9817

那須沢山、駒止湿原

燧ヶ岳

1998年4月25日〜4月26日 1泊2日   那須沢山、駒止湿原:単独行 雨
 燧ヶ岳:11名(登山MLオフミ) 霧のち曇り 
那須沢山 なすざわやま(1044.9m) 二等三角点 南会津(福島県) 5万 田島 2.5万 田島 ガイド;南会津・鬼怒の山50(随想社) 駒止湿原 (1100m) こまどしつげん 南会津(福島県) 5万 針生 2.5万 会津山口、針生
ガイド;南会津・鬼怒の山50(随想社)

燧ヶ岳 ひうちがたけ
 爼ぐら まないたぐら(2346 m) 二等三角点 尾瀬(福島) 5万 燧ヶ岳 2.5万 燧ヶ岳
ガイド:アルペンガイド「尾瀬」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、南会津・鬼怒の山50(随想社)、山スキールート図集(白山書房)、ヤマケイ登山地図帳「尾瀬」

4月25日(土) 5:00 新潟発=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、会津本郷、大戸町、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.400、上高野、高野赤土線 経由)=10:10 赤土峠〜10:32 発―10:57 312標柱―11:10 那須沢山山頂〜11:13 発―11:28 312標柱―11:50 赤土峠=(高野赤土線、上高野、R.400、会津田島、R.289、針生、駒止峠旧道 経由)=12:48 駒止湿原入口駐車場〜13:07 発―13:28 大谷地出口―13:35 白樺谷地入口―13:47 水無谷地入口―14:00 遊歩道終点―14:13 水無谷地入口―14:24 白樺谷地入口―14:28 大谷地出口―14:50 駒止湿原入口駐車場=(駒止峠旧道、R.289、きらら289入浴(700円)、南郷、R.401、伊南、R.352 経由)=16:30 檜枝岐着  (テント泊)
4月26日(日) 6:10 檜枝岐発=(R.532 経由)=6:25 御池〜6:50 発―7:55 広沢田代南端〜8:05 発―9:20 熊沢田代〜9:25 発―11:00 爼ぐら〜11:12 発―11:42 熊沢田代〜12:15 発―12:53 広沢田代―13:50 御池=(R.532、檜枝岐駒ノ湯入浴(500円)、R.352、伊南、R.401、南郷、R.289、会津田島、R.121、湯野上、R.118、大戸町、会津本郷、会津坂下、R.49、会津坂下IC、磐越自動車道 経由)=19:00 新潟着

 那須沢山は、南会津の中心ともいえる会津田島の町の北にある山である。この山の登山口であり赤土峠は、旧会津西街道の、阿賀野川増水時の間道として使われていたという。
 駒止湿原は、昭和村と田島町にまたがる、大谷地、白樺谷地、水無谷地の三部からなる高層湿原である。会津田島と南郷の間のR.289は、現在では駒止トンネルを経由して短い時間で結ばれているが、旧道は曲がりくねった細い道で駒止峠を越す難所になっていた。その峠近くにこの湿原があり、車ですぐ近くまで入れるにもかかわらず、尾瀬の湿原ほどには知られていない。
 燧ヶ岳は、東北地方第一の高峰である。山頂部に爼ぐら、柴安ぐら、ミノブチ岳、赤ナグレ岳、御池岳の五つのピークを連ねた姿は、男性的であり、尾瀬ヶ原を挟んで向き合う女性的な姿の至仏山と、好一対をなしている。最高峰は、柴安ぐら(2356m)である。ここには、立派な山頂標識が立てられているが、ハイ松が広がり、環境保全のためのロープがはられて、尾瀬ヶ原の好展望台であるものの、360度の展望とはいかない。これに対し、爼ぐらの山頂は、狭い岩場となって、三角点と祠が置かれ、尾瀬沼をはじめ、周囲の展望が開けている。
 昨年の4月に、登山MLの友人の大山さんの守門・大岳の山スキーにつきあい、今年も山スキーに行こうという話になった。いくつかの候補があがったが、今年の雪融けの早さに、候補の山が次々に脱落していった。結局、上越国境や越後の山も、山スキーは無理そうということで、会津駒ヶ岳なら雪はあるだろうということで、残雪オフミ・会津駒ヶ岳の案がまとまった。山スキーという話に、テレマーカーの石原さんがのってくれて、今年の冬の入笠山スキーオフミに参加したメンバーに声をかけてくれた。その結果、前回の入笠山スキーオフミのメンバーがほぼ参加してくれて、最終的には、池上、石原、大山、今野、庄司夫妻、伊達、日笠、福島、山本、私、の合計11名の参加者になった。足回りも、山スキー、テレマークスキー、ゲレンデスキー、ミニスキー、徒歩(ワカン)といった、残雪登山の比較検討会のような、混成チームになった。直前に出張が入り、また山スキーの知識が無いために、石原さんに、行動計画や安全対策についてのとりまとめをお願いした。準備期間も二週間と短かったが、メーリングリストの力をかりて、山行計画をまとめることができた。ようやく、一週前になって、計画も全てまとまったと思ったところ、会津駒ヶ岳も雪融けが進んで、夏道をかなり登る必要があるという情報が入った。一方、燧ヶ岳は、御池までの道路が開通し、駐車場から雪の上を歩いて登ることができるということで、燧ヶ岳の北斜面の滑降に変更という意見が多数になった。残雪オフミ・?岳ということで、とにかく檜枝岐に集合ということになった。
 土曜日は、只見の山に登ってから檜枝岐に集合のつもりであったので早起きしたが、会津に向かううちに本降りの雨になった。パーキングでひと眠りしてから、計画の変更にとりかかった。とにかく檜枝岐に近づいておいて、簡単な山。できたら、会津百名山の山が良いということで愛読書の南会津・鬼怒の山50をめくってみると、会津田島の近くに那須沢山という歩きの短そうな山があったので、この山に向かうことにした。登山口の赤土峠への林道の入口には、庚申塚が置かれ、古くからの道であることを示していた。狭いが良く整備された道を走って、高度を上げていくと、峠らしい稜線の最低部の少し手前の右手に広場があった。火の用心の横断幕のかかった木立をのぞくと、通る者も少ない道が始まっていた。少し先に進んでみると、右手に目印の一本杉、その反対側に三体の道祖神が奉られており、ここが昔の赤土峠であることを確かめることができた。登山口にはたどり着いたものの、雨は止まず、雨具を着ての出発になった。二本の幹が根本で合わさる一本杉の右脇から、一段高くなった林の中に這いあがった。尾根に沿って踏み跡は続き、いきなりの急登が始まった。登山道の土は柔らかく、通る者は少ないようであったが、村界線の印のためか、木に赤いマークが付けられており、歩く助けになった。傾斜が緩やかになって、左手にピークが迫る窪地に入ると、カラマツ林になって、踏み跡を注意してたどる必要が出てきた。窪地の奥から左手の稜線に向かって登ると稜線の上に出て、ここには312番の標柱が埋まっていた。踏み跡が左右に続いていたが、右手に曲がって稜線に沿った道を進んだ。この先は、ヤブっぽくなったが、細い稜線で迷う心配は無かった。雑木林の中にひときわ白い花が浮き出ており、見るとモクレンの花、花の下には葉はないことからタムシバのようであった。稜線を少し下って先に進むと、樋状の中の道になった。沢を間違ってくだるといけないと思って、踏み跡を注意しながら少し進むと、伐採時のものなのか古いワイヤーが頭上を横断しており、ここから最後の登りになった。山頂の一画に出ると、ヤブがうるさくなったが、雑木林で囲まれた小広場の中央に三角点が埋められており、かたわらの木の上に小さな山頂標識が付けられていた。晴れていても、展望は、あまり良さそうも無い山頂であった。山頂の写真をとり終えると、することも無く、タムシバの写真を撮りながら引き返すことにした。下りの足は速かったが、濡れた道は滑りやすく、車が見え始めた最後の急斜面で尻餅をついてしまった。
 雨もほとんど止んできて、時間も集合時間まで少しあるので、駒止湿原にも寄っていくことにした。駒止トンネルはなんども通っているものの、駒止湿原はまだ訪れたことが無かった。20年も昔の子供の頃に尾瀬から燧裏林道を通って七入に泊まり、バスで会津田島に出て、そこから乗り換えて鬼怒川に出たことがあったが、その時に通ったのが駒止峠の旧道であったような記憶がある。昔の記憶にある曲がりくねった道の代わりに、今では、長いトンネルで一走りのところになっている。針生から旧道に入って曲がりくねった道を登っていくと、道路脇に残雪も現れるようになった。湿原入口の駐車場に入ると、旅館の送迎バスや、数台の車がとまっていた。水を含んだガスが流れて、再び雨具を着ての出発になった。進入禁止の道路を進むと、左手に遊歩道が分かれた。遊歩道を進むと、路上を覆う残雪が現れた。湿原は雪の下かと思ったが、幸い残雪はここだけであった。水たまりもできた雨の中を、運動靴に傘の団体が戻ってきた。大谷地の入口から、木道が始まった。湿原は枯れ草で覆われ緑は少なかったが、歩いていくと、ミズバショウの小さい花が雪融け水に洗われながら頭をのぞかせていた。ミズバショウの白い花(正確には苞であるが)は、開いてから大きくなるのであろうか。ミズゴケの上に、柄の先に房状の黄色い花をつけた植物が沢山出ているのに気がついた。地味な花ではあるが、数が多かった。なんの花かしばらく考えてしまったが、ワタスゲの花であることに気がついた。いつもは、夏の湿原に風にそよぐ綿玉を見慣れていたのに、その花のことを想像したことがなかった。この湿原は、夏も花を楽しめそうなところであった。大谷地の湿原は歩いても、かなりの距離があり、尾瀬の燧裏林道沿いの上田代に似た感じを持っていた。軽装のドライブで寄ったという姿の者がほとんであったが、中には、大型三脚をかついで、写真撮影に専念している者もいた。一旦林道に出て左に少し歩いていくと、白樺田代の入口に出た。周囲を白樺が取りまいており、晴れた日なら、良い写真の構図を決められそうであった。林の中の木道を抜けると、最後の水無谷地に出た。その名前とはうらはらに、雪融け水と雨のせいで、水の流れが出来ていた。三つの湿原は思ったよりも大きく、遊歩道の終点まで、1時間もかかってしまった。道は、その先にも続いていたが、見物区間の終わりということで引き返すことにした。帰りには姿を変えた湿原の風景を楽しみながら、来た道を戻った。
 思ったよりも時間のかかった湿原歩きを終え、檜枝岐に向かうことにした。峠を下って南郷の町に入る手前に、新しい温泉施設きらら289ができていた。料金は700円と、少し高かったが、浴槽は広く、露天風呂もあって快適であった。ただ、今流行の日帰り温泉施設風なのが、ひなびた湯の愛好家の好みに反するかもしれない。
 集合時間もせまってきて、檜枝岐へいそぐことにした。アルザ尾瀬の駐車場に入ると、山本さんと池上さんが出迎えてくれた。石原さんと日笠さん、福島さんも温泉から出てきたが、残りがなかなか到着しなかった。石原さんが無線で連絡をとると、他のメンバーは、御池から広沢田代への往復をしてから燧ノ湯で入浴していたところとのことであった。残りのメンバーも集まり、スキー場のレストハウスの軒下にテントを張ろうとしたところ、日の高いこともあって人目があり、クレームがついてしまった。御池は寒そうなので、トイレが付近にあるところということで、中土合駐車場に移動することにした。駐車場の奥には、すでに一団のグループがテントを張っており、我々もテント村を設営した。石原さんがとってきた御池の残雪にビール、日本酒、ワインをつっこみ、夕飯の準備をしながら、宴会の幕を開けた。最近のオフミは、酒の量を競い合うかのように、多量のアルコールが持ち込まれるが、今回は翌日の山行をひかえているせいか、飲む量をセーブしている人が多かったようであった。いつしか、星が空に光るようになっていた。話しがはずみ、多くのつまみが回されるうちに、自分自身の酒の量を超えてしまい、真っ先にテントに入り込むことになってしまった。
 翌朝、5時起床、6時出発の予定が、やはり少し遅れ気味になってしまった。檜枝岐を出発して七入から急坂を一気に登っていったが、道路脇の雪は、思ったよりも少なかった。御池の駐車場は、大部分が除雪済みになっていたが、3分の1程は車で埋まっている盛況に驚いた。水気を含んだガスが流れ、雨具を上下身につけての出発になった。夏の登山道は、大駐車場の奥の、尾瀬の来訪者のカウンターが設置してあるゲートから燧裏林道に入り、10m程進んだところから山に向かって登り始めるというものであるが、残雪期は、駐車場のおおよそ中間の地点からブナ林に入って登り出すという近道をしていた。雪もしまって、つぼ足歩きに最適の状態であった。ヤブこぎという程ではなかったが、細い木の枝をはらう必要もあり、長いスキーを背負ったスキー組には不利な状態であった。雪の上にはトレースがはっきりしていたが、何本も入り乱れるので、とにかく、南に向かってまっすぐに登っていくことにした。緩斜面の登りを続けていくと、急斜面の登りになった。雪はキックステップが入り易い状態で、急斜面の登りも難しくはなかった。傾斜が緩やかになってオオシラビソの林に入っていくと、左手に大きな雪原となった広沢湿原が現れた。湿原を通り抜けた南端からは、ブナの木が点在する雪の斜面が始まっていた。再びキックステップを効かせながらの急登になった。二段になった急坂を登り詰めたところでひと休み。遅れた皆を待った。その周辺には、雪原に横になって息を整えている他の登山者もいた。ガスがかかって周囲の様子が良く見えなかったが、小ピークの上に到着して、少し下れば熊沢田代のはずであった。先に進むための様子見をすると、周囲には、オオシラビソが密生して行き惑うトレースがあるばかりであった。左手のヤブの薄くなったところをのぞくと、その先に雪原が広がっていた。ピークを右方向に巻きながら雪原を下っていくと、熊沢田代の東よりに出た。熊沢田代の中央部は、木道が露出して、20人程の登山者が休んでいた。振り返ると、雪が消えて現れた木道が、小ピークの西側の肩に向かって延びていた。どうやらルートが、東により過ぎたようであった。
 山スキー組も、もう少し登ってから滑降を楽しむということで、先に進むことにした。登っていくと、小さな沢状地形を3、4本横切るようになり、夏はガレ場であったと思う広い雪の斜面のトラバースも現れた。山頂までは、それほど遠くない所まで登ったが、ササヤブが現れて歩きづらくなり、下山の時間も気になり始めた。スキー組の多くは、登頂には拘らないということで、滑降を始めることになり、熊沢田代での集合を打ち合わせて、池上、石原、大山、日笠、福島、私、の6名がさらに登り続けることになった。山頂に向かって左方向へのトラバースの途中のササヤブには、夏道が二ヶ所で現れていた。最後に、傾斜もかなりある雪の大斜面を真っ直ぐに登り詰めると、山頂の肩部に到着した。この斜面は、雪の状態がキックステップに最適であったので問題はなかったが、堅く締まっていたら、ピッケルとアイゼンが必要になる難所になりそうであった。この肩部では多くの登山者が休み、空身で山頂を往復していた。登山道上には、ハイマツの枝が雪で倒れ込んで、枝を乗り越えるのが大変であった。雪の消えた岩場の上に出ると、爼ぐらの頂上に到着した。山頂を流れる風は冷たく、展望もきかなかったが、残雪を踏んで登頂できたことはうれしかった。燧ヶ岳には、これが4回目の登頂になった。季節も、残雪期、夏、秋にまたがり、それぞれの魅力を味わうことができた。最高点の柴安ぐらまで足を延ばす時間は無くなっていたが、さりげなく祠と三角点の置かれたこの爼ぐらの方が山頂らしくて好ましく、ここで満足しよう。一同で記念写真の後に、いそいで下山にうつることにした。
 ひと足お先にと、かかとでのキックを効かせながら急斜面を一気に下って、スキーの滑りはいかにと見上げた。テレマークスキーの石原さんが華麗にターンを決め、ミニスキーの大山さんも雪質があっているのか快調に滑り降りてきた。スキーのコース取りのために立ち止まる必要もあり、徒歩組もそれ程遅れることは無かった。一日の登りの辛さを取り返すかのように、スキー組は、滑降を楽しんでいた。沢をそのまま直進しないように、左にトラバースしていくよう注意しながら下り続けた。あれほど長く感じた登りも、下りはあっという間であった。熊沢田代を見下ろす雪原に出ると、スキー組が休んでいるのに追いついた。うまく合流できたことにひと安心して、ここで昼食にした。展望が開け始め、熊沢田代、その先の大杉岳から会津駒ヶ岳の稜線を眺めることができるようになった。日もさしはじめ、雪で冷やしたビールを飲み干す条件が整った。ビールを飲みながらの話題は、主にスキー談義。一人では味わうことのできない至福のひとときであった。スキーのための林間コースといってもいい斜面を下って、熊沢田代に到着。木道の上には、あいかわらず大勢の登山者が休んでいた。木道の上に立つと、平ヶ岳が大きく横たわるのを眺めることができた。今の御池の積雪は、例年の5分の1とかいう声も出ていたが、平ヶ岳も白黒まだらに見えた。木道を進んで小ピークを登り、熊沢田代を振り返った。ここは、このコース第一の眺めであるが、残念ながら、燧ヶ岳の山頂は雲で隠れたままであった。ヤブの中に置かれた木道を歩いて北向きの斜面の縁に出ると、再び急斜面の下りが始まった。スキー組も、それぞれに林間の滑走を楽しんでいるようであった。二段の斜面を下ると、広沢田代の南端の西よりに出た。この下りの途中では、木に付けられたペンキマークも見ることができたので、夏道に沿って下ってきたことは確かなようであった。登りのコースは、どうやら外れていたようであった。ガイドブックにも、広沢田代から木道は大きく右に曲がると書いてあり、どうやら直進してしまったのが、コースアウトの原因であったようである。もっとも、残雪期では、雪の付いた歩き易い所が、すなわち登山道であるのだが。広沢田代を通り抜けると、再び急斜面の下りとなった。ここらあたりになると、スキー組は、雪をたどるのに苦労しているようであった。傾斜が緩やかになり御池田代の方向に向かう夏道と別れて真北に進んでいくと、どんぴしゃり駐車場に出た。
 着替えは檜枝岐の駒の湯ということで、まずは車を走らせた。昨年改築の建物は木の香りも高かかった。温泉につかると、家まで車の運転をもうひと頑張りする元気も出てきた。貸し切り状態になった露天風呂に勢揃いして、山行を振り返った。テレマーク、山スキー、ミニスキー、ゲレンデスキー、さまざまな滑りを見せてもらい、非常に参考になった。もっとも、それぞれに特徴があって、さらに迷うことにもなったが。来年は、いずれかのスキーを始めて、さらに行動範囲を広げてみたい。

山行目次に戻る
ホームページに戻る