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毛石山

1998年5月16日 日帰り 単独行 晴

毛石山 けいしやま(793.8m) 三等三角点 川内山塊(新潟県) 5万 御神楽岳、加茂 2.5万 高石、越後白山
ガイド;関越道の山88(白山書房)、山と渓谷1996年11月号 週末の山歩きp.186
5月16日(土) 6:05 新潟発=(R.49、茅野山IC、R403、新津、五泉、村松、暮坪 経由)=6:54 粟山橋登山口〜7:17 発―7:20 登山道入口―7:30 鉱山跡―7:44 七窯跡―8:03 小杉沢銅山跡―8:09 金山神様―8:20 水呑場〜8:23 発―8:32 橋立山の神―8:45 蕨(ほどろ)峰―9:09 毛石大山の神―9:25 毛石のぞき―9:28 毛石山〜9:57 発―10:01 毛石のぞき―10:14 毛石大山の神―10:30 蕨峰―10:43  橋立山の神―10:51 水呑場〜10:54 発―11:02 金山神様―11:06 小杉沢銅山跡―11:17 七窯跡―11:28 七窯跡―11:36 登山道入口―11:40 粟山橋登山口=(暮坪、田川内、沼越峠、五十島、R.49、三川、綱木 経由)=13:07 馬ノ髪山登山口―13:35 尾根取り付き〜13:44 発―14:15 馬ノ髪山登山口=(綱木、上赤谷、新発田、R.7 経由)=15:50 新潟着

 川内山塊は、新潟の平野部から会越国境に広がる一帯の山々を呼んでいる。標高1000m前後で、低山といっても良い標高しか持たないが、豪雪地のために、山肌は雪崩で削られてスラブとなり、急峻な谷によって囲まれて、容易に人を寄せ付けない秘境になっている。20万分の1地図を見れば良く判るように、川内山塊は、幾重もの山の連なりを持っている。まず、新潟平野と仙見川の間に広がる、前衛ともいえる、白山、宝蔵山、権ノ神山、粟ヶ岳の連なり。次に、仙見川と杉川に挟まれた毛石山から灰ヶ岳の連なり。逢塞川と早出川で挟まれた、核心部ともいえる、木六山、銀次郎山、銀太郎山、五剣谷岳、青里岳さらに矢筈岳に至る連なり。早出川と室谷川で挟まれた、最外層の、日倉山、日本平山、鍋倉山、太郎山、魚止山から駒形山に至る連なり。毛石山は、登山道の無い山の多いこの山塊にあって、一般的登山道のある貴重な山であり、さらに川内山塊の中心部に足を踏み入れる際の、入口の山である。
 山と渓谷の雑誌で紹介されてから、登ろうと思ったものの、のびのびになっていた毛石山に出かけた。暮坪で、早出川ダムに向かう道から杉川沿いの道に入った。杉川発電所の脇に権現山登山道の標識が立っており、この登山道も登らなくてはと思った。右折して門原へ向かう道に入ると、すぐに粟山橋を渡り、その先が毛石山の登山口であった。道路脇には、赤く塗られた杭に、小さな標識が掲げられていた。杉林の中を下ると、導水橋があった。谷をまたぐ橋の上を、足元の金網の下に流れる水流を見ながら、対岸に渡った。導水路の上にかぶせられたコンクリート製の上蓋の上を歩いていくと、右手に登山道の入口が現れた。杉林の中を緩やかに進んでいくと、沢沿いの道になり、ひと登りしたところで、小砂利の露出したキャンプ場のような広場に出た。ここが昔、鉱山事務所のあったという鉱山跡のようであった。あたりは、タニウツギとフジの花が咲き乱れていた。谷に沿っての緩やかに登っていく道が続いた。登山のために開かれた道だと、一気に尾根に上がって、起伏を乗り越えながらいくものだが、この鉱山、炭焼き、ゼンマイ採りのための生活道は、けっして急登になることはなく、確実に山の奥へと導いていった。地図からも消えている道ではあったが、踏み跡はしっかりしており、崩れかかった所は、足場を掘って整備されていた。最近の丸太で固められた登山道が、整備された後から崩壊してかえって歩きづらい状態になっているのを見ると、このような生活道のコース取りに学ぶべきものは多いように思う。「七窯跡」という看板も現れたが、炭焼きの窯跡らしきものも、登山道沿いに時々みることができた。水場となる小さな沢を越すと、がザレ場にシダ類が点々と生える斜面に出た。ここが「小杉沢銅山跡」で、ザレ場の中をジグザグに登っていくと、背後に三角形の山頂をした権現山やその背後の菅名山塊が顔をのぞかせた。稜線に出た所の右手には、「金山神様」の祠がまつられていた。ここからは、西面のからみ道になった。木の根が張り出して、道が谷に傾き気味なので、少し歩きにくくなった。木立の中から、白山が姿を現した。これまで、白山にはなんども登っていたが、目の前の毛石山を意識したことが無かった。次からは、登ったことのある山として、まず目が向くことであろう。パイプを差し込まれた水飲み場に出て、ここで一服した。Tシャツで充分な初夏の陽気になっていた。そろそろ、山での休憩も、木陰でするような季節になったようである。帽子もかぶることにした。登山道は、稜線を越して、再び東面に移った。乗り越す所が、小広場もあり、橋立山の神のはずであったが、看板や祠は見あたらなかった。ようやく前方に、角張った山頂を持つ毛石山が姿を現し、スラブに縁取られた谷の奥には川内山塊の中心部の山々が広がっていた。稜線伝いの潅木の中にも踏み跡が続いていたが、これは残雪期用のものであろうか。雑木林の中を登っていくと、ほぼ水平の道の途中に、「蕨(ほどろ)峰」という看板が現れた。緩やかな登りを続けていくと、これが御神体なのか、一本杉の立つ「毛石大山の神」に到着した。ここから、一転して、急登が始まった。道が細いのが幸いして、体を持ち上げるのに、両脇の木の枝を掴みやすかった。背後に展望が広がり始めて、もうひと頑張りすると、潅木の中に「毛石のぞき」の標識が現れると、山頂はその少し先であった。
 小広場となった山頂からは、東面の展望が広がっていた。登ってきた尾根を振り返ると、菅名山塊から日倉山、日本平山が長く続き、その向こうに、白く雪を頂いた飯豊連峰が浮かんでいた。水無平から木六山、さらに銀次郎山から五剣谷岳に至る稜線を目で追うことができ、その手前には、中尾根のスラブで磨かれたヤセ尾根が、緑で縁どられた赤味を帯びた岩肌を見せていた。山頂の先に続く踏み跡を先に辿って、遠く灰ヶ岳から先に続く稜線を眺めた。背後には白山から粟ヶ岳に続く稜線が長く横たわっていたが、木立が少し展望を邪魔していた。誰もいない静かな山頂で、展望を楽しんだ。下る途中、「蕨峰」付近で単独行、「金山神様」近くまで下った所で、道の半ばかと尋ねてきた前途多難の夫婦連れ、さらに山菜取りの夫婦が、快晴で新緑の山で出合った全てであった。
 本日のもうひとつの目的に、来週の馬ノ髪山ハイキングのための下見を行っておくことがあった。沼越峠を越して、新緑のドライブを続けた。上綱木からの林道には、特に問題は無かった。先日登った棚橋山の登り口の古い林道の入口にさしかかったので、少し入ってみると、この前に行き原に入り込んだカーブ地点はヤブで覆われていた。馬ノ髪山の登山口は、すぐその先であった。入口の作業小屋には、主人がおり、挨拶をしてから山にぬかった。沢の入口付近は、荒れた感じで、昨年の6月14日よりも水量が多かった。特に危険な所もないが、足を滑らして、靴の中に水を入れてしまった。長靴の方が歩き易そうであった。尾根の取り付き部に赤布を付けてから、その先の本格的な登りは来週に回して、引き返すことにした。

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