9806

白山

1998年2月8日 日帰り 峡彩ランタン会会山行 晴のち吹雪

白山 はくさん(1012m) 二等三角点 白山山塊(新潟) 5万 加茂 2.5万 越後白山
ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、新潟ファミリー登山(新潟日報社)、新潟の山旅(新潟日報社)、新潟50山(新潟日報社)、越後の山旅上巻(富士波出版社)

2月8日(日) 6:10 新潟発=(R.49、R.403、新津、矢代田、金津、丸田 経由)=7:05 慈光寺駐車場〜7:25 発―7:48 尾根線登山口(一合目)―8:04 二合目―8:26 三合目〜8:35 発―8:45 四合目―8:53 五合目〜9:07 発―9:17 六合目―9:37 七合目―10:34 白山山頂〜13:25 発―14:00 天狗の腰掛け〜14:04 発―14:35 雨量測量塔―15:35 送電線鉄塔No.106―15:38 二合目分岐―15:52 慈光寺―16:05 慈光寺駐車場=(上大谷、R.290、加茂水源地浄水場、R.290、加茂、R.403、新津、R.403、R.49 経由)=18:00 新潟着

 新潟平野の東に位置する白山は、山中に祭られている白山明神祠がその名の由来という。古くから信仰の山とされ、山頂にある鯖池には海の鯖が住むという雨乞いの池の伝説や、昔この山に大蛇が住み、高僧の祈とうで山を下り、新潟市の白山神社に祭られたとという伝説も残されている。麓にある慈光寺は、室町時代から続く曹洞宗の名刹である。この山は、新潟周辺で人気の山になっており、毎年四月の第一日曜日に山開きが行われ、また山頂には避難小屋も設けられ、冬山の入山者も多い。
 峡彩ランタン会の宝蔵山―白山縦走の会山行に、日帰り参加した。土曜日に職場の不幸により自宅待機となって参加が危ぶまれたが、日曜日の白山日帰り山行には参加できることになった。白山には、これが四回目で、昨年は残雪期と晩秋の二回登って、新潟周辺では角田山に次いで、登った回数の多い山となっている。
 姥ヶ山IC近くのエデンに集合し、 慈光寺に向かった。雨が一瞬ぱらついたが、新津丘陵を越して村松に近づくと、菅名山塊から白山にかけての山の連なりが姿を現し、上々の登山日よりになった。慈光寺が近づくに連れて、道路の脇には高い雪の壁が連なるようになった。慈光寺の駐車場は除雪され、登山者のものと思われる車もとまっていた。ワカンをリュックにくくりつけて出発した。車道上の雪は、わだちに沿って消えており、美しく雪化粧した杉並木を眺めながらの足慣らしの歩きとなった。慈光寺の境内から先、雪の上の踏み跡をたどる歩きになった。沢沿いの道を登っていき、一合目の尾根線登山口に着いたところで、早くも汗が吹き出てきて、薄着になった。ここから尾根の上に出るまでは急登が続き、雪の上の踏み跡をたどっての登りは、無雪期と比べて、一層苦しいものがあった。登るに連れて、鉄塔が次第に近づいて来て、次に杉林を目標に登っていくと、ようやく尾根上の三合目に到着した。雪原の向こうには真っ白な白山が高くそびえているのが見えた。トレースから外れると、腰くらいまで雪にもぐったが、踏み固められたトレースが先に延びていた。サングラスのいる快晴の空が広がった。
 しばらくは緩い尾根道が続いたが、再び急な登りが始まった。苦しい登りを続けていくと、青空のもとに、しだいに展望が広がっていった。山頂手前の急斜面では、尾根に沿って雪庇が張り出し、トレースは右手の林の中に逃げていた。傾斜が緩んで、山頂の避難小屋が目に入るのと同時に、宝蔵山からの縦走路を眺めることができるようになった。目をこらすと、一条のトレースとごまつぶのように動く者が見えた。縦走隊も、天候に恵まれて、順調に山頂に向かっているようであった。縦走路の奥にそびえる粟ヶ岳は、1000mそこそこの標高とは思えぬ、鋭く厳しい姿を見せていた。菅名山塊は目の前に広がり、遠くには粟島が浮かんでいた。海岸線近くに白く見える山は蒲萄山塊であろうか。眺めにみとれ、写真撮影でしばらく足をとめてしまったが、山頂まではそれ程遠くはなかった。登頂をすませて下山する登山者にも出合うようになった。山頂はすっかり雪におおわれ、山頂の人の背丈程はある看板や鯖池も完全にうもれていた。
 会の大人数が休むということで、一般登山者のいる避難小屋には入らず、雪原に天蓋を張ることになった。雪を踏み固め、天蓋を張り、内部に足置きを彫り込んで腰掛けを作る作業に少々時間がかかったが、完成と同時に、縦走隊も到着した。総勢20名による大宴会になった。沢山のつまみや具たっぷりのラーメン、アルコールも出て宴は盛り上がったが、風が天蓋の裾を揺らすようになった。外に出てみると、雪雲が縦走路を乗り越えて、視界が閉ざされようとしていた。突風が吹いてきて、下山の準備に取りかかることになった。撤収にはそれ程時間はかからなかったが、その間にも天候は急転し、猛烈な吹雪が始まった。
 先ほどの晴天時と違って緊張感が高まった。当初の予定通りに田村線を下山することになり、ワカンを付けて出発準備をした。20名が一列になって、トレースの無い田村線に突入した。山頂直下の急斜面は、雪とともに滑り落ちるような下りになった。縦走隊が前に出ていてラッセルの心配は無かったが、列の半ばにいると、急斜面では雪が削れて壁になってしまい、遅れないようについていくのも楽ではなかった。山頂からの急斜面を下った後は、右手の尾根に乗り移るが、吹雪の中だと、迷い易そうな所であった。天狗の腰掛けに出て、まずはひと安心。雪に埋もれているせいか、低く見えた。吹雪で視界があまり効かないため、熟練者揃いであっても、時折コースを見定める必要があった。次の目標地の雨量測量塔にも無事到着。下るに連れて、雪もしめってきて、ワカンを付けた足が重くなってきた。慈光寺への尾根に乗ったところで、田村線を登ってきた二名のお出迎えと出会い、一緒に下ることになった。天狗祀殿に降り立って、登山の無事に感謝して手を合わせた。山の麓ではみぞれになっており、車に戻るまで、すっかり濡れてしまった。縦走隊の車の回収のために、加茂水源地の浄水場に移動し、そこで解散になった。

山行目次に戻る
ホームページに戻る