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高陽山

1998年6月20日 日帰り 単独行 雨

高陽山 こうようざん(1126.5m) 二等三角点 飯豊連峰周辺(福島県、新潟県) 5万 大日岳 2.5万 飯里
ガイド:会津百名山(歴史春秋社)、山を訪ねて(歴史春秋社)

6月20日(土) 7:20 新潟発=(磐越自動車道、西会津IC、新郷、奥川、山浦 経由)=9:13 中ノ沢〜9:23 発―9:34 砂防ダム―9:43 高陽根簡水水源地―9:58 導水パイプ終点―10:02 伐採地下部―10:12 伐採地上部―10:38 尾根屈曲点―11:00 高陽山山頂〜11:06 発―11:19 尾根屈曲点―11:35 伐採地上部―11:45 伐採地下部―11:49 導水パイプ終点―11:50 高陽根簡水水源地―12:14 砂防ダム―12:23 中ノ沢=(山浦、奥川、徳沢、R.49、津川IC、磐越自動車道 経由)=15:10 新潟着

 飯豊連峰の三国岳から南東に延びる尾根上には、疣岩山、卷岩山、鏡山、七森山、立石山、高森山のピークが次第に標高を落としながら続き、その最後に高陽山がある。標高はそれほどないが、周囲に高い山がないため目立つ山である。西会津方面からは、白く輝く飯豊連峰の前に「黒森」とも呼ばれるようにどっしりとした黒い姿を広げている。高陽山は、地元では、この山の麓の村々の大字の高陽根(かやね)から「かやねさん」とも呼ばれている。福島・新潟県境線上の山であるが、山頂には山浦と中ノ沢の人々の安置した祠があり、福島県につながりの深い山である。
 この週末は、飯豊を予定していたが、雨のために中止にした。午後にかけて天候は回復してくるようなので、雨具覚悟で、日帰りの山に出かけることにした。今週、東京に出かけたついでに、本屋をのぞき、会津百名山の本を買ってきた。新しい本を手に入れると、その中に載っている山に出かけてみたくなる。前々から気になっていた、新潟県との県境にある高陽山に出かけることにした。
 阿賀野川と飯豊連峰に挟まれた一帯は、地形が複雑で、道路地図を良く見る必要があるが、なんとか無事に中ノ沢の集落に到着することができた。集落の上部の、未舗装の林道が始まる分岐の路肩に車を停めた。高陽山の登山コースについては、以前から出ていた森澤堅次氏の「山を訪ねて」では、前山の権現山の右手をたどり南東尾根から山頂に達するように書いてある。今回の会津百名山では、権現山の左手の沢沿いに登るコースが紹介されている。どちらが良いのか迷ったが、新しい本に従うことにした。雨がやまず、雨具を着ての出発になった。山あいの林道を登っていくと、両脇には休耕田が広がっていた。林道が沢を渡って左に曲がっていく分岐をそのまま直進すると、すぐ先で建設中の砂防ダムに出た。ダムの上にいた工事現場の人に、高陽山への道を尋ねると、上にあがって来いという。どこから登るのか迷ったら、堰堤のコンクリート壁から横に張り出している鉄骨の上を渡って、上ってこいとのことであった。上から見ると、沢に沿って道が続いていた。堰堤の上から肩くらいの高さを飛び降りて、工事現場の柔らかい土の上に無事に着地。沢沿いの道は、しっかりした登山道といった状態であったが、草が被り気味の所もあった。登山道に所々現れるぬかるみには、足跡も残され、最近、かなりの人間が歩いたようであった。丸木橋を渡ると、高陽根簡水水源地と書かれた、金網で囲まれた水道設備に出た。無事にガイドの記述通りに歩いているようであるが、高陽山という標識がどこにも無いのが、明瞭な踏み跡をたどっていても、緊張感を高めている。なになに百名山などという看板はいらないが、登山口くらいには標識があったほうが良い。いや、地図を見て登山口を見つけることも、会津百名山に登るなら必要条件というならば、これで良いのかもしれない。流れの少なくなった沢を渡り、道の脇を見ると、黒いパイプがあいかわらず続いていた。再び丸太橋が現れると、すぐに金属製の円筒が埋め込まれている広場に出た。どうやら簡易水道の設備のようであった。周辺にはビニールシートが敷かれていた。ここまでは、水道施設のための保守道を兼ねているようであったが、幸い、その先もはっきりした道が続いた。沢沿いの雑木林の中を緩やかに登っていくと、前方から車が走るような音が聞こえてきた。なんだろうと思いながら歩いていくと、いきなり前方に伐採地が広がった。左右に尾根が走り、その間の谷間が伐採現場になっていた。尾根から尾根にケーブルが渡され、見ていると、杉の丸太が吊るされて、右の尾根に向かって運ばれていった。登山道は、伐採地の中に消えていた。一瞬、途方にくれたが、良く見ると左よりの沢沿いに、赤テープが付けられていた。山に向かって、杉の枝が積み重なって歩きにくい伐採地を進んだ。頭上のケーブルに丸太が吊るされて運ばれてこないか恐ろしかったが、現場への立ち入り禁止と言われないかも心配であった。上部は、杉の丸太が倒れ込んだままで、丸太の上の伝い歩きになった。なんとか見とがめられずに伐採地の上部に到着すると、登山道が再び現れた。これまでの緩やかな登りとはうって変わり、急な登りになった。雨の後で滑りやすく、枝をつかんで体を持ち上げる個所もあった。雨はやんだものの、風が吹いて、木立は揺れ動いていた。やはり今日の飯豊は難しかったようである。稜線上に出て、右手に方向を変えた。ここは、県境尾根の724点なのであろうか。あいかわらず急な登りが続いた。登山道の周囲には、ブナの大木が目立つようになった。傾斜が少し緩やかになって山頂が近いなと思いながら視界のきかない潅木の中を登っていくと、石の祠が目の前に現れ、その奥が広場になっていた。奥よりの草むらの中に、二等三角点が埋められており、山頂であることを確かめることができた。広場を囲む木立を見渡しても、山頂のプレートはひとつも見あたらなかった。登山口にも山頂にも標識が無いのも、会津の里山らしかった。広場の周辺の木立をのぞいてみたが、登山道としては、登ってきた道だけのようであった。帰りの途中、大出戸方面に続くという県境尾根の刈り払いを捜してみたが、見つからなかった。山を下っていくと、昼になって、伐採地の作業や治水ダムの工事は終わっていた。雨は上がっていたが、高陽山の山頂は雲に覆われたままで、ついに姿を現さなかった。

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