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虚空蔵山

1998年1月3日 日帰り 単独行 雨

虚空蔵山 こくぞうやま(361.5m) 三等三角点 五頭山塊(新潟県) 5万 新発田、2.5万 天王
ガイド:片雲往来―私の山路歴程―p.432〜435

1月3日(土)7:30 新潟発=(R.49、水原、出湯、R.290 経由)=8:17 虚空蔵山登山口〜8:46 発―8:58 二石神社〜10:50 発―11:41 虚空蔵山山頂〜12:05 発―12:35 二石神社―12:50 虚空蔵山登山口=(R.290、月岡温泉、豊栄、R.7)=14:30 新潟着

 虚空蔵山は、信仰の山として、多くみられる名前である。五頭山塊には、虚空蔵山としては、菱ヶ岳から主稜線を南に下った野須張峰とも呼ばれる902.8mピーク、また宝珠山から西の丸山に下る途中の440.5mピーク、さらに北部の金鉢山の西部に主稜線から外れてそびえる、今回訪れた361.5mピークである。この虚空蔵山の山頂には、二段に重なった大岩があり、その名前に由来したと思われる二石神社が、山頂と麓に設けられていたが、現在は廃虚になっている。
 年も改まり、カウントアップされてきた山行回数もリセットされ、98年度第一回目の山行になった。天候は雨、明日も良くなる保証もなく、近くの山に出かけることにした。二万五千分の一の地図の出湯は、五頭山に登るために、登山を始めた最初に買った地図であったが、その北側の天王の地図を眺めていると、登山道の書かれている虚空蔵山という山があることに気が付いた。山行記録としては、上村氏の「片雲往来―私の山路歴程」しか見あたらず、しかもこれは昭和44年の記録で、30年程の昔、願在とはかなり様子は異なっている可能性があった。どのような山であるのか、低山といえども、かえって侮れないと思いながら、興味を持ってでかけることにした。
 朝、車を走らせ始めると、かなり激しい雨になり、途中の瓢湖も、カモと白鳥が静かに浮かんでいるだけであった。出湯温泉の入口から、R.290を新発田方面に向かった。虚空蔵山からの尾根が道路に向かって延びてきた所の道路脇に小さな丘があり、奥へ向かっていく林道の入口に、「旧千坂氏居城 鉢盛城址」という看板が立っていた。「片雲往来」の記録では、八森城跡という看板があったということだが、いつのまにか、漢字が違ってしまったようである。朝食をとりながら空模様を眺めたが、小降りになったものの、雨は続いた。車の中で雨具を身につけ出発した。しばらく、杉林の中の林道歩きが続いた。道には杉の落ち葉が積もり、広い道ではあるが、あまり人は入っていないようであった。谷間に入っていくと、右手に壊れ掛かったコンクリートの鳥居が現れ、草のかぶった石段の上に、かなり大きな神社が現れたが、良く見ると、屋根が一部落ちて廃屋になっていた。どうやら、これが藤島玄氏の「越後の山旅」の五頭山塊の地図で、二石神社と書かれている神社のようであった。境内には、モミらしい大木も並んで神域の風情を漂わせ、軒には彫刻の施された横木が渡されており、当時は神社としての偉容を誇っていたようであった。こんな山奥にと思うような所に、地元の信仰のあつそうな神社を見ることはあっても、これだけの神社が廃虚になっているのは、あまり見かけたことはない。過疎のためか、開発のためか、どのような事情があったのであろうか。地図に神社の記号が書かれていない理由がようやく判った。
 神社に気をとられたためか、この後登山道を捜して右往左往することになり、一時は登山も諦めるところまで追い込まれてしまった。神社の前で、沢は二股に分かれ、道も左右に分かれた。まず、右の道を進んでみた。沢沿いに登っていくと、草がややうるさくなり、古い丸太が横積みになった伐採地の中の広場に出た。左手の尾根に踏み跡が続いたので登っていくと、ヤブに閉ざされた。木に付けられたペンキマークを追ってヤブに突入するも、ツルに絡まれる密生に、たどれる道では無いということになった。広場に戻って沢沿いに登るも、道は直にヤブの中に消えた。この広場が、昔、炭焼き小屋があったという広場であったのだろうか。周辺の山は、今では、荒れた感じがしていた。神社に戻って、左の道を探るも、杉林をかなり登った所で、道はたどれなくなった。「片雲往来」の記録を読み返してみると、神社の裏手から尾根に取り付いたようであるが、それらしい踏み跡は見つからなかった。
 原点に立ち戻って、地図を良く見ると、登山道は、谷間を進んで、二股にぶつかったところで、中央の尾根を真っ直ぐ登っている。神社の前がこの二股だとすれば、真ん中に道があるはずであった。これが最後の望みであったが、果たして尾根に沿って、踏み跡が見つかった。ようやく、登山開始にたどりついたが、すでに2時間程が経過し、五頭山あたりなら、山頂付近を歩いている勘定であった。尾根上の道は、道形は残されれていたが、潅木の枝がうるさかった。ひと登りして尾根の傾斜が一旦緩やかになると、前方に虚空蔵山の山頂をようやく望むことができるようになった。その先で、身の丈を超すクマザサが茂る急斜面になった。長時間歩き続け、体力も消耗しており、辛い登りになった。それでも高度を上げて、山頂近くになって傾斜が緩やかになると、クマザサは姿を消して、道もはっきり見えるようになった。赤松林の中を登っていくと、山頂の一画に到着した。刈り払いの道を横切って奥に進むと、大岩の脇に朽ちかけた木のお堂があり、これが「片雲往来」に言う第一のやしろのようであった。ヤブをかき分けさらに進むと、二段に積み重なった大岩があり、これが二石神社の御神体、奥の院のようであった。さらに奥には、窪地に神社があり、屋根と床は保たれているが、戸は全て失われて野ざらしの状態になっていた。神社の後ろに出ると、刈り払いの道に出て、ようやく三角点に達することができた。
 三角点前の刈り払い道からは五頭山塊の展望がひらけて、特に金鉢山と思われる尖ったピークが印象的であった。五頭山塊の雪は少なそうで、山頂付近でも白黒斑の状態であった。これなら登山道の整備されている五頭山あたりでもめざした方が楽であったかと、少々複雑な気分であった。地図では、虚空蔵山から東に下る道が印されていた。その道の先をうかがうと、明瞭な道が尾根の上にしばらく続いて、急坂を一気に下っていた。この道を下ろうかと迷ったが、疲労も溜まって、もし道が下部で不明瞭になると窮地に陥ると思い、来た道を戻ることにした。また、三角点の前から南に刈り払い道が稜線上に続いており、この道がどこに通じるのか、疑問は残った。
 下りは、少々ヤブがあろうとも、登りよりは楽であった。平野部の眺めも良く、晴れていたならば、角田・弥彦方面も良く見えそうであった。神社の前に下りたってホットした。車に戻って、濡れきった衣類を着替え、月岡温泉「美人の湯」で暖まってから家に戻った。
 地図に記載されている山道。これらの多くが、利用する人も少なく、消えようとしている。オーバーユースで、登山道の荒廃が問題にされる反面、忘れられている山もある。こういった低山を登って、少しでも人に紹介することも、地元の登山愛好家の努めなのではないだろうか。

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