渡山についての標識はなかった。もし、こちらから登るなら、電柱番号「上海府線25東2」が目印で、ここから山に向かって車道を進むことになる。最北端の茶所の村上茶や野菜の畑を眺めながら、車に戻った。
 続いて、能化山に向かった。山に夢中で、海はここしばらく御無沙汰であったが、以前には交通難所であった日本海沿いのR.245も、すっかり道路整備が進んでいた。真島駅を過ぎた所の踏切から、山側の道に進んだ。駅の裏手に進んでいくと、能化山登山口という標識が現れた。地図を見ても、登山口が判り難かったので、ひと安心した。路肩に車を止めて歩き出した。歩き始めは良い道であった。左右に道が分かれたが、少し先で合流した。台地上に広がった畑に出ると、能化山は右という標識が現れた。畑の上部に進むと、木立の下に道が消えた。分岐を見落としたかと思って、畑の入口まで戻ったが、それらしい道はなかった。元に戻って、林の中に踏み跡を捜すと、夏草に覆われているものの、踏み跡が続いていた。それまでの道が良すぎたため、山頂まで良い道が続くものと思いこんだのが間違いであった。幸い、入口付近が判りにくいだけで、踏み跡はたどることができた。もっとも通る人は少ないのか、枯れ木が倒れていたり、厚い蜘蛛の巣が張っていた。ひと登りした後、小ピークを北側に巻いて進むと、山頂から北に続く稜線に向かっての尾根の登りになった。周囲は潅木に覆われて展望は得られなかったが、木立の切れ目からめざす山頂を右手上方に見上げることができた。道は明瞭であるものの、尾根にのって方向を変える所もあり、帰りに道を見失わないように注意が必要であった。急登を終えてコースを南に変えると、緩やかな登りで能化山の山頂に到着した。山頂は木立に覆われていたが、西面は刈り払われていた。眺めはと目をやるとなにも見えない。おかしいと目をこらすと、日本海の海原で、北寄りには粟島、背伸びすれば、海岸線の白波を見下ろすことができた。背後の木には、無線のコールサインの記念板が吊るされていた。三角点があるはずだが、山頂は草に覆われていた。中央の切り株に測量に使われたような三本の木が差し込まれていた。そこを中心に捜してみたが見あたらない。結局、山頂広場への入口の登山道脇に頭をのぞかせていた。下りは、意外に踏み跡ははっきりしているように感じた。斜面を見下ろすために視野が広くなったためであろうか。
 さらにもうひと山ということで、城山をめざして、笹川流れを北上した。夏も終わり静かな海が広がっていた。山の後でプール付きのクアハウスに入った時の用意として、水泳パンツは車に積んであるので、海でひと泳ぎしてみようかという誘惑にかられた。寒川から、山間部を走るR.7へ通じる県道山北朝日線に入り、越沢集落のバイパス道に出ると、城山の里という看板が立てられた駐車スペースがあった。看板には、城山の説明と登山道の概念図が書かれ、ベンチも二つ置かれていた。目の前の集落の背後に、城山が広がっていた。集落左手の庚申塚に進むと、天王山遊歩道という標識があった。標識に導かれて集落を抜けると、城山の左下の天王山に向かっての登りになった。一帯は杉の植林地であったが、木は若く展望は開けていた。斜面の途中、長寿の泉という標識があったが、水は涸れていた。稜線部の少し下の天王山神社跡に出ると、ベンチも設けられた展望地になっていた。越沢の集落が眼下にあり、西の谷間には日本海が顔をのぞかせていた。稜線には上がらず、一段下をトラバースしていくと、城山の北尾根の登りになった。木立は幅広く切り開かれているものの、枯れ枝がうるさく、踏み跡はかすかであった。足場の悪い急斜面の登りに、息を切らした。一日で三つ目の山ともなると、疲労もたまってくる。背後を振り返ると、烏帽子岳が、登頂意欲をそそる鋭い山頂を見せていた。テレビアンテナのポールが現れると、右手からケーブルの埋設道が上がってきていた。そこからひと登りで、城山の山頂に到着した。山頂広場は、草で覆われて、標識はなにも無く、中央にテレビアンテナのポールが立っていた。ここでも三角点捜しが始まった。ポールを中心に、円を描きながら草をかき分けていった。結局、三角点は、登り口近くの登山道左手に見つかった。雪の下なら仕方はないが、草むらなら三角点を見つけないと、なんか落ちつかない。下りは、ケーブルの埋設道を下ることにした。幅広い刈り払い道であるが、急斜面で掴む枝が無いというのもやっかいなものである。尻餅をついた拍子に2mくらい滑り落ちた。それでも、少し下ると傾斜は少し緩やかな尾根道になった。一気に高度を落とし、人家を見下ろすようになると、道が二つに分かれた。直進は埋設道であったが、松本氏の報告では、さらに急な下りになったという。右手の道の方が歩かれているようなので、こちらの道を選んだ。尾根から外れると山腹のトラバースになり、沢に下りたった。沢は、集落の水源になっているようで、パイプが引かれていた。杉林から竹林の中へ、はっきりした道をたどっていくと、登り口よりも少し南側の集落の中に出た。ケーブル埋設道の下りで蚊に何ヶ所もさされ、体を掻き描き車に戻った。

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