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要害山、朴坂山

1998年3月21日 日帰り 単独行 曇り

要害山(加護山) ようがいさん(281m) 主三角点
館岩 (287m)
三ノ輪山 (303.0m) 四等三角点
タカツボ (407m)
朴坂山 ほいざかやま(438.2m) 一等三角点本点  朴坂山塊(新潟県)5万 中条、小国  2.5万 坂町、越後下関
ガイド:要害山 新潟県ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)
要害山から朴坂山への縦走路については無し

3月21日(土) 6:45 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、十文字、R.7、平林 経由)=8:00 かご山神社=8:05 平林城跡駐車場〜8:30 発―8:48 長辺田(ちょうべた)の馬洗場―9:00 御不動滝分岐―9:05 首切清水―9:15 のろし山〜9:20 発―9:26 首切清水―9:34 七曲坂登口―9:37 物見山分岐〜9:42 発―9:43 分岐―9:50 要害山望楼跡〜10:00 発―10:03 館岩―10:09 種松(開墾登山口分岐)―10:22 三ノ輪山―10:36 滝谷川鞍部―10:50 大欅―11:02 西山切通し―11:09 タカツボ―11:28 朴坂分岐―11:43 朴坂山〜11:55 発―12:00 展望台〜12:05 発―12:17 朴坂分岐―12:35 タカツボ〜12:40 発―12:45 西山切通し―12:58 大欅―13:12 滝谷川鞍部〜13:17 発―13:35 種松(開墾登山口分岐)―13:45 馬洗場―13:51 開墾登山口―14:42 平林城跡駐車場=(往路を戻る)=16:45 新潟着

 荒川の畔の神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在でも土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。
 この要害山から朴坂山まで、1996年神林村川部の山の会の手によって登山道が整備された。日本海の海岸平野部と荒川と女川の間に挟まれた一帯には、標高200〜400m程度の山塊が広がり、その中では、一等三角点の置かれた朴坂山が有名で、朴坂から桂の集落へ周遊するコースが歩かれている。また、要害山と赤坂川をへだてて向かい合う嶽薬師には、薬師堂の奥の院が置かれて、信仰の山となっている。
 1997年6月3日の新潟日報に、「仲良し登山実現 朴坂山はさむ関川、神林両部落 自力でルート開削」という題の記事が掲載され、要害山から朴坂山への縦走路が開削されたことを知った。地形図には、要害山までの波線は記入されているが、この縦走路のコースについては、新聞記事は触れていなかった。
 お彼岸で土日の連休になったが、夕方から、恩師の古希の祝いがあって、岩室温泉に出かける用があった。朝の天気も道路が濡れた状態で、偵察半分のつもりで要害山に出かけることにした。平林の集落で、地図とにらめっこをして、登山口のはずの神社記号のあるかご山神社にようやく到着した。神社の回りに植えられた杉林の向こうは田圃で、登山道らしきものは無かった。神社の回りの掃除に来た地元のおばあさんに尋ねると、ここからの道は無くなって、一本北側の道から山に向かって、前方の山際に見える白い標柱の所が登山口であると教えてくれた。朴坂山への縦走路のことを尋ねてみたが、これについては知らなかった。要害山を越して川部へ下りる途中に、雪割草が咲くので、もう少したったら行ってみようと話してくれた。未舗装の道を進んでいくと、車三台ほどの駐車場に出て、平林城跡の案内板が立っていた。登山口の脇には登山届けのポストもあったが、用紙は昨年末で終わっていた。
 ぬかるんだ杉林の中の道を歩いていくと、三ノ丸や本丸跡の看板が現れ、土塁を眺めながらの史跡巡りモードになった。要害山登山口の看板から、緩やかな登りが始まった。直に長辺田(ちょうべた)の馬洗場に到着したが、小さな水たまりで、夏には枯れそうであった。登山口にも倒木について注意を促す看板があったが、あたり一帯の赤松に立ち枯れが広がっていた。一旦傾斜が緩んで、山に囲まれた盆地状の地形に入っていくと、首切清水に出た。脇の説明を読むと、この清水で処刑後の首を洗い、周囲に鬱蒼とした木立が広がって近寄る者はまれであったと書いてあった。水は勢い良く湧き出ていたが、ちょっと飲む気がおきなくなった。清水の所からのろし山への道が分かれていた。残雪の残る沢を渡って、ひと登りすると、のろし山の頂上に出た。ベンチも置かれ、周囲の展望が広がっていた。荒川の河口と、日本海。打ち寄せる浪が白く見えた。残雪をまとった高坪山が大きく見え、背後には要害山が一段高く、その脇には、嶽薬師が鋭い三角形の山頂をのぞかせていた。首切清水に戻って、先に進むと、雑木林の中に残雪の残る七曲坂に出た。坂を登り詰めた所で、右に分かれる道に入ると、物見山に出た。のろし山が下になり、ここも、同様に、絶好の展望台であった。分岐に戻ってひと登りすると、何段か土塁の重なった要害山の頂上に出た。山頂は、広場になって、一隅には、プレハブの休憩所も立っていた。要害山は三角点ピークでは無いはずであったが、標石が埋まっているのを見つけて良く見ると、主三角点であった。
 嶽薬師が谷を挟んで正面に向かい合い、その左手の奥が朴坂山のようであった。けっこう距離があった。一旦下ってから、再び登りになると、登山道の脇に岩が横たわる館岩に出た。どうやら、ここが最高点のようであった。雑木林の中の道を下っていくと、種松に出て、ここからは、開墾登山口への道が下っていた。周囲には、雪割草の花が数輪咲いていたが、盛りはまだだいぶ先のようであった。丸太の階段登りが始まったが、木は腐って階段がくずれ始めていた。急坂を登りつめると、雑木林で囲まれた 三ノ輪山に出た。ここから先は、所々、登山道が残雪に覆われるようになった。 三ノ輪山から、残雪の斜面を一旦大きく下ると、鞍部には、滝谷川鞍部という看板がたっていた。再び稜線への登り返しが待っていた。谷が入り込んで、大きく弧状を描く稜線や、残雪をまとったピークを眺めると、これが500mにも達しない低山であることを忘れた。標識のある大欅や西山切通しを通過し、急斜面を登りつめるとタカツボの山頂にようやく到着した。 朴坂山は、ようやく次のピークになったが、まだ先はありそうであった。残雪の稜線は、ワカンを付けるほどではなかったが、時折踏み抜くと、膝まで雪にもぐった。残雪の上には、先導するかのように、カモシカの足跡が付いていた。朴坂への分岐を過ぎると、ワカンの跡が見られるようになり、木にも赤布が残され、冬季にも登山者が入っている痕跡が残されていた。稜線上の道から分かれて、雑木林から斜面の縁に出ると、露岩の脇に一等三角点が頭をのぞかせていた。前回よりも、周囲の木が刈られて、すっきりした眺めになっているように感じられた。女川の流れと光兎山を正面に眺めながらひと休みした。展望台に回ると、嶽薬師が目の前で、山頂のお堂も見えた。しかし、朴坂山の西面は崖状で、嶽薬師へ続く稜線へ取り付くために鞍部に下降するには、大きく迂回して赤坂川の源頭部を横断するしかないようであった。
 もう一台車があって登山口にセットしてあれば、後は山を下れば良いが、今回は再び来た道を戻るしかなかった。帰宅の時間が気になり始め、足を早めることにした。タカツボと三ノ輪山への登り返しに汗を流し、種松に戻ってひといきついた。このまま来た道を戻った方が近いが、川部に下ってみることにした。良い道が続いたが、登山道に湧き水が流れこみ、所々ぬかるんでいた。気持ちの良い雑木林の中を下っていくと、馬洗場と書かれた沼があり、その先で車道に飛び出した。農場の脇を下っていくと、川部児童公園があり、その先で川部の集落に出た。疲れた足には、要害山を迂回して、平林城跡に戻る車道歩きは長く感じられた。
 要害山のみならファミリーハイキング、要害山から朴坂山の縦走路なら、整備された道で、充実した山歩きを楽しめるコースであった。標高が低いことから、木の葉が落ちて、雪のかぶった周囲の山を眺めることのできる、早春や晩秋がお勧めの季節であろう。


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