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六ツ石山

1998年1月31日 前夜発日帰り 8名グループ 快晴

六ツ石山 むついしやま(1478.8m) 三等三角点 奥多摩(東京都) 5万 五日市 2.5万 奥多摩湖
ガイド:分県登山ガイド「東京都の山」(山と渓谷社)、アルペンガイド「奥多摩・奥秩父・大菩薩」(山と渓谷社)、山と高原地図「奥多摩」(昭文社)

1月30日(金) 23:27 新潟発(上越線 ムーンライト越後)
1月31日(土) 5:10 新宿着〜5:18 発=6:06 八王子着〜7:00 発=8:20 奥多摩駅=8:40 水根〜8:55 発―9:22 神社―11:02 トオノクボ―11:53 六ツ石山〜13:55 発―14:43 三ノ木土分岐―15:50 林道―16:20 三河屋〜16:45 発―16:50 奥多摩駅〜17:13 発=(青梅線)=18:20 立川〜18:31 発(中央線)=19:15 東京駅〜19:36 発=(上越新幹線)=21:50 新潟着

 六ツ石山は、東京都、埼玉県、山梨県の県境にあたる雲取山から東に延びる石尾根の東端の山である。石尾根縦走時に歩かれることが多いが、奥多摩湖畔から山頂を経て奥多摩駅に至る周遊コースも、日帰りコースとして親しまれている。
 新潟にも本格的な冬が訪れて、単独行で登ることのできるのは、ごく限られた山になってしまった。週末の山をガイドブックを見ながら考えていたところ、登山メーリングリストの友人の、雲取山への縦走を控えて、奥多摩の六ツ石山に登ってみたいという希望が入ってきた。山行の案内を出したところ、6名の参加者が集まった。最終的には、山頂合流組も含めて8名の大勢力になったのだが。
 金曜の夜、久しぶりの夜行列車に乗った。幸い、天候も穏やかで、列車は無事に定刻に新宿に到着した。午前5時の新宿は、あいかわらず朝帰りの酔っぱらいで大混雑。八王子で待ち合わせをして車に拾ってもらい、5名で奥多摩へ向かった。奥多摩駅で、さらに1名をピックアップした。出発点の水根入口の国道脇の駐車場は、雪で覆われていた。見上げる山の斜面も、残雪が多そうであった。出発の用意をしていると、バスが到着し、数名の登山客が下りてきた。
 初対面の者もおり、雑談をしながら、急な車道を登り始めた。生活していくのも大変だろうなとつい思ってしまような山の斜面の高い所に人家が並んでいた。途中で、「林道水根沢線」や「奥多摩むかしみち」が分かれるが、車道をそのまま登っていくと、人家の軒先に行き着き、そこから登山道が始まった。杉林の中を登っていくと、残雪上の道になった。やじゃり、今年は雪が多いようである。ひと登りしたところで、鳥居の立てられた神社の前に出て、最初の休憩になった。登山道は、完全に雪で覆われた状態であったが、トレースは明瞭で、迷う心配は無かった。気温は高く、上着を脱いで薄着になった。その先は、杉林の中の急な登りが続いた。展望もあまり開けなかったが、時折振り返ると、三頭山から御前山が姿を見せ、次第に標高が上がっていくのが判った。いつしか雑木林が周囲に広がり、右手から尾根が合わさってきた。右方向へのトラバース気味の道になると、笹原を越して、トオノクボに飛び出した。
 尾根上には、白い帯の防火帯が、上から下に向かって延びており、スキー場の林間コースのようであった。踏み跡の上の雪は締まって歩くのに支障はなかったが、足を踏み外すと膝までもぐり、体力を消耗した。急な登りはさらに続いたが、開放感のある展望が広がっていた。快晴の青空に、純白の雪。太陽がまぶしく、サングラスが必要になった。重くなった足を前に出し続け、ようやくたどり着いたピークは、偽ピークであった。六ツ石山は、わずかに下って、もうひと登りした所であった。ひきつる腿の筋肉をなだめながら到着した六ツ石山の山頂は、雪原の広場になっていた。
 雪の上に座り込んで、昼食になった。遅れてきた者も含めて8名の大賑わいになった。他のグループも何組かいたが、広い雪原に思い思いに腰を下ろしているため、混雑しているという感じは無かった。風は少し冷たかったが、ツエルトで風避けを作ると、太陽は暖かくそそぎ、雪山の山頂にいることを忘れさせてくれた。周囲の展望に目をやれば、御前岳と大岳山がひときわ大きく、丹沢の山々に富士山、振り返れば、鷹ノ巣山への尾根を目で追うことができた。お酒もまじえ、山の話しで2時間も腰をすえてしまった。
 午後もかなりまわり、重い腰を上げることにした。六ツ石山山頂から石尾根コースは、登りと同じ様に、雪原となった防火帯が続いていた。雪道の下りは、上りとは違って足元を気にする必要が無く、楽であった。飛び跳ねる者、ミニスキーに興じる者、酔いが回って千鳥足の者、雪と戯れながら下った。下るに連れて、日当たりの良い斜面では、土も現れたが、雪の道が麓近くまで続いた。林道に出てから、再び近道を通って奥多摩の町に下りたったときは、夕暮れが近づいていた。
 思っていたよりも遅い時間になっており、温泉に入るという一行と分かれて、新潟への家路についた。

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