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飯谷山、岩倉山

1997年11月24日 日帰り 単独行 晴

飯谷山 いいたにさん(782.9m) 三等三角点 会津(福島県) 5万 野沢 2.5万 柳津
ガイド:ふくしまの低山50(歴史春秋社)、山を訪ねて 会津の日向山・日蔭山(歴史春秋社)

岩倉山 いわくらやま(490m) なし 会津(福島県) 5万 宮下 2.5万 宮下
ガイド:ふくしまの低山50(歴史春秋社)

11月24日(月) 7:00 新潟発=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.252、郷戸、県道飯谷大卷線 経由)=8:12 野老沢〜8:42 発―8:46 飯谷神社―8:58 長坂―9:00 林道出合―安摩の居手平―9:07 林道横断点―9:10 休憩の松―9:14 うがい沢―9:36 奥の院〜9:40 発―10:06 飯谷山〜10:12 発―10:35 林道横断点―10:47 林道出合―10:58 車道―11:06 野老沢=(県道飯谷大卷線、R.410 経由)=11:41 西方―11:50 西隆寺―12:12 岩倉山〜12:16 発―12:24 林道駐車場〜12:37 発―12:46 林道分岐―13:37 大林ふるさとの山入口―13:37 西方=(R.410、西会津IC、磐越自動車道 経由)=15:50 新潟着

 飯谷山は、只見川のほとりに、柳津町と向き合う山である。麓に飯谷神社の社殿、山頂下に奥の院跡、さらに山頂には石の祠が置かれ、信仰の山になっている。
 岩倉山は、只見川沿いにある西方の集落の裏山で、鬼子母神がまつられ、お堂が建てられている。
 振り替え休日の月曜日は、高気圧が移動して晴の予報がでた。磐越自動車道が全通したものの、紅葉の時期を迎えて週末は渋滞が予想され、足が遠のいていた。そろそろほとぼりも冷めた頃と思って、会津の山に出かけることにした。高速道はやはり便利で、新潟から1時間で柳津に到着した。柳津ダムの堰堤を越して只見川の左岸に渡り、野老沢(ところざわ)の集落に入った。飯谷山あるいは飯谷神社の案内板を捜したが、道路脇には、見あたらなかった。地図と照らし合わせると、家が山側にもう一列並んだ平地部ということで、ここから歩き出せば良いはずであった。まずは朝食をとってから、歩き出した。コンクリートで固められた沢に沿って奥に進んでいくと、右手に杉木立が現れ、一段登ると、飯谷神社の社殿があった。里山の難しさは、まず登山口にたどり着くことであるが、ひとまずホットした。杉林の中を登っていくと、直に雑木林の中の道になった。日溜まりの道で聞こえるのは足音だけ。それも濡れた落ち葉に吸い取られるかのようであった。緩く登っていくと、右手から登ってきた林道に飛び出した。そのまま直進し、安摩の居手平という木の枝にかかった標識を過ぎて再び林道へ飛び出し所で、右手に登山道は分かれた。緩やかな尾根を越して軽く下っていくと、うがい沢に出た。ここからが、本格的な登りになった。まずは、右手に延びる尾根までの登り。左に向きを変え、太いブナの木を眺めながら登っていくと、奥の院に到着した。昔は立派な社殿が建てられていたというが、今は杉林の中の広場に石灯篭や石の祠が残るだけであった。左手の尾根に取り付くと、再び急な登りが始まった。奥の院で登りもひと段落と思っていただけに、予想外であった。尾根の所々に、木が刈り払われた展望地が設けられていた。只見川の流れと、柳津の赤いアーチ橋の眺めが印象的であった。山頂直下の雑木林では、登山道が落ち葉に覆われて、どこでも歩けるかわりに、正しい道を見失いそうになった。飯谷山の山頂は、やせ尾根の途中といった感じで、北面は崩壊した崖になってトラロープが渡され、南面は刈り払われて伐採地となり、あまり落ちついた風情はなかった。北面の崖を見下ろすと沼がひっそりとたたずみ、白い雪化粧をした飯豊連峰が遠くに望まれた。南には、博士山や高森山。磐梯山はあいにくと雲に隠されていた。一段下った林の中の広場に石の祠があり、そのかたわらに、下山コースという標識が地面に置かれていた。南に延びる尾根に付けられた登山道を、只見川の眺めを楽しみながら下っていくと、林道に飛び出した。「ふくしまの低山50」には、この林道を左にたどっていけば、登りの道に合わさると書いてあったが、林道を横断して直進する道があった。良く踏まれている道なので、そのままこの道を進んでみることにした。沢沿いに続く道は、杉の植林地の縁を通り、草は刈られて良く整備されていた。途中で、水場の標識もあり、のぞいてみると崖にパイプが差し込まれて、水がわずかにしたたり落ちていた。下り続けると、最後は、コンクリートの橋を渡って、細い林道に飛び出した。所々舗装されているものの、ほとんど車の走った形跡は見あたらないような道であった。とにかく、里近くまで下ったことにひと安心した。林道は、畑の中に出て、最後は見覚えのある野老沢の集落手前で車道に飛び出した。この下りは、迷う所も無い道であったが、標識がないので、登りに使うのは難しそうであった。下山口近くの地図にのっている記念碑の印は、「水道開設記念碑」で、どうもこの林道は、水道施設の保安路のようであった。車道歩きもわずかで、車に戻ることができた。集落では、晴天のもとで冬支度を急ぐのか、ダイコンを洗って干す姿が目についた。
 時間も早いので、さらに、近くの岩倉山に登ることにした。只見川沿いに走って、西方の集落に入った所の空き地に車を止めた。集落の背後に岩倉山をのぞむことができた。西隆寺の看板に導かれて県道から入っていくと、六地蔵の置かれた山門に出た。境内には、多くの石仏が置かれて、ミニパークといった感じであった。この寺は、乙女三十三観音とも呼ばれるというので、石仏は三十三体あるのかもしれない。本堂の左裏手の墓地から、表参道という登山道が始まっていた。杉林の中の、急な登りが始まった。一気に高度を上げて雑木林の中になると、足元に集落の眺めが広がった。岩場の下を通過する所もあったが、道幅は広く、危険は感じなかった。山頂に登り着くと、多くの石仏が出迎えてくれた。立派なお堂が建っているが、その背後の広場にはトイレも設けられ、仮設天蓋のフレームも残されていた。ベンチも置かれていたが、足元には、なかなかの展望が広がっていた。とうとうと流れる只見川と会津の山が一つの眺めにとけあっていた。下山は、林道を下ることにした。広場の先から一旦下った後に登り返すと、その背後には台地状の地形が広がって林道が上がってきていた。林道を右と左のどちらに行くのか迷ったが、両方たどってみると、どちらでも結局は合わさることが判った。林道は、谷を大きく巻いていき、かなりの距離があることに途中で気が付いた。杉やキリの見本林を眺めながら大林ふるさとの山の入口を通り過ぎると、ようやく西方の集落に下ることができた。上がりよりも遥かに時間のかかる下りであった。

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