9834

利尻山

天塩岳

幌尻岳

樽前山

ニペソス山

ニセコアンヌプリ

1998年7月31日〜8月9日 9泊10日 単独行(幌尻岳:2名)
2日 曇り 3日 曇り後雨 4日 曇り後雨 5日 曇り 6日 霧雨 7日 曇り 8日 曇り

利尻岳 りしりざん
 北峰 (1718.7m) 二等三角点
 長官山 ちょうかんやま(1218.3m) 一等三角点本点 道北(北海道)
  5万 利尻島 2.5万 鴛泊、仙法志
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、一等三角点百名山(山と渓谷社)、一等三角点の名山100(新ハイキング社)

天塩岳 てしおだけ(1557.6m) 一等三角点本点 北見山地(北海道)
 前天塩岳 まえてしおだけ(1540m)
 丸山 まるやま(1433m)
  5万 上川 2.5万 天塩岳、宇江内山
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、一等三角点百名山(山と渓谷社)、一等三角点の名山100(新ハイキング社)

幌尻岳 ほろしりだけ(2052m) 二等三角点
戸蔦別岳 とったべつだけ(1959)
 日高山脈(北海道) 5万 幌尻岳 2.5万 幌尻岳、ヌカンライ岳、二岐岳
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)

樽前山 たるまえやま
東山 ひがしやま(1023.8m) 一等三角点本点 道央(北海道) 5万 樽前山 2.5万 樽前山、風不死山
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、一等三角点の名山100(新ハイキング社)

ニペソス山 にぺそつやま(2013m) 二等三角点 東大雪(北海道) 5万 糠平 2.5万 ニペソツ山
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「大雪山・十勝岳」(昭文社)

ニセコアンヌプリ(1308.5m) 一等三角点補点 道央(北海道) 5万 岩内 2.5万 ニセコアンヌプリ
ガイド:アルペンガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「北海道の山」(山と渓谷社)、北海道百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、一等三角点の名山と秘境(新ハイキング社)、山と高原地図「ニセコ・羊蹄山」(昭文社)

7月31日(金) 23:50 新潟発=(新日本海フェリー)  (船内泊)
8月1日(土) 17:20 小樽着=(札樽自動車道、札幌、道央自動車道、深川西、R.233、留萌、R.232、幌延、R.40 経由)=23:20 稚内着  (車中泊)
8月2日(日) 6:30 稚内発=(東日本海フェリー)=8:10 鴛泊=(タクシー)=8:21 北麓野営場〜8:26 発―8:35 甘露水―8:57 4合目・野鳥の森―9:24 5合目〜9:30 発―9:47 6合目・第一見晴らし〜9:55 発―10:13 7合目・七曲〜10:19 発―11:04 8合目・長官山〜11:09 発―11:20 利尻岳避難小屋〜11:31 発―11:51 9合目―12:16 沓形分岐―12:35 利尻岳〜12:58 発―13:08 沓形分岐―13:29 9合目―13:48 利尻岳避難小屋〜13:55 発―14:05 8合目・長官山―14:35 7合目・七曲―14:55 6合目・第一見晴らし―15:12 5合目〜15:17 発―15:38 4合目・野鳥の森〜15:43 発―16:17 甘露水―16:15 北麓野営場〜16:40 発=(タクシー)=16:50 鴛泊〜17:30 発=(東日本海フェリー)=19:10 稚内=(R.40、R.232、遠別 経由)=23:21 道の駅富士見  (車中泊)
8月3日(月) 4:46 道の駅富士見発=(R.232、苫前、R.239、士別、朝日、岩尾内湖、ポンテシオダム 経由)=8:28 天塩岳ヒュッテ〜8:40 発―9:01 連絡路分岐―9:15 旧道分岐―10:17 前天塩岳迂回路分岐〜10:20 発―10:37 前天塩岳〜10:42 発―10:53 前天塩岳迂回路合流点―11:22 滝上町分岐―11:31 天塩岳〜11:36 発―12:05 避難小屋―12:19 丸山―13:04 連絡路下降点―13:25 連絡路分岐―13:46 天塩岳ヒュッテ=(ポンテシオダム、於鬼頭峠、共和温泉入浴(400円)、愛別、R.39、旭川、R.237、富良野、R.237 経由)=20:00 道の駅樹海ロード日高着  (車中泊)
8月4日(火) 7:30 道の駅樹海ロード日高発=(R.237、振内、豊糟 経由)=8:54 林道ゲート〜10:30 発―10:57 トラック便乗=11:10 取水ダム―12:00 四ノ沢出会・渡渉開始点〜12:10 発―13:10 幌尻山荘  (幌尻山荘泊)
8月5日(水) 4:10 幌尻山荘発―5:22 尾根上―5:32 命の水〜5:51 発―6:10 北カール外縁1829mピーク―7:23 新冠川コース分岐―7:29 幌尻岳〜7:58 発―8:34 幌尻岳の肩―8:56 七ツ沼カール南下降点―9:32 七ツ沼カール北下降点―10:01 戸蔦別岳〜10:10 発―10:32 下り口―11:48 六ノ沢〜12:05 発―12:42 幌尻山荘〜13:35 発―14:35 四ノ沢出会・渡渉終了〜14:50 発―15:23 取水ダム―16:32 林道ゲート=(豊糟、貫気別、額平橋、R.237、平取温泉入浴(400円)、R.237、富川、R.235、苫小牧、R.276、支笏湖 経由)=9:40 樽前山・七合目ヒュッテ  (車中泊)
8月6日(木) 7:00 七合目ヒュッテ発―7:40 外輪山縁―7:46 樽前山・東山〜7:50 発―7:54 外輪山縁―8:17 七合目ヒュッテ着=(支笏湖、R.276、苔の洞門、千歳、R.337、長沼、 R.274、日高、R.274、清水、鹿追、然別湖、山田温泉入浴(500円)、糠平、R273 経由)=19:05 三股着  (車中泊)
8月7日(金) 4:20 三股発=4:45 杉沢出合〜4:55 発―5:58 尾根―6:20 小天狗の岩場―6:30 天狗のコル―7:18 前天狗〜7:24 発―7:40 天狗平―7:56 天狗岳肩―8:46 ニペソス山〜9:10 発―9:57 天狗岳肩―10:07 天狗平―10:24 前天狗―11:07 天狗のコル―11:18 小天狗の岩場―11:55 尾根―12:20 杉沢出合=(三股、幌加温泉露天風呂(無料)、R.273、大雪湖、R.39、愛別、旭川、旭川鷹栖、道央自動車道、札幌、札樽自動車道、小樽、R.5、倶知安 経由)=22:20 五色温泉着  (車中泊)
8月8日(土) 6:54 五色温泉発―8:05 ニセコアンヌプリ〜8:10 発―9:07 五色温泉着==(昆布温泉、倶知安、R.5、余市、余市観光温泉入浴(350円)、R.5 経由)=15:30 小樽〜20:40 小樽発  (船内泊)
8月9日(日) 15:15 新潟着

全走向距離 1898km


 道北の日本海側に浮かぶ利尻島は、その大部分が利尻山からできている。海上からそそりたち、鋭い山頂が天を突いているが、アイヌ語に由来する山名のリ・シリも高い・島を意味するという。八合目の長官山には一等三角点が置かれているが、昭和七年、当時の北海道長官が、この好展望地点まで登ったのを記念して名付けられたという。
 天塩岳は、国内4位、北海道では石狩川に次ぐ長さを持つ天塩川の源流の山である。北海道の北部が北に向かって狭まっていく中央を、天塩川が北に向かって流れて、その東に北見山地、西に天塩山地が南北に連なっている。天塩岳は、天塩山地ではなく北見山地に属しているのが少しややこしい。
 幌尻岳は、日高山脈の最高峰であり、大雪山系を除くと唯一の2000m峰である。幌尻岳はふところに三つのカールを抱き、アイヌ語のポロ(大きい)・シリ(山)という名に相応しい姿をしている。戸蔦別岳は、北日高のうちでもひときわ鋭い頂きを持つ山で、幌尻岳の北の稜線続きにあり、幌尻山荘を基点に周遊することができる。
 樽前山は、1909年(明治42年)の噴火でできた中央ドームを持つ三重式火山である。最北の不凍湖である支笏湖の南岸に位置し、その湖岸には観光客で賑わう苔の洞門がある。苔の洞門は、流れ出た溶岩の割れ目が沢水等により侵食されてできた自然の回廊で、その岩肌に苔が密生してできたものである。
 東大雪を代表する山のニペソツ山は、なだらかに大きな姿を見せる北海道の山にあって、日本アルプスのような岩璧をまとい、天を突く鋭い姿を見せる山である。登山道の途中の前天狗に出た時に眼前に広がるニペソツ山の姿は、多くの山の中でも、最も印象に残るものであろう。
 ニセコアンヌプリは、ニセコ連峰の最高峰である。鋭い稜線を持つ山であるが、山麓にはスキー場が開かれており、登山の山としてよりはスキー場としての知名度の方が高い。
 日本百名山巡りの旅も終わりに近づき、今年の夏の休暇には、二回目の北海道の山旅に出かけることになった。先回の教訓を生かし、フェリーの予約を予約開始の2月以前に大学出入りの旅行業者に頼み、無事に行き帰りの2等寝台のチケットを手に入れることができた。山の道具を車に積み込み、3キロも走れば、新日本海フェリーのターミナルに到着した。ビール片手に遠ざかる新潟港を見送り、ベッドに転がりこんだ。午前中は読書とガイドブックの検討。昼にビールを飲んで、夜の車の運転のために昼寝をすれば、時間をもてあます間もなく小樽に到着した。小樽の町の背後の山は雲に覆われ、肌寒い陽気であった。明日からの山行の天気が気にかかった。
 船を下りれば、ここは北海道の地のはずではあるが、小樽から札幌にかけては、新潟よりも大都会といった風であった。道央自動車道に乗り入れ、地平線が見えそうな平野が広がるのを見て、ようやく北海道という気分になった。今日の目的地は、稚内まで。明日の一番のフェリーに乗れるかどうかで、その後の山行の予定も変わってしまう。直線道路の続く一般道を、ひたすら走り続けた。サロベツ原野を走り抜ければ、ようやく北の終点の稚内に到着した。夜霧に濡れる埠頭の防波堤ドームの下には、旅行者のテントが並んでいた。全日空ホテル前に大きな無料駐車場があり、ここに車を停めた。
 翌朝、朝一番のフェリーに乗船した。かなり混むようなことを聞いたので、一等の切符を買ったものの、乗船してみると、二等はそこそこの混みようであるものの、一等船室の和室には、二人きりであった。遠ざかる稚内港、ノシャップ岬の風景を眺めるのに甲板に出ていることが多く、せっかくの一等船室も無駄になった。海上はもやに覆われ、利尻島や礼文島は、なかなか姿をみせなかった。鴛泊の港に入るために船が減速を始めた時、利尻島の海岸部に広がる町が姿を現したが、利尻山の中腹以上は雲に覆われていた。少しがっかりしたが、いまさら登山を諦めるはずも無かった。フェリーターミナルの前には、タクシーが列をつくり、おばさんグループ相手に、一日観光の客引きを行っていた。これでは近くの北麓野営場へは行ってくれないかなと思ったものの、後ろの方の車に聞いてみると、こころよく乗せてくれた。話好きなドライバーであったが、最近増えてきた軽装の登山者にはあまり良い感じを持っていないようであった。山に向かってひと登りした所に、新しくできた温泉施設があった。一車線の曲がりくねった道になると、直に北麓野営場に到着した。いつもはタクシーは使わないのだが、今回は、1170円の料金よりも時間の節約の方が重要であった。タクシーに乗ることができて、1時間程が節約できた。そうなると利尻山を日帰り登山して9時間。最終の17時30分のフェリーに乗ることも可能になってきた。北麓野営場にテントを張ってから、利尻山の日帰りを行うつもりであったが、今日のうちに稚内に戻っておくと、後の予定が楽になる。北麓野営場入口の管理棟に登山届けを出して、そのままのザックを背負って山に向かった。この判断は、間違ってはいなかったものの、えらい苦労をするとはこの段階では思っていなかった。
 甘露水までは、コンクリートで固められた水汲みのための遊歩道になっていた。甘露水は、岩の隙間から、かなりの量の水が湧き出していた。ひと口飲んでみたものの、肌寒い陽気で、喉も乾いておらず、この時はうまいとも思わなかった。ポン山への道を左に分けて緩やかに登っていくと、林に覆われた小広場の四合目に出ると野鳥の森と書かれていた。次第に傾斜が強くなってくると五合目に出て、ポン山から海岸部の眺めが広がった。上を見上げれば、ガスに覆われて、山頂までどれほどの登りが待ち受けているかはうかがい知ることはできなかった。登山道は、潅木のトンネルの下を通るようになり、ジグザグを繰り返すうちに傾斜もきつくなった。展望が開ける休み場所には、六合目・第一見晴らし、七合目・七曲という看板がつけられていた。出発の時間も遅めであったため、気温も上がりはじめ、汗がしたたり落ちるようになった。早めのペースで登ってきたものの、テント泊の重荷が足にこたえるようになってきた。ハイマツ帯に出て、露岩の小ピークを長官山かと期待したものの、期待はうらぎられてさらに先であった。ペースも落ちてきて、このままでは日帰りはおろか、山頂に登りつくのも難しくなりそうであった。長官山の避難小屋に荷物を置いて、山頂を目指すのがよさそうであった。多くの登山者が休む長官山に到着して、避難小屋はもう少し先のようであったが、ひと息ついた。今日の目的のひとつの一等三角点を捜したが、ペンチや歌碑の置かれている小広場には見あたらなかった。歌碑の後ろから、尾根の先端に続く踏み跡があり、その周辺はキジ場と化していたが、進んでいくとハイマツの中に一等三角点が置かれていた。長官山の点名は利尻山である。もう少し、この三角点には敬意を表してもよさそうなものだが、広場で休んでいる登山者で、ここに来ようとするものはいなかった。広場に戻ったところで、キジをうってきたかと思われたのだろうか。さらにひと頑張りすると、潅木に埋もれるかのように避難小屋があった。中をのぞくと、片側は2段になって、かなりの人数が泊まれそうであった。カメラとアンパン、雨具、水筒、ヘッドランプだけをビニール袋に入れて持っていくことにした。
 重荷から開放された、足も前にでるようになった。もっとも格好は、観光客が出来心のままに登ってきてしまったように見えてしまったかもしれないが。最低限の物は持っているし、ガスもあがって視界も広がり始めていた。小屋の後ろには草原が広がり、登るにつれてお花畑が広がるようになった。トリカブト一種のリシリブシの群落が、盛りであった。九合目からは、火山礫が積み重なり足場の悪い急斜面になった。下山する者も多かったが、ロープが張られているものの、歩き慣れていないのか、尻をついているものもいて、苦労していた。山頂まではあと少しであったが、足がなかなか進まなかった。回りのお花畑にに元気づけられて、祠のある北峰に到着した。ローソク岩の岩峰がするどくそそりたち、やせた稜線の先に南峰があった。山頂の西は大きく崩れて、近寄ると足元から崩れそうであった。東斜面にはイブキトラノオで埋まったお花が広がっていた。下を見下ろすと岩峰がそそりたち、険しい姿を見せていた。山頂でひと休みした後、南峰との鞍部のお花畑を見物した。
 片手にビニール袋を持っていたため、九合目までの下りは少々苦労した。長官山の避難小屋に戻ると、家族連れを含めて、数組が泊まりの態勢に入っていた。水や寝袋を持ち上げることを考えると、北麓野営場からの日帰りの方が楽のように思えるのだが。荷物を回収して下山を急いだ。最後は、各合目ごとにひと休みする必要が出てしまったが、なんとか甘露水までたどりついた。2リットルの水も使い果たしたところで、この水は確かに美味しく感じた。予定通りの時間で下山することができたが、フェリーターミナルまでの車道を歩く元気は無くなっていた。管理棟の前の電話ボックスからタクシーを呼ぶと、じきに迎えに来てくれて、最終のフェリーに乗り込むことができた。時間に追われて、利尻島の温泉に入れなかったことと、ウニ丼を食べることができなかったことは残念であったが、最後に大きな楽しみが待っていた。船室に荷物を置くと、ビールを片手に船尾の甲板にじんどった。空には青空が広がり、利尻山の山頂が、頭上にそびえていた。船が沖にでると、利尻山はその鋭い姿を海に浮かべるようになった。くれない色に染まるもやに消えていくまで、先ほどまでその山頂にいた利尻山を、飽きることなく見続けた。
 暗くなり始めた稚内港に到着すると、防波堤ドーム周辺は、屋台が出て、聞いたこ ともない名前の歌手がステージで歌い、夏祭りの最中であった。ザックを車に置いて 着替えをして、稚内駅に食堂を探しに出かけた。駅前に、旅行者で賑わう食堂があり 、焼き魚や煮物でボリュームのある日替わり定食を食べた。高価なウニ丼は食べ損な ったが、どこかさびれた感じの食堂で食べる定食の方が、旅情を感じさせるものがあ った。夕食の間に、次にどこの山に向かうかを考えた。火曜日に、幌尻岳の登山口に 待ち合わせの約束があるため、できるだけ日高に近づいておく必要があった。300名 山クラスの山から候補を上げると、暑寒別岳か天塩岳くらいのものであった。登山口 への到着と歩く時間を考えて、天塩岳に向かうことにした。稚内の町を車で走ってい くうちに、思わぬ落とし穴に気がついた。8時台だというのに、国道沿いのガソリン スタンドは、すでに閉まっていた。真夜中まで車を走らせるガソリンは残っているも のの、そのまま登山口への林道に突入する訳にはいかないようであった。夕飯をとる 前にまずガソリンスタンドに行くべきであった。道路地図を見ると、登山口に向かう 途中の最後の大きな町の士別でガソリンスタンドを探す必要がありそうであった。一 気に登山口に向かうこともできず、利尻山の疲れもあり、少し走ったところの道の駅 で、野宿態勢に入った。
 翌朝、士別の町でガスリンスタンドを探すと、二桁国道沿いのせいか、7時過ぎか ら開いているガソリンスタンドを見つけることができた。ようやく、登山口に向かう 準備ができた。岩尾内湖から愛別への道に曲がり、天塩岳への林道に入った。途中の ポンテシオダムまでは、舗装も交えたほどほどの道であったが、その先は未舗装の林 道になった。林道の道幅もあり、路面の状態は悪くは無かったものの、ガタガタ道が 長く続いた。ようやく、天塩岳への新道の入口に出て、さらに1キロ程進むと、忽然 といった感じで、三角屋根の大きなロッジが現れ、大駐車場に、炊事棟、トイレが設 けられていた。よくもまあ、こんな奥地と思うキャンプ場であったが、ひと組みの家 族がファミリーキャンプ用の大型テントを張っていた。登山口の到着時間も少し遅く なっていたので、いそいで山に向かうことにした。  登山道入口の古い電話ボックスの中に登山届けが置かれていた。先行者は、一名の みのようで、丸山経由の反時計回りに歩いているようであった。熊の出没について注 意をうながす看板も置かれており、ザックにつけたカウベルと腰鈴をうるさく鳴らし ながら、歩きだした。天塩川源流部のガマ沢沿いの歩き出しは、林道跡なのか、広い 道であった。貯水池を左に眺めて、明るい感じの広葉樹の林の中を歩いていくと、新 道との連絡路の分岐に出た。帰りにここを下りてくる予定にしてこの分岐を見送り、 さらに沢沿いの道を進んだ。沢を渡り、沢を見下ろす高さまで登ったところで、ガマ 沢沿いに天塩岳の山頂に直接登りつく旧道との分岐に出た。ガイドブックによれば、 この道は荒れているようなので、前天塩岳経由のコースを登ることにした。ここから 、ジグザグを繰り返す本格的な登りになった。昨日の疲れか、足は重かった。谷を挟 んで見える丸山方面の稜線の高さが次第に近づいてくるのが励みになった。ひと汗か いて、前天塩岳の卷き道との分岐に出た。ガスが流れていたが、切れ目から、谷を馬 蹄形にとりまく天塩岳から丸山に至る稜線を眺めることができた。西天塩岳の下には 、小さく避難小屋が見えた。稜線歩きが長そうであるが、天気は下り坂のようであっ た。ハイマツの中を天塩岳へ向かうと、急なガレ場の登りになった。周辺のハイマツ は、枯れて白骨のような幹が累々と重なっていた。これは昔の山火事の跡ということ らしい。アメリカのヨセミテ公園では、山火事は火に強いメタセコイアの森林の新生 を促すという理由で、あえて消火活動は行わないというが、日本の高山帯では事情が 違うようである。深田久弥の日本百名山の利尻岳に、「北海道の山につきものの熊も いない。かつて対岸の天塩に山火事があった時、難を逃れてこの島まで泳ぎ渡ってき た熊が一時棲みついたが、いつの間にか見えなくなったそうである。たぶんまた古巣 へ泳ぎ帰ったのであろう。」とある。熊を驚かせて利尻まで泳がせたのは、この山火 事であったのであろうか。前天塩岳に到着すると、残念なことにガスが上がってきて 展望は閉ざされてしまった。尾根沿いに、枯れ死したハイマツの枝をまたぎながら下 っていくと、迂回路が合わさってきた。緩やかに下り、鞍部から、天塩岳への登りに なった。幸い、傾斜はそれほど強くは無かった。滝上コースを合わせると、周囲には お花畑が広がった。残念ながら花はすでに終わりであった。小さなとんがりピークに たつと、天塩岳の山頂であった。展望の良い山頂のようであるが、ガスで覆われ、さ らにポツリと雨も降ってきて、下山を急ぐことにした。  ガレ場を下っていくと、じきに笹原の中に切り開かれた道になった。振り返ると、 天塩岳の山頂が顔をのぞかせていた。一応は、天塩岳の姿をおがんだことに満足した 。歩いていくにつれ、とんがって登頂意欲をそそられる西天塩岳が近づいてきたが、 山頂から延びてきた尾根を乗り越す付近は、熊でもなければ突破できそうもない密生 した笹の壁が続いていた。西天塩岳の麓の避難小屋は、三角屋根の立派なつくりで、 同じつくりのトイレも設けられていた。平日とはいえ夏の盛りに登山者は二名の山に 、登山口の立派なヒュッテといい、この避難小屋といい、立派な設備が整っているの が、不思議であった。丸山にかけて、再び登りになった。傾斜はそれほどきつくはな いものの、足は重くなっていた。山頂手前のガレ場で、チッチッという鳴き声と、逃 げていくナキウサギの後ろ姿を見ることができた。縦走路からハイマツの中に僅かに 入った所が、丘状の丸山の山頂であった。ここからは、下る一方になった。尾根をた どっていくと、尾根から一旦それて東斜面をトラバースするようになり、小ピークへ の登り返しの手前に、ヒュッテへの連絡路の分岐が現れた。ひと息いれて、急な斜面 を一気に下った。沢が近づいてきて、行きのガマ沢沿いの道に出たのかと期待したが 、これは枝沢で、もう少し下る必要があった。行きに歩いた道に出てから戻る途中、 ついに雨も本降りになってきたが、木立の下であることを幸いに、雨具を着ることな く車に戻ることができた。
 次の目的地は幌尻岳であったが、まず温泉に入る必要があった。日高へ向かうため に愛別に出る手前に共和温泉があった。田圃の中の、へんてつもない日帰り温泉であ ったが、汗を流してさっぱりするには十分であった。旭川から富良野に出て、ラベン ダー畑を車窓から見物し、日高の町に着いた時は雨も激しくなり、ここの道の駅で野 宿することにした。
 幌尻岳では、登山メーリングリストを通じて、同時期に北海道の山を登っている長谷部さんと一緒に登る約束をしていた。待ち合わせ時間は、林道ゲートに11時であった。ゆっくりと朝食をすまし、雨のあがった駐車場で荷物を広げ、小屋泊まり用の装備を調えた。これは実は正解であることが後で判った。日高の町から林道入口の振内は比較的近くであったが、国道を離れてから40kmもの道のりがあった。国道の入口、豊糟、さらに林道途中の分岐には幌尻ヒュッテへの案内が出ていて、迷いはしなかったし、途中から未舗装になった林道も走りやすかったが、とにかく長い林道に不安も湧いてきた。途中で、単独行を乗せたタクシーに先をゆずったが、タクシー代も、新潟-小樽間の航送代くらいになるのではないだろうか。沢沿いの道になり、落ちそうなばかりの崖際の路肩に駐車した車を見た先で橋を渡ると、林道ゲート前の駐車スペースに到着した。隙間を見つけて車をとめた。周辺の偵察のために車を出ると、たちまちアブにたかられて、車にほうほうの体で退却となった。山行に先立ち、長谷部さんが、この林道はアブにたかられるので、一人では歩きたくはないといっていたのがようやく理解できた。前回の北海道の山といい、今回の利尻、天塩にしても、これまでこんなにアブがいたためしはなかったのに。これも日高山脈の原始性ゆえのものだろうか。ガイドブックには、こんなことはどこにも書いてなかったのだが。ドアを閉める間に飛び込んできたアブをタオルでたたきつぶし、車の中で待ち合わせまで篭城することになった。
 二人で無事に落ち合うことができ、予定よりも少し早めに歩き始めることができた。アブを追い払うためにタオルを振り回しながら、自己紹介を兼ねての山の話をしながら歩いた。10人以上の高齢者グループも下山してきて、幌尻岳は結構賑わっているようであった。30分近く歩いたところで、後ろから作業トラックが追いついてきた。路肩にどいてすれ違う時、長谷部さんが、「乗せてくれませんか」というと、「乗れや」と嬉しい返事が返ってきた。荷台に転がり込んで、材木の上に腰を下ろした。歩くよりは遥かに楽であったが、揺れる荷台の上で身を支えるのと、車のスピードにもまけずにたかってくるアブを追い払う両面作戦が続いた。最後に車輪の幅だけの、曲がり際には欄干の上にタイヤがはみ出した、狭い橋を越えると、取水ダム手前の広場に到着した。お礼をいって、トラックから転がり下りた。おかげで、1時間予定を短縮でき、体力を温存できた。
 取水ダムの先からは、額平川の遡行が始まるのか思ったら、はっきりした登山道が続いていた。歩きだしてすぐに、左手へ急な泥斜面の高巻き道が分かれた。固定ロープに頼らないと登れない、足元が滑りやすくいやな急斜面であった。帰りに、この道に入らずに沢沿いに歩いてみると、岩場のへつり道で、手がかりが少ないものの、シュリンゲもつるされており、ちょと危なっかしいものの、この道を通らないですんだ。沢沿いに登山道は続いたが、結構アップダウンがあり、体力を消耗した。今回の幌尻岳の一番の難関は沢の渡渉であり、戸蔦別岳を周遊することを考えると、2泊、さらに沢が増水して停滞を余儀なくされることも考えると、余分な食料を持ってくる必要があり、荷物が重たくなってしまった。登山道が河原に下りた所でひと休憩し、そこから少し歩いた所の四ノ沢出合から、いよいよ渡渉の開始となった。日本百名山は、山の初心者の私に、様々の課題を与えてくれた。白馬岳でははじめての雪渓歩き、剣山では岩登り、体力を要求される悪沢・赤石。幌尻岳の課題は、沢の渡渉であった。先回、井戸沢の沢登りに連れていってもらったのも役にたった。足まわりはなににしようか迷ったが、井戸沢で一回使ったきりの沢靴を履くことにした。水はけっこう深いものの、水面下に沈んだ石を足場にして、ストックを流れの中に支えとして突けば、膝くらいまでしか水に濡れることは無かった。着替えを持っていたものの、明日の本番用に、ズボンを濡らしたくはなかったが、膝までまくり上げたズボンの裾を少し濡らす程度ですんだ。沢の左右には卷き道があったが、かえって沢の中を歩いた方が楽な所もあった。紀行文を読むと、渡渉何回と書かれているが、水量の問題もあろうが、適当に歩き易い所を歩けばそれで良いので、渡渉回数を数えることは意味の無いことのようである。ゲートからの日帰りグループに出合うようになると、山荘も近くであった。沢歩きも結構面白いと思うようになってきたものの、重荷に草臥れてきたこともあり、山荘が見えてきた時はホットした。
 幌尻山荘は、2階建ての、思ったよりも大きな建物であった。さっそく2階に上がって、自分のスペースを確保した。この日は、管理人が入っており、昨日は結構混み合ったようであるが、この晩は、一人1畳強のスペースになった。夕方が近づくにつれ雨が降り始めたが、夕食の時には一時やんだ。1階の自炊スペースは混み合っていたので、小屋の前のベンチで夕食をとった。ベンチの隣には、オバサングループが移ってきたが、ガイドがご飯を炊き、鍋物を作って食事をさせていた。全部自力の幌尻岳かと思ったら、食事付きのツアーというのもあるようである。小屋のストーブには火が入り、濡れた衣類を乾かすのには都合が良かったが、寝る段になると、暑くて寝つきにくかった。それでも眠りに落ち込んで、夜中に目を覚ますと寒くなっており、寝袋で身をくるんだ。
 翌朝は、心配していた雨はあがっていた。幌尻岳への登山道は、小屋の脇からいきなりの急斜面になった。たちまち汗がしたたり落ちるようになったが、途中の水場で水を補給できることを期待して、登りを続けた。急登の連続のおかげで、標高の上がるのも早かった。左上に延びる尾根に登りつき、右手のピーク目指して緩やかに登っていくと、命の清水の標識が現れた。分岐から左に少し下って、岩場の下にしたたりでる水を汲んで飲んだ。腹にしみいる冷たい水であった。水筒を満たし、コップに汲んだ水を片手に朝食のパンをつまんだ。ここからは小ピークの乗り越しになった。背後を振り返ると、幾重にも山々が重なり、虹がかかっていた。長谷部さんに虹が出ていると教えると、先回も虹が出たので写真を撮ったら、急に天気が崩れてなにも見えなくなったと言われた。縁起をかついで、虹の写真は撮らないことにした。ハイマツ帯のヤセ尾根上に出ると、周囲の展望が開けて、戸蔦別岳から幌尻岳にかけての稜線が姿を現してきた。白く染まった沢が稜線めがけて登っていくのが見えた。地図上の1829m点で北カールの縁にでると、カール越しに幌尻岳が大きくそびえ、登山道はカールの縁をたどりながら山頂に続くのを目で追うことができた。遥か遠くの山と思っていた幌尻岳の山頂も、すぐそこに近づいてきた。カールの底には、沢が流れ、お花畑が広がっていた。歩いていくと、お花畑は登山道のある稜線まで広がってきたが、ウサギギクとミヤマアズマギクが群落を作っていた。頂上近くで新冠川コースを合わせて、ひと登りすると幌尻岳の頂上に出た。風は冷たく、風当たりの弱い西斜面に腰を下ろした。ガスが流れて展望は閉ざされていたが、北カールと今登ってきた稜線は眺めることができた。
 ひと休みした後、戸蔦別岳への縦走路に足を踏み出した。ガスで展望が閉ざされていたのが、少々不安であったが、一人でないのが心強かった。急な下りが続き、コースが左に曲がったことから、幌尻岳の肩を通過したことを知った。歩く者が少ないのか、登山道にはハイマツがかぶってきており、雨具を身につけることに頭が働く前に、木についた水のおかげで、すっかりずぶぬれになってしまった。鞍部に下りた所で、ガスの切れ間から七ツ沼カールが姿を現した。沼は干上がって泥の底部を見せていたが、残雪が残っている季節にはさぞ美しそうな所であった。七ツ沼カールを右手に見ながらヤセ尾根を進むと、戸蔦別岳への登りが始まった。幌尻岳からの下りで有る程度は予想していたものの、きつい登りが始まった。山頂食下にはお花畑が広がり、足を休ませる良い口実になった。登りついた戸蔦別岳の山頂は、ガスに覆われて展望は無く、つまれた石にトッタベツと書かれていることで、山頂であることを確かめることができた。縦走路をさらに北に向かった所で、西に向かって落ち込む尾根が現れ、「下り口」という標識から、幌尻山荘への下山路が始まっていた。岩場も所々現れる、ハイマツで覆われた急斜面を下っていくと、北カールを抱いた幌尻岳の姿が現れた。しばし足を停めて、写真撮影になった。黒部五郎を思わせるどうどうとした姿であった。体が宙に浮いたような急斜面の下りが続いた。ようやく白樺林に入り、滑らないように笹を掴みながら下っていくと、六ノ沢におりたった。ひと休みして、靴をはきかえた。六ノ沢を踏み石伝いに下っていくと、すぐに額平川の本流に出た。しばらくは、岸に踏み跡はないので、沢の中の浅瀬を踏み石伝いに進んだ。次第に、沢の両脇に踏み跡が続くようになり、赤布を捜しながらの歩きになった。最後は、山荘の対岸に出て、ここが一番深い渡渉を行って、幌尻岳の周遊コースを歩き終えることができた。
 ひと休みした後、時間も早いこともあり、そのまま山を下りることになった。渡渉も慣れ、下半身もすでに濡れきっていたため、水を気にせずに歩くことができた。沢を歩き終えて林道に出て、ようやくひと安心。普通なら、荷物を下ろしてひと休みになるところではあるが、はやくもアブが寄ってきて、足を停めるわけには行かなかった。休まず歩き続ける林道は長く感じた。車に戻っても、アブのために着替えもできず、そのままの姿で車を走らせ、豊糟まで下りたところで、長谷部さんとお別れの挨拶をした。帰りのフェリーは同じなので、残りの期間、それぞれの山を登ることになった。
 幌尻岳の二日間の汗を流すために、温泉に入りたかった。温泉と同時に次の山も考える必要があった。さすがに疲れて、翌日は早朝からフルに歩く元気は無くなっていた。雨も本降りになり、長時間歩くのも難しそうであった。南下して太平洋岸に出れば苫小牧は近く、樽前山に出ることができ、七合目から山頂の往復なら歩行時間は短くてすんだ。もしも天気が回復すれば、風不死岳へ周遊する充実コースも考えられた。南下に決めて、平取温泉を目指した。二風谷ファミリーランドに設けられた日帰り温泉施設の平取温泉で入浴して、ドライブのための元気を取り戻した。苫小牧に出ると、夜になっても町は活気づいており、再び都会に戻ってきたという感じがした。支笏湖めざして再び山間部に入り、樽前山の七合目ヒュッテ前の駐車場で、再び野宿をした。
 朝目を覚ますと、風が強く、ガスが山頂から吹き下ろされていた。朝食をゆっくりとりながら様子見をしていると、昨晩から停まっていた一台の車はそのまま下山し、別の単独行は山頂に出発していった。天候も回復しそうにもないので、とにかく歩き出すことにした。登山口には登山届けのノートが置かれ、熊に注意の張り紙がしてあった。林の中の遊歩道を登っていくと砂礫帯に出て、ベンチも置かれた支笏湖展望台に出た。展望はあるはずも無く、山頂を目指した。階段状に整備された登山道にはロープが張られて、登山道からはみ出さないようになっていた。登るにつれ、湿気をたっぷりと含んだ風が吹き寄せられてきて、雨具を着込む必要があった。登山道脇の砂礫の上には、この山の名前をとってタルマイソウとも呼ばれるイワブクロが群落を作っていたが、花期は終わって茶色に変色していた。外輪山の上に出ると、風はますます強くなった。右手に曲がって、東山をめざした。視界も利かず、風に足を取られないようにふんばりながら、ただ高みを目指して歩いた。前方から標識が現れると、そこが東山の頂上であった。かたわらには一等三角点も頭をのぞかせていた。本来ならば、中央ドームを一周するところなのであるが、登山道を見定めることが難しい砂礫帯なので、迷子になっても困るので下山することにした。登山口近くになると、ファミリーハイクも登ってきたが、山頂付近の風を予想しているのだろうか。
 簡単ではあるが、これにて今日の登山は終了。樽前山のもう一つの登山口である、観光スポットにもなっている、苔の洞門に寄っていくことにした。苔の洞門入口には、仮設トイレの設けられた大きな駐車場が設けられていた。ブナの大木もまじる林の中を歩いていくと、苔の洞門が始まった。苔におおわれた岩の間の通路は、確かに他には見たことも無い風景であった。雨模様の朝とあって、比較的すいていたが、昼間は観光客で賑わいそうであった。途中、大きな岩が、落ち込んで両脇の岩壁にはさまって、宙に浮いているのをくぐる所があった。筑波山の弁慶七戻りと同じ趣向であるが、ここの名前はなんというのかは判らなかった。観光用のコースは、第一洞門を出たところの広場で終点となった。ここからは登山クースとなり、さらに第二洞門というのもあるらしいが、観光客に混じって引き返すことにした。
 翌日どの山に登るか迷った。幌尻岳の際の長谷部さんの意見や、登山メーリングリストのメールを参考にするならば、ニペソス山が、人気の山のようであった。ガイドを読んでも面白そうな山なので、ニペソス山をめざすことにした。再び東に大きく移動しなければならないのが、ちょっと難であったが、時間もたっぷりあるので、一日のドライブと思うことにした。途中の観光センターによりながらのんびり走り、数日前に通った日高の町を再び通過。北海道の地形も、車で走り回るうちにだんだん把握できてきた。日勝峠は、濃霧とガソリン残量が少なくなったため、清水の町に下りるのが待ち遠しい運転になった。鹿追から十勝三股に出るのに、近道と思って然別湖を抜けたが、ガスもかかり、狭い道での緊張の運転が続いた。上士幌から糠平に出た方が、遠回りであるが時間的には早かったかもしれない。然別湖の湖面はガスに覆われて見通すことはできなかった。然別湖の周辺には、東・西ヌプカウシ山や白雲山、ナキウサギの生息する東雲湖もあるので、いつかここを訪れることもあろうか。然別湖畔温泉は、観光温泉風であっため通過してきたが、夕暮れせまる頃、山中の一軒宿の山田温泉に出たので、風呂に入らせてもらった。数組の宿泊客は夕食中で、独り占めの温泉であった。糠平でR.273に出ると、再び高速走行可能な立派な道になった。十勝三股でニペソス山への林道に入るか迷ったが、国道脇の駐車スペースで野宿することにした。
 簡単に朝食を済ませ、石狩岳とニペソツ岳登山口の看板に従って、十勝三股手前の橋のたもとから、林道に突入した。走り易い林道が続き、1.5km程で右に石狩岳への林道を分けて左の林道を進むと、次第に高度を上げていき、杉沢出合に到着した。林道終点部は小広場になっており、大雪山系の案内図がかかげられ、トイレも設けられていた。すでに2台の車が停まっていた。歩き出そうとすると、三人連れから声がかかった。見ると幌尻岳で一緒だった札幌からのグループだった。沢を渡って、十六ノ沢と杉沢で挟まれた尾根に取り付いた。始めは、木の根を足がかりにする急な登りであったが、じきにトドマツやエゾマツの針葉樹林帯の緩やかな登りになった。昨夜来の雨は上がっていたが、木の枝をはらうとしずくが降り注ぐために、雨具を着込んだ。尾根は次第に広くなって不明瞭になり、右から上がってくる尾根にのって、左に方向を変えた。痩せた尾根の上に出て、木立は切れているものの、周囲の展望は霧で隠されていた。とっておきの山は、条件の良い時に登るべきであったかと、少し後悔しながら登り続けた。再び針葉樹林帯に入ると傾斜はきつくなり、小天狗の岩峰の基部に登り着いた。固定ロープを頼りに、左へのトラバース気味に乗り越すと、草原の中の緩い下りになり、天狗のコルに降り立った。周囲の木立もダケカンバに変わって、残雪期には、お花畑が広がっていそうであった。再び緩やかに登っていくと、ハイマツ帯に入り、「ここはナキウサギの生息地です。脅かさないように注意しましょう」という看板が現れた。その先でガレ場の登りにかかると、チッチッという声とともに、茶色い影が逃げていくのが見えた。前天狗に近づくと、登山道は、東西に並んだピークの間の窪地を通るようになった。頭上の雲が薄くなってきたなと思うのと同時に、ピークの背後に、雲海と遠くの山の稜線が浮かぶのが見えた。展望が開けてきたことを知り、先を急いだ。
 ピークの肩めざしてガレ場を登り詰めると、一気に展望が開け、ニペソス山がそこにあった。「全く意表を衝くニペソツの現れかただった。それはスックと高く立っていた。私は息を飲んで見惚れた。天は私に幸いして、しばらく山巓にまとう霧を払ってくれた。」深田久弥の山頂の憩い中の「ニペソス山」からである。深田久弥がこの山に登ったのは、日本百名山が出版された翌年の昭和40年のことであった。登っていないという理由で、ニペソツ山が日本百名山からもれたことを知った帯広の山岳会が、講演会を兼ねて招いたという。立場は違うといえ、同じように、雲海の上にそびえるニペソツ山を見つめて立ち尽くした。次いで急いでカメラを取り出した。写真を撮るうちに、早くもガスが流れ始めてきて、先を急ぐことにした。一旦ガレ場を下って再び登ると、平坦地の天狗平に出た。天狗岳を前に配したニペソツ山がさらに大きな姿を見せるようになった。ガスが流れるようになり、ますますニペソツ山の高さが際だつようになった。「流れるガスの間に隠見するニペソツは、高く、そして気品があった。峨々たる岩峰をつらね、その中央に一きわ高く主峰のピラミッドが立っている。豪壮で優美、天下の名峰たるに恥じない。」山の描写としては、深田久弥の描写をそのまま記載することにしよう。日本百名山でも、この山に匹敵する山は、めったになかった。雲海の上には、石狩岳、旭岳、トムラウシ山、十勝岳が山頂をのぞかせていた。山を眺めながら天狗岳の肩に出ると、登山道は左手に大きく下っていった。ガスでどこまで下るか判らず、登り返しを思うと、目の前の山頂は、そう簡単には登らせはしないといどむかのようであった。覚悟を決めて、一気に下った後に、標高差300mの登りにとりかかった。痩せた岩稜を登っていき東斜面の切り立った岩壁の基部にでると、北斜面のトラバースになった。このトラバース付近は、ナキウサギが特に多いようであった。鳴き声に足を停めて見回すと、岩の上に茶色い石が重なっていると思ったら、ナキウサギであった。カメラを取り出す間もなく逃げていってしまった。山頂から鋸歯のように続く岩峰を越していくのかと思いながら登っていったが、トラバースを終えて西斜面にでると、草原が広がり、真っ直ぐな緩やかな道が山頂に続いていた。西の稜線に回り込んで、最後にひと登りするとニペソツ山の山頂であった。東面にはロープが張られて、注意してのぞくと、一気に切り落ちていた。山頂は雲の上に頭を出していたが、前天狗からの稜線は、流れる雲で洗われていた。登ってきたばかりの登山道を振り返りながら、誰もいない山頂で、登頂の喜びにひたった。
 後続の登山者が到着するのと入れ違いに、下山に移った。天狗岳への登り返しは、覚悟していたとはいえ、苦しかった。前天狗に出てニペソツ山を振り返ったが、すでに厚い雲に覆われていた。小天狗への緩やかな登りも、足が重くなっていた。樹林帯の中を下っていき、沢音が近づいてくると、沢の出合に降り立った。ぬかるんだ登山道のおかげで、雨具の上下は泥だらけになり、着替えの後、沢で洗濯になった。
 ニペソツ山の後の温泉は、幌加温泉に向かった。バイクの二人連れが、丁度到着して、先に本館に入っていくと、本館には内風呂だけしかないが、温泉入口の自炊棟の裏の露天風呂は、無料と言われたといって出てきた。タダには目が無く、露天風呂に向かった。沢の脇に作られた露天風呂には、同じようなバイクの二人連れが先客でいた。4人程で満杯の狭い風呂なので、先にいれさせてもらった。温泉に入って、「一つの山を終わりけり」。
 翌日は、小樽から新潟に戻る日。この日の山は、ニセコアンヌプリという予定にしていた。大雪山を一周して旭川に出るつもりであったが、途中の三国峠は、へたな山岳有料道路真っ青の、十勝三股の盆地から1000mを越す標高まで一気に駆け上がる、豪快な峠道であった。層雲峡に出たところで、大雪山に心が引かれたが、今回は時間が無かった。高速道に乗り、再び小樽に戻り、倶知安の町から五色温泉に向かって山を登った。ニセコ山の家の前の大きな駐車場に車を停めて、最後の車中泊に入った。夜は、深い霧になった。
 翌朝、周囲の山の頂は、雲に覆われていた。天気も良くなっていきそうであったが、待ちきれずに歩き出した。ニセコ山の家の左手のキャンプ場に入っていくと、右手奥にニセコアンヌプリの登山口があった。広い道が切り開かれていた。尾根に出てから、小ピークを巻いて進んだ後、ジグザグの急登で尾根に登り返すということを繰り返していくと、高度も上がって、ガレ場も所々現れるようになった。周囲の展望が利かないため、山頂までどれほど近づいたか知ることができなかったが、傾斜が緩やかになったと思うと、ニセコアンヌプリの広い山頂に到着した。三角点の字も読みとれないほどしっかり台座にガードされた新しい一等三角点が置かれ、かたわらには古い三角点が傾いてひっくり返りそうになっていた。いらないならもらってこようかと思ったが。奥にあるのは、無線中継所、建物の基礎の跡は、300名が常勤していたという、戦時中の高所航空実験所施設の跡とのことである。ガスもそう簡単には晴れそうも無く、山を下りることにして、今回の山行も終了することにした。
 下山後、ニセコ山の家に温泉に入りにいくと、入浴は11時からと言われてしまった。思わぬ誤算であった。小樽に戻ることにした。途中、露天風呂という看板を何ヶ所かでみたが、石鹸で体を洗いたい気分なので、余市の日帰り温泉施設をめざした。地元の銭湯かわりの施設のようであったが、さっぱりすることができた。風呂あがりに、ニッカウィスキーの工場見学に出かけた。案内の後の試飲コーナーにて、ワインにウィスキーを味見して、すっかり酔っぱらってしまった。昼食をとり、ゆっくりと展示物を見直し、町をぶらつき、昼寝を少しして、ようやくドライブできるようになった。小樽のカーフェリーの駐車場に車を置き、歩いて小樽の町の見物に出かけた。15分程で港をでると、観光客で賑わう小樽の町の南外れに出た。小樽の町を見物したのは、10年も前のことであったが、すっかり観光地に変身していた。運河沿いの薄汚れた倉庫街は、オシャレ然としたレストランに生まれ変わっていた。ベルギービールにムール貝、地ビールにザワークラフト、一杯づつ引っかけてすっかり酔っぱらい、これはいけないと、北一ガラスの店を覗きながら、港に戻った。ベネチアングラスも良いけれど、ちょっと高いのではないのかな。現地ではないのでこんなものなのか。
 船内のレセプション前で並んでいると、長谷部さんも現れた。ベッドに荷物を放り込んで、ロビーに移り、山行の無事を祝ってビールで乾杯した。沖に出ると、船が揺れるようになった。ベッドに戻り、揺れを気にする間も無く眠りに落ち込んだ。ひさしぶりの布団の上での眠りであった。朝には、揺れはおさまり、静かな航海が続いていた。読書に昼寝。一日を休養日にあてながら、新潟に帰りついた。

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