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蒲萄山

1998年3月28日 日帰り 単独行 晴

蒲萄山 ぶどうやま(795.4m) 三等三角点 蒲萄山塊(新潟県) 5万 勝木 2.5万 蒲萄
ガイド:片雲往来PartIII―阿賀北の山々―p.29〜38、峡彩ランタン会LATERNE5号、p.417〜418

3月28日(土) 6:35 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、神林、R.7 経由)=8:05 蒲萄スキー場〜8:40 発―9:10 第一リフト終点〜9:15 発―9:53 第二リスト終点上のピーク〜10:05 発―10:25 蒲萄山〜10:43 発―11:03 第二リスト終点上のピーク〜11:06 発―11:22 第一リフト終点―11:36 蒲萄スキー場=(朝日まほろば温泉入浴後往路を戻る)=14:30 新潟着

 新潟県の北部の山形県境近くに、日本海に沿って南北に連なる丘陵性の山地があり、これを蒲萄山塊という。蒲萄山塊の最高峰は、一等三角点の置かれている新保岳(852.2m)であるが、一帯の地形図名は集落名から蒲萄、山塊の名前も蒲萄山塊となっており、蒲萄山に関心を持たずにはいられない。
 蒲萄山塊では、新保岳、虚空蔵山、鷹取山に登ってきたが、肝心の蒲萄山に登っていないのが気になっていた。新潟でも春の陽気になり、蒲萄スキー場も閉鎖になったが、しかし残雪はまだたっぷりあるだろうと予想して出かけることにした。鶴岡方面に出かける時に、蒲萄の集落は何回も通過していたが、これまでスキー場については、注意して見たことが無かった。R.7の蒲萄トンネルを通り抜けると、スキー場用の駐車場があった。広い駐車場の中で、ゲレンデを捜すと、リフト乗り場は少し先のようであった。国道脇に、奥に簡易郵便局がある小さな駐車場があって、ここからゲレンデが山に向かって延びていた。ゲレンデには、雪融けも進んで、地肌が見えていた。
 右手に第一リフトを見ながら、ゲレンデの中を登り始めた。スキーゲレンデは、スキーで滑ってみるとそれ程とは思わなくても、歩いて登るとなると、急斜面で辛い登りになってしまう。スキーは、位置エネルギーを金で買い、登山は、汗で賄う。露出した草地は滑りやすく、残雪を拾いながらの登りになった。第一リフト終点に到着して見上げると、さらに第二リフトが長く続いていた。第二リフトから上は、きれいな雪原が広がっており、春スキーが充分に楽しめそうであった。リフトのケーブルから、チェアーは既に外されており、スキー場が閉鎖になってから、すでに日数が経っているようであった。一歩づつ登山靴を雪面に蹴り入れながら、稜線まで続く白い帯をたどっていくと、雪渓を登っているような気分になった。雪融けの進んだ崖下には、フキノトウも顔をのぞかせていた。ようやく第二リフト終点に到着すると、左手に小高いピークがあり、そこまで登ってから休憩することにした。ゲレンデ歩きでは、足首くらいまで潜る程度であったのが、急に雪に足が沈むようになった。
 ピークの上に立つと、周囲の展望が広がるようになった。目指す蒲萄山はと眺めると、驚いたことにパラポラアンテナの中継塔が立てられていた。地図を出して地形を確認するも、そのピークに間違いは無さそうであった。蒲萄山に向かって、狭い尾根の雪の回廊が延びていた。雪の上には、古いワカンの跡も残されていた。ここからは、ワカンを着けて登ることにした。周囲にはナラの混じる雑木林が広がり、左手には新保岳に至る主稜線を眺めることができた。登り着いたのは、山頂左手の肩部であった。斜面の向こう側に、カーブミラーらしきものが見え、疑問マークが頭に浮かんだ。ワカンの跡は、山頂下を右手に巻いて登っていき、それをたどっていくと、中継基地の前に出た。山頂は、左手のすぐ上であったが、まずは、この謎の施設を眺めることにした。施設は金網で囲われていたが、雪がその高さまで覆っていて、囲いの役目は果たしていなかった。施設名を捜して回り込んでいったが、結局名前は書かれていなかった。驚いたことに、道路が上がってきていた。さっき見た物体は、やはりカーブミラーであった。西の斜面を見ると、うねうねと蛇行しながら林道が続いていた。地図にある西北の林道が山頂まで延びてきていた。林道は、さらに南にも続いているようであった。
 雪原をひと登りして山頂に立った。地図を確認して、周囲にここより高いピークは無いことを確認した。背後に高く中継塔がそびえているのが目障りであったが。米ヶ山から新保岳に至る稜線が長く続いていた。いつか縦走をしたいと思ったが、今日のところは諦めるしかなかった。東には天蓋山から鰈山の連なりが、ぼんやりと見え、西の日本海も霞に溶け込んでいた。
 下りに尾根を良く見ると、どうも刈り払いがしてあるようで、スキー場経由のルートは、林道が通れない冬季の保守道として使われているようであった。ゲレンデの斜面を下りながら、スキーがあったらと思わずにはいられなかったが、雪道の下りを歩くのも楽しく、あっさりと車に戻ることができた。
 蒲萄山の山頂にあのような施設があるとは、他の人の山行記録にも無かったはずだと思って、家に帰ってから調べると、峡彩ランタン会LATERNE5号、p.417〜418の若松進氏による「蒲萄山〜新保岳へ(平成八年三月二十四日)」に、「しかし山頂直下にコンクリートの山小屋が建設中で」とあった。中継塔が立ったのは、ごく最近のことであるようである。

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