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野伏ヶ岳

十二ヶ岳

1998年4月3日〜4月5日 前夜発一泊二日
 野伏ヶ岳:8名グループ(北陸オフミ) 晴
 十二ヶ岳:単独行 晴


野伏ヶ岳 のぶせがだけ(1674m) 三等三角点 奥美濃(岐阜県、福井県) 5万 越前勝山 2.5万 願教寺山、二ノ峰、石徹白
ガイド:日本300名山登山ガイド西日本編(新ハイキング社)、美濃の山第2巻(ナカニシヤ出版)

十二ヶ岳 じゅうにがたけ(1326m) 三等三角点 飛騨(岐阜県) 5万 船津2.5万 町方、旗鉾
ガイド:分県登山ガイド「岐阜県の山」(山と渓谷社)

4月3日(金) 17:20 新潟発=(北陸自動車道、砺波IC、R.156、高鷲、石徹白 経由)=24:00 白山仲居神社駐車場  (車中泊)
4月4日(土) 7:25 和田山牧場林道口発―9:01 和田山牧場拓牧碑〜9:35 発―9:54 林道分岐―10:09 ダイレクト尾根取り付き〜10:14 発―11:17 ブナ大木(1400m地点)―12:05 北東尾根合流点―12:20 野伏ヶ岳山頂〜13:30 発―13:57 ブナ大木(1400m地点)―14:24 ダイレクト尾根取り付き―14:38 林道分岐―14:58 和田山牧場拓牧碑  (テント泊)
4月5日(日) 6:45 和田山牧場拓牧碑発―7:42 和田山牧場林道口=(石徹白、高鷲、R.156、荘川、R.158、高山、R.158、小野 経由)=10:40 八本原林道入口〜10:50 発―10:13 登山口―11:24 稜線分岐(折敷地分岐)―11:30 十二ヶ岳山頂〜12:04 発―12:07 稜線分岐(折敷地分岐)―12:12 登山口―12:35 八本原林道入口=(小野、R.158、平湯温泉、安房トンネル、R.158、松本IC、長野自動車道、上信越自動車道、中郷IC、R.18、上越IC、北陸自動車道 経由)=19:10 新潟着

 白山には、古くからの登拝道として、加賀、越前、美濃からの禅定道が開かれていた。この内、南の石徹白から始まる美濃禅定道は、銚子ヶ峰、一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰、別山を経て御前峰に続いており、現在もほぼ同じコースを登山道として歩くことができる。この南北に走る縦走路の一ノ峰から西に稜線が延びて、願教寺山、薙刀山、野伏ヶ岳、小白山と連なって、石徹白を馬蹄形に取りまいている。野伏ヶ岳は、日本300名山に数えられているが、これらの山には登山道が無く、一般の登山時期は山スキーあるいは残雪期の時期に限られている。
 十二ヶ岳は、飛騨の高山の西の乗鞍岳山麓に位置する山である。この山の名前は、山頂から飛騨の多くの山を見ることができるからという。山頂直下まで林道が延び、容易に登ることのできる山になっており、第一級の展望を楽しむことができる。
 昨年の五月の連休は、後半の笈ヶ岳をメインに、前半を偵察がてら、その周辺の300名山に登ることにして、野伏ヶ岳をめざした。結果は、雪融けの早さで、笹ヤブがすっかり出て、思わぬ敗退となった。牧場の草地に腰を下ろして振り返り見た野伏ヶ岳、遥か北に延びる稜線の果てにはその名前の通りに白山が雪をまとって輝いていた。敗北感で気落ちしながらも、この眺めに次第に心も和んできた。深田久弥の作品「心残りの山」にも、「一ぺんで目的を果たしてしまった山よりも、登りそびれて、振り返り振り返り他日を約しながら帰る山の方が、遥かに印象が深い。」と書かれている。野伏ヶ岳は、私にとっての「心残りの山」として、心に刻まれた。
 再び、残雪の山の季節が近づいてきた。今回は、野伏ヶ岳の登頂を確実にするために、時期を4月初旬に早め、さらに登山メーリングリストの友人、300名山巡りの友人を誘い、事前の情報も集めて、必勝を期すことにした。北陸オフミとして、合計8名の参加者が集まり、和田山牧場でのスノーキャンプと宴会も、野伏ヶ岳の登頂とならんでの楽しみになった。直前になって、少雪の情報が入ってきたものの、ぎりぎり登山は可能であろうと判断し、前日の天気予報でも、移動性高気圧にすっぽりとおおわれるという、絶好の条件が整った。  庄川沿いのR.156にも、この流域の山々の登山のおかげで、すっかりお馴染みになってしまった。新潟を早めに出発したおかげで、白山仲居神社の駐車場に24時に走り込むことができた。寝酒のビールを飲んで、久しぶりの車中泊になった。翌朝目を覚ますと、もう一台のグループが駐車場で休んでおり、立ち話をしていると、幹事の越村さんが到着した。石徹白川脇の駐車場に移動し、車を右岸の林道入口に停めて、皆の到着を待った。一台が到着し、左岸にもう一台停まっていた車と話を始めた。橋を渡って確かめにいくと、到着したのが勝野さんで、先に到着していたのが松成さんであった。朝食をとりながら待つと、残りの後藤さんと岸本さんも予定時刻前に到着した。到着時間と、車の走行時間を考えると、皆さん、早朝というよりも、夜中の出発といった方がよさそうであった。
 今回は、テント泊のために荷物も多くなってしまった。5月の連休に予定している山中泊の佐武流山の予行も兼ねていたが、25kgの重さが、肩に食い込んだ。皆も、酒やつまみで、大荷物になっていたが、元気に歩いていた。山の残雪の多さを知る上で、いつ林道上に雪が現れるかと期待して歩き出したが、土の道が長く続いた。昨年よりも雪は少なめか。それでも、高度を上げて、杉林の中の道になる頃には、残雪が続くようになった。残雪は、良くしまって、歩くのに問題はなかった。野伏ヶ岳の山頂が頭を覗かせ、山の稜線が近づいてきたところで、林道は、右にヘアピン。もうちょっと登りが続くのかなと思って少し急な斜面を登ると、目の前に広大な牧場と、山々の眺めが飛び込んできた。和田山牧場への到着は、途中で、30分毎に小休止を2回繰り返し、1時間30分の歩きで、予定通りであった。
 牧場の雪はかなり消えており、草地が出ていた。雪の上ではなく、草地にテントを張ることができるのは、キャンプにとっては望ましいことではあったのだが。重い荷物を下ろし、肝心の野伏ヶ岳の雪の付き具合を観察した。全体に、木の枝が出て、灰色にくすんで見えた。しかし、昨年のように、所々、笹の緑が顔を出しているということはなかった。なんとか登れるだろう。期待が膨らんできた。昨年と同様の青空のもとに、スイスの高原といっても良さそうな日本離れした眺めが広がっていた。この眺めを紹介したく人を誘ったので、一つの目的を果たして、ひと安心した。牧場到着の記念写真と撮り、とりあえずひとつのテントに荷物をデポした。
 山頂アタックの軽装になって、野伏ヶ岳をめざした。野伏ヶ岳からのスキーの滑降は無理になっていたが、それでも、林道上にはスキーのトレースが付いていた。薙刀山へ続く林道から分かれて、湿原を迂回する林道に入った。湿原も雪融けが進んで、大きく蛇行する流れが模様を描いていた。ダイレクト尾根を見上げながら進み、合流点の峠の少し手前で斜面を登って、尾根に上がった。潅木の枝を避けながらの歩きが始まった。コースを見定めながらのジグザグの歩きに、体力を結構消耗した。松成さんの歩きが遅くなり始め、傾斜がきつくなり始めた所で、リタイヤになった。越村さんが、使用の説明をして、引き返す松成さんにトランシーバーを渡した。傾斜が強くなった所で、笹ヤブが出始めていた。昨年敗退したのは、ここらであっただろうか。今回は、迂回したり、なんとか跨ぎ越す程度で良かったが、笹が完全に出てしまうと、足元が滑ってやっかいになるところであった。尾根の中間点のブナの大木に出て、ひと休みした。自分の体力も、少々心配になってきた。潅木帯の登りを続けていくと、雪原の下に出た。稜線を目前にして、傾斜もきつくなった。キックステップが雪面に良く入り、足元を確かめながら登る必要があったが、アイゼンの必要性は無かった。笹ヤブを避けるために雪原をトラバースしたが、足を滑らせれば、かなり下まで滑落しそうな斜面であった。稜線の上に這いあがると、そこは北東尾根の上で、山頂まで、広い雪の尾根が続いていた。念のため、下降点に赤布を雪の上に付けた。きれいなピラミッド型の山頂は、すぐそこに見えたが、歩いてみると、傾斜も結構あり、最後のひと踏ん張りが必要であった。一歩づつ足を前に出し、「心残りの山」の山頂が、徐々に近づいてくるのを待った。
 待望の山頂は、休むのに丁度良い程度に広く、展望を遮りはしない程度に狭くもあった。持ってきたスコップで、雪原に足場を堀り込んでテーブルを作った。雪の表面の30センチ程は、固くスコップを食い込ませるのも困難な程であった。席を設けて、山頂ビヤガーデンの開幕となった。缶ビールにて、乾杯。ひと息に飲めば、ウメーの他に言葉は無し。この一瞬のための、辛い登りにも耐えたというべきか。青空のもと、周囲には大展望が広がっていた。大日ヶ岳から連なる南縦走路の果てには、宗教的な畏怖心を起こさせるような真っ白な御前峰が頭を覗かせていた。西に延びる尾根上いは赤兎山から経ヶ岳。その左手には、三角形に形の整った荒島岳が以外に低く。西に遠く浮かぶ白く雪を頂いた山は、能郷白山であろうか。木曽御嶽山に遠く北アルプスの白い峰々も眺めることができた。山頂の縁に進んで、小白山への稜線を眺めると、雪庇も大きく張り出し、縦走はそうたやすくはなさそうであった。酒のつまみも用意してあったが、青空とこの展望が、なによりもビールの味を堪えられないものにしていた。一本のビールですっかり酔ってしまった。
 いつまでも腰を据えていたい山頂を後に、下山に移った。山頂直下の急斜面を慎重に下りれば、あとは、潅木の枝を避けながら下るだけであった。下りでは、ビールが足に回ったのか、他の4人から遅れてしまった。マイペースで下るうちに、尾根の終点まで歩いてしまい、林道を引き返した。登頂を果たし、次は、遅れてくる小里さんと片平さんのことが気になり始めた。遠くに見え始めてからも、テントはなかなか近づいてこなかった。眺めているうちに、他のテントも立ち始めた。テントに到着と同時に、小里さんと片平さんが到着するのに出合った。鉄道とバスを乗り継いで、よくぞ、こんな山奥まで来たものだ。
 宴会の開幕は、無事に一同集合を祝ってのビールでの乾杯となった。山頂のビールとは違って、この牧場でのビールは、安心して酔えるため、また格別の味がした。続いて、勝野さんの手腕をふるってのゼンザイパーティーになった。今回のゼンザイパーティーの発端は、関西のゼンザイ対関東のオシルコの東西食文化比較の論争であった。大変美味しかったが、やはりこれはオシルコの味であった。大盛りによそわれ、お餅が入っており、結局これが夕飯になってしまった。続いて、日本酒に移り、越村さんのギョウザも飛び出し、皆さんの料理の腕前を見せつけられた。山の話しが盛り上がり、酒宴は8時過ぎまで続いた。
 空には、満天の星が浮かび上がった。山のシルエットが低く連なり、頭を上げれば、遮る物のない天空が広がり、プラネタリウムの中にいるような眺めであった。半月は、曇り無く輝き、明日の晴を約束するかのようであった。夜中になって冷え込み、トイレに起きると、残雪はバリバリに凍っていた。
 一日遅れの小里さんと片平さんは、未明の4時30分出発ということであった。話し声で外に出ると、二人は、出発するところであり、見送った。懐中電灯が、しだいに遠ざかっていった。星明かりで、山の姿も見分けることができた。テントに潜り込んでもうひと眠りと思ったが、直に明るくなって、結局起きることになった。朝食のための湯を沸かすかたわら、テントの撤収を行った。起き出した皆と朝食をとりながら、双眼鏡で登っている途中の二人を捜した。尾根の途中で見つけることができ、登頂は7時頃になりそうであった。新潟までのドライブと、おまけの山を考えて、一同と別れることにした。下山の途中に顔をのぞかせた野伏ヶ岳に別れをつげ、次の山に心を馳せて、下りの足を早めた。
 車の脇で、ポットの湯を沸かしながら、リュックの荷物を日帰り用に整えた。R.156を戻り、蛭ヶ野高原のコンビニでお弁当の買い物。便利だけれど、これでは山での調理が上達しようもない。荘川の町から東におれて、高山に向かった。春の観光シーズンのためか、高山の町は観光客で賑わっていた。ガイドブックの説明通り、小野バス停手前の旅館九兵衛前から小八賀川を鐙橋で渡って、十二ヶ岳を示す標識に従い、広域林道に入った。立派な舗装道路で驚いたが、八本原への林道に入ると、未舗装の道になった。高度を上げていくと、十二ヶ岳の山頂も近づき、山頂にかなり近い所を横切る林道も見えるようになった。東に向かうにつれ、木立の間から真っ白に雪を抱いた乗鞍岳が姿を現した。曲がりくねって続く林道に、少々不安を覚えるころ、左手に林道が分かれ、この分岐には、十二ヶ岳登山口という標識が立っていた。路肩に置かれたブルドーザーの後ろに車を停め、歩き出す準備をした。山頂に続く稜線はすぐ上に見えたが、山腹を西に向かう林道をしばらく歩く必要があった。林道の状態もそれほど悪くなく、実際にタイヤの跡も見られたが、無理して車を乗り入れる必要も無さそうであった。足は重く、整理体操と思って我慢することにした。木々の芽は膨らみはじめ、フキノトウも顔を出して、早春の雰囲気がただよっていた。山頂の下を行きすぎた所で、登山口の標識が立ち、登山道が上に向かって始まっていた。杉の植林地の中の登りは、結構急であったが、長くは続かず、回りにブナ林が広がるようになると稜線上に出た。尾根上には、折敷地からの立派な登山道が上ってきていた。分岐の右手には、木の鳥居が立っており、この山は信仰の対象であることを知った。山頂は、その先であったが、最後に急坂のひと登りがあった。登りもこんなもんで良かったと、息も荒く山頂に到着した。  山頂には、展望台、あづまや、悪趣味な日時計が置かれ、雰囲気を損なっていたが、この山に寄り道をしたことに感謝したくなる、素晴らしい眺めが広がっていた。展望台に上って西を眺めると、高山市街の向こうに白山連峰、白い稜線の北に頭をもたげて二つ並んでいるのが、笈ヶ岳と大笠山であろうか。朝、その麓にいた野伏ヶ岳は、見分けることはできなかった。位山と舟山も近く、山頂部でも雪の消えた茶色の山腹に、ゲレンデが白く浮き出ているのが、なにか間違っているような感じであった。独立峰の御嶽山。西の北アルプスの眺めが圧巻であった。乗鞍岳は横に広がり、焼岳、穂高岳、槍ヶ岳と続き、笠ヶ岳は一際大きかった。さらに黒部五郎、薬師岳へと北アルプスの稜線が連なるのを、首を右から左に回しながら眺めることができた。十二ヶ岳とはなんだろうと思って日時計を見ると、乗鞍岳、焼岳、前穂高岳、西穂高岳、奥穂高岳、北穂高岳、槍ヶ岳、笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳、白山、御岳のプレートが付けられていた。穂高の4つのピークを数えるのは、少し無理があるようで、位山や舟山などの地元の信仰の山を入れるのが適当のような気がした。もっとも、多くの山ということで、十二と名付けられ、特にどの山という問題ではないのかもしれない。西に小高いピークがあったので、そこへ行ってみることにした。緩く下ると、鞍部付近には、十二ヶ岳自然林公園と看板の立てられた、こじんまりした美しいブナ林が広がっていた。ピークの上に出ると、遮るもののない、乗鞍岳の展望が広がった。乗鞍岳は、単純な独立峰と思いこんでいたが、いくつものピークを連ねた山容を眺めていると、畳平から剣ヶ峰の往復でこの山を登ったというのは、手抜きかなと思うようになった。山頂に戻って三角点を捜すと、あずまやの脇の焚き火の下になっていた。三角点の角も欠けて、粗末にされていた。あずまやの中には、扉の閉められた神棚のようなものがあり、これが笹山神社のようであった。風景を眺めていると、夫婦連れが登ってきて、立ち話をした。地元の人であったが、このような展望は珍しいとのことであった。良い時に登ったことに感謝した。帰りの林道では、正面に乗鞍岳がそびえているのを眺めながらの歩きになった。行きの林道で、このような眺めが得られていたなら、さらに期待は膨らんだろうに。
 車に戻り、安房トンネルに向かった。トンネルに入る前に、平湯温泉に寄っていくことにした。安房トンネルの開通によって、上高地への入口として、この夏からは脚光をあびるとのことで、偵察も兼ねてのぞいてみたかった。バスターミナルには、上高地行きという看板が付けられ、脇では、なにかのセンターか建築中であった。バスターミナル前にも駐車場はあったが、ここはそれほど広くなく、案内マップを見ると、安房峠への道に入ったところに830台の大駐車場があるようであった。夏には、そこに車を置いて、バスに乗り換えることになるのか。平湯民族館内の露天風呂(500円)で、二日間の汗を流した。露天風呂からは、藁葺きの民家が見え、農家の庭先で風呂に入っているような、ちょっと不思議な感じがした。源泉の神の湯まで足をのばした方が良かったかもしれない。安房トンネルは、平成9年12月6日に開通した北アルプスを横断する道路で、これまでの15.6kmが5.6kmとなり、通年通行が可能になった。料金は、普通車で750円。高いのか安いのか判らないが、実際に走ってみると、あっという間に通り過ぎてしまう、ただのトンネルであった。とにかく、今年の夏からは、上高地への人の流れが変わりそうであった。トンネルを抜けた所が、上高地への道路の分かれる中ノ湯で、何人もの登山者がバス停で待っていた。路肩のブロックで仕切られたチェーン着脱スペースにも車が停まっており、この週末には上高地に多くの登山者が入っているようであった。松本までは、車の運転に気をつかう狭い道が続いた。松本から高速に乗り、さらに山岳展望を楽しみながら、新潟までのドライブを続けた。

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