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二ツ箭山、屹兎屋山

1998年3月7日 日帰り 単独行 雨のち小雪

二ツ箭山 ふたつやさん(709m) 四等三角点 阿武隈山地(福島県) 5万 平、川前 2.5万 水石山、川前
ガイド:分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、東北百名山(山と渓谷社)、ふくしまの山best50(歴史春秋社)

屹兎屋山 きっとやさん(875.1m)  一等三角点補点 阿武隈山地(福島県) 5万 川前 2.5万 上浅見川、川前
ガイド:一等三角点の名山100(新ハイキング社)、新ハイキング96年1月号p.47

3月7日(土) 4:30 新潟発=(磐越自動車道、いわき三和IC、小川、R.399、根本 経由)=8:00 二ツ箭山口駐車場〜8:12 発―8:20 修行堂―8:25 御神体滝―8:48 月山新道分岐―9:03 中間点―9:23 月山〜9:27 発―9:37 三叉路―9:42  二ツ箭山山頂〜9:45 発―9:47 三叉路―10:08 グミ平橋分岐―10:12 女体山―10:37 男体山基部―10:36 岩場コースと一般コースの分岐―10:57 月山新道分岐―11:28 御神体滝―11:34 修行堂―11:43 二ツ箭山口駐車場=(R.399、峠、浅見新道 経由)=12:20 専用道入口―12:36 屹兎屋山〜12:40 発―12:54 専用道入口=(R.399、小川、小野、小野IC、磐越自動車道 経由)=17:30 新潟着

 二ツ箭山は、山頂から西に延びる尾根上に、鋭く天を突く男体山と女体山の二つの岩峰を持ち、その名前はこれを矢にたとえたことに由来する。いわき周辺からは、この岩峰は良く見分けることができ、漁民の海上における航海指標の山としても使われていたという。なだらかな山の続く阿武隈山地において、特異的な山容を持つ山として、ガイドブックなどでも取り上げられることの多い山である。
 屹兎屋山は、いわき市の北部に、二ツ箭山、猫鳴山とともに連なる山のひとつである。屹とは、「直立しているさま、けわしい」といった意味を持っているが、遠くからみると平凡ななだらかな形をしている。この山を登山者が訪れるのは、一等三角点が置かれているからで、山頂には車道が通じ、放送用アンテナも立ち並んで、登山の対象からはずれている。
 この週末の新潟の天気は、崩れるようであった。ここのところ雪上歩きが続いたので、雪の無い山を歩きたくなった。昨年秋に高速道路が全通して行きやすくなった阿武隈山地の山の二ツ箭山と屹兎屋山をめざすことにした。小雨の新潟を出発し、会津盆地に入ると雪になった。磐梯山SAを過ぎる頃から路面上を雪が覆うようになった。雪は10センチ程もつもっていたが、早朝で除雪車の出動も遅れているようであった。対向車線の下り線には、路肩に停めてチェーンを付けるスキーを載せた車の列が続いた。毎度お馴染みの風景が繰り返されていた。雪国に来るならばスタッドレスタイヤくらい履いて来るもんだ。東北自動車道を過ぎても小雨が続いて、天気が心配になった。いわき三和ICから下りて小川に向かったが、谷間の細い道で、対向車に注意しなければならなった。R.399に入ってひと登りすると、二ツ箭山の入口に出た。根本の集落の奥に空き地があり、かたわらにはくずかごが置かれており、ここがどうやら登山者用の駐車場のようであった。空き地の前の杉林の中には、大きな石の前に木の祠が置かれ、他にも小さなお堂があって、里宮のようであった。歩き出す用意をしている間にも、雨がぱらついてきた。太平洋岸までやってきたが、雨雲からは完全には逃げ切れなかったようであった。
 林道を歩き出すと、正面に二ツ箭山の二つの岩峰が顔をのぞかせた。林道の周辺は、伐採の最中で、山肌が無惨に露出していた。車の通過もなんとか可能な林道を上がっていくと、修行堂に出て、ここから登山道になった。このブレハブの民家といった造りの建物には、出羽三山神社奉斎教団修行堂という看板がかかっていたが、有刺鉄線で囲まれているのがあやしげであった。杉の植林地を登っていくと御滝沢が近づいてきて、御神体の滝に出た。注連縄が張られ、大きな杉の木もかたわらに立ち、小さな祠も置かれて、神域という雰囲気になっていた。登山道は、滝の左手を鎖で登るようになっていた。岩の表面は濡れており、さらに濡れ落ち葉がつもっており、滑らないように注意が必要であった。数段に重なった滝の上部に出ると、左岸に渡って杉林の中の道になって、ひと息いれながらの歩きになった。再び右岸に渡ると、沢をからみながらの歩きになった。ナメ滝も現れ、ちょっとした沢登り気分の道になった。足を濡らすことはないが、苔むした岩に足元を注意しながら登っていくと、四方にコースの分かれる分岐に出た。直進の沢コース、左手は下山コースの予定の男体山への尾根コース、右手には月山新道とあった。分県登山ガイドには、もう少し沢沿いに登ってから稜線に取り付くように書いてあるが、この月山新道を登ることにした。
 月山新道は、木の根を足がかりにする急な登りで始まった。傾斜が緩やかになって稜線上に出ると、中間点という看板があり、右手からも登山道が尾根沿いに登ってきていた。登山道の周囲はナラやブナの雑木林になっていたが、アセビの木も所々混じり、植生にも南の気配が入りこんでいた。谷向こうの尾根に女体山と男体山を眺めながらの馬蹄形の縦走が続いた。月山手前には、木の枝をたよりに登るような岩場が現れ、決してあなどれない山ではないことがわかった。雨は雪に変わって、時おり激しく吹き付けてきた。月山の頂上は、御滝沢に向かって落ち込む岩場になっており、二ツ箭山の山頂から、肩にそびえる二つの岩峰の良い展望台になった。
 この先から登山道上にも残雪が見られるようになった。笹原の中の三叉路に出て、右手の高みに向かって、はっきりした道をひと登りすると、小さな四等三角点の置かれた二ツ箭山の山頂に出た。周囲は木で囲まれ、展望はなかった。その先も登山道は続き、猫鳴山への縦走路と書いてあったが、木立の間からうかがうと猫鳴山らしき山まではかなり遠そうであった。三叉路に戻って、尾根を下っていくと、岩場が現れるようになった。稜線通しに進むと、岩の上で立ち往生になることがあったが、良く見ると、卷き道が下を通っていた。潅木帯の中の急斜面の鎖場も現れ、気を抜くことの下りになった。グミ平橋への道を右に分けると、女体山の登りになった。鎖を頼りに、岩場を注意深く登ると、女体山の上に出た。背後には、二ツ箭山の頂上と名前の知らないいくつかの岩峰、正面には、男体山の岩峰が向かいあい、その向こうには阿武隈山地の山々が雪雲の中におぼろげに浮かんでいた。岩の上は、安全に休むのに充分な広さもあり、晴れた日なら、気持ちよくお弁当を広げられそうであった。雪の積もった斜面を木の枝を支えに下ると、男体山の基部に出た。左手の斜面に鎖場が下っていたが、男体山の鎖場に取り付いてみた。垂直の岩場の溝状の中に鎖が取り付けてあった。鎖に取り付いたものの、足場は少なく、小雪がちらつく中では、手や足を滑らす危険性がありそうであった。岩峰を越してからの下りも心配になり、迷いが出たことで、男体山に登るのは諦めることにした。基部に戻って、ガイドには書かれていないが、良く使われているらしい鎖場を下ることにした。長い鎖場を注意しながら下っていくと、下から単独行が登ってきた。地元の人で、話しを聞いてみると、男体山のピークは、急なため通る者は少なく、この卷き道を通る者が多いとのことであった。鎖場の下から、トラバース気味に進んでいくと、尾根の上に戻り、ここには岩場コースと一般コースという標識が立っていた。尾根沿いに下っていくと、何組かの登山者にもすれ違うようになり、地元の人気のある山であるようであった。尾根から分かれて下っていくと、御滝沢の月山新道との分岐に戻った。足元に注意しながら沢を下り、小雪のちらつくなか、車に戻った。
 続いて屹兎屋山に向かった。R.399を登っていくと、車道の上にも雪が現れるようになった。峠状の最高地点で、左に十文字、右に幸之助へ向かう浅見新道の合わさる変形十字路に出た。未舗装の浅見新道に車を乗り入れると、轍が大きくえぐれ、雪で車の腹をこする悪路になった。我慢の運転を続けると、頂上にアンテナの立ち並ぶピークが近づいてきた。左手に林道が大きくカーブする地点から車道が山に向かって分かれたが、この道には、入ってすぐの所で鎖がかかっていた。林道手前の広場に車をとめて歩き出した。雪の残る車道には車の轍が残り、アンテナの保守点検のために車が登ってきているようであった。急なヘアピンカーブを折り返すと、山頂直下の広場に出た。最高点へ道が続いていたので、登っていくと、送信施設の裏手の狭い山頂に、一等三角点が置かれていた。先ほど小さな四等三角点を見てきたせいもあるのか、一等三角点の標石は大きく見えた。標石の頭は赤く塗られ、屹兎屋と赤ペンキで書かれているのは興醒めであった。南と東にも踏み跡は続いていた。屹兎屋山は、山頂をめざすだけなら、登山としては成立しないような山になっていた。
 新潟へ戻るのに、偵察も兼ねて、瀬戸峨廊の入口を通り過ぎてから小野に出て、そこから高速に乗った。磐梯SA付近は地吹雪状態になっていた。ここは、風の通り道で、特に荒れ模様になりやすいのだろうか。新潟に戻ると、時折吹雪がみまう冬に逆戻りしたような天候になっており、はるばる太平洋岸まで山歩きに出かけたのも、悪い選択ではなかったようであった。

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