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面白山・南面白山

1998年5月23日 前夜発日帰り 単独行 晴

面白山 おもしろやま(1264m) 二等三角点  南面白山 みなみおもしろやま(1225m) 三等三角点 二口山塊(山形県、宮城県) 5万 関山峠、楯岡、山形、川崎 2.5万 関山峠、天童、山寺、作並
ガイド:アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明社)、宮城県の名山(河北新報社)、東北百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「蔵王・面白山・船形山」(昭文社)

5月22日(金) 19:35 新潟発=(R.7、R.113、赤湯、R.13、山形、山寺、面白山高原 経由)=23:45 面白山スキー場  (車中泊) 5月23日(土) 4:45 面白高原駅発―5:56 長左衛門道〜6:00 発―6:40 縦走路分岐―6:46 面白山〜6:57 発―7:00 縦走路分岐―7:23 中面白山―7:48 長左衛門平―8:28 奥新川峠―9:01 権現様峠〜9:07 発―10:11 南面白山〜10:30 発―11:05 ゲレンデ上部―11:48 面白高原駅=(往路を戻る、赤湯共同浴場とわの湯入浴100円)=18:00 新潟着

 宮城・山形県境の、蔵王連峰と船形連峰の間に、神室岳、大東岳、面白山を代表的なピークとする二口山塊が広がっている。標高は低いものの、深い渓谷が刻まれて、変化に富んだ地形を示している。面白山と南面白山は、仙山線の面白高原駅の東、南北に連なる県境線上にあるが、約4kmの距離で離れた独立した山である。面白山は、つらしろやまとも呼ばれていたというが、山頂部が雪で覆われて白いからとか、あるいは山頂付近のガレ場に由来するとか言われている。
 二口山塊の大東岳と神室岳には、以前に登っていたが、面白山が残されていた。今週末は、山形県の山と思い、面白山と南面白山の環状縦走を行うことにした。歩行時間も8時間25分で、前夜に登山口に入っておれば、余裕を持って歩けるはずであった。お馴染みの、小国・山形コースであったが、今回は、県庁を通過して山寺へ向かった。昼間は観光地として賑わう山寺を過ぎると、紅葉川渓谷沿いの幅の狭い林道になった。目的地の面白高原駅には、スキー場もあるのに、このような細い林道とは、道を間違えたかと思って不安になった。後で調べると、この林道は冬季は通行止めとなって、スキー客は仙山線を利用してスキー場に入るようであった。これなら、かなりの山奥でもスキー場を作ることができると、着眼点には関心した。深夜に面白高原駅に到着し、まずは面白山へのカモシカコースの入口を確認した。入口に標識はあるものの荒れた沢に入っていくようであった。路肩には車を停めるスペースはあるものの、野宿の場所には気が進まなかった。とりあえず、面白山スキー場の駐車場に入って、眠ることにした。翌朝、スキー場を見上げると、かなり高いところまでゲレンデが延びていた。南北の面白山のどちらから登るか迷ったが、ゲレンデ登りはいやなので、ガイドブックの通りに、カモシカコースを登ることにした。
 車を再び、カモシカコースの入口に移動させて歩き出した。真夜中の懐中電灯での偵察の通り、明るくなっても、標識が無ければ入るのに躊躇するような、落ち葉や枯れ枝の積もった荒れた感じの沢であった。少し沢を歩いた所で、道が左右に分かれた。より高みに続いている右手の道に入って、沢から離れた。道は、駅の方向に戻りながら、ほぼ水平に続いた。渓谷への入口に入ろうかとする所で、左手から尾根が落ち込んできて、左折して尾根に取り付いた。尾根の周辺は、ミズナラやブナの二次林で、比較的細い木が多かった。炭焼きの後なのか、所々で斜面に窪地を見かけた。急な尾根であったが、小ピークを越しながらの登りで、傾斜の緩くなった所で息抜きをすることができた。扇状に広がる谷の縁を沿うように、緩やかに左手に方向を変えながら登っていくと、正面に面白山の山頂が姿を現した。寝起きで、頭もすっきりしないが、その分、黙々と登り続けることができて、行程もはかどった。長左衛門道は、車も通れそうなくらい立派な水平道であった。右手に少しづれた所から、再び面白山への急登が始まった。周囲が潅木帯に変わると、縦走路に登り着き、そこからは、ひと登りで面白山の山頂に到着した。面白山大権現の碑が出迎えてくれた。素晴らしい眺めの山頂であった。一番の眺めは、縦走路が続いていく中面白山の先に、台形の山頂を持ってどうどうとそびえる大東岳であった。その右手には、南面白山が並び、ただ、この山にはスキー場が肩部まで登ってきているのが、少々目障りであった。南面白山までは、谷を巻いてかなりの距離があり、途中にはかなりの高低差があるのが見てとれた。朝日連峰と月山の白い山頂が浮かんでいた。山の裾野には、紫色の濃淡に染まる峰々が幾重にも重なり合っていた。山頂の小広場に腰を下ろし、静かな朝の眺めを楽しんだ。
 山頂下の分岐から縦走路に進んだ。周囲の展望を楽しみながら鞍部に下り、中面白山への登り返しで、ひと汗かいた。中面白山からは、草原の中の一気の下りになった。鞍部の長左衛門平で、右に長左衛門道を分けて、再びピークへの登り返しになった。ここまでは、左右に展望の開けた尾根道であったが、ここからは展望は利かない、ブナ林の中の道になった。矮小化したブナ林を眺めながら進んでいくと、次第に普通の高さの木に変わっていった。そろそろ休憩しようかと思いながら奥新川峠に到着すると、周辺の笹原の中でヒメタケノコ採りの最中であった。分岐の周辺には山菜採りの持ち物が放置してあったので、そのまま先に進むことにした。小さなピークの登り下りが続いた。いつ頃からかは判らないが、周囲のブナ林ではセミの大合唱が始まっていた。知らない者はいないであろう、「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」の句を、芭蕉が詠んだ山寺の立石寺は、すぐ近くである。耳をそばだてれば、かなりの音量といえるが、気をそらせば、静かなブナ林が広がるのみであった。この蝉の何代か前のご先祖様の鳴き声を、芭蕉も聞いたのであろう。大東岳への道の分かれる権現様峠に出て、ようやく一服した。先回大東岳に登っていなければ、ここからピストンして、往復2時間30分の歩きが加わるところであった。ブナ林の中を、しだいに方向を西に向けながら進んでいくと、小さな沢を横切るようになった。涸れたものが多かったが、一個所では、粘土質の斜面の上を水が流れていた。かたわらには、シラネアオイの花が咲き、沢水で喉をうるおしながら、花を楽しんだ。サンカヨウの花も途中で見かけたが、花の季節は初夏に移ろうとしているようであった。これが最後と、南面白山への登りを頑張ることにした。なかなかの急登で、傾斜が緩んでひと安心したら、山頂はまだ先であった。山頂の縁の岩の周辺には、単独行と大学ワンゲルらしい団体が休んでいた。すぐ先の三角点付近は、潅木に覆われて見晴らしは良くなかった。背後を振り返ると、大東岳が目の前に大きく、左手の面白山は、すでに遠かった。休んでいた学生は、小東岳方面に向かって下っていった。大東岳でもそうであったが、この二口山塊では、大学ワンゲルが訓練のために多く入っているようであった。大学ワンゲルの団体には、もっと山中であっても良さそうなものだが。世の批評家は、中高年の登山ブームを批判する前に、若者を山に向ける方策を考える必要があるのではないかな。単独行も権現様峠に向かって下っていき、一人山頂に残された。
 山頂から下っていくと、カレ沢状の石の転がった足場の悪い下りになった。登山道をそれていないか心配になったが、所々赤布が付けられていた。石の転がる道は、右手に曲がっていき、尾根に乗ると、再びブナ林の中の歩き易い道になった。ここからは、わずかな歩きでスキー場のゲレンデに飛び出した。左右にゲレンデが延びていたが、右手の林道は、曲がりくねっているように思って、左手のリフト終点から、真っ直ぐに下ることにした。上からはジグザグの作業道が続いているように見えたが、下っていくと、石や土くれの積み重なっブル道で、はなはだ歩き難かった。右手の林道を進むのが正解のようであった。ゲレンデの中の草の丈の低い所を選んで下った。ゲンデの下まで下るのに、結構疲れてしまった。ゲレンデを登りにとるのも、登山道の案内標識も無く、迷い易そうであった。ゲレンデから、舗装道路をひと下りすればて、車に戻ることができた。

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